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東方法一

東方法一(ひがしかたほういち)〈1881年3月~1934年8月〉は、満州社会事業会社社長、社会構造研究会代表、示現会会員。作家、新聞記者としても活躍。本名は、「のりかず」ともいわれる。

来歴

1881年3月、栃木県出身。旧制早稲田高校(現・早稲田高等学校)、早稲田高校専科(現・早稲田大学文学部)を卒業。

1899年、壮行社へ入社。所属記者として活動し、上海重慶朝鮮の大陸各地で取材。1906年から長期で大連に入り、足掛け3年間潜入取材を行う。その後、モンゴルに転じて内陸部での取材を行い、1912年に帰国。1913年、『極東見聞録』を発表。同時期に示現会へ参加し文筆業の世界に触れる。その後、西日本海国新聞社北洲新聞社横浜毎浜新聞社に招かれて文芸記事を執筆。

1919年には、取材を通じた大陸研究の成果として、「新アジア思想」を発表。活躍の場を政治思想研究に移し、1922年に社会構造研究会を設立。建国されたばかりの満州国に関する国際的諸問題を政府へ提出。満州国独立などの政治運動を進める。1928年には、設立した満州社会事業会社社長となり、民間向けの事業投資を推進した。1930年から、盟邦満州独立大会を主宰。年1回8月に開催することとなる。第5回大会となる1934年の大会前夜、溺死体となって発見される。1937年、満州国は、イギリススイスギリシャの承認を受けて、独立国となる。

交友関係

最終更新:2026年02月16日 18:33