来歴
大学卒業後、
生田殖産へ入社。米国事業拡大のために渡米。渡米の際には、当時大学生であった
宇津村忠男と親交を深める。高校の後輩で友人の宇津村が運営していた
コロンビアホテルの経営にも協力した。
1956年、
生田譲吉の社長兼会長退任に伴って、社長に就任。社長就任に伴って、経団連副会長/教育・人材育成委員長、
日本繊維産業協同組合最高顧問に就任。1975年、病気によって社長退任を考えていたが、遺留されたため形式的な社長職を続け、会長の職を退いた。この時期、長女の
生田正子を正統後継者とすることを決定。正式的には、1988年4月に、娘である
生田正子へ、名誉職だった社長職を譲った。
経団連
1956年の社長就任に伴って、
経済団体連盟副会長に就任する。これは、父の
生田譲吉の役職を受け継いだということになる。1964年より、2代目会長に就任。10年を目安に退くように求められていたため、1975年の病気を理由に退陣を申し入れるも、副会長会議で決議に至らず留保されたまま、1977年に後*任の
大隈繁太郎が決定したため退陣する。
親類
経歴
1915年 |
10月 |
兵庫県神戸市出身 |
1934年 |
3月 |
旧制神奈川高等学校・卒 |
1938年 |
3月 |
早稲田大学政治経済学部・卒 |
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4月 |
生田殖産・入社 |
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米国支社コロンビア営業所 |
1940年 |
10月 |
米国支社コロンビア営業所・課長補佐 |
1943年 |
4月 |
営業本部営業部二課・課長補佐 |
1945年 |
8月 |
営業本部営業部二課長 |
1951年 |
4月 |
東京支社神奈川営業所・副所長 |
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10月 |
東京支社神奈川営業所長 |
1953年 |
4月 |
取締役・東京支社長 |
1956年 |
9月 |
代表取締役・社長・会長 |
1975年 |
4月 |
代表取締役・社長 |
1988年 |
3月 |
退任 |
最終更新:2025年07月28日 08:33