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加藤信明

加藤信明(かとうのぶあき、1900年1月~1983年1月)は、日本の経営者、銀行家、プロ経営者。アジア投資銀行初代頭取、大阪高田銀行頭取、大阪日本鉄道社長、大阪地下水道開発社長、日本データバンク社長、東京発送電取締役、日本テレビ放送網取締役。

来歴

1900年1月、大阪府吹田市に生まれる。旧制第四高校を経て、名古屋大学経済学部会計学科を卒業。

財界人として

1922年4月、高田銀行へ入行。1939年に大阪拓殖銀行との合併を主導した手腕を買われて大阪高田銀行経営部長、1942年から大阪本支店長に就任。1945年8月に東京支店長に移り、同年10月より東京発送電経営経理本部長として出向。翌年より取締役を兼ねる。

戦後、民間金融再編の流れを受けて、1948年1月から6月までの半年間を大阪高田銀行頭取として過ごすも、その後に白洋銀行傘下への再編整理を担当した。

1950年代以降、戦後不況の影響に呼応して経営不調に陥っていた大阪地下水道を皮切りに、日本データバンク大阪日本鉄道で社長に就任。プロ経営者として、経営再建プランを主導した。特に、完璧なコストカットと徹底した利益追求、戦前型家族経営を脱却した管理経営の成果によって、多くの経営再建を実現させた。

1962年12月に組閣された村上内閣大蔵大臣を依頼されるも、政治的中立を理由に辞退。この内閣が主導し、1964年11月に開設されたアジア投資銀行初代頭取に就任する。

このほかにも、大阪府庁顧問、日本経営者連盟顧問、日中友好経済人会議議長、アジア経済者平和会議議長、日本テレビ放送振興協議団団長、東京会議第3代議長、官民連携三者協議会議員、日仏友好協会相談役などの役職を歴任する。

文化人として

1961年3月に、白瀬薬品が中心となって設立した瀬戸内空の美術館の経営に携わったことで芸術への造詣を深め、個人手に書画骨董1000点以上を収集する美術品コレクターとして活動していた。1972年の大阪白屋開業に伴って行われた開業イベントでは、個人蔵の美術品300点を展示した「加藤のぶあきコレクション」
最終更新:2026年07月31日 17:17