掃除を始めてから三時間ほど経った頃か。
バックパッカーはまだ掃除をしていた。
「あー、掃除って止め時がわかんねえよなー。
もう床は十分に綺麗といえば綺麗だけど、まだ気になるところもあるし。
むしろ床が綺麗なせいで他の汚れが際立って目立つというか」
『ピカピカ!ピカピカね!そんなに掃除が好きなの!?あははは!』
「いや、別にそんな好きってわけでも……。
話は変わるけどさ、お前はいつまで付いてきてくれるんだ?」
『陸までよ!死体になっても何が起こっても!
陸まで連れてくのが私の決めた一つのルール!あはははっ!』
そんな会話を続けていると、打ち切るように、
ガンガンガン!
と鐘の音。
「なんだ?
昼飯の合図とかか?」
『昼飯?あははははっ!
そうね!そろそろ掃除は止めにしてもいいんじゃないかしら!』
「そうだな。今日はこのくらいにしとくか。プルーノさん報告しなきゃなー」
この鐘の音を聞いて暢気にしているのはバックパッカーだけだった。
船をピリピリとした空気が包みだす。
ドタドタドタと足音が。そして声が響き渡る。
「敵襲だ!」「マジか!」「ひゃっはー!」「唄えい野郎ども!」
「矢を用意しとけ!」「第三隊しゅうごーう!」「どこいきゃいいんだ?」
「ひさびさの戦だぞ!」「勝つぞ」「血が滾るっ!」「俺の剣がねえ!」
ものものしい雰囲気に、ただごとではないと、流石のバックパッカーも悟る。
どうしたものかと見渡せば、ちょうど甲板に飛び出してくる一団が。
バックパッカーが声をかけようとしたその時だ。
ツルテンッ!
そんな擬音と共に、海賊共が、こけるこけるこける。
「なんじゃこりゃー」「床がめっちゃすべるぞッ!」「転ぶな邪魔だクソが!」
「って俺もこけた!」「なんだこの床は!」「血をよこせ!」「邪魔だあっ!」
「ちげえよ!床が悪いんだよ!」「くそったれ!」「暑苦しい!」「バカめ!」
怒声と罵声のコーラス、冷や汗たらすバックパッカー。
「………やべっ、ワックス忘れてた。
あっはっはっはっ」
『あははははははははっ!愉快!愉快ね!
ねえ!これからどうするの!?』
「………逃げるか」
バックパッカーは踵を返し、こけてる一団から離れたところへ。
ところが自分もツルンと転び、たまたまあった箱の中。
落ちた衝撃、箱を揺らして、バタンと閉じて真っ暗に。
バックパッカー頭をうって、意識もまた闇の中。
「……あたたた。何があったんだ?」
『すべってころんで箱の中!まぬけね!あはははははっ!』
「……うっせー。
そうだ、外だ、外はどうなってるんだ?」
蓋を開けようとしたが、鍵が偶然かかったか、それとも歪んでしまったのか、
どう力を込めても開きはしない。
とりあえず耳を澄ませてみると、外は怒号と悲鳴と戦歌ばかりが聞こえてきた。
戦場は始まったばかりのようだ。
「……ほとぼりが冷めるまでこの中にいよう」
『いいの?本当にいいの!?』
「外は危ないだろ」
『この中も危ないわよ?あはははっ!』
「戦いの中を歩き回る勇気はないんだよ。
残念なことにな。
つーか開かないから仕方がないだろ。
…………ん!?……うわっ!!」
急な加速度に浮遊感。バックパッカーは思わず悲鳴をあげる。
プルーノがいらない空き箱を牽制に敵船へ投げつけたのだった。
その空き箱にはバックパッカーが詰まっていたとは露知らずに。
「どっっこいしょっーー!
ふぅっ……やけに重いかんじだったなー」
「あ、あわ。な、な、なんだー!?」
『飛んでる!飛んでるわ!投げ飛ばされたのよ!あははははっ!』
「ど、どうなるんだ!?」
『そろそろ船にぶつかるわね!きっと痛いわよ!すっごく!
どうしましょっ!?あははっ!』
「脱出っ!!助けてくれ!!」
『おっけー!』
バックパッカーの周り薄皮一枚を残して、
水が箱の中を満たしていく、速く疾く急速に爆発的に!
ドゴンッッ!
ついに木箱は爆発四散。おりしも敵船真上のところ。
轟音と破片が敵海賊共に突き刺さる。
悲鳴と混乱の嵐が甲板を荒らしまわった。
そしてバックパッカーにはいかなる奇跡が働いたのだろうか。
空中で三回転半ひねり、華麗なポーズまで決めて着地。
ただし足元から骨の砕けるような音と共に。
バックパッカーの足元には、豪奢な服装をした子鬼が、首をあらぬ方に向けて泡を吹いていた。
はっとバックパッカーが回りを見渡すと、そこは地獄の中心であった。
『あははっあはははははっ!びっくり!びっくりね!!』
ガーフの船から歓声と怒号が上がる。
「おう!おう!おう!新入りが!一番槍だ!!てめぇら遅れるなぁっ!!!!」
「やるじゃねえかっ!」「痺れたぜ!」「俺たちも殺すぞ!」
「負けてらようか!」「突っ込むぞ!」「血だ!血だ!血だ!」
「殺せ!殺せ!」「ひゃぁ我慢できねえ!」「いきりたってきたぁっ!!」
バックパッカーはその歓声に気付かない。それどころではない。
周りには海賊たちが、怒りに目と刃をギラつかせていたのだ。
「あ、あははは、ふ、不幸な事故でしたね。
俺は、よ、用事があるので、ちょっと失礼させてもらいますっ」
脱兎のごとく走りだすバックパッカー。目指すは海だ。
しかし、すんなり逃げられるわけがない。
こんなことされて許すような海賊はいない。いるわけがない。
「「「逃がすかよぅっ!!」」」
「ひぃっ」
剣を持って四方八方から飛び掛ってくる海賊たち。
悲鳴をあげて逃げ出すバックパッカー。
順当にバックパッカーは殺されてしまうのだろうか。
いや、ここでもバックパッカーの悪運が悲劇を、または喜劇を巻き起こした。
さきほどの爆発四散からいまだに呻きのたうつ海賊に、
バックパッカーは足を引っ掛けられバタンと転倒する。
目前から急に消えた敵に、頭に血を上らせた海賊は対応できなかった。
剣はバックパッカーの上をすり抜け、互いに斬りつけあい刺しあうことに。
うずくまるバックパッカーに、バシャリと血が降りかかる。
「ひ、ひひ、血が、血がぁっ、ひ、
ひぃっ、ひぃっひっひっ!ひぃひひっ!ひははははははははは!!!」
やっとのことで立ち上がったバックパッカーは、あまりのことに笑うことしか出来ない。
『あはっ!あははははっ!あははははははははははははは!!!』
水の精はいつものように笑っている。
【【ふはっ!ふはは!ぐはははっ!!ぐわっはははははははははははははは!!!!】】
その様子に海賊たちは急に怯え出した。
剣雲を潜り抜けた凶運に?血をあびて笑う凶人に?
どちらも違う。
海賊たちが怯えているのは最後の笑い声。
その笑い声の主は……。
「「「「戦神
ウルサが降臨されたぞッ!!!!!」」」」
戦場が加速していく。
「終わりだッもう泥沼だッ」「げひゃひゃひゃひゃ!」「エルバが狂った!!」「すっげー切れる!」
「ダメだ!皆死ぬ!終わる!」「急に筋肉がっ!?」「ごめんよ母ちゃん…」「弾幕うすい!」「唄え!」
「許して神様!」「矢を放て!」「ウルサ様の御許で死ねるとは望外の幸運!!」「助けて!」「テンションあがってきたぜー!」
「いやだ!いやだ!」「戦歌を唄え!」「はははははっ!楽しいなあ!」「切り殺せっ!」「戦え!戦え!」
「かかったな!そいつは罠だ!」「うははははは!」「第三隊突撃!!」「この裏切り者め!」「これこそ愛だっ!」
「火をかけろ!」「最後にとっておっきの干し肉くっとこうぜ」「うひゃひゃひゃひゃ!」「血だ!血だ!血だ!血だ!」
「いまがチャンスだ!」「俺最強!俺無敵!」「ヒャッハー!!」「戦争だ!」「戦だ!」「戦だ!」
戦場が加速していく。
精霊たちもウルサに中てられ狂奔している。
海も風も荒狂っては凪いでいる。
火の玉がそこらじゅうを飛び回り、燃えてはすぐさま鎮火する。
空に海に船に土くれが沸きだし、石が降り注いでいる。
ある場所は目が眩むほど明るく、ある場所は真っ暗だ。
楽しげな恐ろしい笑い声が響き渡っている。
上空がやけに騒がしい。
何匹もの竜がいた。争っていた。
そこに鳥人の操る飛行船が狂った速度で突っ込んで行った。
楽しげな恐ろしい笑い声が響き渡っている。
水柱がいくつも上がった。
幽霊船である。船尾に海竜を食いつかせているのもあった。
あわれないくつかの幽霊船は悲鳴をあげて日光の中に掻き消えた。
幸運ないくつかの幽霊船はたまたま強大な闇の精に、または多くの闇の精に守られた。
楽しげな恐ろしい笑い声が響き渡っている。
海面が七色に染められた。
微生物が、藻が、栄養を根こそぎ独占しようと数を増やしたのだ。
それを餌とする魚や鳥が集まり、戦いを繰り広げている。
楽しげな恐ろしい笑い声が響き渡っている。
海中もまた戦場だ。
海面は藻に覆われ日光は一切届かない。
しかし狂乱して光の精と火の精によって明るく照らされていた。
飼いならした水生生物に曳かれた船がぶつかり合っている。
何隻も何隻も。
乗員は船から飛び出し戦闘を始めた。
水爬虫人、人鳥人、魚人、さまざまな種族が入り乱れている。
楽しげな恐ろしい笑い声が響き渡っている。
海の向こうから船団が集まってきた。
戦場はまだまだ加速している。
楽しげな恐ろしい笑い声が響き渡っている。
バックパッカーは泳ぎ逃げていた。
混乱の中うまいこと船を抜け出せたのだ。
藻が絡み付いてうまく泳げない。が、そんなことはかまわない。
逃げろ逃げろとバックパッカーは必死に泳いでいた。
「死ぬっ!死んでしまうっ!!
なんだ!何なんだ!アレは!!俺はアレから逃げ出せるのか!!?」
『あはははっ!残念なお知らせがあるわ!!』
「なんだ!?何が起こっても驚かんぞ!」
『さっき血を浴びたでしょ!その臭いに惹かれて大魚がやってきたの!!
それもあの時と同じ魚よ!すっごい偶然ね!あははっ!』
「ははは。そりゃすごい。すごい偶然だな」
そう言って、バックパッカーは泳ぐのを止めてしまった。
水の精は訝しげに理由を尋ねる。
『逃げないの?諦めちゃったの!?
死体はどうしよう!?
スラヴィアにもっていこうか!??あははははははははっ!』
「
アンデッドにはならねーよ。
いいか。聞けよ。これは幸運なお知らせなんだ」
『あはははっ!どうして!?気でも狂った!?絶体絶命の大ピンチよ!!』
「あの戦場で生き残れる自信はない。
だがな、大魚の飲まれて生き残る自信はある。
なんたって今のところ、生還率100%なんだからな。
ふふっ、ふはははははははははははははは!」
『あはっ!あはははははははっ!本当だわ!!あはははっ!
お腹の中って安全なのね!あははははははははははははっ!』
「『はははははははははははははははははははははははははは!!!』」
バクン!ゴックン!
一人のバックパッカーと水の精霊は大魚に飲み込まれてしまった!
精霊はともかく、人間の生存は絶望的であろう!残念無念極まりないことである!
- 箱のまま投げられた後から戦神の登場で巻き起こる阿鼻叫喚は壮絶でした。それにしても付き合いのいい水精霊ですね -- (名無しさん) 2013-04-13 19:21:11
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最終更新:2011年10月17日 12:19