空と言えば白!
大地と言えば白!
海と言えば白!
そんな
ドニー・ドニーの長い冬が終わった。
雲の裂け目から浅葱色の空が見え隠れし、芽吹いた雪割の草が萌木色を覗かせ、落ち着きを見せた海は瓶覗色の波が小さく行き交っている。
航海びよりは生き物びより。
「電極投入!」
「アイアイマム!」
鬼族の船団長シテの命令によって、
オークたちが避雷針ブイにくくり付けられた電極を水中投下した。
「魚影以前1。当船より距離1NM。避雷針ブイの直線上維持!」
マストから警戒に当たらせている
ゴブリンの報告が飛ぶ。
「船団は避雷針ブイを中心に旋回! 魚影を線上に固定しろ!」
「アイアイマム!」
シテの指示をゴブリンの通信士が、手旗信号で船団に行き渡らせる。
現在、船団は大型のイカから追跡を受けていた。
普段は深海にいる大型のイカだが、春先になると海上付近に集まる魚などを追って浮上してくる。
春は海上近くのプランクトンが増え、それを食べる魚が増え、それを取る漁師やら大型生物が集まる。
しかもシテ船団のような航海を待ち詫びた輸送船団も往来する。
春の海上は大賑わいだ。
この大型イカもその賑わいの一つで、どうやら船団を大型魚の一団と勘違いしてるらしい。
船団の船より一回り大きなイカに取り付かれたら、転覆はまず間違いない。船が仮に無事であっても乗員が蝕腕に捕まったら一溜りもない。
もちろん、怪力の
オーガやトロルで合ってもだ。
多少の抵抗は出来るだろうが、大型イカでは分が悪い。
今のところ風向きも良く船足が早いのでイカの追跡をギリギリ一定に保っている。しかし、イカは魚介類でも高速移動できる種類である。瞬発速度も潜航速度も揃って高い。
逃げきるのは無理と、船団は迎撃の展開をとっている。
通常、海中への攻撃は発電する電気虫の卵を利用する。通常、水中で僅かな通電を行なっても、四方八方に弱々しい電気が流れて霧散してしまう。強力な放電が行われれば別だが、電気虫の卵はそれほどの電流を発しない。
しかし二点で放電することにより、その二点間では激しい電流が流れる。
これを利用して海中に電気虫の卵を投下、及び投擲してその間にいる敵や危険な海洋生物を撃退する。
だが大型のイカ相手では弱い。相手が大きすぎるし、とびきりタフなのだ。相当、なんども痛い目を合わせないと逃げたしてくれないかもしれない。
ここでシテ中心で行われる水中攻撃が有効となった。
まず、避雷針を付けたブイを投下し一点を作る。
続いて傭兵として雇われている翼人が飛び立った。
彼は尖った鉄を取り付けた電気虫の卵を入れた竹のカゴをぶら下げている。これを避雷針ブイと大型イカの直線上、等距離に空中投下する。すぐさま翼人は上昇気流をつかんで天高く舞い上がる。さらに回避旋回まで行なった。
ここでシテの神通力がものをいう。
シテの神通力は雷である。大電流と指向性の高い電撃攻撃は、発動に時間はかかるが強力だ。
もちろんそのまま海へ放っても、表面を走るだけで海中には全く効果がない。
だが、これを避雷針ブイに放ち、電気虫の卵と水中で通電すると……。
シテの額から伸びた一本角から電撃が放たれた。避雷針へと叩きつけられた雷は、水中へ放電され電気虫の卵と通電する。
その二点間の中心。
大型イカの付近で、海中に多くの気体が発生して一気に強力な爆発を引き起こした。
ドンと海面を突き破る衝撃波が水を天高く跳ね上げられ、雨のように周囲へと降る。それには大型イカの蝕腕が細切れとなって混じっていた。
水中放電である。
地球では金属加工などで行われる
電極の二点間を近くさせないといけないし、電気虫の卵は破裂してしまうので使いかっては良くないが、水中攻撃では現在のドニー・ドニーでは最強を誇っている。
なにしろ直撃させなくてもその衝撃波は近くの船を撃沈させるほどである。
船は無事でも船倉内にいる生物すら、衝撃波で意識不明に出来るほどだ。
シテ船団は安全圏まで逃げているが、それでも船が軋む音を立てるほどである。
「魚影潜水!」
「逃げたか、死んだか……」
大型イカはタフである。あれを食らっても生きている可能性があるが、もう追ってはこないだろう。
シテは船団に警戒航行を指示して船室に戻った。
慣れない神通力は疲労を伴う。
シテはすぐ近くまで迫った自宅のある港へ着くまで一休みすることにした。
*
鬼族は一種の病気に罹っていた。
それは忘却という病である。
ミズハミシマを追われた理由を、古い鬼族は忘れようとしている。
もう一つ鬼族は病気に罹っていた。
無関心という病である。
若い鬼族は、古い鬼族がミズハミシマを追われた理由を問うようなことをしない。
これはドニー・ドニーにいる鬼族の誰しもが罹っている病いのようなものである。なぜ忘れようとしてるのか誰も分からないが、これが鬼族の平和を保つ結果にもなっていた。
過去の栄光を犠牲にする病。
その病にかかったモノたち多く住む鬼族の港街パーントゥは、シテの一族の名前が名付けられいる。
街の高台で一際大きいドニー杉で作られた御殿は、シテの一族が住む。
もっともほとんどが船団を率いているので、住んでいるものは老人か子供だ。
半年ぶりに帰宅したシテは、可愛い妹の出迎えを受けた。
「おかえりなさいませ、シテ姉さま」
セリオツ・パーントゥは、玄関先で三指を付いて姉へ頭を下げた。鬼族はドニー・ドニーで生活していても、自宅では靴を脱ぐ生活をしている。
寒いのに……。
角がまだ髪に隠れるシテの妹セリオツは、地球人に良く似ている。稀に地球にまぎれてしまった幼い鬼族が、人間に育てられるという話がある。
おそらく地球の伝説にある鬼はそういったモノたちだろう。
実は鬼は子が多い。
日本では木の股から生まれるなどと言われるが、きっとそれは
ゲートが木の洞や股に開いただけだろう。そこから出てきた鬼を生まれたと見間違えたに違いない。
シテの兄弟も18人と多い。
セリオツは最年少の女の子で、もっとも神通力の才能を秘めている。
もっとも成長途中なので、その片鱗を見せることはない。古い鬼族から期待されているが、長の目に叶うほどかどうかは未知数だ。
セリオツはまだ小さい。
シテは2メートルの女丈夫であるが、セリオツは未だ1メートルと少しだ。
小さい手もまだ柔らかい。黒髪も幼子らしくおかっぱだ。鬼の険しい眼光も存在せず小さく愛らしい。小さな口の中にはまだ牙もない。
愛おしく堪らず抱き上げ、シテはセオリツに頬ずりした。
「セオリツ! また重くなりおった。重畳、重畳」
鬼の一族では「大きくなったな」ではなく「重くなったな」が子供の成長評価で利用される。
人間の女の子だったら泣くだろうが、鬼は大きくなることは当たり前なので「重く」なることが成長の度合いとして図られるのだ。
ところがセリオツは急に不機嫌そうになった。
「シテ姉さま。女の子に重いなどと不調法にも程がありまする」
人間の女の子のような反応をしたセオリツを床に下ろし、シテは困惑した。
「このセリはこの度、地球の学舎に修学と相成りました。地球にて女子に重いなどと禁句となりまする」
「は、ほう。へえ?」
凛々しいシテも急なセリオツな進路に困惑して、間抜けな返事を返すばかりだ。
「シテ姉さまも地球人との交流を考えまするなら、多少なりともお心得くださいまし」
「はあ……」
シテも地球人に興味がないわけではないが、それにしてもセリオツの変貌には驚かされた。
聞けば先月、地球の日本というところを訪れ、色々と含蓄を貯めてきたらしい。性格は変わっていないが、価値観は多く変わっていた。
特にシテが驚いたのは、セリオツの部屋である。
地球産の品物が溢れていた。
「これは?」
セイオツの部屋で、シテは文机の上を占拠するヌイグルミを指さした。
「ポケェモンッゲットだぜ」
「これは?」
「ニテンゾーDZ」
「この面妖な箱は?」
「繋がっていないパソコンにありまする」
「何に繋がってないと?」
「ワールドワイドウェブにでありまする」
シテには意味が分からない。
(若い娘にはついて行けない)
一気に、年寄りの気分を理解できた感じであった。シテとて齢重ねて僅か一六である。
鬼族は15才にて成人と扱われるが、一族では若手もいいところであるが。
「セリはシテ姉さまにお願いがありまする」
シテはなぜか黄色い電気ネズミの尻尾を掴みながら振り向いた。
「シテ姉さまも一緒に日本へ……」
「待つよ待つよろし、セリオテ」
思わずシテの言葉使いが迷走する。
「わらわは既に船団を任された身にて、そのような無理を聞ける立場にあらず」
「セリに一人で異国……。否、異世界の地にて住まえと?」
先月は父親とともに日本を訪れたそうだ。シテは可愛い妹の願いを無碍には出来ない。しかし、既に船団は軌道に乗っている。冬の三ヶ月なら暇もあるが、そうそう異世界など行くわけには行かない。
説明しようにも、セリは未だ船にも貿易にも無知である。
シテの父親は、セリオツとシテの二人に地球交易を任そうとしている節が前々からあったが、古い鬼族や特に祖父は許そうとしない。シテとて保守的な考えなので、ドニー・ドニーで船団を取り仕切る事が最高の責務と思っている。
もしや妹をダシにして、シテや祖父を説得するつもりなのもかもしれない。
シテはそこに思いいたって、居住まいを直してセリオツの肩を掴んだ。
「良いこと? セリオツ。お父様が如何ような事を言おうとも、このシテはパーントゥの娘。そして小さいとはいえ船団の主。セリオツの身を案じる心に偽りは無……」
と、ここでシテはセリオツが持つ一枚の板に気がついた。
いや、板ではない。これは地球でDVDという物を入れる石油加工製品の薄い箱だ。
そこには一人の青年がギターを抱えて印刷されていた。
「セ、セリオツさん。こ、この凛々しきお方、否……。この姿絵の方は?」
口調の変わったシテを見上げ、セリオツは小首を傾げた。
「? サワムラという歌い手にて……。今度、日本で公演……らいぶ? があるとそれに地球で出来た朋友が誘ってくれて……。それが何か? シテ姉さま?」
セリオツを開放し、シテはぬっと立ち上がると視線を壁や天井へとさまよわせた。
「お、姉さん。い、行っちゃおうかなぁ。に、にににににっぽんちゃちゃちゃ」
シテは赤面して顔を背けている。
何かを悟ったセリオツは、ニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。これは誰も見たことない鬼らしい笑顔である。古い鬼族が見れば喜んだだろうが、父親が見たら無くだろう。
セリオツはサワムラが一時期、ドニー・ドニーに来ていたことを友人から聞いていた。その時、姉とサワムラが出会ったとアタリを付けた。
「あー、そういえばそのセリの朋友は学友であり、このサワムラという歌い手の妹と聞き申し……」
「紹介して!」
やたら切迫したシテの顔もまた怖い。
しかし、それを機会と疑わないセリオツは言い放つ。
「ええ、シテ姉さまにもサワムラ殿をご紹介致しますわ」