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足立守時

足立守時(あだちもりとき、1932年9月~2013年1月)は、労働運動家
革社連前衛派議長、国鉄中労連副委員長、電労委員長、動労委員長。

略歴

1932年9月、群馬県高崎市出身。
群馬県立高崎工業高等学校機械科を卒業後、日本国有鉄道高崎鉄道管理局に採用。
高崎通信区鉄道通信員などを経て、組合専従。

国鉄電信電話労働組合高崎地区委員長、同委員長、国鉄中央労働組合連合会高崎地区本部委員長を経て、国鉄中労連副委員長。
1992年の国鉄動力車労働組合統合に尽力し初代委員長。

1974年から1988年まで、大森忠彦の後任として革社連前衛派議長を務めた、後に名誉会長。

思想・活動


  • 日本国有鉄道入社後、反解放同盟を標榜し、六明社の思想的影響を受けていた国鉄電信電話労働組合に入組。
  • 入組後、高崎地区委員会青年部長選挙に立候補し、入社3年目に青年部長に就任する。青年部長時代には、「新しい革命」と題した均一賃金闘争に参加する姿勢を見せて支持を集めた。1958年には、革命的社会連合の設立に合わせる形で、当時の高崎地区委員会幹部を失脚させて、自ら高崎地区委員長に選出される。その後、電労中央で権力が集中するとされる財務財政局長に就任し、蓄財にいそしむこととなる。1967年には、思想的根源の一つであった六明社が内部分裂によって崩壊したため、シンパ幹部が次々に迫害される形となり、電労委員長選挙で当選を果たす。35歳の委員長は、国鉄中労連加盟団体として最年少であった。その後、国鉄中労連高崎地区本部委員長を兼務し、1970年に発生した国鉄合理化反対闘争の中心的役割を果たす。

  • 1962年、革社連の大森忠彦副議長の思えめでたき存在として、革社連政治組織局総務に就任。1964年に大森忠彦が主張した「一握の左翼論」を実現するため、革社連前衛派として独立すると、政治局常務委員、革社連前衛派政治局長、革社連前衛派副議長などを歴任する。大森は、自らの政治的正当性を主張するにあたって、国鉄を介した武装闘争に熱を入れるようになり、電労のほか、国鉄建労などにもシンパを増やしていった。

  • 高卒・車工労出身者として初めて国鉄中労連委員長に就いた原口元春の誘いにより、1972年から国鉄中労連副委員長に就任。

略年歴


 ・高崎通信区鉄道通信員
  • 1954年6月_電労高崎地区委員会青年部長に就任
  • 1958年6月_電労高崎地区委員長に就任
  • 1960年8月_電労財務財政局長を兼任
  • 1962年10月_革命的社会連合政治組織局総務
  • 1964年1月_革社連前衛派政治局常務委員
  • 1967年3月_電労委員長に就任(67.3~81.10)
  • 1968年10月_国鉄中労連高崎地区本部委員長を兼任、革社連前衛派政治局長
  • 1970年10月_革社連前衛派副議長を兼任
  • 1972年8月_国鉄中労連副委員長を専任(72.8~78.3)
  • 1974年8月_革社連前衛派議長(74.8~88.5)
  • 1981年10月_電労会長
  • 1992年9月_国鉄動力車労働組合初代委員長(92.9~96.10)
  • 1996年10月_動労名誉会長
最終更新:2026年07月15日 23:20