ミャンマーとは東南アジアのインドシナ半島の国である。
ミャンマー政府とカチン独立機構、戦闘停止合意(2013/06/01 読売新聞)
【バンコク=永田和男】2年近く戦闘状態にあったミャンマー政府と北部カチン州の少数民族勢力「
カチン独立機構」が5月30日、戦闘停止に合意し、7項目の文書に調印した。6月中にも正式な停戦協定調印が行われる見通しだ。
テイン・セイン政権は、カチンを除く10の主要少数民族勢力と停戦を果たしており、最後に残った主要勢力とも停戦することになる。これにより、すべての勢力との和平を目指す一体交渉の前進が期待される。
カチン州の州都ミッチーナで3日間の協議の末調印された文書には、
〈1〉政府軍とカチン側軍事部門「カチン独立軍」の戦闘停止
〈2〉カチン側が求める自治権拡大を巡る政治対話継続
〈3〉停戦監視委員会の設置
〈4〉戦闘で発生した避難民再定住に向けた協力
――などが盛り込まれた。
旧日本兵、ミャンマー辺境で数年前まで生存か(2013/01/29 読売新聞)
【バンコク=深沢淳一】ミャンマーの少数民族勢力地域での旧日本兵の遺骨調査に関し、一部勢力が支配下の集落で聞き取り調査を始めたことが28日、関係者の話でわかった。
戦後も帰国しなかった旧日本兵が数年前まで生存していたという情報も2件寄せられたという。
調査には計14勢力が参加し、ミャンマー政府の管轄地域以外の全地域で行う。
このうち東部シャン州などの一部を支配するパローン州自由戦線(PSLF)、パオ民族解放機構(PNLO)、西部ラカイン州のアラカン解放党(ALP)などが予備的な聞き取り調査を開始した。
関係者によると、PNLOとALPの支配地域でそれぞれ「旧日本兵が村で家庭を築き、数年前に亡くなった」との証言が寄せられた。各勢力は、旧日本兵の家族とされる人々への接触を試みている。
PSLF地域では、中国国境近くの村で日本兵2人が戦死したとの証言があった。
母語を守る戦い、ミャンマーの少数民族(2012/10/25)
【AFP=時事】たった1冊の教科書が、軍政下のミャンマーで半世紀にわたってシャン人の言語であるシャン語を子どもたちに伝えてきた。
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数十年に及んだ内戦の末に、改革に前向きな政府が少数民族の武装勢力に歩み寄りを示している今こそ、昔のように公立学校で少数民族の言語を教えられるようにするべきだとの声が高まっている。
「シャン語はシャン人の生命線。言語がなくなれば、民族そのものも共に消えるかもしれない」と、シャン州の州都タウンジー(Taunggyi)にあるシャン文学文化協会(Shan Literature and Cultural Association、SLCA)のサイ・カム・シント(Sai Kham Sint)会長は語る。
軍政が文化的多様性を排除するためにシャン語の授業を廃止したため、同国東部のシャン州では長年にわたって、シャン語教科書のコピー本を私塾で使ってきた。
SLCAの開くサマースクールでは、シャン語の基本的な読み書きと会話を教えている。また、恋人たちが死後、星になるというシャン語で書かれた文芸作品「クン・サン・ローとナン・オー・ピン(Khun San Law and Nan Oo Pyin)」などを、子どもたちに読ませている。
シャン語の活動家たちは、今年になってようやく、教科書の最新版を出版できる可能性を感じるようになったという。
SLCAのサイ・カム・シント会長は、公立学校でシャン語を「何も恐れることなく」教えることができるようになれば、シャン語の存続に役立つだろうと語る。
■民族意識の中心にある言語
隣国タイのタイ語と近い関係にあるシャン語は、ビルマとも呼ばれるミャンマーで話されている約100の言語と方言のうちの1つだ。
ミャンマーにはモン人やチン人、カレン人など130以上の少数民族が暮らしているが、シャン人と同じように、いくつかの民族が、公式の教育課程に自分たちの母語を加えるよう政府に働きかけ始めている。
「ビルマの未来にとって、民族問題は間違いなく中心的な課題」と語るのは、「Christian Solidarity Worldwide」の活動家で作家のベネディクト・ロジャース(Benedict Rogers)氏。
「仮にビルマに民主主義的な制度が完備されたとしても、少数民族との衝突や弾圧があれば、民主主義がその力を完全に発揮することは決してないだろう」とロジャース氏は指摘する。
1948年にミャンマーが植民地支配から独立して以降、少数民族の武装勢力は自治を求めて戦ってきた。1962年に軍が権力を掌握してからは、政府と少数民族の関係はいっそう悪化した。軍がレイプや拷問、村人の虐殺といった残虐な対暴動戦術を取ったことで、少数民族はさらに苦しめられた。
昨年3月に名目上は民政に移行した現政権は、ほぼ全ての少数民族武装勢力と暫定停戦合意を結んだ。とはいえ、恒久的な政治的決着への道筋は不透明で、北部のカチン(Kachin)州ではまだ戦闘が続いている。
■「少数民族はビルマ語を学ぶべきだ」、政府高官
政府高官の間には今なお、文化的アイデンティティーに対する冷淡さがある。政府軍の兵士として、蜂起した少数民族と対峙してきた高官は多い。
少数民族との和平プロセスに携わるある高官は「われわれはビルマ語を共通語として使っているのだから、少数民族はビルマ語を学ぶべきだ」とAFPの取材に語った。「自分たちの民族の言語を学びたいのなら、自由時間に学べばよい」
自身もシャン人であるサイ・マウ・カン(Sai Mauk Kham)副大統領は9月、休日に少数民族の言語を学習する制度は整ったものの、学校の授業でこれらの言語を教えることは非常に困難だろうと語っている。
多くの地域で複数の方言が使われていることや、軍政下で教育制度が崩壊したことを考えると、すべての言語を学校で教えることは不可能だという声もある。また、ミャンマーが外の世界に門戸を開き始めた中で、中国語と英語をはじめとする外国語の能力が不可欠と考えられるようになってきた。
シャン人が使ってきた教科書は、軍政が始まる直前の1961年に出版され、学校で使われたものだった。ヘビやゾウ、托鉢の鉢を持った僧侶の美しいイラストは、当時の暮らしぶりをしのばせる。この教科書の著者、タン・ケル(Tang Kel)氏は90歳を超えた今もタウンジーで暮らし、尊敬を集めている。新版ではイラストが写真に置き換えられているが、文面は旧版と全く同じだ。
「コンピューターのある時代だけれど、シャン語の教科書にはそれを指す単語がない。ラジオもだ。われわれの言語にはラジオを意味する単語がないのだ」と、あるSLCA会員は語った。「電子メールとインターネットを意味する単語を発明しなければならないね」【翻訳編集】 AFPBB News
ミャンマーの人権改善、国連が「歓迎」決議(2012/11/27)
【ニューヨーク=柳沢亨之】国連総会の第3委員会は26日、ミャンマーの人権状況改善を「歓迎する」とした決議案を全会一致で採択した。
決議は欧州連合(EU)諸国が主導し、ミャンマーも賛成した。人権問題を扱う同委員会で、状況の改善を積極評価する決議の採択は異例。
決議は、政治改革や民主化に向けた「ミャンマー政府の強い姿勢を歓迎する」とし、言論や報道の自由拡大も評価した。一方、西部ラカイン州で仏教系住民と対立するイスラム教徒少数派、ロヒンギャ族への差別などに「懸念」を表明した。
米国はミャンマーで中国を迎え撃つ(Voice of Russia)(2012/11/20)
米国は中国のミャンマーからの締め出しを加速させている。
ロシアの専門家らは、史上初の米国大統領のミャンマー訪問がそのシグナルであると考えている。月曜、バラク・オバマ大統領は空港からヤンゴンまでの道々、数千人のミャンマー市民と触れ合った。
訪問の直前、米国政府はミャンマーからの宝石輸入を解禁した。また先立っては、ミャンマーが軍政を敷いて以降禁じられていたミャンマーへの投資が許された。オバマ大統領自身が、ミャンマーにおける米国の国際開発に関する組織の活動再開を宣言するとともに、ここ2年間分の1億7000万ドルの借款を手土産に携えていく。
オバマ大統領の訪問を、ミャンマー政府は民政移管への努力が国際的に認められたものと自己評価している。ミャンマーでは実際に、検閲が廃止され、政治犯に恩赦が与えられ、議会選挙が行われた。しかしこれは米国の関知するところではない。より重要なのはゲオポリティカルな利益である、このことに注意を向けているのが地政学問題アカデミーの第一副代表コンスタンチン・シフコフ氏だ。
―中東およびアフリカでは、米国の影響力が急激に低下し、イスラム化した。米国人はまた、ラテンアメリカ諸国からも放逐された。米国の役割は中南米ではシャグレーン皮のように巻き上げられている。米国に残されたのは東南アジアと太平洋南部だけだ。しかしそこでは非常に強く中国が根を張っている。ここから、ミャンマーを含むこの地域に対する米国の警戒の高まりも来るのである。この地域では、貿易、経済、投資、社会セクターにおける中国のポジションが非常に強力である。米国は将来における中国の影響力の高まりを先回りすることを急いでいる。
ミャンマー、ロヒンギャ族に市民権も 国連総長への書簡で表明(2012/11/17)
【ニューヨーク=黒沢潤】ミャンマーのテイン・セイン大統領は国連の潘基文事務総長に書簡を送り、ミャンマー国内で「移民」として扱われ差別を受けているイスラム教徒の少数民族ロヒンギャ族に対し、市民権を付与するなど社会的地位の向上に努める考えを表明した。国連事務総長報道官が16日明らかにした。
テイン・セイン大統領はこの書簡の中で、ミャンマー西部ラカイン州で続いているロヒンギャ族と仏教徒のラカイン族との暴力の応酬を「犯罪行為」と非難。法の支配に基づき、首謀者らを厳しく処罰する方針を表明した。その上で「双方の感情が沈静化し次第、国際規範に則り」、ロヒンギャ族に市民権を付与し、労働・移動の自由も許可することを検討する用意があると強調した。
事務総長報道官によると、テイン・セイン大統領は16日、仏教徒とイスラム教徒の代表者と会談し、双方に対して事態収拾に努めるよう強く促したという。
<ミャンマー>電力インフラ整備 日本政府が支援本格再開(2012/04/22)
日本政府が21日に発表したミャンマー支援の本格再開は、テインセイン政権が進める「貧困撲滅」や「民主化」の動きを後押ししそうだ。この国は長く、国連が指定する「最貧国」にとどまる。アウンサンスーチー氏率いる民主化運動は生活改善への要求とも連動し、「貧困撲滅」と「民主化」は表裏の関係だ。このため、日本の支援強化が「貧困撲滅」に寄与すれば、一層の「民主化」につながる可能性がある。
昨年3月の民政移管に伴い誕生したテインセイン政権は「貧困撲滅」を最優先課題の一つに掲げている。「貧困」を解消していくことで、これまでの民主化運動の高揚につながった国民の不満を解消したい狙いもある。
ミャンマーは60年代まで、経済面で「(今や成長著しい)タイをしのぐ経済力」(津守滋・元駐ミャンマー大使)だった。日本デパートの最初の東南アジア進出国はミャンマーで、当時の首都ラングーン(現ヤンゴン)の国際空港はハブ(拠点)空港だった。
その経済を支えた一つが、日本の戦時賠償に始まる経済支援だ。今もミャンマーの電力供給の約2割を賄う
バルーチャン水力発電所の建設は、日本の政府開発援助(ODA)のモデルになった。今回再開する円借款は、この発電所の改修にも充てられる。
だが、軍事クーデター(62年)で成立したネウィン政権が事実上の鎖国政策を採用したことで経済が極度に悪化、88年以降の民主化運動につながる。
長い軍政下、関係を強めた中国以外の外国支援は事実上途絶えた状況となった。今や、生活改善だけでなく、産業の育成、外国企業の誘致に向けても、電気や上下水道、道路といったインフラの整備は不可欠だ。
特に電力については、ヤンゴンでも最近まで日常的に停電が続いた。ミャンマーは近年、天然ガスの開発を急ピッチで進めてきたが、米欧の制裁下、貴重な外貨獲得源として大半はタイや中国向けで、国内供給は限られてきた。
国民の間に「資源に恵まれながら『最貧』に甘んじ、しかも資源を外国に奪われている」との認識が広がり、電力問題はその象徴でもあった。
こうしたこともあり、テインセイン政権は昨年9月、北部州で中国が自国向けに開発していた水力発電用の巨大ダムの建設について、「国民の反対が強い」と中断を発表した。国際社会が「ミャンマーの改革は本物」との認識を強める契機になった出来事だ。予定地一帯は少数民族の居住地域で、住民は立ち退きを強いられ、環境破壊につながると反対運動を起こしていた。
テインセイン政権は、「独立」や「自治」を掲げて武装闘争を続ける少数民族の問題にも直面しているが、「少数民族問題は突き詰めれば経済の問題」(ヤンゴン外交筋)でもある。再開する日本の支援は少数民族地域にも重点的に向かう。
ただ、日本の途上国援助は環境破壊、汚職、貧富の格差など、さまざまな「負の遺産」を残した経緯もあり、慎重に進めないと、むしろ逆効果をもたらす可能性がある。【春日孝之】
<ミャンマー>大統領、6武装組織と和平合意(2012/01/27)
【バンコク西尾英之】ミャンマーのテインセイン大統領は26日、連邦議会(国会)に書簡を送り、「これまでに六つの少数民族武装組織と和平で原則合意した」と明らかにした。大統領は「残る5組織とも交渉を続けている」とし、少数民族との完全和平実現に楽観的な見通しを示した。
大統領は和平合意した6組織と未合意の5組織の具体名は挙げなかった。
ミャンマーではこれまでに、少数民族武装組織としては最大規模の「
ワ州連合軍」や、政府と停戦を結んだことがなかった東部カイン(カレン)州を拠点とする「
カレン民族同盟」、北東部シャン州を拠点とする「
南部シャン州軍」などが相次いで政府と停戦合意した。一方で北部カチン州を拠点とする「
カチン独立機構」(KIO)などとは依然戦闘状態が続いている。
政府の少数民族との交渉団最高幹部は26日、毎日新聞に対し、停戦合意に至っていない「
シャン州進歩党」との交渉が28日、「
新モン州党」との交渉が31日に開かれると明らかにした。
<ミャンマー>「3、4年で少数民族和平」政府交渉団長(2011/12/17)
【バンコク西尾英之】ミャンマー政府の少数民族武装組織との和平交渉団長を務めるアウンタウン元第1工業相は16日、最大都市ヤンゴンで記者会見し、反政府武装闘争を続けてきたすべての少数民族武装組織との完全和平を今後3~4年以内に実現させる方針を明らかにした。ミャンマー政府が期限を切って少数民族問題の完全解決に言及したのは初めて。
AP通信によるとアウンタウン氏は、政府がシャン、モン、カレン、カヤー、カチンの各少数民族と和平交渉を進めていると明らかにしたうえで「政府は任期中(2015年まで)に和平を実現させる強い意志を持っている」と述べた。
<ミャンマー>モン族武装勢力「国軍への先制攻撃も辞さず」(2011/07/19)
ミャンマー(ビルマ)の少数民族モン族の武装勢力である新モン州党(NMSP)最高幹部のナイ・トーモン議長は16日、タイ国境近くで単独インタビューに応じ、ミャンマー国軍がNMSPを直接攻撃した場合だけでなく、同盟関係にある他の民族武装組織への攻撃が長期化した場合には、戦闘を開始する用意があることを明らかにした。
NMSPは、1958年の創設以来、モン族の自治権を求めて武装闘争をおこなってきたモン族の最大組織。1995年に軍事政権と停戦協定を結び、政治的対話による民族の自治権の獲得をめざしたが、憲法案を話し合う国民会議では、自由に議題を提出することさえもできなかった。最終的に、軍事政権が押し進めて定めた現行憲法に対し不支持の立場をとり、2010年の総選挙にも参加しなかった。
新憲法にはミャンマー国内の軍事組織は国軍のみとする規定があり、軍事政権側はこれまでNMSPに対し国境警備隊への編入や武装解除を要求してきた。NMSPは一貫して拒否し、停戦協定は2010年9月1日以降無効となっている。
NMSPと同様に軍事政権と停戦協定を結んでいたが国境警備隊への編入を拒否したカチン独立軍(KIA)やシャン州北部軍(SSA-N)に対し、国軍は現在攻撃を続けている。
国軍は、今のところNMSPに対しては攻撃していないが、KIAやSSAに対する作戦が終了した後にNMSPに対する攻撃に踏み切るとみられている。
ナイ・トーモン議長は、配下の兵士に対し、NMSP支配地域に国軍が侵入した場合には、攻撃を許可する命令をすでに出していることを明らかにした。
一方で、昨年以来、他の民族組織との連携も強化している。ことし2月には、
ミャンマー国軍による攻撃に対して一体となって抵抗していくため、NMSPなど軍事政権と停戦協定を結んでいた少数民族武装組織とカレン民族機構(KNU)など元々停戦協定を結んでいなかった少数民族武装組織が結集し、
民族連合連邦評議会(UNFC)を発足させた。各民族組織が一体となり、ひとつの指揮系統で動く「連邦軍」を創設することで合意した。
ナイ・トーモン議長は「UNFCでは、他の同盟組織が攻撃を受ければ、同盟全体が攻撃を受けたものとみなすことで合意している。同盟組織への攻撃が長期化すれば、われわれを国軍が攻撃していない段階でも、国軍を攻撃し、戦線の拡大を図ることもありうる」と語り、NMSPとして国軍に対して先制攻撃も辞さない方針であることを明らかにした。
【サンクラブリ(タイ西部)=赤津陽治】
軍政とKNUが停戦で最終合意=ミャンマー(時事通信)(2004/01/23)
軍政は同国内に17あるすべての少数民族組織との間で停戦を成立させた。 (時事通信)[1月23日19時2分更新]
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最終更新:2014年01月02日 05:38