【荒野の放浪者】

今宵は満月。
スラヴィア辺境の廃城を照らす眩しい程の月光。
崩れかけた城壁に背を預け、漆黒の動甲冑が地に腰を下ろしている。
最古の貴族の一人、黒鎧卿。傍らに剣の形をした巨大で分厚い鋼鉄の塊。
そして周囲には無数のアンデッドの残骸が散乱している。一つとして原型を留めているものは無い。
はぐれ屍人や野良屍獣の類だ。饗宴前の予期せぬ遭遇戦だったが黒鎧卿にとって前菜にもならぬ雑魚ばかりだった。
燦燦と降り注ぐ月光を浴びながら、黒鎧卿は無言のまま佇んでいた。

そこに薄布を纏っただけのダークエルフのスラヴィアンが近づいてくる。
地に積もる枯葉のように微かな足音。無意識のうちに気配を殺して歩く狩人の習性。
黒鎧卿の装着者にしてパートナー、元傭兵のゲルダ・ヴァニシュラである。
近くの小川で水浴びをしてきたのだろう。ゲルダの全身から水滴が滴っている。
ゲルダは黒鎧卿の傍に跪くと返り血に汚れた鋼の体を甲斐甲斐しく拭き清め始めた。

「その……今晩もよろしいでしょうか?」

おずおずと申し出るゲルダに黒鎧卿は無言のまま頷き、ガシャリと鎧の板金の合せ目を開いた。

「失礼します…」

衣類を脱ぎ去り全裸となったゲルダは、黒鎧卿の内部に身を横たえ目を閉じた。
再び黒鎧卿の装甲が合わさり、ゲルダの全身が暗闇に覆い包まれる。
ここ数日、夜毎営まれる儀式が始まる。


◇◇◇


ゲルダは暗闇の中に横たわり目を閉じた。
ゆっくりと息を吸い、同じ時間をかけて息を吐く。
数分をかけて呼吸を整え、身体の内部に意識を集中する。
関節、腱、体幹筋。肉体の歪みと軋みをひとつひとつ確認していく。
内臓から髪の毛の先端まで全身くまなく意識を巡らせ自分の肉体を内観する。
身体を最適な状態に保ち、常時最大の効率で駆動させる為の身体操作法の一種。
ゲルダがまだ生者だった頃、妖精郷のハイランダーだった頃からの習慣だった。
たっぷりと時間をかけて自分の肉体の内部を内観したゲルダは
次にその意識を自分の肉体を包み込む鋼に集中させた。

触れ合う肌で感じる鋼の静謐。そこに宿る巨大な神力。
最古の貴族。屍姫サミュラから力を分け与えられし原初の十一人。
全身に刻まれた無数の痕跡は気が遠くなる程の戦歴を物語っている。

黒鎧卿との出会い。あれは死都の円形闘技場だった。
居眠りをしていた黒鎧卿に気付かずに装着してしまった己の迂闊さには苦笑を禁じ得ない。
だがあの出会いが無ければ、こうして鋼鉄の暗がりに包まれて赤子の様な安らぎを感じることもなかった。
天の配剤か神の悪戯か。この運命の仕掛け人には感謝しなければならないだろう。

あれから多くの出会いと別れがあった。
サミュラ様。レシエ侯。審議候。髑髏王とその娘。そして未来のラ・ムール王。
そして今は黒鎧卿と二人きりであてどなくスラヴィアの荒野を旅している。
黒鎧卿程の実力者が何故自分の様な平凡なスラヴィアンを選んだのか今でも分らない。
黒鎧卿の「装着者」。共に旅し、共に眠り、時に一体となって戦うパートナー。
その事を考えるだけで胸が熱くなる。

身体の火照りが鎮まらない。死体に過ぎないこの身体が熱を発している。
呼吸も心臓の鼓動も全て偽物だ。流れる血も、汗も、涙も、なにもかもが。
それでも、肉体は生者であった時の記憶を忘れていないのか。
戦慄と共に息を飲む。喜びで身体が熱くなる。恐怖で産毛が総毛立つ。怒りに震え、悲しみに涙を流す。
魂と肉体の絆は断たれてはいない。それが死神の力による幻だとしても。

移ろう想いに身を委ねながら、ゲルダは黒鎧卿と一体となった己の心と体を内観し続けていた。


◇◇◇


ごとり、と重い音を立てて黒鎧卿の装甲の継ぎ目が開いた。
黒鎧卿の内部からゆっくりと起き上がったゲルダの肌は、生者の様に上気してしっとりと濡れていた。
うっとりとした表情で目を開けたゲルダは、ふと我に帰り、頬を赤らめてそそくさと立ち上がり黒鎧卿の傍に跪いた。

「あ、ありがとうございました、黒鎧卿」
「未ダニ屍人ト成ッタ自分自身二戸惑ッテイルノカ」

己の迷いを看破されたゲルダは、一瞬口ごもり恥入るように小さい声で詫びた。

「申し訳ございません。屍人に成れば生者と異なる心持ちになると聞いておりましたが
 生憎私は記憶を失っただけで心の有り様は生者の頃と変わらぬ様です……」
「ソレモマタ屍人ノ有リ方ノ一ツダ。恥ジル必要ハ無イ」
「でも、いつまでもこうして黒鎧卿に甘える訳には……」
「構ワヌ。ソレデオ前ノ心ガ晴レルナラ何時デモ来ルガ良イ」
「ありがとうございます……!」

ゲルダは黒鎧卿の隣に腰を下ろし鋼鉄の腕に頭を預けて目を閉じた。
燦燦と降り注ぐ月光を浴びながら、ゲルダはいつまでも子供のように黒鎧卿に寄り添っていた。


◇◇◇


同時刻、遥か彼方。
死都カビセラ・ポノミレスの円形闘技場。
その周囲に聳え立つ尖塔の頂上に佇む二つの影。
屍姫サミュラに瓜二つの少女と大鴉。
少女は目を眇めて歌う様に呟く。

「おやおや、あの朴念仁が他者を気遣うとは。余程あのダークエルフが気に入ったと見える」
「己の強さと闘いの勝利にしか興味が無いと思っておりましたが、分らぬものですな」
「ふふふふふ、使える。これは使える」

少女は尖塔の天辺でくるくる回りなが楽しそうに笑っている。
従者の大鴉は溜息を吐いて悪戯好きの主を見上げた。

「また良からぬ事を思いつかれましたな、我が主よ」
「いやなに、そろそろ彼女にも本格的にゲームに参加して貰おうと思っただけさ。
 なんせのんびり準備してたら折角用意した"駒"のひとつが更生しちゃったんでね」
「首なし騎士の件でございますな。かの世界から来た銃士に敗れたと聞きましたが、さて……」
「いずれたっぷりと礼をさせて貰おう。あいつとは因縁浅からぬ間柄だしねぇ」
「ところで審議候が嗅ぎ回っているようですな。姫様にバレるのは時間の問題ですぞ」
「望むところさ。どうせサミュラが参加しないとこのゲームは始まらないんだ」

長い髪の少女は突然しゃがみ込んでニヤニヤ笑いながら独り言を始めた。

「デュラは僕の支配下から離脱したか。まあ完全フリーの駒というも面白そうだから良しとしよう。 
 それならこちらの駒も少し増やしとかないとな。なにせサミュラが最初に造った十一人、今は九人かな?
 あいつらゲームが始まったら絶対サミュラの味方するだろうし。全く不敬な連中だがどうせ最初から織り込み済みだ。
 それにしてもあの銃士が『首なし騎士を解放する者』だったとは。ふふふふ、本当にこの世界は僕を楽しませてくれる……」

大鴉は憂鬱そうに眼下に広がる死都カビセラ・ポノミレスの街並みを見下ろした。
死せる者、生ける者。死都に住まう名も無き人々。誰一人これから吹き荒れる災厄の到来を知らずにいる。
"道化"として造られた大鴉は主人に言葉を返す事は出来てもその意に反した行動は取れない。

(審議候、急がれよ。恐るべき嵐が来る前に、どうか姫様に……)

少女は時折引き攣る様な笑い声を上げながらぶつぶつと独り言を続けている。
数多の人々を巻き込んで、壮大な神の悪ふざけが始まろうとしていた。


end


  • ゲルダが生粋の戦士ってのがよく分かる。黒鎧卿とお互いをどういう風に思っているか気になる。大鴉共々これからもっと登場して欲しいキャラだ -- (とっしー) 2013-09-17 23:31:55
  • 描写がえろイイな!黒鎧卿は台詞だけだったけどどんなことを考えていたのか聞いてみたい -- (名無しさん) 2013-09-20 00:02:52
  • ずっと愛撫していただけじゃないですかコレー -- (名無しさん) 2013-09-20 20:48:54
  • 一応貴族である黒鎧卿は、自身の半分を与えた髑髏王とは違った道を進みそう。ゲルダと神力を一つに融和して一心同体の鎧戦士に -- (名無しさん) 2013-09-21 00:55:15
  • ゲルダだけが依存しているように見えるけど黒鎧卿のナカはもうゲルダの形になっちゃっているんだろう?最後らへんが雲行き怪しいけどドウナンダロネ -- (としあき) 2013-09-27 21:51:08
  • ゲルダ生真面目かわいい。被造物に全く慕われてないモルテに泣けた。自業自得だけどな -- (名無しさん) 2013-10-09 01:11:12
  • スレでの話題を知っていると紳士然としている黒鎧卿ですがむっつりスケベに思えてくるので笑ってしまいますね。最古の貴族達は領地領民や大切なものにその力を注ぐのだと感じました -- (名無しさん) 2017-05-14 18:30:15
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最終更新:2013年09月16日 02:29