8.3事変

8.3事変(8.3じへん)は、1858年8月3日から平城京東京府で発生した軍事クーデターである。

概要

8.3事変は、大学寮関係者たる文官らと平城京政府を不満とする下級士族らが手を結んで発生した軍事クーデターである。1851年に発生した「天文事件」は、大学寮出仕の学識者に対して不平不満を重ねさせる結果となる。ことさら、大学寮出身の宮中官僚宮内官吏が冷遇され、かつてのような一部の特権階級のみが厚遇される政治体系へと変容していた。

経過

大学寮三文庫を出自とする宮中官僚宮内官吏は、一部の特権階級のみが厚遇される現状を強く批判することになる。軍事力を持たない彼らは、東京府紀州府の兵部と組んで、軍事クーデターを画策。

1858年8月3日、府川河西(東京府宰相)は、立龍一(東京府兵部参与)を首謀者とする一団によって、拘禁される。同日、紀州府兵部の一段が平城京の洛中を放火。最高権力者であった林文亮の私邸を焼き払った。

8月8日、富士宮江哲が暗殺される。富士派を中心に、クーデターの思想的根源が失われると、不干渉を貫いていた宮中官僚宮内官吏が精神的に刺激を受ける。水岡貞国(中務大輔)ら高級宮内官吏が、クーデターに参画することで大きな影響を及ぼすこととなる。

12月には、林文亮が拉致される。この拉致事件は、保安司令部出身の向田邦文(中将)が首謀者となっていた。この拉致から、林文亮に迎合していた士族や文官らが一掃される。1859年、クーデターの中心人物として、向田邦文が大将に就任。「向田宣言」の発布によって、保安司令部が廃止される。
最終更新:2025年09月25日 13:44