来歴
退陣後
1960年には、自身が市長時代に進めた高等教育拡充計画の成果として新たに開学した、
県立兵庫大学の初代学長に就任。運営執行理事会理事を兼ねる。1965年に1期5年の任期満了に伴って辞職。
1966年の
第7回参議院通常選挙で
兵庫選挙区からトップ当選を果たして国政に進出。無所属の立場から地方における教育改革を進めるため、「
公立大学法」の制定などに尽力した。しかし、1968年の末から持病の糖尿病が悪化し、年明けを待って逝去する。
人物・政策
最終更新:2026年02月23日 11:32