「屍者の書」と呼ばれる特別な本のみが納められた地下墓所。
蝋燭の明かりの下で棺の蓋に手を掛けると、中から伸びた手が押し開け、ゆっくりと起き上った屍者があなたを見つめ返す。
彼らこそは屍者の書、死体そのものを用いて作られた伝記だ。
屍者は物言わぬ唇で己が人生を物語る。
重層鎧に身を固めた
ケンタウロスは足を踏み鳴らし、自らの武具に描かれた武勲を誇示する。
鬼族の物語は、金属でできた骨格に透かし彫られている。
ゴブリンの商人は眼窩にはめ込まれた金貨を揺らし、帳簿や証文を編んで作られた屍衣に身を包む。
ポンプと歯車で動く楽器に変えられた
ノームがかすれた声で歌えば、天井からつるされたハーピーのミイラが和する。
ラ・ムールの名だたる奴隷商人は殉死させた奴隷たちの骨を組み合わせた巨人と化し、鎖でもって全身をがんじがらめに縛られている。
もっとも手が込んでいるのはヴィオラという名の
エルフの娼婦だ。
彼女の物語は、豪華なドレスの深い襟ぐりから始まる。
文章は体の豊かな起伏をなぞり、深く入ったスリットをかすめ、やがて布地の向こうへ消える。
文章を追って服を脱がせれば、続きは下着の模様に組み込まれている。
むやみに小さい文字に目を細めながら読み進めるうちに、隠すよりむしろ強調することを目的としたジュエリーの紙面はやがて尽き、滑らかな肌を侵犯していく。
脇に、腿に、腹に、背中に、臀部に、胸の谷間に、そして秘裂の奥底に。
あらゆる場所に、あらゆる角度で記された文字を読み進めることは、彼女にのしかかり、裏返し、やがては一つに絡まることと同義だ。
そのうちに、彼女の肌は色を帯び始める。
屍者の白から、生者の薔薇へ。
血色の中に浮かび上がるのは今しも絶頂に達しつつある彼女の人生そのものだ。
ピリオドは舌にはめ込まれたダイヤモンドであり、物語の余韻を文字通り味わうことができる。
屍者の書は、すべてある一人の作者の手になるものである。
その正体は秘され、ただ”アノニマス”との名が奥付に記されるばかりである。
故人の詳細かつ正確な伝記を語ることから、入念な調査を欠かさない高度な技能者であることはうかがえる。
匿名者の集団ではないかという推測もある。
本文庫はマルカヴ伯なる吸血鬼の居城に存在する。
マルカヴ伯は完全に発狂しており、作者の正体や入手経緯を問うことは不可能である。
伯爵は温和な人柄ではあるので、見学や滞在の申し出は快く受け入れられることだろう。
但し書き
文中における誤り等は全て筆者に責任があります。
千文字。
- 刻み込まれた数々の物語を想像してしまった。語り部とも違うスラヴィアならではのホラーブック -- (名無しさん) 2014-08-31 21:28:27
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最終更新:2014年09月07日 00:23