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保守主義
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史実における保守主義
保守主義 | ||
英名 | Conservatism |
保守主義とは「自由」や「平等」いった抽象的な理想よりも、伝統的な制度や慣行といった歴史的に継承されてきたものを優先する思想である。
社会を相互に依存するメンバーから成る有機的な生命体とみなしており(有機体論)、急進的な改革よりも、その「生命体」の連続性や安定性を保持するような制度や慣行の漸進的な進化を好む。
保守主義と言っても、共産主義のように万国に遍く理論が存在するわけでは無く、その内容は国家や民族に大いに依存する。
また、保守主義は、普遍的な価値を支持するのではなく、各国、各民族固有の文化や歴史の価値を支持することが多い。
心理的性格における保守主義
保守主義という言葉は、政治イデオロギーの他に、人間の性格を表す言葉としても使われる。
この意味での保守主義は、変化を嫌い、現状を維持しようとする態度や性格のことを指すものである。これは、心理学的には未知への恐怖や、習慣への固執など、安全・安定・安心への本能的な欲求に基づくとされている。
この心理的性格における保守主義は、政治イデオロギーの意味と密接に関係しているが、必ずしも性格的に保守的な人が、保守政党を支持するとは限らない。
歴史
保守主義の起源
保守主義は、1789年のフランス革命への反動として誕生し、19世紀の主要な政治思想の一つとして発展していった。
「保守主義の父」と呼ばれるのはイギリスのエドモンド・バークであるが、バークが1790年に『フランス革命の省察』を書いたときには、まだ「保守主義」という言葉は存在しなかった。
バークの思想については、バーク保守主義を詳しくは参照。ここでは簡単に説明する。
バークはフランス革命の暴力的・非伝統的・急進的手法や、その理想の抽象性すなわち現実との遊離がヨーロッパの伝統的秩序を破壊するとして、革命を徹底的に批判した。
バークは、自由そのものを否定していたわけではない。だが、革命家たちの唱える「抽象的自由」には懐疑的だった。真の自由とは、歴史を通じて培われた伝統や制度の中にこそ宿るとし、特にイギリスにおいては、騎士道精神、国教制度、私有財産、身分制、社会的義務が有機的に調和した秩序こそが、自由の実現の場だと考えた。
また彼は、人間理性の力を過信するフランス啓蒙思想を否定した。人間は理性によって進歩するほど高尚な存在ではなく、むしろ利己的で暴走しやすい。だからこそ、伝統や権威による統制が必要不可欠だとした。とはいえ、バークは絶対王権の擁護者ではない。むしろ彼は、社会契約を「死者、現在の生者、未来の子孫」を結ぶ世代間契約と捉え、秩序の連続性と更新の必要性を認め、漸進的な改革には肯定的だった。
一方で、ジョゼフ・ド・メーストルは、バークをさらに超える急進的な反啓蒙思想を展開した。彼は、理性や自由、平等といった啓蒙思想そのものを全面的に否定し、君主制とカトリック教会という超越的権威だけが社会を維持できると主張した。人間の本性に対する見方もバーク以上に悲観的で、理性ではなく恐怖と神の権威による統治こそが唯一の秩序だと断じた。
彼の思想は、バークの保守主義よりもはるかに「反動的」で、世襲絶対君主制の復活すら訴える。もはや「保守主義者」というよりも「反動保守」である。
ところで、保守主義という言葉自体は、1818年が初出であり、バークやメーストルよりも遅い。フランスのフランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアンによって初めて用いられた。シャトーブリアンは、自らの政治雑誌の名前を『保守主義者(Le Conservateur)』と命名した。
イギリスでは1830年代にトーリー党を指して用いられるようになり、1834年にトーリー党が保守党に改名したことにより一般化した。
19世紀の保守主義:ナショナリズムとの結合と変容
貴族的特権と身分秩序への固執に特徴づけられる、旧来の保守主義産業革命と自由主義の進展により急速に力を失った。
労働者階級の台頭、都市化、選挙権の拡大といった社会の大転換に対し、保守は否応なく適応を迫られる。
その対応策として多くの保守勢力が採ったのが、ナショナリズムとの結合だった。
かつて「国王と教会」に忠誠を捧げていた保守は、「国家と国民」の名のもとに自己変革を図る。これが、19世紀保守主義の本質的な変容である。
もっとも典型的な例は、ドイツのビスマルクである。
ビスマルクはナショナリズムを利用してドイツ統一を果たしつつ、労働者の社会主義運動を牽制するために、世界初の社会保険制度(年金・医療・労災)を導入した。
一方でビスマルクは、地主貴族(ユンカー)による支配構造は温存した。ビスマルクの政策は、ナショナリズムと国民を手懐けつつ、かつての保守主義の性格を温存したものといえる。
19世紀後半には、多くの国で保守主義は反ユダヤ主義や人種主義的ナショナリズムと接近し、王や貴族による秩序の保持や理性への懐疑を基調とした19世紀前半の保守主義とは大きく変容していった。保守的ナショナリズムは「統合」よりも「排除」の性質を強め、結果として第一次世界大戦の土壌を育むことになる。
大戦期と戦後の保守主義
1918年の第一次世界大戦の終結は、ロシア、ドイツ、オーストリア=ハンガリー、オスマン帝国といった伝統的秩序の象徴だった4大帝国が軒並み崩壊し、王権・階級・宗教によって支えられていた古典的保守の基盤は失われることになった。
これもあって、WW1後の保守主義は、共産主義やファシズムといった過激思想に押されることになる。
だが、第二次大戦後のファシズムの敗北と共産主義への幻滅が、保守主義に再起のチャンスを与えるになる。
特に西ヨーロッパでは、経済成長と民主的自由を調和させる形でキリスト教民主主義などが台頭した。このような西欧の新しい保守主義は古い貴族的性質を除去し、市場経済と広範な社会サービス提供を重視するものとなった。
一方で、1970年代以降のアメリカでは、新保守主義(ネオコン)が台頭するようになった。
彼らは、「大きな政府」による高税・高福祉は依存と非効率を生むと批判しつつ、完全な自由放任主義には与せず、「自立支援型福祉国家」を志向した。
ネオコンの最大の特徴は攻撃的で介入主義的な外交である。ネオコンは、民主主義や自由の「輸出」を主張し、例えば湾岸戦争やイラク戦争を行った。
21世紀の保守主義
1991年に、ソ連型共産主義という共通の敵が消滅した結果、世界の保守主義は分裂へと向かうことになる。
TNOにおける保守主義
保守主義 | ||
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英名 | Conservatism |
別名 | ||
登場作品 | The New Order | |
RGB値 | (26,26,101) |
政治思想であれ文化哲学であれ、定義上、保守主義とは伝統主義的理想を中心に据えるものであり、社会規範に従って社会的・文化的制度を維持し、磨きをかけていくことに専念する保護主義だ。伝統的に政治劇の舞台の右側に立つことを好むが、状況に応じたリベラルな分子との協力に本質的に反対しているわけではない。ただ、それはやや稀である。保守主義者は自由放任的な自由市場資本主義を当然のように支持し、一般的に政府支出の増加よりも緊縮財政を好むが、必ず、厳密にそうであるとは限らない。
フランスとイギリスという偉大な自由民主主義国家が、ヨーロッパのファシズムの脅威によって崩壊したことを受け、保守主義はファシズムが未だ存在していなかった地域で復活した。ますます全体主義的になる世界に対抗する民主主義最後の防衛線として、自らを位置づけているのだ。
保守的政治家や政府の多くは改革を否定しているわけではないが、公的な場においては、よりリベラルで進歩的な同世代の人々としばしば対立することになるだろう。
(TNO日本語化Modより引用)
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RFにおける保守主義
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英名 | Conservatism |
別名 | ||
登場作品 | Red Flood | |
RGB値 | (113,151,255) |
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計4種類
PBにおける保守主義
保守主義 | ||
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英名 | Conservatism |
別名 | ||
登場作品 | Pax Britannica | |
RGB値 | (62,83,122) |
保守主義は多くの国で普及しているイデオロギーであり、伝統主義と穏健な改革を提唱している。保守主義者は反動的な人たちよりも劇的に穏健であることが多く、改革に対する敵意ははるかに少ない。多くの場合、自由主義者や国家社会主義者が意図する劇的な変化よりも、ゆっくりとした着実な改革を提唱する。
伝統的な社会的役割と自由な市場改革の混合を好む保守主義は、ほぼ全世界に浸透しているイデオロギーである。
(PB日本語化Modより引用)
TFRにおける保守主義
保守主義 | ||
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英名 | Conservative |
別名 | ||
登場作品 | The Fire Rises(Hoi4) | |
RGB値 | (10, 15, 255) |
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