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加速主義
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史実における加速主義
加速主義 | |
英名 | Accelerationism |
別名 | Acc |
加速主義とは、資本主義あるいはそれに伴う技術による、他の領域に対する「脱領土化」作用を加速させるべきであるという思想である。これに加えて、加速主義は資本主義が持つ「再領土化」作用についても強く意識しており、加速主義の主張は、この作用のための諦め、すなわちニヒリズム的意識(資本主義リアリズム)による産物である。
語弊を恐れずもっと簡単に説明する。資本主義はニャルラトホテプ並みに強力で制御不可能な存在であるため、少なくとも逆らうことは無駄である。だが、誰も現在の停滞に納得している訳では無い。故に、我々が未来に辿り着くためにできることは資本主義の冷酷な歯車をアシストすることである、というのが加速主義(を適当に世俗的にした)主張である。
ちなみにアシストすることすら無駄であると言ってるのが無条件的加速主義である。例え人間ごときが条件を付加したところで、資本主義システムは何一つ変わらず冷酷に進むのみである。故に「無条件的」である。
左派加速主義は、資本主義による技術や社会の進歩の成果をシンギュラリティにおいて人間が強奪できると信じるお花畑思想である。
一方、右派加速主義は、シンギュラリティに到達するために資本主義へのアシストを惜しまないドM思想である。
加速主義用語辞典
領土化・脱領土化・再領土化
領土化と聞くと、一見難しそうに思えるが、むしろHoi4民とは親和性のある概念である。Hoi4で国同士でやってるものをイデオロギー同士にも一般化しようとしているというと分かりやすいかもしれない。
そもそも領土と聞くと、静的で固定的なものを思い浮かべるかもしれない。しかし、Hoi4民ならご存知のように、領土とは変わりゆくものであり、不断の努力によって維持されるものである。例えば、日本の場合領土はまず対外的には、自衛隊によって保護されており、国内的には、国土交通省などが領土の整理などを行っている。このように領土化とは、何かを不断の努力によって「領土」として成り立たせておくことを指す。
脱領土化とは、その名の通り、「領土」である状態から抜け出すこと、つまり統治されなくなることである。
再領土化とは、脱領土化した「領土」を再び領土に戻し、再び不断の統治下に置くことである。
資本主義による脱領土化とは、他のアクター、例えば「伝統」や「社会主義」が領土化している文化(ネット文化などでも良い)、土地、空間などを「資本主義」が侵攻し、その領土を掻っ攫っていくこととである。
この意味で、いわゆるAI絵師は加速主義の「脱領土化」作用が生み出した存在である。資本主義によって生み出された生成AIは、「伝統的な和やかなコミュニティ」によって領土化されていた空間に侵攻し、それを脱領土化することで「資本主義」と「AI」の領土にしてしまったのである。
また、資本主義による再領土化作用は、資本主義は資本主義に対する抵抗(レジスタンス)を容易に蹂躙し、それにより自己強化することができるという性質を持つ。共産主義は、資本主義に対するレジスタンスとしてスタートしたが、最終的にはソ連の崩壊によって、資本主義に制圧されてしまう。共産主義は一度は資本主義から脱領土化することに成功したが、ソ連崩壊の年に資本主義によって再領土化され、資本主義の力を強める養分となったのである。
シンギュラリティ
資本主義(技術)がこの世のあらゆるものを領土化し、世界が今の世界とは見分けのつかない程に変化する瞬間。
器官なき身体
人間の身体は器官という諸々の部分の組織的構造によって出来ているが、この各部分に課される組織的構造が無くなってしまった自由な身体のことを「器官無き身体」と呼ぶ。いわば、身体の無政府状態(アナーキー)である。
組織的構造が無いということは当然バラバラであり、色んなところが勝手に結びついたり、離れて行ったりする。たまにはくっついてはいけないようなところがくっついたり、離れてはならないであろうところが離れたりする。
身体と言ってるが別に人間の身体である必要は無く、何らかの「場」であれば良い。
例えば、資本主義によって脱領土化され、既存のものがバラバラになった世界のことも器官無き身体の一例と言える。
元々この用語の提唱者は、アントナン・アルトーであり、非常に雑に言うと、彼は人間の自由が制約されているのは、器官の成す機能分化された組織的構造のためであると考えていた。例えば、人間には何らかの刺激に自動的に反応してしまう「反射」があるが、まさにこれは自由の束縛である。故に、彼はそんな機能分化された組織的構造のない理想的で解放された身体を描写するためにこの言葉を作ったのである。
アントナン・アルトーの望みは、機能分化された組織的、つまり有機体的なあらゆる構造を崩壊させることである。むしろ、全てを有機体的に自分の手足にしようとするRFにおけるパトロンとしてのアルトーは史実とは完全に真逆であると言って良い。
ドゥルーズ=ガタリは、この言葉を概ね固定的な構造や社会規範から解放された場として捉え、器官無き身体は創造性の場であるとした。器官無き身体は、固定された形態や機能に縛られないあらゆる自由を持ちうる潜在性を持つのである。
加速主義はこの資本主義によって完全に脱領土化された世界(器官なき身体)で生じる自由に賭ける思想であるとも言える。
加速主義に関するよくある誤解
ヤバい思想ですよね?
別に。一般的な世の中の潮流の一つである。そうでないと、論壇で語られないはずだが。少なくとも前衛共産主義やファシズムよりは余程マトモな思想である。ただ、右派加速主義の発展形である新反動主義まで至るとヤバいかもしれない。
いわゆる科学(技術)至上主義ですよね?
違います。テクノクラシーでもない。ただ資本主義を加速させたい(あるいは資本主義を止める手段はないと思ってる)だけなので。資本主義を加速させるためなら、疑似科学だろうがオカルトだろうが数秘術だろうが利用する。技術バンザイ主義を言うために加速主義という語を使う意味は全くない。それは、単に科学主義や技術主義と呼ばれるべきである。
資本主義を加速させることによって崩壊を狙ってるなら共産主義者ですよね?
違います。別に資本主義の自己崩壊を願ってるわけではありません。一部の左派は思ってるかもしれないけど。
アルトーやバタイユに関係ありますよね?
言うほど関係ない。確かに、加速主義の父ということになっているニック・ランドはアルトーやバタイユに関して研究していたようだが、彼の行っていることはむしろ濫用や衒学と言った方が良い代物である。アルトーもバタイユもランドにとって箔付けの道具でしかなく、加速主義は、彼らの名前を引き合いに出す事なしにかなり語る事が可能だ。
ただ、全く関係無いといい切ることは難しい。アルトーの生み出した言葉である、「器官なき身体」は加速主義のキータームの一つになっているためである。
ボグダーノフやガスチェフに関係ありますよね?
関係ない。彼らの思想は加速主義ではない。ボグダーノフやガスチェフといったいわゆるプロレトクリト界隈はむしろ労働を通して「新しい人間」を見出すという意味で、ポスト・ヒューマニズムの先駆的存在と言うべきであって、加速主義とはかなり焦点がズレる。ボグダーノフの血交換による物理的な「新しい人間(集合体)」創造の試みは、トランス・ヒューマニズムの先駆というべきである。どちらも資本主義が制御不能や転覆不能などとは全く思ってないし、資本主義を利用して技術を発展させようなども一言も言ってない。
ただ、ポスト・ヒューマニズムという観点でトランス・ヒューマニズムと加速主義が仲良く取り上げられることが増えているようなので、それで誤解されているのかもしれない。
未来主義に関係ありますよね?
「技術に喚起される予測不能な未来への憧れ」という共通点ぐらいで、それ以外は別に関係ない。名前の響きが加速主義っぽいだけであろう。
あと、加速主義は民族主義的要素を一切含まないので、ダンヌンツィオやらピウスツキやらとも一切関係ない。むしろ民族やら国家やらは資本主義の魔の手によって脱領土化される側である。
シュルレアリスムに関係ありますよね?
一切ない。そもそも、史実においてもシュルレアリスムは基本的に共産主義と同じ源流を持つとされているぐらい、共産主義と仲が良い(ダリのような例外も存在するが、彼はむしろファシスト寄りであり、やはり加速主義と関係がない)。また、そもそもシュルレアリスムは資本主義が抑圧してきたものを解放するという目的が一つにあり、明確に資本主義に敵対している。故に、シュルレアリスムは加速主義と一切関係ないと断言できる。
RFにおける加速主義
加速主義 | ||
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英名 | Accelerationism |
別名 | ||
登場作品 | Red Flood | |
RGB値 | (248,248,248) |
RFにおける加速主義とは、ただの過激思想のごった煮(ファシズム、ペイガニズム、科学主義、共産主義の異端派、既存権威に喧嘩を売る芸術思想の混ぜもの)であって、現実の加速主義とは一切関係がない。
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計7種類
JDにおける加速主義
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英名 | Accelerationism |
別名 | ||
登場作品 | Judgement Day | |
RGB値 | (248,248,248) |