彼等は遥かな地、天の果てより舞い降りる。
天主と憤怒の兵器が、地上を一掃するため軍勢を率いて来られるのだ。
泣き叫べ。
裁定と断罪の日、全能なる者から滅びが遣わされるのだ。
そして全ては脆く、その心は溶けて無くなる。
────────────────────────────イザヤ書13章より
◆
────これは大波がK市へ迫る前のことである。
「■■■■■■」
飛行する
ヘドラは数時間前の出来事を思い出していた。
敵はあらゆる索敵方法に引っ掛かることなく、この環境下で活動し、光の一撃で我が艦隊に大きく損耗を与えた。
知っている。識っている。判っている。あの敵を自分は記録している。
先ほど我々が討伐……主要攻略目標に設定された者とあの敵が現れたのは全くの無関係ではないだろう。
あれは艦娘。あれは旗艦。かつて、あの海で侵略してきた敵の主要戦力だ。それがここに、この場所にいる。ならば、やるべき事は唯一つ。
「ク………ハハ………」
波の音に紛れて何かの音、いや声がした。もしかすると
空母ヲ級は笑ったのだろうか。
宿敵との邂逅。復讐の機会。それは確かに人間であれば暗い笑みを浮かべるかもしれない。だが、彼女は深海棲艦であり呪われた公害生命体だ。笑うことなどあり得ない。
どちらにせよ意味のないだろう。その表情を見たものはいないのだから。
◆
「ルーラー。永劫休眠状態(ルルイエ・モード)実行。
領域支配(ドメイン)内にいる全てのNPCをスリープさせてくれ」
「いいけど、一部のマスターに不利にならない?」
「神秘の秘匿が最優先だ」
ルーラーはあっそと素っ気ない返事をして虚空に手を翳す。
途端、アナウンスが流れてきた。
【領域支配(ドメイン)を強化します】
【永劫休眠状態へ移行します】
【■■への負荷はありません】
【人形は、現実を認識できない】
【この6時間のみ、K市が眠ります】
【この6時間のみ、世界が目を瞑ります】
◆
【D-8 上空】
K市より沖合い60キロメートルにある島。O上島と呼ばれる島の上空に空母ヲ級の姿はあった。
頭部から伸びた機翼により飛行している空母ヲ級は下界の惨状を無感情で眺める。
既に地上で動いている者は何もない。人ひとり……いや、ゴキブリ一匹すら残らず中毒で死んでいた。
崩れていく建物。液状化する地面。腐りゆく空気。島全体が溶解する。
「……………………」
空母ヲ級が死の島と化した上島に降り立つとまるで原形生物のようにヘドロ達が足元へ集う。
大量のヘドロがヲ級に繋がり、島そのものがヲ級になる。そして一塊となって起き上がったソレはヲ級へと話しかけた。
『出撃シマス』
空母ヲ級の頷きと共にソレらは本島に向かって出撃を開始した。
しかし、今までの進撃とは明らかに異なる様相を呈している。大きいのだ。全てが。
『──────!!』
言語化不能な大咆哮と共に下ろされる巨腕。右腕が海面に沈む前に左腕を。左腕が沈む前に右腕をと出し、ソレは犬掻きの要領で海面上を走っていた。
全長60メートルの巨体の正体はO芝上島だったヘドロ塊。いや、自律意思すら手に入れたこれはもはや公害怪獣『ヘドラ』だ。
より正確に言うとヘドラそのものが空母ヲ級の足から生えて水上を走行しているのだ。
「…………」
空母ヲ級はヘドラの頭頂部でただ一人そこにいた。
硫酸ミストに冒された潮風を受けながらもその精神は無我。
最大船速による強襲と最高効率の殲滅を行うだけに特化された精神の持ち主であり、それ故目の前の〝人災〟に一切感じ入るものが無い。
既にヘドラが生み出した莫大な運動エネルギーは海に歪んだ波紋を生み出し記録的な大津波となってK市に迫っているのだ。
もはやK市沿岸の人間に未来はないだろう。波はあまりにも広く、高く、そしてその海水に含まれた致死性は第一次世界大戦に使用された全ての生物兵器を凌駕する。
今までいくつの聖杯戦争が起きたか不明であるが、それでもここまで盛大に破壊し、殺戮を行おうという主従など数える程度にしかおるまい。
そして、そんな非道に愉悦や達成感、罪悪感を感じ入る思考回路は空母ヲ級に無い。
なぜなら彼女こそが新生した深海棲艦、その母体であり母艦。霊長を滅殺するシステムである。人間を殺すことに躊躇いなど無いし、そもそも同型の生物とすら認識していないため忌避感など生まれない。
しかし、それとは逆に融合したサーヴァント『ヘドラ』にはどす黒い思念が巨体を駆け巡っていた。
お前らは望んだのだろう繁栄を。願ったのだろう幸福を。
その為に山を焼き、海を汚し、空を曇らせ、今度はそれを荒廃だと、汚らわしいと罵る。
なんたる自作自演。なんたる自慰行為。
お前らのような者達が蔓延る文明こそが汚らわしい。
墜ちろ。沈め。誰一人、何一つ残さない。
元より私(ヘドラ)は接触した物質と結合して体組織を組み換えるだけの地球外生命体である。
それが汚染された海で成長し、陸に上がった姿を見た人間が嫌悪し、あまつさえ水爆で被爆した怪物に倒させて公害の象徴などとぬかす。
笑わせるな霊長よ。全ては因果応報であり、この身は貴様達が産み出した黙示録の騎士である。
それを悪と呼ぶのなら────貴様等の悪性こそが『この世、全ての濁』に相応しい。
『「─────ォォオ%@オヲヲ$ヲ!!」』
ヘドラとヲ級の叫ぶが天に木霊する。
これぞ文明の産み落とした癌細胞。
無限に増殖し、霊長の世を阻む大災害。其は文明より生まれ文明を食らうもの──親元を喰い殺す自滅因子(アポトーシス)の一種に他ならない。
彼女達のやるべき事は唯一つ。一方的に殺戮し、一方的に沈める。ただそれだけであり、それを可能とするだけの力がここにある。
海に怪獣、空には蝗害の如く万の艦載機。
兵力は十分。物資は無尽蔵。士気は至高。練度は極限。
戦場において勝つため必要なあらゆる要素が最高潮の今、負ける要素が微塵も無い。
汚泥の波が地上に届こうとしたその時、K市沿岸の空に光が差した。
◆
迫る汚泥の津波を打ち払うべく、神代の狩人
アタランテは宝具を発動させることを決意した。
大気の汚染によって海岸はおろかその近辺にまで人間はいないものの遠くから覗いているマスターは何人かいるだろう。
これだけおおっぴらに宝具を解放すればまず間違いなく真名は露呈する。アルテミスとアポロンに縁のある弓使いなどオリオンとパリスを除けば自分ぐらいしかおるまい。真名の露呈は間違いなく、これからの戦いに不利なると分かっている。
だが、この津波が陸へと届けば被害は甚大だろう。無論、マスターのいる山中にもだ。
故にアタランテはこの事態を看過できなかった。
何故なら彼女の願いは子供達を救うことだから。
『我が弓と矢を以て太陽神と月女神の加護を願い奉る』
文を携えた矢を番え、天に向けて射る。
猛毒の津波が迫る刻、アタランテの全力(いのり)が今、天上よりもたらされようとしていた。
『災厄を捧がん──』
女神の祝福を受けた弓で天へと放たれた矢文。
矢文の内容は請願。月女神と太陽神の二柱へ加護を求める内容が書かれている。
天穹の弓(タウロボス)によって加護を求める矢文は上へ、雲を越えて天へ昇った。空に吸い込まれるようにして見えなくなった矢文の座標に光が溢れ、道を譲るようにして雲が退く。
その神々しき光景とは裏腹にこれより始まるは神なる災い。神罰という名の虐殺。カタストロフ級の破滅に他ならない。
アタランテの請願に応えて大気が鳴動する。そして────
「────『訴状の矢文』(ボイボス・カタストロフェ)!」
弾ける神災の波動と共に原始の神が、地上へと殺戮の光(や)を降らせ始めた。それも一本や二本ではない。見渡す限り一面を光の矢が埋め尽くしている。
雨霰と降り注ぐ神気の矢が津波を削る。いや、津波だけではない。上空では制空権を確保するべく硫酸ミスト内を飛んでいた爆撃機が次々と射抜かれ、既に数千機が爆発四散していた。
対軍どころか都市丸ごと破壊できてもおかしくない規模と威力である。だが……
「駄目か……私の宝具だけでは足りぬか」
それでも大津波は削りきれなかった。
こちらもまた最大最悪の破滅。神威の矢をもってしてもあの大質量を削りきることはできなかったのだ。
歯噛みするアタランテ。しかし、ここにいるのはアタランテだけではない。もう一騎、ここにいる。
アタランテの400メートルほど後ろにセイバー『
ベアトリス・ヴァルトルート・フォン・キルヒアイゼン』が立っていた。
創造
「───Briah───」
戦姫変生 ・ 雷速剣舞
「Donner Totentanz ———Walküre」
蒼雷が舞う。雷鳴が響く。
雷が真横に流れるという自然現象にあるまじき軌道で放射状に広がり、津波を蒸発もしくは爆散させ一つ残らず消し飛ばした。
蒸気と僅かな雷電のみ以外、津波のあとは微塵もない。
そして────
「────────────!!」
ここからが本当の戦いである。
津波が消え去り、神光と月光と雷光で怪物の皮膚に張り付いた油膜がてかてかと照らし、その大きさと形状を明らかにした。
あれこそが討伐対象──ヘドラ!
「見るも悍ましい姿だな」
誰かが呟いた。
それはヘドロの塊に手足を付けたような格好であり、英雄とも魔獣とも呼び難い。少なくとも流動する汚泥に敬意を払う人間などいないだろう。
だがそれ故に英霊としての能力は未知数だ。あらゆる常識が通じない存在だと断言できる。
海岸付近にいたサーヴァント全員が巨体を視認したその時、ヘドラの顔にあたる頭部の一部がばっくりと割れ、黄金の虹彩を持つ赤い物体が出現した。
「あれは……目か?」
爬虫類のようにギョロりと周囲を見回し────赤い目玉が発光し始める。
◆
────索敵完了。
────敵ナラビニ主要攻略都市ヲ確認。
────主砲装填。
体内のヘドリュームが崩壊し、混じり 、合わさり、融合を開始する。
高温・高圧の反応炉は次第に熱量を上げていき、黄金瞳が光を吐き出し始め、それを浴びた周囲の海水が水蒸気爆発を起こすと同時に黒い粘液へと変容する。さらに発生した気流により硫酸ミストがヘドラの周囲に渦巻いた。
正に死や終末を予感させる光景だった。
まるで地獄の太陽。光によって生命を育むのではなく、触れればあらゆる命を消し去る死の塊。
致死レベルの熱が表面上でも起こり、あらゆる命を蒸発させる魔の恒星。
臨界点に達したソレが今!
核兵器に匹敵する破壊力が今!!
「砲雷撃戦、開始」
ヲ級の号令と共に発射された。
◆
発射の衝撃波で周囲のヘドロは消し飛び、まだ溶解していない海底の岩ですら粉微塵に粉砕する。
光線の通った後は蒸発と熔解が起きてモーゼの如く溶岩の海割りが出来上がる。
(あれは無理だ)
アタランテは理性と本能で理解する。兵器としての出力が違いすぎる。盾、城、結界、幻獣、魔獣、神獣、いかなるものでも防げぬ絶対値をあの光線は有している。
現状、アタランテの力でアレを防げるものはない。
嵐を思わせる轟風が海岸の砂塵を根こそぎ巻き上げる。
ヘドリューム光線は海岸にいたアタランテに向けられたものではないが、発射された余波に吹き飛ばされないように踏みとどまるだけで精一杯だった。
彼女がそうしている間にも破滅の光は延びていく。市街に命中すればどれほど凄惨な光景が広げられるか考えるまでもないだろう。そしてそれを止める力はアタランテにない。
よって、アタランテは相方に任せることにした。
◆
時間を数十秒ほど巻き戻す。
ランサー、
ヘクトールは海岸を見渡せる位置からヘドラの巨体を目にしていた。突如として輝き出したあの黄金瞳は大英雄に戦慄を促すに十分だった。
ヘクトールは理解する。あの目から這い出ようとしている光は間違いなく街を完全破壊すると。
「ヤベェなこれは」
軽い口調で言うも表情はこれまでにないほど真面目だ。
“アレ”は神々がもたらす災厄と同じで、意思のある災厄はある程度の目測を立てられる。
殺意の方向、大きさ、深度。そういったことからあの怪獣は人間のいるところを標的に定めると予測できたのだ。
「要は皆殺しってわけか」
鏖殺。滅尽。滅相。根絶。
あらゆる生命を滅殺せんとする死の現象が光となって目から溢れ出している。
今からでは発射前に目を潰すことなど不可能だ。仮にできたとしても行き場を無くした破壊力は爆発し、海岸にいるアタランテは助からないだろう。それは勝利ではない。
かといってあれを防ぐ盾も城もここには存在しない。ならば市街地に届く前に相殺するしかない。
そしてそれが可能なのは無論、宝具をおいて他にない。槍を投げる構えへと変える。
「標的確認、方位角固定」
魔力を受けて黄金の光が極槍の穂先より溢れ出す。
ヘクトールの貴重な全力全霊。それが今、ここで発揮されようとしている。
刮目せよ。これがトロイア最高の戦士の一撃である。
「不毀の極槍(ドゥリンダナ)!」
筋が千切れんほどの力を込めて放たれた槍は地上の、世界の、この世のあらゆるもの貫くとされた貫通力を有する。
そして投擲と同時に怪物の目からも死の光が発射された。
激突する神話の一撃。
衝突の衝撃で周囲の建物は粉砕して瓦礫が弾けとんだ。
音もまた世界から瞬消滅し、次の瞬間には悲鳴の如き金切り音が発生する。
衝突点から死の光がまるで霧状スプレーのように拡散し、その大半が空中で消え失せていった。
対照的に槍は核熱を浴びても溶けることなく原形を保ち続けている。
それもそのはず。穂先は後に不滅不壊で名を馳せる絶世剣デュランダル。数多の伝説に名を残し、キリスト教世界を代表する聖剣のひとつだ。聖遺物が埋め込まれていない状態であっても神秘の薄い一撃で壊せる道理はない。だが、槍の完全性が高くとも勢いは光線の方にあった。いくら補助出力があろうと人力ではこの光線を止めるほどの勢いがない。よって止まったのは数秒で、必殺の投槍は弾かれてヘクトールのいる市街へと落下する。
「ちっ、やっぱ無理か。
俺にもアイアスやアキレウスみたいな盾があればなぁ」
元より彼の宝具は全て攻撃の逸話で生み出されたものだ。防ぐことには向いていない。
なので僅か数秒しか止められない。
しかし、その数秒で次の者が間に合った。
◆
雷光と共に巨大な人形が出現した。
白銀と黄金。そして雷電で構築されたそれは『電気騎士(ナイトオブサンダー)』。
セイヴァーのマスター、
ニコラ・テスラの切り札にして最終形態である。
弾かれた不毀の極槍と交替する形で出現した彼は即座に盾を展開した。
『────白銀の盾(アーガートラム)!!』
白銀の盾4つが光線を遮るべく重なり合う。
『如何なる質量も。如何なる熱量も。我が盾を通すこと能わず』
その宣告を証明するようにヘドリューム光線は最初の一枚が受け止めていた。
雷電の防御膜を纏い、あらゆる幻想、あらゆる物理を防ぐ最高の盾。
かつては世界法則すら書き換え、万象を引き裂く魔手すら防いだこの盾を突破できるはずも無い────相手がヘドラでなければ。
『む?』
盾に雷電が通らない。
次第に電流の伝導率に狂いが生じ、遂にただの鋼鉄の盾と化した一枚目が砕かれた。
これは元来ありえぬ事象だった。電気騎士と白銀の盾を通る雷電はニコラ・テスラそのもので、彼にとっては服の袖に手足を通すくらい簡単なことだ。それが急にできなくなるのは一体どういう不条理か。
そうこうしているうちに二枚目が砕かれ、三枚目が冒され始めている。
核熱の脅威に気を取られている者が多いが忘れてはならない。この光線は触れれば公害に汚染されるヘドラの攻撃であるのだ。ヘドリュームから生まれ、放たれた以上、これに触ることはヘドラに接触することを意味する。
ヘクトールの槍と違い、白銀の盾は神秘が薄く、マスターの装備であるため霊位も低い。ニコラ・テスラ自体が神秘の塊であるが、彼自身ではない。そのため徐々に侵食が進む。
ならば白銀の盾にいかなる汚染が加わったのか。碩学である彼は一つの答えに行き着く。
『────放射線か』
テスラの推測は正鵠を射ていた。
放射線。放射能汚染。
世界最新で最悪の公害。原子力という巨大な力に付随する形で現代に現れた災厄である。
人体が冒されれば遺伝子を始めとする数多の機能が崩壊し、物体であれば分子構造が破壊される。あらゆるものが劣化し、役に立たなくなるのだ。
ましてやヘドラの魔業が加わればどれほど強固な分子結合を行っていようが破壊される。万物を貫くといってもいい。
故に白銀の盾に核熱自体を防ぐ能力があっても構成物質自体を異次元の法則で換えていかれては流石にどうしようもない。
しかし、まだ手はある。
────電気騎士。最大出力。
『輝光なりし帝の一閃(ギガ・ユピテル・バスター)!!』
K市の夜空が昼と間違うほど光りに溢れる。電気騎士から生じた雷神の光柱に暴力を匂わせるものは一切なく、まるで抱擁の如くヘドラの光線を更なる光で塗り潰す。
そして、光柱が消えた時、白雪のごとく降る光の粒子を残して放射能も核熱も雷電も電熱も、そして電気騎士も残らず消滅していた。
◆
山頂の廃屋で
間桐桜とルアハ・クラインは趨勢を見守っていた。
彼女ら二人にはそれしかできない。何が起きているかもわからず、自分のサーヴァントが宝具を使う時だけが唯一繋がりを感じる瞬間だ。
「人形さん」
「はい。なんでしょうか桜様」
「アーチャーさんは無事かな」
「いいえ。はい。私には分かりません。ですが、あなたの令呪が消えない限り、彼女達が消えた、ということはあり得ないでしょう」
「そうだね。うん、アーチャーさんはまだ大丈夫」
ルアハは少女を見る。
山小屋に貯えられていた毛布に身を包んだ少女を。
夜の高山地帯は大変冷える。ルアハの硝子細工の目は、少女が毛布から露出している寝間着の温度が低いことを検知する。
逆に熱を発しているのは魔術回路だ。本日既に宝具が二度使用されている。
「桜様。小屋へ戻りましょう。外よりいくらか温かいはずです」
「嫌。ここで見てる」
「いいえ。貴女の健康を見るようにとランサー様から命令を入力されています。その申し出にはお受けできません」
「じゃあ貴方が温めて」
「了解しました」
そういうとルアハは桜を抱きしめた。
機関の体からほんのりと伝わる熱が桜を温めていく。
少女達の境遇は似て非なるものだ。
愛されていた故に全身が機械と化した少女と、ただ道具として全身の肉を苗床とされた少女。
それでも二人に共通点があるとすれば
それは、二人ともそうしなければ死んでいたという事だろう。
◆
電は戦場へと向かわなかった。臆病風に吹かれたのではない。彼女とて艦娘である。戦場に行くこともそこで果てることも覚悟している。
彼女がここにいるのはランサー、アレクサンドルの判断だ。
今回の討伐令により海岸とその近辺にサーヴァントが集中するのは明らかだ。そんな所にノコノコ行くのは死にに行くようなものだと彼は諭した。
だが、それでも彼女は同行を申し出た。マスターとしての責任感か、あるいは深海棲艦を倒すという艦娘の使命感か。
「マスター。お前はここに残れ」
「────いいえ。電もあなたと行きたいのです」
「聞いていなかったのか?」
「聞いていました。でも……」
出かけた言葉がランサーに頭を撫でられたことにより驚愕で止まってしまう。
失礼ながらランサーはこのようなスキンシップをする人柄には見えなかったのだ。
「お前のすべきことは戦いではない。それに行っても役に立たん」
「それは……」
「そして私の宝具は無差別だ。守護には向かない。マスターと守護に向かないサーヴァントが一緒にいたところで死ぬだけだ」
「はい……」
「ならばお前は、お前のすべき事は待つ事だ。そして、もしも私が破れた時は子ども達を守ってほしい」
「ランサーさんが破れるなんて、そんな」
「忘れるなマスター。『英雄などどこにもいない』
都合よく物語に登場し、都合よく人々へ幸福をもたらす存在など現実にはいないのだ」
独白のように彼は言い、先に発った。
◆
震える。怖くて、怖くて、怖くて仕方ない。
越谷小鞠は歯の根が合わず、ガチガチと震えていた。
戦場の凶気が、戦乱の狂気が、戦士の戦意が渦巻いているのを肌で感じる。
大津波が迫り、光の雨が陸と海を破壊し、大音響と稲妻がそれらを地盤ごと攪拌して、死の光が応酬され、終いには夜が昼になる────文字通りの天外魔境だ。
一つでも自分に向けられていたら死んでしまったに違いない。そう思うと怖くてたまらない。もはや夕方誓った覚悟は折れていた。
何が同盟だ。何が協力だ。私はマスターのフリをしていただけの子供だ。
越谷小鞠は中学生だ。ただの、ちょっと都会から離れたところに住んでいた女子だ。
戦時中であれば疎開先に選ばれてもおかしくないほどのどかな場所に住んでいた彼女に神威魔業の交わる魔戦に適応できるはずがなく、故に泣いて逃げ出しそうなほど怯えていた。
彼女にとって美徳であり悲劇であったのはセイバーという、ヘドラをなんとかできるかもしれない力を連れている責任感があったことだろう。
午前の中学校襲撃時といい、今回といい、聖杯戦争参加者として被害を減らそうという想いが彼女の中にある一方で全く荒事に向いていない。
仮に生存競争に慣れた者ならば中学校襲撃時に一般人に紛れて逃げるだろうし、ヘドラ討伐を無視して他のマスターを討つことを考えただろう。
彼女の在り方は善人、王道といえば聞こえはいいだろうが生存競走において愚者であることに違いはない。
しかし、いやだからこそ。彼女に呼応したのは花の騎士姫。後に騎士王と謳われる少女だった。
◆
花の少女騎士。クラスはセイバー。名をアルトリア・ペンドラゴン。愛称はリリィさん。
越谷小鞠のサーヴァントである彼女はマスターを護衛しつつ戦場へと近付いていた。
「リリィさん、ごめん。ごめん。わたし……」
「いいんですよ。マスター」
修羅場の空気に酔ったマスターの背を撫でる。
この年でこんな場所に慣れている方が異常なのだ。
混沌が渦巻き始め、夜の帳すら拭い去られ、リリィですら戦慄せざるをえないこの戦場。誰も彼女を責める者などいないだろう。いたら自分が許さない。
戦場が近づくにつれて大気の汚染濃度が上昇し、人間のマスターではどのみちこれ以上の接近は無理だろう。
どこか適当な建物にマスターをどこかで休ませよう……とを考えた刹那、セイバーに虫の知らせのような危機感がよぎる。
この場に居るのはマズイ、と。
「マスター。少し失礼します」
「うわ、リリィさん!」
少女にお姫様だっこされた越谷小鞠は絵的にも立場的にも慌てるが、それはセイバーも同じ。
脱兎の如くその場を脱した。その直後────怪人が通った。
◆
「新しい我が主」
「なんだ」
「ひとつ、お願いがあります」
神妙な顔でアサシンはマスターへと請う。
「私に、この街を守るため出陣せよとお申し付け下さい」
本日三度目の戦闘。優秀な魔術師でも疲労極まる行為を彼に請う。
確かにマスター替えを行った直後に忠義もへったくれもないが、それでも兵と将の上下関係は絶対である。
「何故だ?」
「それは……」
言えなかった。令呪の効果はおそ松が死亡した時点で強制力をほとんど失っている。
もしおそ松邸を襲ったり、彼の家族を害しようとすれば令呪が発動するのかもしれないが、少なくとも放置している分はさほど問題ない。
しかし、この街そのものを破壊しようとする存在がいる以上、彼等を見捨てることはできない。
これは感情論ではない。兵士として生み出された人造魔法少女
シャッフリンとして命令が遂行できないことは存在理由の否定を意味する。
故になんとかしてこの願いを聞き届けなければならない。
今は亡き前の主の遺命であるからでございます。
と言えばおそらく、反対されるだろう。敗退せずに自分と契約した以上、自害はさせられないだろうが令呪で何らかの制約はつけられるかもしれない。
代替案を提示しなければならない。 既にシャッフリンの脳内にはヘドラ討伐に参加するメリットをいくつも考えておき、説得材料を何種類も用意していた。
しかし、それも無意味になった。
「まあいい。僕も奴を倒そうかと考えていたところだ」
「え?」
予想外の反応に間抜けな声が出る。まさか何も提示せずに許されるとは思っていなかったからだ。
「奴はこの被写体(まち)を汚そうとしている。それだけで────いや、違うな」
美しくないものは消すべきだった。
不完全なものは破壊すべきだった。
アカネは美しくも完全でもない。だが、消えてほしくなど無かった。
それは何故か。分からない。感情の変調に思考が追い付かない。
頭をスッキリするために暴れたかった。いつもの元山ではあり得ない蛮脳であるが、他に思いつかなかったのも事実である。
元山はスイッチを押していた。
変身後の元山は右手に剣、左手には女性の顔を模した盾。筋肉は隆々と化し、顔は鮫のような形をしていた。
窓から飛び出し、路上に着地して怪人の走力で海岸へと駆け抜けた。
(まだ分からないんだ……自分がどうしたいか)
◆
「貴女もヘドラの討伐参加者ですか?」
「そういう汝も同業者のようだな」
雷光を纏った戦姫と神話の狩人が油断無い気配で応対する。互いに体はヘドラへ向けたままだが、武器を構えていつ相手が襲ってきても後れを取らぬように隙が無い。
主目標はヘドラだとしても漁夫の利を狙う輩の可能性は決して低くなく、またいつか殺し合う関係とあらばこの当たりが妥当な対応だろう。
アタランテは横目で雷女の服装から真名を探り当てようとする。
聖杯より得た知識でこの国の先の大戦における同盟国であるドイツ……俗に言うナチスの着ていたSS制服だと分かる。つまり少なくとも100年は経っていない英霊だということで、神秘のほどはアタランテの足元にも及ぶまい。
しかし、それだけに気になるのは先ほどの汚泥を吹き飛ばした雷撃だ。雷神の血縁……いや、雷神の直系でも無いと説明のつかない出力だった。
ナチスは神秘の品を集めていたとされる。この女の宝具も十中八九ソレと思われるが、その場合ここで問題が一つ起きる。この女の宝具は一体どこの、どんな宝具なのか分からないということだ。
雷神、天空神の存在する神話は世界各国に存在し、そのほとんどが戦神だ。つまるところ『雷神関係の剣と思わしき宝具』では真名解放でもしない限り分からないし、直接の所有者ではない英霊の真名など輪をかけて分かるまい。
そして逆にアタランテの真名は露呈したと思ってよい。
「先ほどの稲妻、見事だった。さぞ名のある英霊と見受ける」
「貴女こそ先ほどの光の雨、見事でした。こういった状況でなければ正々堂々とやり合いたいのですが……今は状況が状況です。手を組みませんか?」
「残念ながらこの場での約定など無意味だ。汝のマスターも私のマスターもここにいない以上、いつ裏切るかもしれん同盟など組めん」
「そう言って騙し討ちをする機会を捨ててるだけで充分信頼できますよ。
これでも外道の見分け方には自信がありますので」
「ならば好きにするがいい。ただし私の邪魔をするな」
「それはこちらの台詞です。巻き込まれて死んでも文句言わないで下さいね」
二人の言葉には棘がこもり、口調は冷淡であるものの事実上の共同戦線だった。
アタランテの言った通り約定は無いが、向かっている方向性は同じである。そして相手(ヘドラ)の強さは見ての通り規格外。少なくともヘドラ討伐まで騙し討ちをするだけのメリットは互いに存在しないのだ。今ここでやり合う必要は無い。
二人の会話が切れるのを待っていたかのようにヘドラの全身が震えだし、次の戦術を展開し出す。
ヘドラの巨体がバラけ、ヘドラの総体が7:1:1:1の割合で分かれる。小さな汚物の山はそれ自体が意思を持つスライムのようにうねりながら三手に分かれて海岸に上陸した。
そして次の瞬間。空母ヲ級の口からポツリと平坦かつ無機質に、だが絶対の開戦宣言が為される。
「────全艦、抜錨」
先ほどの核熱光線すら序の口に過ぎなかったと誰もが理解した。
◆
「何……だと……」
アタランテは驚愕する。
◆
「これは……!」
ベアトリス・キルヒアイゼンは目を細め、
櫻井戒は眉を顰めた。
◆
「こいつは……」
ギリシャ神話の大英雄ヘクトールからは飄々とした態度が失われ険しい表情を見せる。
近くで倒れているニコラ・テスラも、その付近にいたセイヴァーも、何が起きたかを知覚して海を見る。
◆
「……」
アレクサンドルはいつもの無表情のままだが、それでも視点を海に向けたまま。
◆
「クソ!」
急停車した電車の中で
岡部倫太郎は悪態をつく。
NPCが眠った今、運転する者はいない。
停車することなく駅まで特攻するような事態にならなかったのは幸運といえるのだが、今の状況で電車に閉じ込められるのはどう考えてもマズイ。
「ライダー! 斬り破れ!」
「了解」
電車のドアがカトラスによって斬り裂かれバラバラと地面へ転がった。
岡部はそこから踊り出し、地面の感触を足の裏で感じる。
足に衝撃が走り、痺れる。衝撃を堪え、それでも何とか足を踏み出そうとした。
その時、だ。
「何ですの!?」
アンが困惑の声を上げた。
◆
「おやおや」
◆
────カエセ。
────返せ。還せ。帰せ。反せ。
────カエセ。カエセ。カエセ。カエセ。カエセ。カエセ。カエセ。カエセ。カエセ。
本体から分かれた腐毒の肉。母艦の号令に呼応してそれらの細胞が深海棲艦として変貌し、奈落から這い出る亡者の如く次々と塊から唸り声を上げて這い出てくる。
この時、この戦場に戯画めいた兵力が現出した。
その総数、数万。
ほとんどが駆逐艦イ級であったが中には軽巡洋艦、潜水艦、補給艦、練習艦、軽空母がいて、それらは塊のまま陸へと進軍を開始した。
本聖杯戦争最初にして最大の大戦争が今、火蓋を切ったのだ。
突然現れたサーヴァントステータスのあまりに情報量にマスター達は軽く吐き気を催した。そして、次に展開された悪夢のような光景に実際吐いた者もいた。
本体より分かれた小さな山は総数の十分の一程度に過ぎないが、それでも数千を越える深海棲艦が存在する。無論、彼女たちは陸で速度を出すどころかまともな前進すままならない。
だが、魔業を負った彼女らはそれを可能とする。同胞を踏み潰し、飛び散ったオイルや溶解した肉片が大河となり、その上を進み始めたのだ。
自分等こそが人類を滅ぼすモノであると自負するように踏み潰されるモノも、踏み潰すモノも汚泥を爆発させ、一心不乱に街へと迫ってくる。
彼女らのオイルや遺骸、排煙(こきゅう)すら腐毒の塊であるゆえ地上のものは溶解し、硫黄や水銀混じりの汚汁となったそれらが深海棲艦の屍山血河と混ざって溢れ出す。
──────地獄だった。
比喩ではない。この世に存在した如何なる戦場よりも毒気と悪意に溢れている。
潰れた深海棲艦が積まれた賽の河原。魔毒に満ちた三途の毒河。塩基性の悪臭が立ち込め、亜硫酸ガスが空気を塗りたくる。
此処こそが現界した公害地獄そのものである。
ヘドラから伸びる三つの河の進出を止めるべくいくつかの主従が動いているが、相手は数千。移動だけで数百から二千以上を消費し、また一山いくらの雑魚の群れで構成されているとはいえ、それでも質を凌駕する数だった。
だが、魔艦隊の勢いそれだけに留まらない。
奮戦する英霊(にんげん)達を嘲笑うかのように中央本体の大塊からそれぞれの塊に一体ずつ、完全人型の深海棲艦が投入された。
汚泥の大河を滑り、或いは同胞を踏み砕きながら移動するそれらは深海棲艦最高戦力であり魔艦隊の大隊長。
蒼騎士(ペイルライダー)の前に存在する白(アルベド)、赤(ルベド)、黒(ニグレド)の騎士である。
最終更新:2017年05月14日 11:57