桜田財閥(さくらだざいばつ)は、日本の旧
財閥であり、企業グループ。現在は、
サクラ商事を中心として、日本の重工業に大きな影響を及ぼす
総合商社グループである。
概要
桜田財閥は、
水戸藩の上級
士族の家系である
桜田家を祖とする企業。
堂島米会所で台頭した日本有数の企業集団である。
桜田家六代目当主・
桜田金五郎の代に米相場で莫大な富を築き、幕末の動乱を経て
政商の地位に君臨。
官立銀行である
東京銀行の設立、鉄道事業・電気通信事業への投資、不動産開発の展開、さらには軍需を背景とした鉄工・機械製造への投資により急成長。昭和期には、
林財閥、
白瀬財閥、
雨宮財閥、
近江グループ、
生田財閥と並ぶ「六大
財閥」の一角として数えられた。2代目総帥の
稲葉喜三郎によって昭和期に多くの企業へ出資。特に、国内の鉄鋼・機械工業へ勢力が及んだ。
戦後、
過度経済力集中排除法の下、財閥としての一極集中体制が問題となり中核企業が改組。1947年、政府系開発投資を専業として行ってきた
日本勧業銀行が戦後復興への過度な資金融資を行ったことで経営破綻。同じく政府系の準
メガバンクである
東京銀行を保有する桜田財閥が、それらの債務を処理することで合意して「
東京第二銀行」が発足。日本最大の百貨店運営事業者である
桜屋百貨店を改組して国内小売事業の総本山とも呼ばれる
桜屋株式会社を設立。桜屋百貨店の持つ貿易仲介・輸出入事業を「
サクラ商事」として独立。軍需産業一般への投資事業を担った「
桜田住建信託」なども独立した。一方、表向きの解体の背後で、人的・資本的ネットワークは温存され、1950年代以降は
サクラ商事を中心とした持株会社体制で再構築された。中心的な基幹事業体を持たなかった戦前に比べて、戦後は非常に大きな結束を持つことになる。
現在の桜田財閥は、
総合商社を中心として、金融、製造、化学、流通、都市開発、医療、情報、文化事業などを幅広く展開する多角的コングロマリットである。保守的な経営方針と堅実な財務体質を特徴とし、同時に文化財団や教育機関を通じた社会貢献活動にも積極的である
主要企業
金融G
製造・資源G
不動産・都市開発G
メディア・文化G
創業家
歴史
起源と商人化(江戸中期〜幕末)
桜田財閥の母体となった
桜田家は、
水戸藩の上級
士族として重きをなした家柄である。特に五代目・
桜田宗右衛門の代に藩政財政に関与し、
堂島米会所における米相場への関与を通じて次第に商業的影響力を高めていった。六代目・
桜田金五郎(1825年〜1888年)は、堂島米会所を拠点にした投資戦略によって莫大な資産を築き、名実ともに「米商の帝王」と称された。金五郎の時代に、藩の財政を補助する形で御用金や年貢の流通に介在し、幕府・諸藩との結びつきを強めた。幕末の動乱期には、薩摩・長州との水面下の金銭的な支援関係を築き、結果として明治維新後の政商層に食い込むことに成功する。
政商としての地位確立(1868年〜1900年代初頭)
改革後、桜田家は新政府の産業政策における重要な支援者として台頭。初期には金融業・不動産業・通信業に進出し、1878年には官立銀行である東京銀行の設立に参画。電信・電話網の整備、都市開発、さらには私鉄建設への出資も行った。また、軍事産業への関心を強め、
桜田鉄工所を設立。
陸軍の軍需物資供給契約を獲得。これにより、日本の鉄鋼・機械製造分野における基盤を固めていく。
財閥化と多角経営
桜田財閥が名実ともに「財閥」として確立されるのは、明治期以降である。金五郎の孫にあたる
稲葉喜三郎が1921年に2代目総帥に就任する。その後、積極的な企業投資路線を採用。とくに鉄鋼、機械、造船、鉱山開発、金融、保険、流通、メディアなどに幅広く出資し、グループ内に多数の企業を抱えるようになった。昭和初期には、
林財閥、
白瀬財閥らと並び「六大財閥」の一角として政財界に絶大な影響力を持つに至る。国内の主要産業界において、その資金と人的ネットワークは“桜田ライン”と称されるほどであった。
戦中と解体(1940年代)
第2次世界大戦期には、政府の要請に応じて軍需物資や装備品の材料調達に大きく関与。特に
桜田鉄工所と
桜田電機は、陸海軍への直接供給を担った。戦時体制の中で事業の統制と拡大が進んだが、1945年の敗戦により状況は一変。1946年の
過度経済力集中排除法の公布により、桜田財閥も解体対象となる。政府主導の命令のもと、保有企業は分割・独立化され、以下のような再編が行われた。
人的ネットワークと持株会社的な統制機能は水面下で維持されていた。
戦後復興と再構築(1950年代〜1980年代)
1950年代には、
サクラ商事が財閥系持株会社の役割を事実上担い、旧桜田系企業の資本統合を進めた。輸出主導型の成長経済において、商社・百貨店・鉄鋼・機械・金融部門が相互補完的に機能し、戦前以上の結束力を持つ「戦後型財閥」へと再構成されていく。この時期、
桜屋は全国に大型百貨店を展開し、小売業界の頂点に立つとともに、
サクラ商事はアジア・北米・中東での資源開発やインフラ事業に進出。
東京第二銀行も国際金融業務で大きな存在感を発揮した。1960年に、
サクラとともに歩む会を設立。桜田財閥関連企業が多く在籍する。
現代の展開(1990年代〜現在)
1990年代のバブル崩壊では不動産投資の失敗により一部グループ企業が経営危機に陥ったが、堅実な財務方針を持つ中核企業群がグループを支えた。21世紀に入り、桜田財閥は、総合商社(サクラ商事)を中心とした
コングロマリット体制を構築。
また、
桜田文化財団、
さくら奨学会などを通じて教育・芸術・文化振興にも積極的に取り組み、社会的責任を重視する企業体としての地位を築いている。
最終更新:2025年07月02日 09:10