1922年 | 名古屋市内の音楽愛好家らによって「名古屋市民音楽団」が発足 |
1929年 | 名古屋桜田百貨店の開業記念公演が行われる |
桜田財閥が本格的な出資を決定 | |
1930年 | プロ組織の「名古屋交響楽団」が設立 |
ドイツ留学でフルトヴェングラーに師事した、佐藤義太郎が常任指揮者兼音楽監督に就任 | |
1932年 | 桜田財閥出資の「名古屋市帝国公会堂」で第1回定期演奏会が行われる |
公会堂に、楽団事務局を設置 | |
1937年 | 産業統制会傘下組織の「報国音楽会名古屋楽団」へ編入 |
佐藤義太郎が、報国音楽会副総裁に専任 | |
常任指揮者および音楽監督が不在となる | |
1939年~ | 戦意高揚や慰問を目的とする |
1946年 | 報国音楽会が解散 |
名古屋復興音楽会を主宰するために楽団が復活 | |
オーストリア留学を経た、伊藤隆太が常任指揮者に就任 | |
佐藤義太郎が音楽監督に復任する | |
1947年 | 公益法人化、正式に「名古屋交響楽団」が復活 |
1952年 | 附属教育機関の名古屋市音楽学校が発足 |
学生中心の公開リハーサルを提供する | |
パリ国立音楽院でナディア・ブーランジュに師事した、橘遼一が名古屋市音楽学校客員准教授と客演指揮者を兼ねる | |
1955年 | 愛知県文化会館の落成記念演奏会を開催 |
会館に、楽団事務局を設置 | |
1962年 | 陸軍軍楽学校、ニューヨークジュラトン音楽学校に学んだ黒田常道が常任指揮者兼音楽監督に就任 |
1964年 | 日本オーケストラ協議会へ加盟 |
1965年 | 名古屋市音楽学校が、名古屋芸術文化大学に再編される |
名古屋芸術文化大学に総合音楽教育センターを提供 | |
1982年 | 愛知芸術文化センターの落成記念演奏会を開催 |
同センターを本拠地として、楽団事務局を設置 | |
1999年 | 世界交響楽団連盟へ加盟 |