第七学区
物々しい雰囲気が漂う地下街入口。地下の暗闇へと繋がる階段は警備員によって封鎖され、いくつもの車両が集まっていた。丁度、昼休みの時間帯ということもあって、近くの学校の教師や生徒、ショップの店員などが野次馬となって集まる。
「なんの騒ぎだ?」
「なんか能力者が暴れたらしいぜ。ゲーセンが吹っ飛んだってさ」
「おいおい。ここ始業式の日にも似たようなことあっただろ。またかよ…」
野次馬の口から飛び交う事件の憶測、治安への不安、警備員の不手際に対する不満などが零れる。中には面白がって写真撮影する者もいるがすぐに警備員に止められる。
野次馬の中に紛れ、事件の当事者であった迫華は入口を封鎖する警備員たちをじっと見つめていた。
テロ対策の警戒態勢。重武装の警備員と警備ロボット、駆動鎧が格納されている輸送車も確認できる。
そして、入口に停まる2台の救急車。封鎖する警備員とロボットの隙間から担架に乗せられて救急車へと運ばれるユマと智暁の姿も確認できた。二人とも包帯を巻かれ、救急隊員が付き添っていた。智暁の方は深刻な状態なのか、ユマよりも多くの隊員が付き添っている。
(ヤベぇ…ガチでヤベぇよ。武装班連れてあいつらを取り戻そうと思ったら…何で警備員の対応がこんなに早いんだよ!)
9月1日、イギリス清教の魔術師シェリー=クロムウェルがこの地下街で学園都市とイギリス清教の間で戦争を起こすために事件を起こした。表向きには能力者の暴走として片づけられたが、非常用シャッターが多くの学生をテロリストのいる地下街に閉じ込めてしまうなどの問題が浮き彫りになり、これを機に地下街で警備網が強化された。この迅速な対応もその一環である。
(他の出入口も全て封鎖されちゃったし、これでもしあのクソアマが私らのことでも話したら…)
迫華が怒れる女王蟻を頭に浮かべる。恐怖の権化、この世の全ての暴力、その象徴ともいえる本気で怒った樫閑など、怒鳴り散らされるだけで寿命が10年縮む。それを想像するだけで迫華は身震いが止まらない。
(殺される…絶対に殺される!!)
ピリリリリリリリリリ!!
「ひぅ!!」
突如、迫華のケータイが鳴り響き、驚いて彼女は飛び上がった。一瞬で暴騰した心拍数を抑え、震える手で恐る恐るケータイをポケットから出す。
着信:お嬢
(あ、これ死んだ☆)
もう目の前が真っ暗になり、同時に彼女の全てが真っ白に燃え尽きた。彼女に思考する余地などない。今から怒れる女王蟻に滅ぼされるこの身体と頭脳で何かをしたところで意味などないからだ。
それでもケータイを開いて電話に出る意志は残っていた。無意識の行動と言うべきか、樫閑の“教育”によって身体に刷り込まれた行動だ。
「は、はい。舘皮です」
『樫閑よ。大体の話は倫理と参ノ宮から聞いたわ。とりあえず、今は二人の回収は諦めて撤退しなさい』
迫華は唖然とした。てっきり、怒れる女王蟻によって罵詈雑言を浴びせかけられるのかと思ったが、電話の向こうの樫閑は淡々と冷静に指令を下していた。
(良かった~制裁はナシだ~!)
地獄から天国へと引き上げられた気分だ。両の目尻から大粒の涙があふれ出す。九死に一生を得た。地獄に垂らされた蜘蛛の糸を掴んだカンダタのような気持ちだ。
「お嬢…。今、あのクソアマと小動物が大ケガで病院に搬送されたんですが…もし私らのことを喋ったら…」
「その心配は無いわ。私達のことを喋るのは彼女にとってもデメリットだし、彼女が持っている偽装IDは完成度が高いわ。立場が被害者ならIDが入念に調べられることはまずないし、口からボロを出すほど彼女も愚かじゃない。精神系能力者を使われることもないでしょう。智暁ちゃんの方もね」
「そ、それもそうっすね」
「二人のことは私の方でどうにかするわ。距離的にも搬送される病院は冥土返しの病院でしょう。分かったならそこから撤退。第五学区のアジトに帰還して」
「了解っす」
そう言って、迫華は意気揚々と電話を切り、人混みを掻き分けて参ノ宮の車へと戻っていった。
地下街の中、警備員が警戒しながらゆっくりと進む。壁に身体を密着させ、常に複数人で前後左右を警戒する。ちょっとしたゴミクズ一つにも注意深い。非難した客から相手は念動力系で瓦礫を射出する能力者だと判明している。射出する速度によってはそこら中に散らばるゴミ、石ころ、空き缶などの“ありとあらゆる固体”が弾丸並の速度で襲いかかるかもしれない。防護服に身を包んでも一切の油断が出来ず、疑心暗鬼に近い心理状態での警戒態勢だ。
能力者との戦闘とはそれくらい非常識なのだ。
「本部。こちら破多野。第二出入口から西側大通りまで異常なし」
警備員の波多野二海は数人の部下を引き連れ、地下街を進んでいた。全ての出入口から警備員を投入するローラー作戦だ。
『こちら本部、了解。もうすぐ他の出入口から入った連中とエンカウントする。敵と間違えて撃つなよ?』
「超絶分かってるって」
二海は気軽に答え、再び周囲を警戒しながら地下街を進む。もうすぐ戦場となったゲームセンターが見えるはずだ。
角を曲がり、別の地下大通りへと出た二海達の視界には原型を留めないほど破壊され尽くしたゲームセンターと周辺のショップ。監視カメラも1つ残らず破壊していることから周到さが窺える。そして、地下鉄へと繋がる巨大な穴がポッカリと開いていた。強い酸か何かで溶かされたかのようだ。
「クソ!またか!!本部!ターゲットは床を溶かして地下鉄へと逃走!」
『本部、了解。そっちには既に別動隊を派遣している。君達は他のチームと合流後、地下街のローラー作戦を継続。地下鉄に逃げたと思わせる為のフェイクの可能性もある。警戒を怠るな』
「了解」
薄暗く電気の明かりがほとんど届かない薄暗い地下鉄の線路。その線路を沿うように血痕がポタポタと落ち、道を作っていた。その血痕を辿った先には…
(クソッ…何でだ…。何で俺はこうも無力なんだ…。何が
イルミナティの殲滅だ。
双鴉道化を殺すだ。ディアスの足取りすら掴めなくてこのザマじゃねえか…)
流れ出る血を布で押さえ、別のショップから盗んだタオルで右腕をきつく縛り、これ以上の失血を防ぐ。左腕と口で結んだため、結びが甘くて血が停まる様子は無い。
(失血が酷い…このままだと…)
足取りがおぼつかなくなる。景色が揺れ動き、意識が朦朧となる。血が抜け過ぎて頭もろくに回らない。元々暗いせいもあって視界がぼやける。
耳に届く駆ける足音。ぶ厚い軍用ブーツ、底面の硬質ラバーと線路がぶつかり合う音だ。同時に聞こえるガチャガチャと揺れる金属音。それが大量に聞こえ、刻一刻と香ヶ瀬に近付いて行く。
「動くな!」
地下鉄へと派遣された警備員の別動隊がライトと銃口を香ヶ瀬に向ける。前方に6人。武装した警備ロボット4台、脚部にローラーを装着した高機動型駆動鎧が1体、が後方からも遅れて同じくらいの人数が向かって来ているのが音で分かる。
白色のライトで視界を真っ白に潰され、香ヶ瀬は思わず手で目を隠す。
香ヶ瀬にはもう考える余力もなかった。抵抗するか、お縄につくか、そんな選択肢が頭に浮かぶ余裕もない。血が足りなくて脳が上手く回らず、腕の痛みすら感じない。そこに立ち続けるので必死だった。
(俺は…終わるのか?ここで…?こんなところで…?姉さんを元に戻すことも、イルミナティに復讐することも出来ずに…
―――――終わらせない。こんなところで俺の復讐を終わらせてたまるか!!!!)
香ヶ瀬は左手に握った槍で地面をつくと、周囲の地面や壁から天津甕星の魔術で大量のコンクリート塊を抜き出した。無理やり引っこ抜いたことでコンクリート塊があった場所の周辺にヒビが入り、そこから崩れて更に瓦礫が産出される。
だが、遅い。天津甕星には隕石の形成から攻撃までのタイムラグが存在する。既に丁度いいサイズが存在するならまだしも今回は一から作っている。時間がかかるのだ。その隙を警備員が逃すはずもなかった。
「抵抗を確認!撃て!」
指揮官のその一言で、前方の警備員の銃から弾丸が放たれた。銃口から微かに出るマズルフラッシュと硝煙。地下鉄の線路という密閉された空間で多数の銃声が響き渡った。
* * * *
第八学区の
組濱衿栖の住居。少女趣味なヒラヒラフリフリだらけの豪華絢爛な部屋で衿栖はノートパソコンの画面と睨めっこを繰り広げていた。大量に並ぶ生徒名簿、生徒の名前、住所、能力、レベルetcが記載されており、普通なら書庫《バンク》かその生徒が所属する学校の教職員用端末でしか閲覧することは出来ない。そんな機密事項を彼女は複数の学校から集め、その中から高レベルの精神感応・念話能力《テレパス》の能力者をリストアップして一つのフォルダにまとめる。
(これほどのリストをすぐに集めてくるなんてね。さすが希河ちゃん!映倫中学に忍ばせた甲斐があったね)
彼女は今、
桐野律子と共同て新たな絶対能力者開発計画の準備を進めていた。研究所と薬品は揃えた。後は人材だ。レベル6となる能力者とその“踏み台たち”。衿栖の役割はレベル6となる能力者の方だ。
「ふぅ~。疲れちゃった。高レベルの念話能力者なんてたくさんいるっつーの!こんなのからどれを選べば…」
衿栖はマウスを操作して画面をスクロールし、まとめたリストの人物・能力・能力の概要を眺めていく。
(枝先絆理《エダサキ バンリ》。念話能力。幻生のクソジジイがやった暴走能力の法則解析用誘爆実験の
被験者だったからちょっと期待しちゃったけど、レベルは話にならないわね。
春上衿衣《ハルウエ エリイ》。レベル2の精神感応。特定条件下、枝先絆理からの念話だけはレベル評価以上の数値を発揮する…世にも珍しい相互能力(カップリングキャパシティ)。個人的に興味はあるけどレベル6候補の基準を満たしていないし、手を出そうとしたら常盤台の超電磁砲が出しゃばりそうで怖いね。
毒島帆露。大衆念話。レベル4。大多数の人間とのテレパスを可能とする能力者。
木原故頼に投与されたキャパジエリンの後遺症で能力はレベル3相当まで下がっている。まぁ、それでも条件は満たしているんだけど、軍隊蟻が周囲をうろついているんだよね…。あれに動かれると私達の用意した“手駒達”でも対処出来ない・・・)
選択肢はたくさんあっても選択そのものに多大なリスクを背負っている。すぐに見つかりそうで中々見つからないレベル6候補。やはり、どこかでリスクを背負わなければならないのか。安全確実にレベル6を作って金儲けなんてのは夢のまた夢で、どこかで危険な選択をしなければならない時があるのだろうか。そう思いながら衿栖は半ば諦め気味で画面をスクロールしていく。
マウスを操作する衿栖の指がピタッと止まった。彼女は椅子から身を乗り出し、まじまじと顔をパソコン画面に近付ける。
風川正美 念力制御(テレパーシー) レベル3 同系統の能力者との念話を可能とする。
(ん?)
衿栖は正美のデータに違和感を感じた。何がどう怪しいのか上手く説明できなかったが、自分の脳の奥底で警鐘が鳴っていた。
更に彼女のことを詳しく調べ上げる。能力のことだけではなく、彼女の経歴、人格、人間関係、学校の成績、桐野律子の忠実な部下であり、スパイ目的で映倫中学に教師として入れさせた
希河鎌にも連絡して詳しく調べさせた。
【名前】風川正美
【経歴】今から10年前、置き去りの一人として置き去り保護施設「太陽の園」に預けられる。太陽の園で過ごしながら、第四学区の小学校へと通う。人見知りが激しく、人付き合いが苦手な性格、あまり目立たない子だったと当時の園の職員は語っている。
今から1年前、帰宅途中のところを無能力者狩りとスキルアウトの抗争に巻き込まれ、無能力者狩りが放った攻撃で脳を物理的に損傷。これまでの記憶を失うことになる。この損傷が原因なのか、入院生活の間に今までレベル1だった彼女の能力はレベル3近くまで成長。脳の損傷による能力の成長という希少なケースの研究のために研究所を転々とした。彼女の研究には当時、大型化の兆しがあった
ブラックウィザードも関わっており、研究価値なしと見なされた彼女は一時期はブラックウィザードに身を置いていた。
その後、諸々の経緯があってブラックウィザードが壊滅。置き去り保護を掲げる学園都市公認団体「
チャイルドデバッカー」の支援のもと、映倫中学の生徒として日常に戻った。
その後、2代目
東雲真慈を名乗る男による脅迫もあったが、彼女の監視・護衛を務めていた
神谷稜によって事件は解決している。
神谷稜とは恋仲であり、転校当初は監視・護衛のために寮が神谷稜と同室という異例の処置がとられており、現在も続いている。教師の中には男女を同室にする学校側の対応を非難する声も挙がっているが、現在のところ校長からの返答は無い。
【能力】彼女の能力「念動制御《テレパーシー》」は同じ能力(念話能力・精神感応)の相手なら直接脳内で会話ができるが、別系統の能力者や無能力者との意思疎通は不可能。また、同系統でも意志疎通レベルは相手の能力者のレベルに依存する。
相手の脳に干渉できるため相手の演算を乱すことができるが集中力の持続が必要となる。
「おかしい…」
衿栖の口から疑問が零れた。
(彼女の能力が不自然過ぎる。学園都市での念話使いはよくある能力の一つ。だけど、意志疎通の手段は能力者ごとに異なり千差万別。他の能力者との差別化のために情報伝達手段は記載されているはず…。それなのに彼女の能力説明欄には何も書かれていない。不明なら不明でそう書かれるはずなのに…。それと“同系統の能力者限定”ってのも気になる。もし私の仮説が正しければ彼女の能力の本質は――――)
違和感だらけの能力説明、どこかで見たことのある顔、衿栖の記憶にある過去の実験、推測される彼女の能力の本質。神谷稜と一緒に行動させた学校側の措置。その全てがパズルのピースのように噛み合い、彼女は答えを導き出した。
「ああ…。なるほど、こんなところに居たんだ♪“お人形さん”♪」
* * * *
学園都市第二学区。
周囲をグルリと壁で囲まれた、まるで学園都市の縮小版のような学区だ。この厚い壁の中には警備員・風紀委員の訓練場、兵器の実験施設など、学園都市の治安維持に関わる施設が集合した学区であり、そのセキリュティは第二三学区ほどではないが、かなり厳重なものとなってる。
他にも自動車関連学校のために用意された実験用サーキット、爆発物の実験場なども存在し、騒音の出る実験はここで行われている。学区を囲む壁には逆位相の音波を放出して騒音を低減するスピーカーが備え付けられている。
隣接している第十学区からでもその壁を窺うことは出来る。
学園都市で最も治安の悪い第十学区。他の学区では敬遠される原子力関連の施設、少年院、墓地などが集まり、人々が敬遠するのを良いことにここを根城とするスキルアウトが多い。その中でもストレンジと呼ばれる地域はスキルアウトの聖地のような扱いを受けており、夏に警備員による大規模な制圧作戦が行われたにもかかわらず、今でもそこを根城にしようとするスキルアウトが多い。治安維持関連の集まりである第二学区、スキルアウトの聖地がある第十学区、真逆で相反する学区が隣接しているのは非常に興味深い。
とある4階建ての研究施設の屋上。第十学区にあるものでは比較的大きく、かつては何かしらの実験施設であったことが窺えるが、今となっては無人である。
研究施設の屋上にあるヘリポート。一人のサラリーマン風の男、
尼乃昂焚が屋上に立ち、頻りに腕時計で時間を確認していた。
「そろそろ時間の筈だが…」
誰かと待ち合わせしているようだが、その相手は一向に現れない。
微かにヘリコプターのプロペラとエンジン音が鳴り響く。昂焚は相手が来たと思って空を見上げるが、白昼であるにも関わらずヘリの機影は確認できない。しかし、音は段々と大きくなり近付いてくるのが分かる。
突然、ドッと昂焚に突風が襲いかかり、身を飛ばされそうなのを屈んで耐える。鼓膜が破られそうなほど五月蝿くエンジン音が鳴り響く。音や風圧からして目の前にヘリがあるはずだが、全く見えない。聴覚と触覚による情報と視覚情報の差異はとても不思議な感覚であり、本来そうあるべきものがそうではない感覚は多少気味が悪かった。
ヘリのランディングギアが接地し、ヘリのエンジン音、プロペラ音が段々と小さくなる。それと同時に風も止んできた。
着陸が完了した途端、景色に滲むように重厚な汎用ヘリコプターが現れた。Mi-24ハインドの系列の機体だ。対地攻撃もさることながら物資や人員の輸送を目的としたヘリである。容量拡大を目的とした太く長い胴体、階差のある複座式のコックピット。前端には20mmの機銃、一対の翼にはミサイルランチャーが搭載されている。これといって特別な武装は見受けられないごく普通の軍仕様の汎用ヘリコプターだ。
しかし、その装甲には大量の魔法陣が描かれており、先ほどまでの光学迷彩もこの魔術によるものだと思われる。陣からは太陽、太陽神を意味する文字や記号が見受けられることから、魔術で太陽光を屈折させ、光学迷彩を実現しているものだと推測できる。
「よぅ。待たせたな」
危険な匂いを漂わせる爬虫類の様な目をした30代後半の男がヘリから降りた。
左目に大きな傷を持ち、無造作に伸びた黒髪をゴムで後ろに結んでいる。 ここは戦場でないというのに、迷彩色の服にタクティカルベストを着用し、「戦場の最前線でなら違和感のない」格好をしている。胸に数多くの勲章を付けているが、これらは自らの手で討ち取った兵士の勲章や階級証を剥ぎ取ったものである。
とにかく敵意と警戒心を抱かざるを得ない格好をしている。
イルミナティの幹部の一人であり、欧州・中東・アフリカで事業を展開する傭兵会社ヴィルジールセキリュティ社の社長でもある。
「悪いが、こっちはあまり時間が無いんでな。世間話は抜きだ」
「ああ。そうだな。見たところ、この光学迷彩の魔術の使用条件は太陽光の入射角で決まっているみたいだ」
(おいおい。この数秒でこの魔術の性質と弱点を見抜いたのかよ。知識量半端ねぇ…)
「とりあえず、お前が頼んだ霊装と弾丸は持って来たぜ」
そう言って、ヴィルジールはヘリの中から人間が丸々一人入るサイズのケースを取り出した。昂焚が愛用している棺桶トランクと同等のサイズだ。
昂焚は屈んでトランクを開けて中身を確認する。
「ああ。確かに受け取った。発注通りだ。ところで、そっちの艦隊の準備は出来ているか?」
「ああ。問題無い。北極海に展開させているウチの艦隊からも『異常なし』としか来ていない。あと星喰い神の弓矢《ニョータ=リサーシチーニ》を搭載したタイコンデロガ級ミサイル駆逐艦も日本のEEZ(排他的経済水域)のギリギリラインで待機させている。今すぐにでも計画の発動は可能な状態にしているが、米軍第七艦隊の目を掻い潜っていられるのも時間の問題だ。遅くても今夜中には矢を放って、撤退したい。あれを沈められたらウチは財政難だ」
「今夜9時に計画を発動させる予定だ。問題無いか?」
「ギリギリでちょっと苦しいところだが、仕方ない。遅くても10時までには計画を始めろ」
「分かった。ご苦労だったな。後は暴れるなり逃げるなり好きにしろ」
「ああ。俺らは俺らで目的がある。そっちに専念させてもらう」
そう言うとヴィルジールは再びヘリに乗り込んだ。太陽光が屈折することでヘリが背景に溶け込むようにフェードアウトし、再び光学迷彩を展開させて飛び去っていった。
昂焚はヘリポートでそれを見届けた。
* * * *
第五学区 とある廃工場
四方をビルに囲まれ都合よく隠れた開発予定地区の廃工場。かつて
寅栄瀧麻がリーダーで軍隊蟻創設時から使い続けてきた集合場所だ。軍隊蟻の創設の宣言の時から何か重要なことを決める時はアジトではなくここに集まっていた。
40人近い多くの軍隊蟻メンバーがぞろぞろと集まる。人数からして武装が認められたメンバー達だろう。全員が深刻な面持ちで鉄骨の上に座る樫閑を見つめていた。
樫閑はスマホに耳を当て、何者かと電話の最中だった。
「そう…ついに動いたのね。分かった。早急に準備させるわ。放課後までには間に合わせる」
樫閑は電話を切った。それを狙ったかのようにタイミング良く迫華と参ノ宮、2人の男性メンバーが到着した。入り組んだ裏道に参ノ宮のワゴンは入れないので、近くの駐車場に停めて徒歩で来た。
物々しい雰囲気が漂う。こんなのは慣れていたが、樫閑の表情はこれまでの集会で見せたものとは違い、より一層に深刻だった。迫華たちはユマたちを襲撃した犯人への仕返しのつもりで武装班を集めたと一瞬思ったが、すぐにその考えは払拭した。
「これで…全員揃ったわね」
重苦しい声と共に樫閑が立ちあがる。メンバー全員が固唾を呑む。廃工場内は静まり返り、静かに吹く風の音だけが聞こえ、それすらも五月蝿く感じた。
樫閑は少し長い呼吸をし、語り始めた。
「6月の事件で寅栄と仰羽の二人が捕まってから、リーダーを失った私たち軍隊蟻は幾度となく壊滅の危機に晒された。その度に交渉、武装、恐喝、癒着を繰り返し、企業や研究所、工場、果てには学校や風紀委員、警備員相手に飴と鞭を使い分けて危機を逃れてきた。軍隊蟻の名の通りに私たちは武装の強化を繰り返し、もはやスキルアウトとは呼べないレベルの力を手に入れた。力を持ち過ぎて学園都市に潰されるか、力を持たずして他の勢力に潰されるか。そのデッドラインを見極めながら私たちは成長し、力を欲し続けた。寅栄と仰羽、他の拘留されたメンバーを不当な拘留延長から取り戻し、軍隊蟻を“本来あるべき姿”のためにだ」
樫閑の突然の演説にメンバー達は動揺する。いつもは冷静に目的と作戦内容を伝えるだけだった集会が樫閑の演説という過去回想から始まったからだ。異例の事態だ。
「だけど、その戦いも今回で終わる。泣いても笑ってもこれが私たちの最後の戦いになる」
“最後の戦い”このワードがメンバー達の脳に引っかかる。そして、男性メンバーの一人が問いかけた。
「“最後の戦い”って…。お嬢。それは…」
「そのままの意味よ。今日、私は学園都市統括理事会直轄の武装組織…暗部組織と言った方が良いわね。そこに所属する男と“契約”を結んだ。いや、契約というよりも統括理事会からの“脅迫”ね」
統括理事会、暗部組織、契約。どれか一つだけでも集会所が騒然となるワードだ。そんなものを3つも立て続けに口に出されては動揺を隠すことも出来ない。そして、予想外に大きな事態であることにメンバー達も気付いた。
「今、この学園都市には第三次世界大戦直後の混乱に乗じて外部の能力者集団が大量に入り込んでいる。事を大きくしたくない学園都市は警備員や風紀委員、公認の治安維持部隊を使う訳にも行かない。そこで暗部組織と非正規の武装組織である私たちに白羽の矢が立った。拘留されているメンバーの即時釈放を条件にね」
「おい。外部の能力者って…まさか…」
樫閑に最も近い位置に立っていた狼棺の発言だ。彼と同様に心当たりのある人間は他にも数名いた。迫華と参ノ宮なんてついさっきまで一緒にいたのだ。考えないはずがなかった。
「ええ。貴方達の考えている通り、外部の能力者集団ってのは私達が管理下に置いていた
ユマ・ヴェンチェス・バルムブロジオと同類の“魔術師”よ。ブラックウィザード残党を一瞬で殲滅して“巻き添え”程度で
界刺得世を潰した彼女のような存在と戦うことになるわ。一人一人の力が学園都市の超能力者(レベル5)に匹敵するわね」
「レ…超能力者(レベル5)!?」
メンバー達が騒然とする。超能力者がどれほどヤバい存在かは知っている。6月の事件で「八人目の超能力者《ナンバーエイト》」の候補だった
四方神茜と交戦し、勝利を収めた経験はあるが非常に苦しい戦いであり、その時の主戦力だった
仰羽啓靖はいない。あの時から軍隊蟻の武装は大幅に進化したが、無能力者やレベルの低い能力者に刻まれた高位能力者への畏怖の念は未だに残っていた。
「悪いけど、6月の一件みたいに『逃げる』なんて選択肢は無いわよ。大量の兵器、軍隊蟻の存在そのものを人質に取られていて、私達の命も統括理事会に握られている」
「要は『戦わねえと殺す』ってか」
「そうよ。学園都市が私達に与えた選択肢はシンプルに2つ」
Yes(利用価値のある駒として戦うか) or Die(利用価値なしとして殺されるか)
「今までとは桁違い、全盛期のブラックウィザードが屁でも無いくらいの強敵になる。下手を打てば、ここにいる全員が死ぬことになるわ。勝手に巻き込んで悪いけど、覚悟して命を私に預けてちょうだい」
返答は無い。全員が俯いて口を閉ざした。沈黙だけが集会所の空間を支配し、風の音だけが聞こえる。樫閑は数十人ものメンバー達の沈黙の返答に不安を感じ、自らのリーダーとしての責務に押しつぶされそうになっていた。
「お嬢…、一つ質問いいッスか?」
メンバーの一人、神平 魅辻 《カミダイラ ミツジ》が口を開いた。中一とは思えない大柄な体格に黄色いバンダナが特徴の男だ。
「俺らのこの戦いって、学園都市からの依頼ってことで良いッスよね?」
「そうよ…表沙汰には出来ないものだけど」
「だったら人払いとか情報操作とか、その辺りのサポートも入るんスよね?」
「大抵のことはね。向こうも魔術師集団の排除を何よりも優先したいみたいだからね。この街だと統括理事会がガス爆発と言えば核爆発だってガス爆発になるわ」
神平が肩を震わせ、そして大きく口を開けて笑い始めた。
「んふふふふふふふ!アッハハハハハハハハハ!!聞いたか!?!お嬢が渾身のダジャレだぜ!核爆発がガス爆発だってよ!それって要するにそれくらい情報操作してやるってことだろ!“学園都市公認”で大暴れ出来るんだぜ!!こんな絶好のチャンスねぇだろ!」
神平の発言にメンバー達が付いて行けず、全員が唖然としていた。彼は基本的に大胆不敵な言動が多かったが、今回はあまりにもぶっ飛んでいた。場の空気を盛り上げようとする空元気にも見えた。しかし、その大胆不敵さに樫閑は救われ、他のメンバー達も奮い立たされる。中学一年生の彼がここで頑張っているのに年上の自分たちが何もしないわけにはいかないという
プライドからだった。
「ククク…。神平にしちゃあ、良いこと言うじゃねえか」
「そうだな。学園都市公認でドンパチ出来るんだ。倉庫で眠っていたあいつらを堂々と動かす日が来たってことじゃねえか」
「そりゃ最高だ。ついでに寅栄さん達を取り戻せるんだろ?一石二鳥って奴じゃねえか。あれの操縦って、俺がして良いんだよな?」
「なぁ、瀬那。“あれ”を使った新しいラブラブ走法を思いついたんだが、やってみないか?」
「勿論よ。愛琉。ぶっつけ本番だけど悪くないわ」
「柚歩姉さん。ごめん。僕死ぬかもしれないけど、それでも逃げたくないんだ。逃げてばかりじゃ自分の存在価値が分からないから」
「ヒャッハー!!見敵必殺!敵勢殲滅!魔術師が何だ!超能力者が何だ!俺らの通った跡には草木一本生えちゃいねえんだよ!!」
「もし死にそうになったら逃げる準備もしとけよ。逃走経路は俺が確保しておいてやる」
神平を皮切りに他のメンバー達も自らを鼓舞し、次々と口を開いては戦う意思を見せる。誰も逃げようとはしない。軍隊蟻のリーダーとしては理想だった。しかし、
樫閑恋嬢としては複雑な思いだった。
樫閑は唖然とする。逃げる者がいるのかと思っていた。嘆く者が出て来ると思っていた。こんな戦いに巻き込んだ自分は糾弾されるんじゃないかと思っていた。みんな、自分を気遣って本心を押し殺しているんじゃないかと邪推する。
「寅栄たちを取り戻すためには学園都市を脅すぐらいの力が必要だ」――――そんな強迫観念に囚われ、ブラックウィザード壊滅後も必要以上の武装化を推し進めた自分が招いたようなものだ。自分は責められて然るべき存在なのだ。
「この馬鹿野郎共が!!」
樫閑が一喝を入れる。彼女の渾身の叫びが全員の時間が止める。
「あんたら状況が分かってんのか!?相手は超能力者と同等だろうが!!中にはそれ以上の災害レベルの奴だっているのよ!!何でそんなに平気なんだ!何で笑っていられるんだよ!!真剣に考えろよ!必死に悩んだ私が馬鹿みたいじゃないか!!」
糾弾して欲しかった。力を求め過ぎて軍隊蟻の本質を捻じ曲げた自分を、力を手に入れ過ぎて組織を存続の危機に立たせた自分を、リーダー“代理”を名乗り、リーダーとしての責務から逃げていた自分を、責めて欲しかった。気遣って有耶無耶にするぐらいならいっそのこと全てをぶち壊すぐらいに本音を吐きだして欲しかった。
樫閑はとにかく叫んだ。これがどれほど危険な任務か。こんな事態を招いたのは誰なのか。責任を追及すべきなのは誰なのか。罪に必要なのは罰だ。力を欲するあまり軍隊蟻の在り方を捻じ曲げ、危機に追い込んだ自分には相応の罰が必要だと。この組織を、彼らを死の淵に追いやった自分が出来るせめてもの償いだ。そう、喉が潰れそうなほど叫んだ。
樫閑の本心、軍隊蟻の怒れる女王蟻ではなく、まだ16歳の女子高生の心が雪崩のように吐露されていく。
「ガタガタ喚いてんじゃねえ!!」
狼棺が手を伸ばして樫閑の前髪を掴んだ。そして、むしり取る勢いで彼女の頭を引っ張り上げる。
「でも…」
「でももクソもねえ!俺らだって“これ”が必死に考えた結果なんだよ!アンタに比べりゃ単純な思考回路かもしれねえけど、俺らなりに考えて、アンタを信じて“一緒に行く”って決めたんだ!アンタに引っ張られて死の淵に来たんじゃねえ!俺達の意志で一緒に来たんだ!リーダーだからって何でもかんでも責任背負わせて、こうなった事態を全部リーダーに押し付けて断罪するのが“筋違い”だってのは分かってんだよ!確かに死ぬのや嫌だし、恐ぇよ!見ろよ!俺の足を!ビビって小鹿みたいに震えているぜ!けど、戦うか死ぬしかねえなら戦うしかないだろ!?だったら単純じゃねえか!Yes or DieでYesを選ぶくらい単純だ!
戦って!勝って!寅栄さん達を取り戻して、また軍隊蟻として活動する!
それを実現するためにはアンタが必要なんだよ!俺達を動かす女王蟻(ヘッド)はアンタしかいねえんだよ!いつも通り命令しろよ!俺達はどうすれば良い!?どう戦えば良い!?肝心な時に軍師様が泣き喚いてちゃ勝てる戦いも勝てねぇだろうが!!」
狼棺の叫び、それは軍隊蟻メンバーの総意にも等しかった。樫閑は圧倒された。軍隊蟻は自分だけのものじゃない。頭脳である自分がいて、身体となるみんながいる。それらの全てが揃って、軍隊蟻は初めて機能する。一蓮托生とはこのことなのかと。
「そうね…。まさか、アンタに諭されるとは思わなかった。少し取り乱して悪かったわ」
(いや、少しってレベルじゃなかったぞ…)
樫閑は狼棺を手で突っぱねて、自分の足で立ち上がる。
さっきまで泣き喚いていた女子高生の姿はない。そこには確固たる決意を持った軍神の姿だった。
「さっきも言ったけど、これが最後の戦い!軍隊蟻の死力を尽くした総力戦になる!費用や予算なんて考えるな!全ての武器弾薬をこの戦いで使い果たせ!」
「Yes sir!!」
* * * *
第七学区の
とある高校の1年生の教室。
その日の授業が終わり、帰りのHRの真っ最中だ。真面目に先生の話を聞く者もいれば、HRが終わるのを今か今かと待ち続ける生徒もいる。きっと頭の中ではゲーセンに寄ろうとか、宿題がダルいとか、そんな各々の放課後の過ごし方を考えているのであろう。
HRを担当しているのは緑川に匹敵する無差別級ゴリラ体格の教師だ。アクの強い洋ゲーに出てくる悪党みたいな顔をしている。彼は災誤《サイゴ》という生活指導教員である。
本来、このクラスは月詠小萌が受け持っているクラスなのだが、現在、彼女は不在で代わりの黄泉川愛穂も警備員として出動しているため不在。周りに廻って災誤が代理としてHRを受け持っている。
地下街での事件、その注意喚起のせいで長かったHRが終わり、生徒達が荷物をまとめて教室を出て行こうとする。しかし、和気藹藹としたごく普通の放課後の教室は一人の男の襲来によって戦慄に塗りつぶされた。
「あらぁ~♪みんな、帰るのは待ってちょうだ~い❤」
全身筋肉武装のホモ教師、
アーロン=アボットの襲来だ。
彼の襲来で男子生徒は騒然とし、臨戦態勢に入る。
「背後を取られるな!ケツを隠せ!(性的な意味で)掘られるぞ!」
「青髪ピアス!上条は!?上条はいないのか!?こう言う時の上条当麻だろ!」
「あかんて!カミやん今日もおらへんでー!土御門くんもおらんし、小萌先生の補習も中止になるし、今日は厄日やー!」
名前の通り、染めた青い髪にピアスを付けた長身の生徒が頭を悩ませて机に突っ伏せる。
「あー!もう!五月蝿い!」
騒然とする男子生徒をクラスメイトの吹寄制理《フキヨセ セイリ》が一喝する。
長い黒髪に広いデコ、男ならば確実に胸に視線がいくほどのスタイルを持った「美人だけど色気のない鉄壁の委員長」だ。
「吹寄大先生!あれは『男に穴があれば棒を突っ込む』という意志に手足が生えたような――――――ガフッ!
吹寄は辞書で青ピの頭にチョップを喰らわせて、彼を黙らせた。
「すみません。アボット先生。ウチのクラスのバカ共がうるさくて」
「良いのよ。男の子は元気な方が好みだわ。相変わらず活気のあるクラスねぇ。でも残念。今日は女の子の方に用があるの」
そう言うと、アーロンは舐めるようにクラスを見渡す。
「あれ?姫神秋沙ちゃんはどこかしら?」
「先生。目の前の席に居ます」
アーロンのすぐ目の前の席、そこに姫神が座っていた。
真っ直ぐと重力に従って下へと伸びる長い黒髪、寡黙で表情が読みにくく、身も心も自己主張が乏しい少女だ。性格と容姿のせいか、よく影が薄いと言われている。
「あら、ごめんなさい」
アーロンが目の前の姫神に気付かなかったのはアーロンの身長が高過ぎて、目の前の姫神が死角に居たからだ。決して、希薄な存在感のせいではない。
「いえ。大丈夫です。それよりも用事って何ですか?」
「貴方にお客様が来ているの。一緒に応接室まで来てくれないかしら?」
「大丈夫です」
そう言うと姫神は立ち上がり、荷物を学生鞄に入れるとアーロンに付いて行き、教室を出て行った。
アーロンが廊下を歩くと男は必ず壁に背を向けて彼を避ける。その隣には姫神が歩いており、アーロンは彼女を談話室へ誘導すると同時に彼女を視界から外さないようにしていた。応接室はすぐそこにあり、会話する暇もなく応接室の目の前へと着いていた。
「ところで。お客様ってどんな人ですか?」
「可愛いわ。可愛らしくて、ちょっと困ったお客さんなの♪」
そう言うとアーロンは応接室の扉を開けた。
「失礼します」と一言入れて姫神が入り、その後にアーロンが入って扉を閉めた。
そして、彼は姫神の背後で含みのある笑みを浮かべながら、扉に鍵をかけた。
最終更新:2013年10月10日 21:47