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【鯨都 -9品目・最後のお土産、金平糖-】

微睡むように凪いだ大洋。そこから小島のように浮いた鎧鯨。周りを囲む屋台たち。
その全てが群青よりももっと深い青、藍色に彩られている。
陽が欠伸混じりにようやく昇り始め、世界が暗闇から光満ちる場所へ回帰しようとしている時間帯だ。当然の暗さだった。
さすがにこの時間帯は賑やかな鯨都も大人しい。夜を床に就いた者はまだ眠りの中。酒を飲み明かした者は酩酊の中だ。
海上の風もほぼ無風とくれば、波音すら唇を引き結んで大人しくしている。
鯨都、最終日。夜明けの始まり。朝の霧に包まれた祭りの舞台はまだ安眠の中にいた。
しかし中には既に動き出している者もいくらかはいる。それはそういう生態だったり、そういう仕事だったり、そういう用事がある者たちだ。
今、この静寂を微かに乱す音がある。みしみしと木の軋む音。
それは即ち、重たい積荷を背負った木船が息を切らせて海原を進む音であった。
緊張の面持ちをした鱗人たちが櫂を何度も往復させて漕いでいく。その手付きはあくまで慎重で、まるでなるべく音を立てぬようにしているようだった。
考えてみれば不思議な話である。
このような重荷の運搬は海中の水精霊に頼めばいいのだ。水であり、海流である彼らの力は人間ひとりのものとはわけが違う。
積荷が濡れないようにしたければそれも水精霊の力を借りればいい。特にミズハミシマの水精霊は人間に協力的だ。
同じく海を生活圏とするドニー・ドニーは水精霊の気性が荒々しく船を使ったほうが安定するが、そういうことはミズハミシマでは考えにくいことであった。
確かにそれらとは別の用途があり、ミズハミシマでも船はどこにでも浮いている代物だが、こと小舟に乗る程度の荷運びという点ではそういうことになる。
まるであえて水精霊の協力を得ようとしていないかのような、そんな不可解さがその木舟にはある。
「………しかし、いやに霧が濃いな………」
船上の鱗人のひとりが不安を紛らわすかのようにぽつりと呟く。
静かにしろ、と小さく叫んだ他の鱗人が、しかし分かる話だと小声で話を続けた。
「そうだな。朝靄にしては度が過ぎている。視界もぎりぎり見えるか見えないかというところだ。全くついていない」
「せっかく夜目の効くやつを連れてきたのにまるで意味がなかった。お陰で夜明け前に終わらせるはずがこんなにかかっちまった………」
「まぁいいじゃないか。これで最後の荷だ。このままさっさとずらかれば長い苦労も報われるというもんだ。そら、見えてきたぞ」
船頭にいた別の鱗人が励ますように後ろの鱗人たちへ声をかける。彼の言う通り、確かに前方には霧に覆われた船が見えてきていた。
中型の貨物船といった様相だ。なかなかしっかりした作りで速く走りそうである。
その上から木船へ積荷を引き上げるための頑丈なロープを投げたのは鱗人ではない。赤銅色の肌をしたオークだ。
投げられたロープは速やかに鱗人たちによって積荷へ括り付けられ、あっという間の手際の良さで輸送船の上へと引き上げられた。
縄梯子を投げられるまでもなく、輸送船の船体をするすると登った鱗人たちは皆ほっと安堵の表情を浮かべる。
彼らを出迎えた数名のオークたちも鱗人たちへ労いの笑顔を見せた。
「やれやれ。3年がかりの仕事も今日でおさらばか。せいせいするぜ」
「おう。ひとまず追手のかからないところまで船を走らせよう。祝杯はその後やろう。ひとまず船室に戻って休んでくれ」
オークの勧めに従い、鱗人は笑いながら船の内部へと繋がる階段の方へ歩いていこうとした。
その時である。
「………いや、その必要はないよ」
大仕事を終えたことでほんのりと緊張の緩んだ集団へと、涼やかな声が届いたのは。
一斉に緊張感が駆け抜け、その声の主の居場所を探して鱗人とオークたちは周囲へと油断なく目を向ける。
いや、探すまでもなかった。その小さな影は身を潜めるでもなくデッキの手すりにちょこんと腰掛けていた。
「誰だお前は!どこから入ってきた!」
「いいじゃないか。そんなことは。しかしよくもまぁ鎧鯨の切り出し屋の厳しい修行を3年も耐えたものだ。
 こんなことをしなくても、まっとうに職人として修練を重ねていけば十分儲けられたろうに」
やや呆れたような声で話しかけるのは1対の角を頭から生やした小柄な女。褐色の肌をした竜人だ。
既に自分の獲物を取り出して構えている者もいる剣呑な空気ながら、女は特に取り乱す素振りもなく藍色の瞳で集団を眺め回す。
「時間をかけて取り入り、花形の職人たちがほぼ仕事を終えた頃を見計らって飯に毒を混ぜる。
 あの堅物たちが仕事を中途半端に終わらせるようなことは決して無いからな。で、急遽新人にお呼びがかかる、と。
 素人に任せるくらいなら這ってでも仕事をしたろうが、同じ釜の飯を食っている弟子なら遠慮は要らない」
濃霧の中、女の声は決して大きくないのにまるで鈴が鳴るような明瞭さで船上にいる全ての人間たちに届いた。
いや―――鈴というよりこれは―――刀の鍔鳴る音に似る―――。
「で、後は切り出した鎧鯨の鎧をこうして足の早い船に乗せて一目散にドニー・ドニーへ。
 勿論バレるのもしっかり工作してなるたけ遅れるようにしてある。そして事態が発覚した頃にはもう遥か彼方。
 無事海賊たちの海に辿り着けばあとは煮るなり焼くなり好きなように出来る。盗品の扱いなんて慣れきった連中ばかりだ。
 これがいずれ各国に流れていくんだろう。鎧鯨の鎧は最高級の素材だからな。数年かけてでも計画し実行するというのは、分からないでもない。
 だからこそミズハミシマはしっかり国で管理しているわけだが………」
羽毛が落ちるように柔らかく女が手すりからドックに降り立つ。水が跳ねる音も、木が軋む音も、全く響かなかった。
ひとりのオークの頭の中で警鐘がうるさく鳴り響く。まずい。この女は明らかにまずい。何がなんだか分からないが、やばい。
ここで畳んで始末してしまわなければならない。そうしなければ、俺たちは終わりだ、と。
このオークは武術を一通り学んでいた。だからこそ気づけたことだったのかもしれない。
勇気を奮って獲物の手斧の柄を握りしめ、一歩前に進み出た。オークの体格と比べればこの竜人はまるで子供のようだったが、全く凌駕している気がしなかった。
「………全部知ってるってか。そうだ、だいたいテメェの言うとおりだ。
 だがな。テメェひとりで俺たち全員とやり合おうってか?そもそも船の中にだってまだ俺たちの仲間がいるんだぞ」
「そうか?この船でもう立っているのはお前ひとりだと“私ら”は思うがな」
特に感情の抑揚なく離れた言葉に思わずそのオークは後ろを振り返った。そして瞠目することになる。危うく手斧を取り落しそうになった。
あれだけいた仲間は全員その場に倒れていた。まるで骸になってしまったかのようにぴくりともせず意識を失っていた。
うめき声ひとつ、戦った形跡ひとつ無い。まるで最初からそうやって伸びていたかのようだ。
まさか、この女以外にも女の仲間が?いやここにある気配はひとつきりだ。たったひとりでこの多人数を音もなく倒し切ることは出来るはずがない。
否。そんな奇跡のようなことが出来る程の人智を超えた存在が、こんなところへそう簡単にいていいはずがない。
ふとオークは思う。
―――今日は、やけに霧が濃すぎないか………?
「さて、詳しい話は牢で担当者が聞くだろう。それがただの官吏か拷問吏かはお前たちの心がけ次第だ」
すらりと女が腰から抜き放ったのは二振りの刃だ。夜の明けだした海上にあってもその刃はただただひたすらに黒かった。
照りを抑えるためか刀身は黒く塗られている。刃に反りはなく両刃で、刀というよりは短い槍であった。
柄から刀身まで全てが宵闇のように真っ黒な手槍。2本の夫婦槍とされるそれは、まるで燻された竹をふたつに割ったようと評されたことからこう銘がついた。
《竹割長光》。それはミズハミシマ幕府が持つ3本の“槍”の一振りが獲物とするという、最大級業物―――。
オークは慄きながら小さく叫んだ。
「―――………《煙りのクロツグ》―――………ッ!」
霧に溶け込んだ小さな影がするりとその先端を伸ばした。
風が吹き。ほんのりと、霧が揺れた。



「………わぁ………」
思わずわたしは感嘆の溜め息を漏らす。
海上に、海中に、あれだけあった屋台の数々が今やひとつも無い。代わりに張り巡らされたのは大旗や飾りのついた縄、おびただしい数の提灯たち。
それらを彩るのは調子のいい祭り囃子だ。どこからかやってきた大勢の楽隊が所構わず笛を吹き太鼓を鳴らしている。
そうして騒がしく祭りの客たちが見守る中を、そんなものたちは全く眼中にないとばかりに鎧鯨がゆっくりと海の中を進んでいた。
この3日間で一番華やかなのに、どこか寂寥感が胸を満たす。それはわたしの祖国の祭りもこの鯨都も変わらぬことのようだった。
「な?見ものと言ったろう?これが鯨都を締めくくる最後のイベントだ。
 息継ぎを終え、暗い暗い海の底へ帰っていく鎧鯨を皆が屋台を仕舞ってどんちゃん騒ぎで見送るんだ。今年の春も来てくれてありがとう、秋にもまた来てくれってね。
 鎧鯨がどう思ってるか知ったこっちゃないが、ずっとこうやって鯨都は続いてきたんだ。
 この先もずっとこうやって続いていくだろう。あの鎧鯨がくたばらない限りにはな」
ミレイが柔らかく微笑みながら彼方へ遠ざかっていく鎧鯨を見つめる。その笑みには私が感じているのと同種の寂寥感があった、ように思う。
鎧鯨が進んでいくにつれて楽隊や人集りもついていき、その場に留まって見送るわたしたちから離れていく。
少しずつ小さくなっていく歓声は、祭りが終わるのだなということをわたしに深く実感させた。
ああ、そうだ、と。ミレイが思い出したかのように言ったのは、そうやって感慨に浸っている時のことだ。
「楽しかったか?」
「あ、はい。その………驚いたことも多かったですけれども。
 ………特にあなたがあの《煙りのクロツグ》だったなんて」
「似合わないことをしている、という顔だな。これも言ったはずだ。観光客の案内は私の気晴らしの副業。趣味みたいなものなのだと。
 隠密忍軍の頂点などと煽てられてはいるが私はこういうお喋りの好きな女だ。悪癖の自覚はあるが、やめられん」
「はぁ、そうなんですか。知った時はてっきり、わたしが自衛官だからあなたがついたのかと」
それを聞いたクロツグ………いいや、ミレイがちょっと呆れた顔をした。
「それこそ自惚れが過ぎるな。経歴からしてジエイタイのエリートコース、将来の幹部様とは調べがついていたが、まだ新米も新米という話じゃないか。
 そもそも諜報屋はあんたには向いてないよ。考えたことがよく口に出るだろ」
「うっ………じ、自覚あります………反省します。というかそんなことまで最初から知ってたんですね………」
「うちを舐めないで欲しいもんだ。まず間違いなく私的な観光ってところまで全部素っ破抜いてたとも」
怜悧な美貌にほんの少し稚気を含ませ、悪戯っ子のような笑みを唇の端にミレイが漂わせる。
それから頭の後ろで手を組み、だんだん遠方に映る遠影となっていく鎧鯨の方を見ながら言った。
「ま、私も楽しかったよ。あんた、いい反応するしね。
 またミズハミシマに来る時があれば役人に私の名前を出しなよ。あんたがいいならその時も案内してあげよう。
 ………けど間違っても“私ら”の方、クロツグの名前を出すなよ。一部の役人の間じゃ“観光客の案内人”であるミレイは暗黙の了解だからさ」
「分かりました。………でもお忙しいんじゃないんです?」
「都合つけるさ。私も身体がひとつきりだからどうしても駄目だった時は諦めな」
「はい、では」
というわけで、と。
わたしがミレイへ飾り袋を差し出しすと、きょとんとしてミレイは垂れ目を丸くした。それが少し、可笑しかった。
「なに、これ?」
「わたしからの個人的なお礼です。受け取ってもらえると嬉しいんですが」
「………………」
黙ったままミレイが袋を開ける。几帳面に、袋を破り捨てたりしない開け方だった。
中から出てきたのは、櫛。
紅の櫛だ。この鯨都をミレイが案内する間、ずっとミレイが差していた櫛と同じ色と形。だけれども塗りや装飾が控えめに、しかし美麗に足されている。
ミレイがいない内に急いで買ったものだった。それなりの値がしたが、わたしの感謝の気持ちと比較すれば安い買い物だ。
ぽかんとしていたミレイだったが、やがて溜め息をつく。顔は笑っていた。
「なるほどそう来たか。今差している櫛はわざと安物にしているんだけどな?」
「なんとなくそういう気はしていたんですが、でもミレイは綺麗だから。櫛くらい良い物を差した方がいいですよ」
「あんた、それを私に言う?“私ら”は代々続く幕府お抱えの忍びの棟梁、要は曲がりなりにも貴族の姫だぜ。ちょっと血なまぐさいけどな。
 櫛だって平民からすりゃ目玉が飛び出るような値打ちものを何本も持ってるさ。………“私ら”はな」
「でも、あなたは“ミレイ”でしょう?」
「そうだ。この私は“私ら”ではなく“私”だ。だからこれは素直に受け取って大事に使わせてもらおう。………ありがとう」
そう言うとその場でミレイは髪に差していた櫛を抜き取った。途端、銀糸の髪が幻想的な空気を伴ってふわりと海中に広がる。
それを器用に素早く束ねたミレイがわたしのプレゼントした櫛を差して纏めた。顔を傾け、わたしに櫛の差さっている部分が見えるようにする。
ミレイの格好は飾り気のないものだったが、それだけに上等な櫛はその1点だけでミレイの外見の魅力を何割増しかにしているようだった。
「どうだ?似合うか?」
「はい、とっても!」
「そうか、なら良かった。あんたの見立ては正しく、私の器量もそれに応えられたというわけだ。ならそれ相応の返礼が私からも必要というものだろう」
懐を探ったミレイが巾着を取り出す。
中を探り、何か小さなものを中から摘みとって取り出した。わたしにも見えるよう目の前で海中に漂わせる。
それはわたしの祖国で知られるものとやや形状は違うが同様に存在するものだった。そう資料で読んだ。
薄く色を足された、ところどころ角ばっているもの。海の中ではほろほろと崩れてしまいそうなのに強烈な水精霊の加護で形を保っているとわたしですら分かるもの。
違う特徴といえばそれだけの、ただの金平糖だ。
ミレイが厳かに言う。
「………我らがミズハミシマの主神龍神シマハミスサノタツミノミコトが寵姫たるオトヒメへ最初に送ったもののひとつ。それが金平糖だという。
 ミズハミシマは料理の盛んな土地ではなかった、と説明したな。そんな土地でも甘味は珍重された。それこそ主神にすら尊ばれるほどに。
 このことから、ミズハミシマにおける貴族階級………士族や司族はこのような習わしが出来た。
 金平糖を送る。それは『あなたを心の底よりの親友や愛する人と認めます。どうか末永くわたしとお付き合いしてください』………という意なのだと」
ミレイが笑った。ちょっとはにかむような気色があった。
「受け取ってもらえるだろうか?」
言うまでもない。
わたしの返事は―――――――――――――――。



  • 余韻を残しつつ…最終話⁉続き…続きを見せてちょうだい! -- (名無しさん) 2020-02-24 09:17:01
  • 異種族百合…そう言うのもあるのか…! -- (名無しさん) 2020-02-24 11:14:13
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最終更新:2020年02月24日 21:36