桜田金次郎は、かつて
水戸藩で御用方の選定を行う町奉行の1人であった。藩内では上級
士族の家だったが、
平城事変以降立場が急落。コメ相場や小豆相場で一発を当てたため家は非常に豊かだったが、虚業に頼ることはできなかったため、米問屋の
桜米百貨店を設立。1850年代以降、相場操縦に大きな影響を与え、戦火の広がる
東京府の中で大きな利益を築き上げた。1855年、東京府の一等地に大きな米市場を建設して日本の中心市場として力を発揮。しかし、4年後の1859年に
内閣審議会に場所を引き渡して政府の覚えめでたき「政商」の地位に君臨。
最終更新:2025年03月04日 14:15