一辺5メートルはある巨大な門の前に二人の地球人が立っている。
否、地球人に極めて似た外見の別種族。魔神【マシン】だ。
その二人が両開きの扉に一つづつ設けてある鍵穴に、剣のように巨大な鍵を挿し込み回したのだ。
「……開いた?」
二人の内の一人がそう口を開いた。鍵は二本とも回っていた。鍵は開いた筈だ。
その口を開いた者――魔神の女が開いた筈の扉を開けようと手を伸ばした時、もう一人の無言だった女は、人体の限界を超えた動き、速さで後方に飛び退った。
「え?」
それを見て扉を開けようとした方の女は驚きの顔をしたその刹那、その表情は永遠の物となった。
(この門をくぐるに相応しくない者……去れ)
どこからか声が聞こえ、二人――今は一人となった女達の後方に待機していた鳥人の軍団から恐怖の叫びが上がった。
だがその叫びは一瞬で消える。百人から成る鳥人の一個大隊は、その中心に突如現れた一人の女の手によって僅か数十秒で完全に無力化されてしまったのだ。
「へぇ、またてめーか。何度も何度も懲りねー奴」
「……」
一個大隊を数十秒で鎮圧したその女は、舞うようにひらひらと回転する体を止めた後、首だけを回して生き残った女、魔神ミィレス=アストレスを見た。
ミィレスにはこうなる事が分かっていた。
扉に鍵を挿し回した時、開錠の音は一つしかしなかったのだ。
この門、黒い月の入り口は、二人の魔神が揃って初めて開ける事が出来る。そしてそれは魔神達が待ち望んだ時が来た証でもある。
それ以外の時は彼女達――門番【ガーディアン】が現れ、相応しくない者をたちどころに滅ぼすのだ。
「だんまりか。ま、オレにとっちゃどーでも良ーけどよぉ」
ミィレスから目を離した、ボーイッシュと言うには余りに粗野で乱暴な言動の女、魔神ヒュントは大して興味も無さそうに門の上まで一っ飛びに戻ると、足を組んでその上に座った。
「てめーらの役割はオレらの主に相応しい男を探してくる事だろ? お前が守ってるソレ、失格じゃん」
組んだ足の先でヒョイヒョイと指し示したその先には、ミィレスが守るマスターであるファルコが苦虫を噛み潰したような顔で立っている。
地球人観光者を使ってでっち上げた魔神もどきを使っての開門失敗は、これで二回目となる。
一度目は魔神――地球人に外見が最も似ていると言われる
エルフを使って試みたが失敗した。次は金を使い地球人を騙して開けさせようとしたが、それも失敗に終わった。
そして三度目の正直、地球人にミィレスそっくりのコスプレをさせ、
ドワーフに作らせた本物と寸分違わぬ鍵の剣を以ってしても失敗したのだ。
どうやら黒い月の門を開けるには、どうしてももう一体魔神が必要なようである。
「ちゃんと役割を果たせよ。半分壊れてるからって、使命まで忘れた訳じゃないんだろ? ちゃんと連れて来い」
ファルコはわざとヒュントにも聞こえるように舌打ちをした。だがヒュントはそんな事一向に構う様子も無く、ファルコに対してはとことん無関心のようだ。
彼女の視線の先にあるのは、先程自分が壊滅させた氷漬けになった軍団である。
彼女は思った。まるで氷の彫刻のようで綺麗だ――と。
氷漬けにして殺した相手の断末魔の表情――恐怖や驚き、絶望に染まった表情が、より強く感情的であればある程、彼女は生命の終わる美しさを感じ満足感を得るのだ。
だがその美的感覚は、彼女の歪んだ心を象徴しているかのようだった。
「それまでオレ達は――」
ヒュントが座るその後ろに一人の長身の女が現れた。
地球人のような外見に頭部のバイザー――魔神だ。優美な外見を持つその美女は、ミィレスを見下ろしながら静かに言う。
「ここで、いつまでも待ち続けますわ」
「これまでも、これからもねー。キャハハ♪」
そしてその声に続くように門の下からも声が聞こえた。
見るとそこには頭部にバイザーを付けた地球人、魔神の少女がいて、ヒュントが氷漬けにした罪の無い地球人の少女を突き転ばせようとして遊んでいる。
「こらリンネ。遊んでいないで戻りますわよ」
「ハーイ、シーゲルお姉さま――あっ」
と呼ばれた一番幼く見える少女が に呼ばれ振り向いた時、氷漬けの少女が倒れた。
重力に引かれるまま地面に叩きつけられ無残に砕け散った少女の氷像。驚きの表情のまま氷った頭は、門前からゴロゴロと滑り落ちて行き、やがて
新天地の空へと光の粒となって吸い込まれていった。
「見えた! あれが黒い月だ!」
飛竜(ワイバーン)の背に乗って新天地の空を進むタクト達一同は、遂に伝説の秘境『黒い月』の目前へと迫っていた。
かつて
オルニト領であった新天地の空を巡る四つ目の月『黒い月』。それは時折人の前に姿を現し、伝説として語り継がれる秘密の地。
天界に浮かぶ災厄の月と違い、地上界付近を彷徨う黒い月は一体何を載せて運ぶのか……。
「新天地にあんな巨大な物が……オルニトの浮き島……とは違うんですよね?」
「浮島は風神
ハピカトルの影響下にある地域限定のものだ。こいつが浮いているのはハピカトルの力ではないのだろう」
「一体どうやって……」
黒い月の周辺には常に激しい乱気流が渦巻いている。その気流が積乱雲や雷雲を呼び、風、水、そして雷となってこの浮遊物体を隠しているのだ。
この付くに近寄る者は悉く風・水・雷の洗礼を受ける。故に人の身で近寄る事は長く不可能だった。
数千年以上の永きに亘り人を寄せ付けなかったこの浮遊島だが、近年この地へと至る道を見つけた者が居た。それがシエラとカイラの両親であった。
「伝承によれば魔神達はあの黒い月から来たらしいよ。あの娘と同じ原理で飛んでるんだろうねぇ――っても、その原理が謎なんだけどね」
「見て! すごいいっぱい兵隊が居るよ!」
黒い月はオルニトの浮島郡と違い神力で浮遊しているのではない。決して一所には留まらず、乱気流の中を彷徨い歩いているのだ。
それは空が安定する混乱と変化を司るハピカトルの目が届かぬ所。異世界の空で唯一風の凪ぐ場所である風神ハピカトルの死角『マリオネットポイント』をトレースしているからだった。
神の目から隠れ漂うこの大地が、こうして白日の物となったのは人類の進歩からなのか、それとも或いは……。
「あの旗はファルコ軍……と言う事はやっぱり、ファルコもここに来てるって事だねぇ。それもおそらく全軍を挙げてさ」
「全軍……」
「え~っと、え~っと……ふえ~~ん数え切れないよー」
乱気流の中、糸の様に細い細い道を抜けて辿り着いた先に待ち構えていた物は、黒い月とオルニト大神官ファルコの兵団1万だった。
いかに聖騎士であるアルトメリアが味方しているとは言え、1万対4と言う圧倒的戦力差は、四人に絶望を通り越して感嘆の声をあげさせる。
タクトの目的はファルコ軍と戦う事ではなく、あくまでソラリア一人。黒い月に来て居る筈のソラリアを連れ帰られればそれで良いのだ。
だがファルコにとってソラリアが必要な存在なら、それは即ちソラリア奪還はこの大軍勢を敵に回して行う事になるのは避けられない。この大軍勢を突破して黒い月へと至る道は、これまで以上に険しい道程であるかに思えた。
(まだ日中だし、この数はさすがにヤバイねぇ……早く応援来てくれよー)
呆気に取られる一堂を横にアルトメリアはここに来る前にした約束を思い出す。
新天地中央集権機関『元老院』が擁する『
聖騎士団』。
その目的は新天地統一において不可避な武力衝突への対応だが、聖騎士団を形成する五つの組織の頂点に君臨する『トライアンフ』の22人、真に『聖騎士』の称号を名乗れる者の本来の役割は違う。
遙か古代、天地戦争において魔神を退けた22人の聖なる騎士に準えて、現存する最後の聖騎士である聖騎士団団長スパイク=エンフィールドが集めた最強の戦士達が現代の聖騎士だ。
世の戦乱を振り払う聖騎士。その元来の目的は、魔神との戦いだったのである。
現代に集まった聖剣無き聖騎士達。彼等が果たして古代から蘇った魔神に対抗しえるのか?アルトメリアの帯びた使命は、命がけでその答えを見つける事だったのだ。
「久我タクト。入る前にこれ、渡しとくよ」
「え?」
そう言ってアルトメリアがタクトに渡したのは黒光りする筒状の鉄塊だった。
「え? これって……いや、嘘だろ!? マジかよ!」
それは火薬を使って鉛の飛礫を飛ばす武器。木製の取っ手に人差し指で引く出っ張りがあり、それを引くと鉄のハンマーが火薬筒の雷管を叩き鉛玉が筒の先から放たれる。
そう、年式は古いが紛れもなく地球製の武器、銃だった。
「これから先相当きつくなる。お守りに持ってなって」
「けど、こんな物……」
「待てっ、何か様子がおかしいぞ」
日本人のタクトにとって、それはマンガや映像作品で見慣れた武器だったが、実物を見る機会はまずない代物。恐ろしい人殺しの道具だと知っているからこそ驚き、気が引けた。
だがこれからソラリアを救出に行く過程でどんな危険が待ち構えているか知れない。何の武器も持たずにその危険に飛び込むのは自殺行為だろう。
まして自分の身くらい自分で守れなければこれから先足手まといになるだけだ。恐れてなど居られない。
タクトがそう決心した時、先程から慎重に敵を探っていたエルが口を開いた。
「こちらに気付いたのに何もしてこない」
「何かやる気無さそうだねー。どうしたんだろ?」
エルが指差した先に居るファルコ軍の兵士達がこちらを見ていた。
普通ならこの段階で合図が出され戦闘状態に突入してもおかしくない筈なのに、敵の兵士達はまるで何かに怯えるように視線を逸らし一歩も動かないままで居た。
「何だか知らないけど好都合じゃない。このまま突っ切らせて――」
「お待ちしておりましたわ、主様」
これは好機とアルトメリアがワイバーンを飛ばそうとした矢先、突然後方から女の声が聞こえ、タクト達は動きを止められたのだ。
声の方を振り返ると、頭に大きなバイザーを付けた金髪ロールヘアーの美人な地球人女性が空中に浮かんでいた。
「私、シーゲル=アサイメントと申します。移動要塞ニーゲルン・スティラの番人をさせて頂いておりますの。以後、お見知りおきを」
そう言ってロングスカートの端を両手でつまみ、淑やかな動作で挨拶をした女――魔神(マシン)――は、ガラス玉の様に綺麗な瞳を真っ直ぐタクトに向けて機械的に微笑んだ。
「あら、どうしたのです? そんなに怯えなくても大丈夫ですわ。先程も申したように、私達、貴方様をずっと待っていましたのよ? 遙か悠久の時を、ずっと、ずっと……」
タクト達は魔神の強さを知っていた。
もし相手がその気だったなら、少なくとも自分達は十回は殺されていてもおかしくない。だが今こうしてタクト達は生きている。それが不気味だった。
シーゲルと名乗った魔神の真意が読めず一同が警戒していると、魔神シーゲルは屈託のない笑顔で皆に優しく話しかけた。
だがこんな場合、笑顔でいる事の方が逆に恐い。突然の魔神出現、そして真意の読めない状況に、エルとシエラは相手の動向を探るべく質問をぶつけてみる事にする。
「タクトはまだ20歳かそこらだぞ。それを悠久の時を待っていたとはどう言う事だ?」
「あなたもソラリンと同じ魔神なんですか? 魔神って一体何なんですか?」
「……」
二人の質問にシーゲルはチラリとそちらを一瞥しただけで何も答えなかった。
答えたくない質問なのか。それとも何か他に答えられない理由でもあるのか。タクトは底が読めないシーゲルへの恐れを深めながら、笑顔で自分を見続けるシーゲルへと今度は自分が質問してみる事にした。
「俺達はソラリア=ソーサリーと言う娘を連れ戻しに来ただけなんだ。絶対ここに来てると思うんだが、頼むよ、ソラリアを返してほしい」
「返して欲しい、とはまた異な事を言いますのね。確かにソラリアはここに来ていますわ。ですが私どもは何の隠し立てもしておりませんの」
シーゲルはタクトの質問に笑顔で答えた。
二人の質問はまるで無視だったのにタクトの質問には答えるのは、シーゲルの言葉通りタクトが魔神達にとって特別な存在だからなのだろうか。
「ソラリアも、ミィレスも、私や妹達だって、このニーゲルン・スティラの物は始めから全て貴方様の物ですのよ? 主・タクト様」
「それは一体どう言う――っ!?」
エル達が推測しながら二人の会話を聞いていた時、門のはるか彼方、黒い月の表面の方から爆発音が聞こえた。
「何だ!? 今爆発音がしたぞ!」
「あっ! あそこから煙が上がってるよ!?」
「あの娘達、タクト様の居城に傷をつけるなんて……後でお仕置きが必要ですわね」
音の方を見ると、遠く黒い月の表面から煙が上がり、続いて数多の炸裂音が響いてきた。何か戦闘が起こっている音だ。
状況の把握が追いつかないタクト達は後手に回りながらも、何とか現状を知ろうと情報を得ようとする。
「どうなってるんですか!? 一体中で何が起こっているんですか!?」
「あの鳥人の男のせいで、ソラリアとミィレスが戦っているだけですわ。さ、それよりもタクト様? まずはカーレン様にお会いになって下さい」
「戦ってるだけって、そんな――」
シーゲルはあっさりとソレを伝えた。
タクトが守りに来た、助けに来たソラリアが既に交戦状態に突入している事実を。
タクトがソラリアと出逢ってから彼女は戦ってばかりだ。まるで彼女の行く先には、必ず戦乱の嵐が吹き荒れる宿命でもあるかのように。
そしてこれまでの戦いからソラリアが桁外れの戦闘力を有している事は皆が知る所だ。人間離れした回復力もそうだ。だからタクトは嫌でも考えてしまった事がある。
もしかしたらソラリアは、戦う為に生まれてきた悲しい存在なのではないか、と。
「カーレン様に会えばタクト様の疑問は全て解りますわ。あの二人の争いも、タクト様が来て頂ければ、たちどころに解決しますのよ?」
「お、俺が? 何で俺なんかが」
「罠だ! 行くんじゃない!!」
「危ないよお兄ちゃん! せめて私達も一緒に」
皆が罠だと反対する中、だがしかしタクトは密かに心を決めていた。
これが罠だろうが何だろうが行くしかない、と。ソラリアが今戦っているなら、側に行ってあげなければならない、と。
「お下がりなさい下郎が!」
シーゲルが追いすがろうとするエル達を制する。
招かれるままにシーゲルに付いて行こうとするタクトを止めようとしたのだ。だが魔神シーゲルがそれを許さない。
「私がお招きしているのはタクト様ただお一人ですわ。あなた方亜人は、これ以上進む事を許可しません」
「そんな!」
「おいふざけるなよ!? タクトだけ連れて行こうとはどう言う――!?」
シエラとエルがそういった瞬間、辺りは一面眩いばかりの閃光に包まれて、空を覆わんばかりに展開していたファルコの軍勢が、モーゼが海を割った伝説のように裂けていた。
人混みにぽっかり明いたトンネルには煤けた炎の残滓が残り、残ったファルコの軍勢は恐怖に混乱する所か完全に怯え、絶望しきったように金縛りにあってしまっていた。
やはりシーゲルは魔神で、ご多分に漏れず圧倒的戦闘力を持っているのだ。それをファルコ軍の兵達はタクト達より先に味わってしまっていたから、今何も出来ず蛇に睨まれた蛙のようになってしまっていたのだ。
ソラリアの力は炎。ミィレスの力は光。そしてシーゲルの力は――。
「一歩でもこのニーゲルン・スティラにその汚らわしい足を触れて御覧なさい? あなた方もああしてさし上げますわ」
「な、何だ今の力は……」
「眩しくて何も見えなかったよ。あの一瞬で何が起こったの?」
目の当たりにした新たなる魔神の力。それでもタクトはシーゲルの手を取った。
ソラリアは魔神だ。恐ろしい力を持っている。だがソラリアは優しい心を、人の心を持っている。どんなに強い力を持っていてもソラリアは女の子なのだ。