織運千時(おりうませんじ)〈1924.3-2015.8〉は、日本の経営者。
ハンナン株式会社代表取締役社長。
来歴
1924年3月、
埼玉県出身。1946年に
九州大学文学部日本文学科を卒業、
西日本新聞社へ新卒入社。出世ルートの政治記者をあきらめて文芸欄や文芸誌出版部門を担当。
1953年、
日本海上保険社へ入社。創業者である
本田信広社長とは、
九州大学の先輩後輩という関係性で、大学卒業後も関係が続いていた。西日本新聞社出版の文芸誌への広告欄掲載を交渉した関係もあり、入社することになった。
1965年、
本田信広社長の仲介を受けて
北海道で新進気鋭の経営者として規模を急拡大していた
半田南吉と接触。1966年に
東京ハンナンフーズ株式会社総務部長に就任。1970年以降、
ハンナン財団が筆頭株主となった
北海道文化放送から招聘を受け常務取締役を歴任。情報分野の改革絵御指揮した。
1980年から
ハンナン株式会社代表取締役社長に就任。当時、社外の風を入れ、完璧な血の入れ替えを求めていた
半田南吉の支えを受けて7年に及ぶ社内政治を形成。食品分野以外からの役員重用や「不動産・リゾート開発」分野の拡大を推し進め、典型的なバブル経営を担った。1987年に
粟屋新司に社長業を交代する。
経歴
1946 |
3 |
九州大学文学部日本文学科卒業 |
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4 |
西日本新聞社入社 |
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文芸部 |
1947 |
4 |
文芸誌出版部編集 |
1950 |
4 |
文芸誌出版部編集・広告班長 |
1951 |
4 |
文芸誌出版部編集チーフ |
1952 |
3 |
退社 |
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4 |
日本海上保険社入社 |
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|
赤坂営業部 |
1953 |
4 |
赤坂営業部 主任 |
1955 |
4 |
名古屋営業部 主任 |
1956 |
4 |
名古屋営業部 次長 |
1958 |
4 |
本社営業部営業三課 課長補佐 |
1960 |
4 |
審査部営業審査課 課長補佐 |
1962 |
10 |
総務部多角経営事業室長 |
1964 |
4 |
社長室秘書 |
1965 |
4 |
社長室秘書・社会事業担当 |
1966 |
3 |
退社 |
|
4 |
東京ハンナンフーズ株式会社招聘 |
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総務部副部長 |
1967 |
4 |
取締役・総務部長 |
1970 |
4 |
退社・北海道文化放送株式会社招聘 |
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|
常務取締役・総務担当・情報担当・営業担当・情報システム局長 |
1972 |
4 |
常務取締役・総務担当・総務局長 |
1975 |
4 |
常務取締役・編成統括担当 |
1977 |
4 |
取締役副社長 |
1980 |
4 |
退社・ハンナン株式会社招聘 |
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代表取締役社長 |
1987 |
3 |
退社 |
役職歴
- ハンナン株式会社取締役会長(1987年-2000年)
最終更新:2025年04月16日 10:21