来歴
財界人として
1922年4月、
高田銀行へ入行。1939年に
大阪拓殖銀行との合併を主導した手腕を買われて
大阪高田銀行経営部長、1942年から大阪本支店長に就任。1945年8月に東京支店長に移り、同年10月より
東京発送電経営経理本部長として出向。翌年より取締役を兼ねる。
1950年代以降、戦後不況の影響に呼応して経営不調に陥っていた
大阪地下水道を皮切りに、
日本データバンク、
大阪日本鉄道で社長に就任。プロ経営者として、経営再建プランを主導した。特に、完璧なコストカットと徹底した利益追求、戦前型家族経営を脱却した管理経営の成果によって、多くの経営再建を実現させた。
1962年12月に組閣された
村上内閣の
大蔵大臣を依頼されるも、政治的中立を理由に辞退。この内閣が主導し、1964年11月に開設された
アジア投資銀行初代頭取に就任する。
文化人として
1961年3月に、
白瀬薬品が中心となって設立した
瀬戸内空の美術館の経営に携わったことで芸術への造詣を深め、個人手に書画骨董1000点以上を収集する美術品コレクターとして活動していた。1972年の
大阪白屋開業に伴って行われた開業イベントでは、個人蔵の美術品300点を展示した
「加藤のぶあきコレクション」
最終更新:2026年07月31日 17:17