アットウィキロゴ

生田浩二

生田浩二(いくたこうじ)〈1921年9月ー1998年6月〉は、プロ経営者、経営再生家。

来歴

生い立ち

1921年9月、兵庫県神戸市出身。生田譲吉の三男として生を受ける。
兵庫県立神戸高等学校神戸商科大学経営学部をそれぞれ卒業。

生田殖産・プロ経営者

大学在学中の1942年4月に生田殖産へ入社。総務本部のみで長らく勤務し、1964年8月に執行役員・総務本部長に就任。1967年4月より、取引銀行である山陽銀行へ取締役経営多角化戦略本部長として出向。1970年3月に退職。
1970年4月に「生田浩二政治経済研究所」を設立。日本水工東京都市電力三洋セメントなどの経営再建に貢献。それぞれの社外取締役などを務める。1984年に発生した「三洋鉛筆粉飾事件」に対応する経営再建のため、代表取締役社長として8年間にわたって経営再建に従事する。1990年から6年間にわたり、船中勉首相の下、経済再生委員会のメンバーに選任される。
1998年6月に逝去。

親族・家系

続柄
生田譲吉 生田殖産社長兼会長、生田海運社長 1888.5
叔母 生田東子 国際政治学者、京都大学教授 1886.10
宇津村よねこ 宇津村英明の長女 1917.12
岳父 宇津村英明 公党衆議院議員 1885.2
義兄 宇津村忠男 生田殖産役員、日本経営戦略機構4代理事長 1913.8
長男 宇津村高明 生田殖産役員 1945.3
次男 西川真家 生田殖産役員 1946.12

略年歴

1921 9 兵庫県神戸市 出身
1940 3 兵庫県立神戸高等学校 卒業
1940 4 神戸商科大学 入学
1942 4 生田殖産 入社
6 総務本部事務課
1944 3 神戸商科大学経営学部 卒業

1944 4 総務本部庶務課
1946 4 総務本部事務課長代理
1948 10 総務本部事務課長
1952 4 総務本部庶務課長
1955 4 総務本部企画課長
1958 4 総務本部総務部長
1961 4 総務本部副本部長
1964 4 総務本部長
8 執行役員・総務本部長
1967 4 (出向)山陽銀行
取締役・経営多角化戦略本部長
1970 3 退職

1970 4 生田浩二政治経済研究所代表
1984 10 三洋鉛筆社長
1992 10 退職
最終更新:2026年06月30日 09:12