生田譲吉

生田譲吉(いくたじょうきち、1888年5月-)は、日本の実業家。経営者。

来歴

父は生田財閥を築き上げた生田恭三郎。姉は国際政治学者となった生田東子

姉の背中を追って京都大学法学部で政治学を修める。1911年、京都大学卒業後、父の生田恭三郎の勧めから、北海道に渡って北海道庁に勤務。北海道庁では、殖産事業に精通し、北海道における官営繊維産業を開拓した。1922年、北海道庁拓殖産業部長に就任。1924年、北海道庁を退官。
父の言いつけいしたがって、生田殖産へ入社。取締役・北海道繊維産業部長に就任。1926年、父から禅譲される形で生田殖産社長兼会長、生田海運社長を兼任。官界での評価や社内での優秀さが際立ち社内外から幅広く評価された。1946年4月、生田殖産社長兼会長に就任。過度経済力集中排除法の適用を受けて企業の分社独立が進む。
1956年、生田殖産社長兼会長を退き、名誉顧問に就任する。1871年の創業100周年記念行事に合わせて、100周年記念事業実行委員長を務め、その後名誉職からも退いた。

経歴

1888年 5月 兵庫県神戸市出身
1907年 3月 旧制宇治高等学校・卒
1911年 3月 京都大学法学部・卒
4月 北海道庁・入庁
7月 拓殖局綿花事業部
1917年 4月 拓殖局流通部
1919年 4月 拓殖局繊維産業部
1922年 4月 拓殖局拓殖産業部長
1924年 3月 退官
4月 生田殖産・入社
取締役・北海道繊維産業部長
1926年 8月 生田殖産社長・会長
生田海運社長
1946年 4月 (専任)生田殖産社長・会長
1956年 9月 名誉顧問
1969年 10月 100周年記念事業実行委員会・委員長

親類

父:生田恭三郎(1860.1生)
姉:生田東子(1886.10生)
最終更新:2025年07月25日 17:31