新規作成
新規ページ作成
新規ページ作成(その他)
このページをコピーして新規ページ作成
このウィキ内の別ページをコピーして新規ページ作成
このページの子ページを作成
新規ウィキ作成
編集
ページ編集
ページ編集(簡易版)
ページ名変更
メニュー非表示でページ編集
ページの閲覧/編集権限変更
ページの編集モード変更
このページにファイルをアップロード
メニューを編集
バージョン管理
最新版変更点(差分)
編集履歴(バックアップ)
アップロードファイル履歴
ページ操作履歴
ページ一覧
ページ一覧
このウィキのタグ一覧
このウィキのタグ(更新順)
このページの全コメント一覧
このウィキの全コメント一覧
おまかせページ移動
RSS
このウィキの更新情報RSS
このウィキ新着ページRSS
ヘルプ
ご利用ガイド
Wiki初心者向けガイド(基本操作)
このウィキの管理者に連絡
運営会社に連絡(不具合、障害など)
日本の歴史を造る会
操作ガイド
新規作成
編集する
全ページ一覧
登録/ログイン
日本の歴史を造る会
操作ガイド
新規作成
編集する
全ページ一覧
登録/ログイン
日本の歴史を造る会
目録
教育
内閣
歴代内閣
国政政党
衆議院総選挙
参議院通常選挙
地方統一選挙
財閥
大本営
人物録
人物録・情報
人物録・哲学
人物録・歴史
人物録・社会科学
人物録・自然科学
人物録・技術
人物録・産業
人物録・芸術
人物録・言語
人物録・文学
黒田常道
黒田常道(くろだつねみち)〈1925年9月ー2001年1月〉
は、指揮者、音楽家。
来歴
1925年9月、
宮城県
仙台市
出身。
陸軍士官学校仙台予科
を経て、
陸軍軍楽学校
に進学。1943年3月に
陸軍少尉
として軍楽科に配属。
陸軍第2軍楽隊
に配属され指揮者を務める。1945年の
東京大空襲
で軍楽隊が廃止され、仙台
在郷軍人会
の
業務担当員
となる。
音楽の世界へ
1945年8月の終戦後、
陸軍軍楽学校
校長の
田崎時東
(陸軍大佐)の仲介で、
シンガポール
の
日本軍捕虜収容所
で派遣翻訳官となる。
シンガポール
の現地住民に楽器などの指導をする傍ら、指揮者として小楽団を率いた。
アメリカ合衆国
の
合衆国軍
太平洋南方作戦軍
の事務総監であった
ホーマスト・オエットマン
が主催する晩餐会で楽団を率いたことから知遇を得た。ホーマストの旧友で、財界に顔が利く音楽家の
レナード・バーンスタイン
を紹介され、1952年に
ニューヨークジュラトン音楽学校
に学ぶ。20世紀アメリカ音楽に関心を持ち、音楽史や音楽建築を研究した。
日本音楽界の革新派
1957年に帰国の途に就き、
日本大学横浜校
音楽学部
指揮科・客員
講師
、同大
建築学部
構造学科・客員講師、
公益法人
横浜フィルハーモニー管弦楽団
客演指揮者となる。
1960年、
NHK東京ホール
建築委員会委員(音楽構造技術)に就任、1965年より
NHK東京ホール
音楽総監督。
1962年、
名古屋交響楽団
3代目常任指揮者・2代目音楽監督。1985年まで務めた。
NHK交響楽団
6代目首席指揮者に就任。
晩年に至るまで、
大阪城ホール
音楽総監督、
名古屋芸術文化センター
音楽監督、
日本大学学術機構
理事、
日本大学横浜校
音楽学部
名誉
教授
などを務める。
「黒田常道」をウィキ内検索
最終更新:2025年09月24日 15:32