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【彼女がやってきた日1】

「シスター、今日までお世話になりました」

 早朝、向かい立つ尼のような装束を身に付けた隻眼隻腕の初老の狗人女性に向かって、深く頭を下げて感謝の言葉を言うのはまるで少年のように短い赤毛の交じりの栗毛の髪に赤銅色の肌をした少女。

「大げさだねぇ、もう会えなくなるわけでもなし」

 そんな彼女の姿に苦笑いを浮かべつつ、その人生が決して平坦でも安楽なものでもなかったことを物語る深い皺の刻まれた目には、うっすらと涙で滲んでいる。

「いや、でも、なんかケジメが必要かなーって思って」

 そう言って顔を上げた少女、その髪型のせいもあってか広く見える額には小さいながらも二本の角、ニシューネンでは珍しい赤鬼族の少女は目尻に小さな涙の玉を浮かべながら、それでも犬牙の発達し頑丈で歯並びの良い白い歯を剥いてニッと笑ってみせた。

新天地のニシューネン市にシィという少女が暮らしている。家名はない、彼女は10年前の冬にどういった理由があってかネア大聖堂の前で母娘そろって行き倒れているのを教会の関係者によって発見され、母親のほうは手遅れだったが娘のシィのほうは命を取り留め、その後はネア大聖堂が運営する孤児院『星の家』で育った。
それから10年、13歳になった彼女はこの日、新しく住み込みで働くことが決まった働き先へと転居することとなり、それは長く暮らした孤児院を巣立つということであった。
ネア大聖堂はニシューネンではシンボルマークとなるほどであり、ニシューネンという街の成り立ちにも深く関わる関係などから街の人々からの寄付などもそれなりに得ている。それらはネア大聖堂が運営する孤児院『星の家』の運営費となっているのだが、新天地の中では比較的治安も経済状況も安定しているニシューネンにおいても孤児の数は多く、それらを一手に引き受けている『星の家』はあまり余裕があるとは言えない、そのため孤児院で暮らせるのは14歳までと定め、それまでに働き先を見つけ、孤児たちは巣立っていくというのが通例となっている。

「でも、本当に良かったのかい? まだ一年ここにいられたんだよ?」

 彼女が本来『星の家』で暮らせるのは14歳まで、しかし、彼女はは13歳でここを離れることを決心した。

「いやぁ、だって住み込み三食賄い付きで週の御給金は海賊銅貨10枚ですよ? ここで逃したら次にこんな条件あるかわからないじゃないですか? それに向こうには前に何度か働きに行ったこともあってマスターも女将さんもどんな人か知ってるし、こりゃ行くっきゃないって思うじゃないですか」

 そう言って少女はニヒヒと笑う、海賊貨幣はこの世界ではラ・ムールが発行する海運貨幣に次いでメジャーな貨幣であり、住み込み賄い付きで週に銅貨10枚というのは女性、それもまだ成人前の働き手にとっては破格と言ってもいい条件、しかし、それは理由の半分でしかない、もう半分は彼女が早くこの孤児院を離れれば、空いた彼女一人分のベッドに別の誰かが夜の寒さや飢えに震えることなく眠ることができる、そう考えた上でのことだということを、向かいあうシスターはわかっていた。

「まったくマセた子だね。まぁ、シィならどこでだって一人前になれるさ、だけど、体にだけは気をつけるんだよ」
「はい、お休みもらえたら手伝いに来ます」
「あぁ、うちはいつだって人手不足だからね、来るならお客さん扱いなんてしないよ、ビシバシとコキ使ってやるからね」
「うわぁ、なんだか急に里ごころが萎んじゃうなぁ」

そう言い合って二人は静かに笑い合う、生活の場は違っても同じ街の中で暮らしていくということもあり、湿っぽさのないサバサバとした別れの挨拶。

「それじゃ、もう行きますね、そろそろ他の子が起きてくるだろうし」

 そう言ってシィは足元に置いていた私物の入った布袋をヒョイと持ちあげる。

「あ、モニクとジジのことですけど……」

 モニクとジジとは孤児院でシィが手を焼いていた悪ガキと、彼女を実の姉のように慕ってベッドでは常に彼女と添い寝するようにしてでしか眠れなかった少女のことだ。孤児院を離れるにあたってこの二人のことがシィの心配事だった。

「モニクは食いしん坊だからシチューが少し多くなるかもと言っておけばいいさ、シィがいなくなってしばらく暴れるだろうけど、まぁタンコブしこたまこさえればおとなしくなるだろ、しかし、ジジはね……」

 モニクに関しては男の子ということもあってぞんざいな事を言うシスターもシィが孤児院からいなくなった後のジジのことは心配らしく、少々顔を曇らせる。

「それでなんですけど……これをジジに渡してください。ボクの代わりというにはなんですけど……」

 そう言ってシィは布袋の中から小さな人形を取り出し、それをシスターに手渡す。

「余り布で作ったので、あんまり上手く出来てないですけど」
「いやいや、上手に出来てるじゃないか。あぁ、ジジに渡しておくよ」

 シスターに手渡されたのは布の切れ端などを再利用してシィが手縫いして作った人形、赤毛と角のような飾りのある女の子の人形、それをシスターは目を細めて少しの間眺め、それを僧衣の袂に大事に仕舞う。

「それじゃあ、本当に、今までお世話になりました」
「あぁ、後のことは心配せず、新しいところでがんばるんだよ」
「はい!」

 こうして、まだ薄暗さのある夜明け前、一人の少女が静かに巣立って行った。



 ニシューネン市の商業区、入り組んだ路地に中小の商店や飲食店が密集するように軒を連ねる一角、そこにフタバ亭という店がある。 酒場兼宿屋ということになっているが昼前から店を開けている。店のメニューは『本日の酒 本日の定食』としか書かれておらず、それ以外は店主に注文して、その材料があれば提供されるという風変わりな営業スタイル、それほど繁盛しているというわけでもないが、足しげく通う常連客でそれなりに店はうまくいっているという、そんな店だ。

「おはようございます! 今日からお世話になります!」

 昼前、フタバ亭の主人であるシメイが『営業中』と絵と文字で書かれた立て看板をもって店の外に出ると、それを待ち構えていたようにハキハキとしたシィの声が辺りに響く。

「……」

 この世界ではまだ珍しい地球から持ち込まれたサングラスを掛け、剃りあげたスキンヘッドに口髭、彼の人柄を知らぬ者が見れば十中八九たじろぐオーガとしても並み以上に恵まれた体格と風貌から威圧感に近い存在感を発するシメイは、手に看板を持ったまま、まるで最初からそこに聳えていた巌のように静止し、サングラスの奥から彼女を射抜くような視線だけが向けられる。

「え、あ、あの……?」

 思っても見なかった反応にたじろぐシィ。

「あ!もう来てくれたの!?てっきり昼過ぎくらいに来るのかと思ってたのに随分早いのね!」

 その重苦しい空気を吹き飛ばすように、シメイの背後から快活そうな声と共にシメイからすれば小柄だが、シィからすれば充分に大きな人影が現れる。

「ちょっとアナタ、いつまでそこに突っ立ってるつもりなの? デカい図体で店の入り口塞がないでよ」

 ハスキーな声でそう言いながら、シメイの巨体を押しのけるようにしてシィの前に現れた人物、それは腰まである銀糸のような髪を三つ編みに束ね、左頬から首筋にかけて鉛色の肌に白く海賊紋と呼ばれるドニー・ドニーの海賊が彫り込む独特の刺青をした長身の黒鬼の女性、シメイの伴侶であり風変わりなフタバ亭がそれなりに切り盛りできている理由でもある豪快にして快活なる女将、ナマラその人だった。

「……お前か?」

 シメイはシィと自分の妻を交互に顔を向けながら見比べ、そして小さく呟くように自らの妻に向かって問う。

「そうよ。この前ヨンバ婆にお腹の子供のことで診てもらったってのは話したでしょ?  そしたら初産なんだからお腹の子供のためにも安静にするようにって口を酸っぱくして言われて、でも私が店に出られなくなったらアナタだけじゃ店が回らないでしょ? これは困ったなって私も考えたわけ、じゃあこの際だし星の家から誰か給仕の仕事が出来る子を住み込みで雇おうって思い付いたの、我ながらなかなかに冴えてるでしょ? 私は子供を産んでもしばらくは子育てで店には思うように出られないだろうし、さっそく星の家のシスターに話しをもちかけたらこの子が来てくれることになったってわけ、ほら、この子は前に何度かウチに手伝いに来てくれたことがあるでしょ? マジメでよく働いてくれたし、仕事の覚えも早いかったし、これはイイ子が来てくれることになったなーって思ってこの子にお願いすることにしたのよ。あぁ、この前アナタに片付けてもらった部屋、あそこに住み込んでもらうから、部屋は私が案内するからアナタは外の掃き掃除でもしててちょうだい」

 まるで軽快に風を受け波を割って進む快速船のように、矢継ぎ早に次々と飛び出す言葉にシィが唖然としていると、その肩をポンと掴まれ、何事かとシィが問うよりも早くグィとその体を引き寄せられ、そのまままるで小荷物でも小脇に抱えて運ぶようにしてシィはナマラに抱えられるようにして店の中へと連れ込まれてしまう。

「そうか……わかった」
 そんな光景をサングラス越しに追いながら、シメイはすでに二人の姿の無くなった入り口で小さく呟き、手に持ったままだった立て看板を改めてその場に置き、店先の掃除をするべく箒と塵取りを取りに店の中へと再び入っていった。


「さぁ、ここが今日からシィちゃんの部屋よ!狭くて申し訳ないけど許してちょうだいね」

 そう言ってシィがナマラに抱えられるようにして連れてこられたのはフタバ亭の二階にある三部屋のうちの一番奥、他の二部屋に比べて間取りが狭く、また日当たりも若干悪いためについ最近まで物置として利用されていた部屋だが、今は机としても利用できる収納家具と二段ベッドの置かれた立派な部屋となっている。

「あの……二段ベッドってことは、私以外にも?」

 部屋の入り口で床に下ろされたシィは促されるままに部屋の中へと入り、室内を素早く観察し、まず気になったことを口にする。

「あぁ、違うのよ、あの人が何を勘違いしたのか二段ベッドにしちゃっただけ、まったく気分が乗ったからとか言って余計なことするんだから困るのよね、邪魔なら上のは今度とっぱらってもらうから、それまでは我慢してもらえる?」
「あ、いえ、そういうつもりじゃ……」

 そんなつもりで言ったわけではなかったが、図々しいと思われたのではないかとシィは内心冷や汗をかくが、ソロリと表情を伺ってみても別に気分を害した様子はないことに密かに胸をなで下ろす。

「掃除は3日くらい前にしてるんだけど、気になるなら言ってちょうだいね」
「はい、何から何までありがとうございます」
「いいのよ、こっちとしては本当に来てくれて感謝してるんだから、それにさっきのあの人の顔見たでしょ?もぉ傑作、久々にあんな顔してるの見たわ、あの顔が見れただけでも今週分の御給金あげちゃいたいくらい、もちろん冗談よ? さすがにこんな小さな店だからちゃんと働いてもららないと困るから、これからがんばってちょうだいね、それじゃ、私は店の仕事があるから下に降りてるわね、今日はゆっくり荷ほどきに使ってちょうだい、仕事は明日からでいいから!」
「え!?」

 またしてもナマラの矢継ぎ早な喋りに面喰っていたところでの今日はお休みという言葉にシィが戸惑い声を上げた時にはすでに遅く、階下へと駆け下りて行く音と「おい!?」というシメイの慌てるような声、そして「大丈夫よ、これくらいで鬼の子が流れたりなんてしないわよ」という声が聞こえてくる。

「ハァ……、ゆっくり荷ほどきって言われても、荷物なんてこれだけしかないしなぁ……」

 改めて布袋に入った荷物を取り出して確認してみる、下着が二枚、替えの服が上下一着ずつ、それ以外は細かな生活用品がいくつか、本当に必要最低限のものだけ、一度ベッドの上に広げ、それを収納家具の中に仕舞う、所要時間は微々たるものだ。

「掃除は、する必要なさそうだし……」

 あらためて部屋を見回してみる、床もベッドも几帳面に清掃され、わざわざもう一度掃除をする必要はなさそうだ。

「引っ越し完了。女将さんは今日はお休みだって言ってたけど……逆に居心地悪いんだよね……」

 階下からは酒場としてのフタバ亭が営業開始し、昼時も近くなってきたということもあってか来店した客とナマラが会話している声が聞こえてくる。

「よし!手伝おう!」

 そうと決まれば善は急げ、シィは腕まくりをして騒がしくなりはじめた階下へと駆け下りていく。

「私、手伝いますね!」
「あら、休んでていいのよ?」
「それはこっちのセリフですよ!女将さんがそんなだと、私が雇われた意味がないじゃないですか!」
「お?なんだいなんだい?そこのカワイイ子は新人さんかい?」
「はい!今日から働かせてもらうことになったシィと言います!」
「ちょっとヨルハさん、シィちゃんがカワイイからってお触りしたら許しませんよ?」
「おぉ怖い怖い、女将さんが怖いからエールもう一杯!」
「はい、毎度~。それじゃシィちゃん給仕お願いできる?」
「はい!がんばります!」

こうしてフタバ亭でのシィの新しい生活が始まった。そして、この店にさらにもう一人、新たな仲間が加わるのだが、それはまだちょっとだけ先の話である。




  • フタバ亭の面々を1から見るというのはありそうで中々出てこなかっただけに新鮮。以前に出ているSSやスレネタなども合わせていて感慨深い。一生懸命で温かい楽しいフタバ亭のはじまりを感じさせる一本だった -- (名無しさん) 2014-11-20 23:31:01
  • ネーミングセンスいいね。スレ語りは多くてもSSになるネタって限られてるから時系列追うように話ができあがると想像しやすい。シィちゃん元気っ子 -- (名無しさん) 2014-11-21 21:04:36
  • キャラと背景がしっかりしてる。ハウス食品の世界童話シリーズみたいなあたたかい空気だ -- (名無しさん) 2014-11-26 19:52:06
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最終更新:2014年11月20日 23:23