【シキョウ&スイメイ ○ ― ●  セイラン&テンコウ】

 控室に入り、会場からの歓声が聞こえてくるようになって、セイランは貧乏ゆすりが止まらなくなった。
 用意された椅子に腰かけ、与えられた武闘着の袖をいじりながら、セイランはカタタ、カタタタとつま先で床を打ち続けた。足元に寝そべるテンコウが、飽きもせず目で追いかけてくる。落ち着きがなくみっともない。セイランとて百も承知であり、にもかかわらず止められないのである。
 ――本当に戦うんですね、この私が。
 実感は、震えとなってやってくる。
 チャンバラごっこですらない棒きれ遊びがセイランの経験のすべてである。ただでさえ心もとなく、そのうえ相手は二人とも歴史に名を遺した武人である。大勢の観客を前にして、たまたまセイランのご先祖様でもある相手と、ほとんど八百長に近い試合を繰り広げる。すっきりしない。勝手のわからぬ遊戯の勝敗に全財産を賭けるがごとく、何をやっても場違いに思われてくる。
『大丈夫ですよ、公主様。わたくしとテンコウ殿が、必ずなんとかいたします』
 ――大師はあんなこと言ってましたけど。
 セイランは椅子に立てかけた包みを手に取り、ゆっくりと解いた。姿を現したのは、細身の黒い剣である。柄も、鍔も、刀身までも黒一色の艶消しである。握りはセイランの手にあわされて小ぶりに作られ、まるで羽毛のように重さがない。いとも無造作に膝の上に置くことができるのは、刃が潰されているためである。重しのように剣を置いて、ようやくセイランの貧乏ゆすりは鳴りを潜めた。
 この剣こそは、大師の秘策である。この剣でもって、セイランはシキョウに、『三千器械』の勝負を挑むのだ。
「わあああ」
 ついと顔を上げると、そこには鈴の子が出現している。全身至る所から鈴をぶら下げたちびっこは目にも留まらぬ速さでセイランの膝にすり寄ると、黒剣に顔を近づけて目を輝かせた。
「すごーい! かっこいいです!」
「ありがとう」
「おねえちゃんもかっこいいです! ねえ、テンコウ?」
「ほそむ」
「ですよねー!」
 きゃいきゃいとはしゃいで音もなく鈴を揺らす、セイランはこの子が少々苦手である。
 一つには、この子の名前のことがある。なんとセイランと言うのだそうである。紛らわしいことおびただしいこの名前を付けたのはメイリンであり、なんとなれば、メイリンはこの子の母親だからだそうである。


 三日前、ゲートをくぐって時を超え、スラヴィアにやってきたあの日、シキョウと別れたセイランたちはメイリンと合流した。メイリンはテンコウと逃げた鈴の子をぶら下げており、首を傾げたセイランたちに、自分の子供が付いてきてしまったのだと言いにくそうに明かした。
「ごめんなさい。本国で留守番するように言いつけてきたのに……」
「るすばん、いやです!」
 そう鈴の子はのたまい、セイランもこれにはうなずかざるを得なかった。見たところ鈴の子は四歳かそこら、母も恋しい盛りだろうし、何よりお祭りなのである。留守番を命じられたらセイランとて策を練る。そこでセイランは鈴の子にげんこつを振り下ろそうとするメイリンをとりなし、すると鈴の子はセイランに体当たりしてきて、全身をじゃらじゃら言わせながら「ありがとうございます!」となつくのであった。
 セイランが名乗ると鈴の子は意味ありげにメイリンを見上げ、メイリンは何やら視線を彷徨わせる。その様子を見て鈴の子は「なまえはひみつです!」ととび跳ねた。
「どういうことですか、メイリンさん」
「メイリン? はあああ、そうです! お母様の名前はメイリンです」
「そ、そうね。その通りよ」
「じゃあ、じゃあ、ええと! そうだ、わたしのなまえはセイランです!」
 セイランはあっけにとられたが、メイリンがそれはもう言いにくそうに「一応未来のあなたが付けたようなものよ」と付け加えたので何も言えなくなってしまった。名付け親になる運命だというなら仕方がない。それでもセイランは、未来の自分を恨まずにはいられなかった。未来の自分は、名前を考えるのが苦手なようである。
 早々に名前を呼ぶのをあきらめたセイランは鈴の子というあだ名を考え、これは本人も気に入った様子である。ちょろちょろとまとわりつく姿はなかなか可愛げがあり、どこで習い覚えたのか難しい言葉を意味も分からずさえずることもある。見ていて飽きない、面白い子供である。小さな妹ができたようで、実のところ、呼び名に困るほかに実害は薄い。


「こら、メ―ーセイラン、お姉ちゃんを困らせちゃダメでしょ」
 控室の入り口からメイリンが姿を現した。苦笑いしているのは、呼び名が紛らわしいためである。母子はそろってセイランにまとわりつき、衣装を直したり、冗談を言ったり、軽食を勧めたりした。緊張しきりのセイランも、テンコウに潜り込もうとする鈴の子の姿には目を細めた。ふと肩に手が置かれ、見るとメイリンがほほ笑んでいるのだった。
「大丈夫よ、あなたならできるから。リラックス、リラックス」
「りらっくす?」
「ああ、気を楽にしてって意味よ。外来語」
「そうですね」
 実のところ、緊張する理由もないのである。対戦相手は工作の甲斐あったとのことでシキョウに決まり、そのシキョウは本気を出すつもりなど毛頭ない。要は八百長であり、セイランの役目は、散々盛り上げた末に負けることである。剣劇の斬られ役である。実のところ、シキョウが適当に演武を披露するだけでも場は成立するだろう。セイランはただの賑やかしなのだ。
 だからいいです、りらっくすします――そんなセイランの言葉は、思いのほか真剣なメイリンの目つきにぶつかって立ち消えた。
「賑やかしのために連れてこられた、なんて考えないで頂戴ね。セイラン。自分の役目を忘れないで。あなたの仕事は、二人を連れ帰ること。二人を説得することよ」
「――難しくないですか。あの二人の問題は、私が手を出せることなんですか」
「出すのよ。弱腰になっちゃだめよ。ガツンと言ってやんなさい。それで納得してくれればよし、ダメならぶんなぐるまでよ」
「ぶんなぐるのは余計に難しいですよ」
「ぶんなぐるのは手段の一つよ。ぶんなぐるほど気持ちが高ぶってますってことは伝わるでしょう? とにかく、気持ちを伝えるのが大事なのよ! ぶつかりなさい、セイラン!」
「お母様かっこいい!」
 拳を突き上げて鼻息も荒いメイリンに、鈴の子が手を打ち合わせる。そのままテンコウから体を半分出してキャーキャー転がる様子に、セイランはぽかんと口を開けた。意図せず撫でた黒剣が、その通りだというように小さく震えた気がして、セイランは口元を緩めた。
「そうですね。頑張ります」
「その調子!」「ちょうし!」
 そうして騒いでいるうちに、屍人の係員が時間を知らせた。メイリンとテンコウを引き連れ、セイランは会場への細い通路を歩み、その間中鈴の子は文字通り周りを飛び回っていた。あまりの身の軽さにセイランが目を瞠ると、テンコウが足元にすり付いて鳴いた。セイランは小さく頷いた。自分も負けてはいられない。
 そうして、通路の終わりがやってきた。夜闇の中に照明が輝く、大ゲート比武の特設会場である。
「セイラン」
 振り向くと、メイリンは気づかわしげに眉をゆがめ、驚いたことにセイランを抱きしめた。数秒ほどもそうしていると、鈴の子もおずおずと進み出て、セイランの背中に張り付いた。ぬくもりが、セイランを前後から温めた。
「がんばってね」
「はい」
「気を付けてね」
「はい」
「何が起きても慌てないで。絶対大丈夫だから。大師を信じて」
「はい――え?」
 それはどういう――と問い返そうとしたときにはもう、メイリンは体を離していた。鈴の子を抱き上げ、笑顔で手を一振りして、メイリンはあっという間に通路の向こうへと走り去って行ってしまった。
 茫然と見送ったセイランは、係員に促されて、テンコウとともに会場へ足を踏み入れた。
 耳を叩く喧騒が、セイランの心に生まれた懸念を吹き消した。



 昼間のように明るかった。
 階段状の観客席はぐるりと円を描き、その中心には擂台が配されている。膝ほどの高さに積み上げられた円形の石舞台に飛び乗り、セイランはたたきつけるような歓声を全身で受け止めた。テンコウが小さくくしゃみをした。
 擂台の上に広がっているのは、武器の森だ。
 架にかけられた剣が列をなしている。何本もの槍が、飾り布をたなびかせて旗竿のように翻る。金棒、多節昆、大斧、打狗棒、盾、爪拳、その他セイランには名前もわからぬ無数の武器がひしめき合っている。すべてはこの対戦のために用意された『三千器械』だ。
「来たな」
 刃の森に開けた中心には、二つの影が佇んでいる。
 飄々として朗らかな男はシキョウであり、そのシキョウに影のように寄り添う女はスイメイだ。スイメイが腰に剣を吊っているほかには、二人とも徒手である。シキョウが一面の武器に向かって腕を広げた。
「すげえもんだろ。これだけ準備させるのには苦労したそうだ。だが、ゲートとやらのおかげで本国から直接持ち込めるからまだましだった。ありゃ相当便利なもんだな。期間限定と言わず、いつでもあけときゃいいように思うが、まあ、俺が口出すようなことでもないか」
 シキョウがぱっと手をあげる。どおん、と太鼓の音が響いた。擂台の脇に居並ぶ鼓手たちは、シキョウの合図に合わせて音をとどろかせた。
「この通り、太鼓もある。そしてこれが鈴だ。そら」
 ひょいと放られた鈴を、セイランは受け止めようとした。利き手に持っていた剣を離すわけにもいかず、伸ばした反対の手はつるりと滑って、セイランは「わわわ」と鈴をお手玉した。黒剣がつるりと滑り――セイランがあっと思ったときには、黒剣は何の支えもなく地に直立している。セイランが鈴を手中に収めると、黒剣はするすると伸びて槍に形を変えた。慌てて柄に縋り付くと再び縮んで、剣へと戻る。シキョウが、そしてスイメイすら目を丸くした。
「なるほどな。それがお前の武器か。だから『三千器械』だな?」
「ええと、そうです」
 腰に回した紐に鈴を結び付け、セイランはまなじりを決して、恐る恐る構えを取った。剣はセイランの中でつるりと動き、シキョウをぴっと指示した。
『公主様、ご挨拶を』
「よろしくお願いします!」
「おう、こちらこそ」
 シキョウはうれしげに口の端を吊り上げ、スイメイは小さく顔を反らした。



 太鼓、鈴、できるだけ多くの武具、すなわち器械。これこそ、『三千器械』の要素である――大師はそのように説明していた。
『これは、比武のために他ならぬシキョウ様が考え出されたものです。多くの武具に通じ、起点と駆け引きに優れた者が勝者となります』
 さまざまな流派が並び立つ大延国武林においては、使用される武器もまた多彩である。一つの流派が複数の器械を扱うことも珍しくなく、『才八手』、すなわち八つの武器を使いこなして初めて名人のうちという言葉もある。
 用法を知ることは対策を得ることに等しく、知識は力に直結する。『三千器械』はつまるところ知識を競う勝負である。
 対戦者は鈴を帯び、太鼓によって区切られる持ち時間のうちに攻め、守る。用意されたいかなる武具を用いてもよいが、一度自分の手番で用いた武器には先端に鈴が結ばれる。身体の鈴、武器の鈴、いずれを落とされても敗北となる。
 次々と武器を持ち替え、制限時間のうちに相手を追い詰める。三千器械とは、そうした比武である。



「三千器械か」
「そうだ」
「お前の思い付きか」
「いや」
「そうか」
 シキョウとスイメイがお互いの体に鈴を結わえ付けあうそう長くもない間、セイランは気づまりな気分を味わっていた。スイメイはこちらをちらりとも見ない。周囲の喧騒に対してもただ煩わしそうに視線を投げるほかには関心を持たず、ただシキョウを見つめるばかりである。たまらず、セイランは声を上げた。
「あの、スイメイ、さま」
 ぐい、とスイメイの瞳が動いた。言葉もなく見つめ返す視線の冷たさに、セイランはたじろがずにはいられなかった。
「おいおい、そうにらんでやるな。お前の子孫だぞ」
 シキョウの言葉に、スイメイは顔をそむけた。その横顔が、わずかに熱を帯びた。
「こんな子供相手に勝負か」
「悪いか」
「――勝負になるまい」
「そんなことはないぞ。結構楽しめそうだ。なあ、セイラン」
「あ、はい」
「時間の無駄だ」
「そんなことはないさ。それで、何だ、セイラン」
「いえ、あの、もういいです」
 ――スイメイはなぜ出場したか。
 セイランの知る限りでは、神に見込まれてのことだという。金羅さまの制止を振り切り、時を超えさえしたのだから、よっぽど強い意志をもって参加しているのだとばかり思っていた。ところがこうして相対してみれば、スイメイの様子はいかにも気乗りが薄い。それがセイランには不思議であった。
「気にするな、セイラン。お前のことを心配してくれてるのさ。怪我でもしたらことだ、てな。そうだろ、スイメイ」
「――その通りだ。さっさと終わらせてやろう。鈴を取ればよいのだな」
「そうだ」
「こちらは二人がかりか?」
「いや。攻守一回こなしたら交代しよう」
「先攻はどちらだ」
 スイメイは手近な剣を手に取った。細身の刀身を持った短剣。重心を確かめるように傾けながら、スイメイは気のない様子でシキョウに視線を注いでいる。シキョウが顎を掻いた。
「そうさな。どうする? お前から来るか、セイラン」
「そうですね」
 ――『先攻はお譲りなさい』
 そう大師は言っていた。『向こうがどれほど力を入れて臨まれるかを見せていただきましょう』
「一手ご指南願います!」
「では」
 スイメイの言葉が届いたとき、セイランの体は空中にあった。
 セイランの耳に聞こえたのは、チン、と鈴の鳴る音だけだった。スイメイが踏み込む姿も、短剣を突き出す閃きも見えなかった。セイランの黒剣が勝手に動き、スイメイの刺突を叩いて逸らし、即座に翻った短剣が流れるように守りをかいくぐる攻防を知ることはできなかった。セイランの腰をかすめた刃が腰の鈴を叩き落とし、そこにテンコウが飛びついて飲み込み、セイランの首根っこを摑まえて後ろに跳躍したことにも気づかなかった。つま先が地に触れ、テンコウがしっかりしろとばかりに吐き戻した鈴を押し付けてきて初めて、セイランは攻撃されたことを知った。
 いまや数丈の向こうにあるスイメイは、目を丸くして首をひねっていた。鋭い視線がセイランを射すくめ、それを防ぐようにセイランは剣をかざした。黒剣がどくん、と脈打ち、セイランの意思とは無関係に守りの構えを取った。スイメイがいらだたしげに短剣を構えなおし、その身が小さく沈み――
「そこまでだ、スイメイ」
 どんどんどん! と太鼓がなった。まるで「そうだそうだ」と賛成しているように思われて、こんな時だというのに、セイランは笑ってしまいそうになった。ようやく事態に追いついたのか、会場がどう、と沸いた。シキョウはスイメイの肩を押さえ、短剣を取り上げると鈴を結んだ。
「こっちの持ち時間は終わりだ。次は向こうの番だぞ」
「シキョウ――」
「いや、うれしいね。お前もなんだかんだで付き合ってくれるみたいじゃないか。今の突きなんかすごかったな。碧震剣の『落花騒葉』か? だがまあ、物騒な手だな。お前だから当てることはないだろうが、それでもヒヤッとしたぜ。ああ、それとセイラン」とシキョウはもの言いたげなスイメイを制した。「びっくりしたな。お前が防げるとは思わなかった。どうやら、それなりの用意はしてきたらしいな?」「はい!」「よーし、確認するが、俺たちは二人一組、一度に出るのは一方だけだ。どちらの鈴を落としてもいい。本当はお前のぶんの持ち時間だけ長くしてやるつもりだったが、そんな配慮はいらんか」
「えと、いえ」
「頼もしいな。よし、ではセイラン、お前の番だ。武器を選ぶがいい!」
『では、こちらなどいかがでしょう』
 とくん、とセイランの手の中で黒剣が震えた。刀身が伸び、先が鉤のように曲がり、手元に三日月の刃が生えてみたこともない武器に変じた。シキョウが愉快そうに笑った。
「ほう、弧刃鉤か。珍しいのを知ってるじゃないか」
 シキョウは即座に武器架の一つに飛びつき、セイランのものと寸分たがわない武器をつかみ上げた。
「こいつは易州は甜谷派の武器だ。見ての通りの変り種、防御と武器落としを得意とする。こいつの使い方を覚えるにはひと悶着あってな。聞きたいか?」
「はい!」
「スイメイはどうする? お前の話もしていいか?」
「――勝手にするがいい」
「よし。さあ来い、セイラン!」
「ふにいいいい!」
 セイランが一歩踏み出すと、テンコウがセイランの体にまとわりついて包み込んだ。次の一歩は風をはらみ、更なる一歩は浮くように軽い。鈴のこのやり方に手がかりを得て、テンコウはセイランと一体化を果たしていた。
『参りましょう』
 セイランの手の中で弧刃鉤が震えた。深呼吸ひとつ、セイランは不安をすっかり吐き出し、自信を胸いっぱいに吸い込んだ。
 大丈夫、とセイランは頷いた。一人ではない。大師も、テンコウも、シキョウでさえも、皆が助けてくれている。
「いきます!」
 掛け声ひとつ、セイランは待ち構えるシキョウに向けて飛び込んでいった。






 但し書き
 文中における誤りは全て筆者に責任があります。
 独自設定についてはこちらからご覧ください。
 また、以下のSSの記述を参考としました。
 【続・その風斯く語りけり】

 四周年企画・スラヴィア大バトル大会における対戦カード シキョウ&スイメイ ○ ― ●  セイラン&テンコウ

  • 色々と仕掛けや作戦を持って来たセイラン。スイメイもとりつくしまもありそうでルール上でも勝ちの目がちょっと見えてきたので次回どうなるか楽しみ -- (名無しさん) 2015-06-25 22:19:08
  • お助けキャラとアイテムで盛ったセイランだけども贔屓目で見てもまだまだ相手一人の方が分があるなぁって次回は昔話から始まるんだろうか -- (名無しさん) 2015-06-26 09:12:38
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最終更新:2015年06月24日 21:32