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ブラジル政治史
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ヴァルガス時代 (1930–1945)
略史
- 1930年、無血クーデターによりジェトゥリオ・ヴァルガスが権力を掌握
- 約15年間にわたり国政を支配した。
- 1938年~1945年、「エスタド・ノヴォ」
ジェトゥリオ・ヴァルガス
- 法学博士号を持つ牧場主
- 1930年の大統領選挙ではリベラル同盟の候補者
- 実証主義的かつポピュリズム的な伝統を持つ地域出身
- 産業開発と自由主義的改革を支持する経済ナショナリスト
ヴァルガス政権の設立背景
- 1930年革命により、第一共和政が終焉
- ワシントン・ルイス大統領が失脚
- 次期大統領に選出されていたジュリオ・プレステスの就任は、選挙不正を理由に阻止
- 1891年憲法は廃止され、国会は解散
- 暫定軍事政権はヴァルガスに権力を移譲
- ヴァルガスの支持者→主に中間層
- 都市部のブルジョワジーや、サンパウロのカフェ・コン・レイテに長年の不満を抱いていた北東部の砂糖プランテーション所有者など
ヴァルガス時代前期 (1930年-1937年)
- 1930年から1934年までは暫定政権
- 1933年から1934年にかけて招集された国民制憲議会によって1934年憲法が起草・承認され、議会によって大統領に選出
- 1934年憲法は、中央集権派と連邦主義派の妥協の産物
- 投票権の拡大、基本的な労働者の権利(労働組合のストライキの自由を含む)、市民的自由、州の権利、国営産業の国有化など
- ヴァルガス自身はこの憲法が自由主義的すぎると懸念していた
- テネンテ(青年将校)
- 政権初期において、テネンテはヴァルガスの側近グループの中心的勢力
- テネンテは自らを「真の革命家」と位置づけ、「10月3日クラブ」を結成し、革命思想の普及に努めた
- ヴァルガスへの依存、社会基盤の弱さ、一貫したイデオロギーの欠如などから、次第に影響力を喪失
- ヴァルガスの政策
- 減税や輸入割当による国内産業基盤の拡大を支持
- 親中間層政策をナショナリズムと結びつけた
- 独裁政権への布石
- 1932年の立憲主義革命(サンパウロ州の反乱)がヴァルガス政権の右傾化のきっかけ
- ヴァルガスによる中央集権化と経済改革に反対するサンパウロのカフェ・コン・レイテによる、政権奪還の試み
- 反乱は鎮圧されたが、ヴァルガスは地主エリート層(コーヒー生産者を含む)との新たな同盟を模索するようになる
- VS共産主義
- 1935年には共産党主導の国民解放同盟(ANL)が結成されたが、ヴァルガスはこれを弾圧した
- VSファシズム
- ファシズムに影響を受けたブラジル統合主義運動(インテグラリスタ)が台頭し、ヴァルガス政権のイデオロギー的空白を埋める動きをみせた
エスタド・ノヴォ(1937年-1945年)
- 1937年クーデター
- 1934年憲法下でのヴァルガスの任期は1938年に満了する予定で、再選は禁止されていた
- 1937年11月10日、ヴァルガスは権力維持のため、共産主義者による政府転覆計画とされる「コーエン計画」(実際には政府による偽造文書)を口実に非常事態を宣言、議会を解散
- 大統領令により権威主義的な新憲法を公布し、全権を掌握
- 以降、ヴァルガスは事実上の戒厳令下で8年間統治
- 権威主義的統治と弾圧
- 国家安全保障裁判所(TSN)の権限が強化、政治的反体制派の訴追に利用された
- 政治警察・秘密警察である政治社会秩序局(DOPS)が設立
- 司法の自治を制限し、州は連邦政府から任命された介入官によって統治
- 1937年12月、ヴァルガスはブラジル統合主義運動(AIB)を含む全ての政党を解散
- 反発したインテグラリスタは1938年5月にクーデターを試みたが失敗
- ヴァルガスは、経済ナショナリズムを推進
- 多くの産業機関を設立
- 重工業やインフラ産業は国営および官民混合企業が主導し、製造業はブラジル民間資本が中心
- 「貧者の父」
- 1943年、ヴァルガスは労働法規の整備(CLT)を公布
- 10年勤務後の雇用安定、週休、未成年者・女性労働の規制、夜間労働の規制、8時間労働制などを保障
- 報道プロパガンダ局(DIP)によるメディア検閲が行われ、世論形成が試みられた
- 外交
- アルゼンチンに警戒し、アメリカとの関係強化
- 第二次世界大戦当初、中立
- ドイツ潜水艦によるブラジル商船の撃沈を受けて、1942年8月に宣戦布告
- アメリカの資金援助を受け、鉄鉱石採掘や鉄鋼生産が進められ、北東岸には米軍基地が設置
- 連合国側のゴム供給源として、アマゾン地域でのゴム採集が再び活発化
- ブラジル遠征軍(BEF)が結成され、1944年7月からイタリア戦線に派遣
- 1945年10月29日、陸軍省から起こった軍事クーデターによりヴァルガスは失脚
- 最高裁判所長官であったジョゼ・リニャーレスが暫定大統領に就任し、大統領選挙と制憲議会選挙を実施。
- 1945年12月に選挙が行われ、1946年1月31日にエウリコ・ガスパル・ドゥトラが大統領に、新しい議会が発足し、エスタード・ノヴォ終焉
ブラジル統合主義運動(AIB)
- 1932年10月7日に作家・ジャーナリストのプリニオ・サルガードによって設立
- 超国家主義的、コーポラティズム的、保守的、伝統主義的なカトリック系極右政治運動
- イタリアのファシズムやポルトガルの統合主義、カトリック教会の社会教説に影響
- メンバーは「緑シャツ隊」として知られた
- 1937年の大統領選挙ではサルガードが有力候補とされ、「1937年綱領宣言」を発表。
- エスタド・ノヴォ体制の政策に影響を与え、後のジュセリーノ・クビチェック大統領によるブラジリア建設にも着想を与えたとされる。
- 1937年11月10日のヴァルガスのクーデター後、解散させられる
- 1938年5月11日、インテグラリスタ蜂起
- ヴァルガス独裁政権に対するクーデター未遂事件
- インテグラリスタ(ブラジル帝室の一員も含む)がグアナバラ宮殿を襲撃
- 失敗、サルガードはポルトガルへ亡命
- 1945年に、大衆代表党 (PRP)として復活する。
イデオロギー
- 主なイデオローグは、プリニオ・サルガード、グスタヴォ・バローゾ、ミゲル・レアーレ
- 唯物史観を「ブルジョア文明」の基礎とし、経済的自由主義と共産主義の両方の形成に影響を与えたと批判
- 共産主義と経済的自由主義の共通の目的は「人類の国際化」であり、最終的には少数の官僚による管理下で全人類がプロレタリアート化されると主張
- サルガード
- ブルジョアジーを社会階級ではなく「精神状態」と定義
- バローゾの反ユダヤ主義に反対
- バローゾの著作を一時的にインテグラリストの出版物から排除した
- レアーレ
- 「共産主義を受け入れるにはブルジョア精神が必要」と主張
- AIBをファシストと分類するのに反対した
- イタリア・ファシズムのコーポラティズム国家を反民主的で欠陥があると見なし、ブラジルでは「より純粋なコーポラティズム」が実現可能と考えた
- イタリア亡命中に、一党独裁下のコーポラティズム組織の幻想に気づき失望
- バローゾ
- 反ユダヤ主義を推進
- 『シオンの賢者の議定書』を翻訳した
- セルジオ・デ・ヴァスコンセロス
- インテグラリズムのコーポラティズムはファシズムとは異なり、経済だけでなく非経済的分野も代表し、真の民主主義を目指す「倫理国家」であり、国家が道徳に従属すると主張
ポピュリズム時代 (1946–1964)
略史
- 第二次世界大戦後、政治的不安定
- 1945年、ヴァルガスが再び無血クーデターで失脚
- 新しく近代的な憲法が制定され、ブラジルは初めてちゃんとした民主主義を経験
- ヴァルガス自身やジャニオ・クアドロスのようなポピュリスト政治家と右派との間の緊張が高まり、危機へと発展
- 最終的に1964年の軍事クーデターへ
- 民主的に選出されたジョアン・グラール大統領が失脚
- クーデターはCIAの支援を受けていた
軍事独裁政権 (1964–1985)
略史
- 軍事政権下で、親政府の国家革新同盟(ARENA)と野党のブラジル民主運動(MDB)からなる二大政党制が敷かれた
- 元大統領ジュセリーノ・クビチェックを含む数千人の政治家が政治的権利を剥奪された
- ジョアン・フィゲイレド政権下の政治的自由化まで、ほとんどの公選職は軍が認可した間接選挙で選出
新共和国 (1985–1990)、サルネイ政権
略史
- 1985年、エリート層からの政治的支持を失った結果、軍部が自ら設定した選挙制度の下で敗北。
- 野党候補のタンクレード・ネーヴェスが大統領に選出されたが、就任前に自然死。
- 政治的空白が民主化の努力を妨げることを恐れたネーヴェスの支持者たちは、副大統領のジョゼ・サルネイに宣誓し国を統治するよう促した。
- ネーヴェスは自身の当選と軍事政権の終焉が「新共和国」を創設すると述べており、サルネイ政権の期間はこの名でしばしば言及される。
- サルネイ政権はほぼ全ての分野で悲惨な結果となった。
- 進行中の不況と急増する対外債務が国の資産を食い尽くした
- 猛烈なインフレ(後にハイパーインフレに転化)が通貨を無価値化
- 経済を改革しインフレを克服する試みとして、サルネイは1986年に野心的な「異端の」経済計画(クルザード計画)を実行。
- 価格統制、対外債務のデフォルト、給与削減など
- 計画は数ヶ月間成功したかのように見えたが、すぐに消費財(特に肉、牛乳、自動車、穀物、砂糖、アルコールなどの輸出しやすい商品)の全面的な不足と、それらの商品が高値で売られる闇市場の出現を引き起こした。
- 計画の一見の成功による人気に後押しされ、サルネイはブラジル史上最大の選挙勝利を確保。
- 彼が直前に加わったブラジル民主運動党(PMDB)は27州中26州、3,000以上の自治体で勝利した。
- その後、サルネイの経済政策がインフレ抑制に失敗
- 選挙に勝つために人為的なインフレ抑制を利用したという国民の認識が彼の失脚の原因に
- 彼の人気は回復せず、任期終了まで社会のほとんどの部門から激しい批判にさらされた。
- 国民の不支持にもかかわらず、サルネイは任期を4年から5年に延長し、新憲法を起草していた憲法制定議会に議院内閣制の採用を中止させるよう圧力をかけた。