【旋律は種族を超えて】
イギリス、マンチェスターのライブ会場の地下室で、三人の男が楽器を手にして座っている。
「畜生!」
陰鬱とした室内に突如怒号が響き渡る。
声の主である長髪の青年が、髪を振り乱しながらそばにあったビール瓶を壁に叩きつけた。
乾いた音を立ててビンが割れ、そばにいた小柄な男がビクリと首をすくめる。
破片と、僅かに残っていた内容物が床に散乱して、カーペットに染みを付けた。
「畜生め!」
もう一度青年が吼えて、室内に戦慄が満ちる。
換気ファンの低く唸る音と、上の階から僅かに聞こえるギターとけたたましいドラムの音が三人の間を重々しく流れ、残る二人はじっと息を潜める。
「どうして売れねぇ?」
沈黙を破ったのは、やはり青年だった。低く唸るような声は先ほどの咆哮とは違ったが、同等の憤怒と憎悪を孕んでいた。
「それは…それは…」
誰に尋ねるわけでもなく、ただ宙に放り投げられた質問を、小柄な、―――異様なまでに小柄な男、つまるところ
ゴブリンの男が律儀にも受け止めた。
その体格に不釣合いなエレキベースのネックを神経質そうに擦りながら、必死に返事を考える。
「何故来ねぇんだ、上の連中は錆付いたクソみたいな音しか出さねぇのに」
ギロリと血走った青年の両目が天井を向いた。青黒い隈が目立つ。
「マシュー、そう怒るなよ」
燻る青年を金髪の男がなだめた。
「うるせぇ!」
マシューと呼ばれた青年は途端、弾けた様に唾を飛ばして、金髪の男をそのぎらぎらした目で睨みつけた。
「怒るな、だと!怒るなと言ったか、この角耳野郎(スクイヤー)!」
ふたたびの沈黙。しんとしずまった地下室の空気は先ほどよりも重かった。
「テメェにゃ俺の焦りは分からねぇだろうよ」
パーマのかかった長髪を掻き毟りながらマシューが続ける。その様子は野犬を思わせて、見るものに恐怖と、ほんの僅かの哀れみを感じさせた。
「このバンドに、俺は人生を賭けてるんだ」
「知ってるよ…知ってる…だから僕は…」
金髪の男が言葉を発したとたん、マシューの双眸が揺らめいた。
「知ってるだと!?分かったような口利きやがって!テメェにゃ俺の…人間の人生なんて暇つぶしみてぇなモンだろうが!」
三度目の爆発はほとんど慟哭と言って良かった。
「そんな…僕は、僕は君の人生を…」
金髪の尖った耳の男―――
エルフの男はそう言ったきり押し黙った。
何て言ってあげればいいんだ?―――答えを探すうちに彼は黙することが正解、すくなくとも最善であることに気がついたのだった。
「…あぁ…えぇと…ドラマーは見つかったのかい?」
何度目か分からない長い長い透明な時間が過ぎて、エルフがようやく言葉を発した。とにかく彼は場の空気を少しでも変えたくて仕方がなかった。
エルフの発言を聞いてゴブリンは、ようやくここで自分が先ほどの質問に答える義務を負っていないことに気がついて、ひそかに安堵の息を吐いた。
彼らは元々
オーガ族のドラマーを雇っていたが、力強さこそあれ肝心のリズムがロクに刻めないので、半年と経たずマシューに解雇を言い渡されたのだった。
その後エルフの男はピカデリー駅をとぼとぼ歩く気弱な大男の姿を見ている。
さて、マシューは質問に答える。先ほどよりは僅かには落ち着いた様子だった。
「……あぁ見つかった」
「種族は?」
「人間、俺と同じさ。違うところは、俺が白人でヤツは黒人ってところか。まぁなかなか悪くない腕だ」
「そうか」
彼にも同じ種族の友がいたのだ!エルフは内心ドラマーが見つかったことよりも、むしろそれを喜んだ。
不思議なことに、人種差別は未だに続いていたが、エルフである彼には人間の肌の色など瑣末な問題だった。
階上ではマシュー曰く「錆付いた音を出す連中」の演奏が終わったらしく、観客の拍手と歓声が聞こえる。
彼らは先日、ブラックプールにあるライブハウス、ウィンターガーデンで3000人規模のライブを成功させたばかりだった。
「あぁクソッ!今日はもうダメだ、帰るぞ!」
再び不機嫌になったマシューがいらいらと席を立った。ゴブリンも慌てて席を立つ。
「スクイヤー。チビ。明日またこの時間だ分かったな」
「は、は、はい」
「あぁ」
今日はロクに練習しなかったな。そっとギターを撫でてから、エルフの男はアンプヘッドをゼロにして電源を切る。
立ち上がって、マーシャルのアンプからシールドを引き抜いた。
日が暮れ始めた帰り道、三人はトボトボと家路に着く。
街にはすでに家路を急ぐ人が見え始め、どこかの店の客引きらしき
ホビットが相棒の大きなトロルの肩に乗って巧みな口上を垂れていた。
「あ、じ、自分はここで」
ゴブリンが角を曲がって、別れを告げた。
お互い挨拶をして、二人で道を歩く。
まっすぐに続いた道が二手に分かれる。マシューは右で、エルフは左の道。
「なぁ、マシュー」
分かれようとしたマシューを、立ち止まってエルフが呼び止めた。
「…どうした」
怪訝そうに彼も立ち止まる。
「君は、僕に…エルフにとって人間の人生なんて暇つぶしみたいなものだ、って言ったね」
マシューはそっとエルフから視線をそらす。エルフの男は続ける。
「確かに君らの寿命は僕たちと比べてとても短い」
だけど、と彼は言う。
「僕は君といた時間を希薄なものだとは思ってない。きっと、死ぬまで忘れない」
「別に俺は…」
口ごもるマシューに男は向き直ってじっと見つめる。風がそよいで、彼の前髪をなびかせた。
マシューはそらした視線を少しだけエルフに戻して、僅かに眼を細める。風が二人の耳元を通り抜け、さぁっと音を立てた。
「約束するよ」
「…何をだよ」
彼は再び視線をそらしてエルフの言葉を待つ。
「もし…僕らが売れずに終わったら…」
「そんな話はよせ…」
「僕はその意思を引き継ごう」
マシューはぎょっとしてエルフを見つめた。エルフは真っ直ぐで、透明な眼をしていた。
「何を言ってるんだ…?」
「君が夢半ばで倒れても、僕は死ぬまで君の曲を…僕らの曲をやる」
マシューは答えない。ただ呆けたようにじっとエルフを見つめている。
「いつか君の作った歌が世界中に…
ゲートの向こう側にまで響く日までに、ね。これが僕の思い…長命のエルフがこのバンドに対して、君に対して出来ることだ」
エルフは言い終わってから、途端に恥ずかしそうな顔をして、
「じゃ、じゃぁ僕はこれで…また明日ね、マシュー」
そそくさと背を向けて歩き始めた。
「……あぁ、またな。明日、遅刻するなよ……スチュアート」
「え……」
エルフは、はっとして振り返ったが、長髪の男はすでに歩きだしていた。
ギターを背負った彼の姿が遠ざかっていく。彼を照らす夕日が少しずつ赤くなっていく気がした。
「あぁ……また明日、マシュー」
スチュアートは男の後姿にそう呟いて、猫背で歩く彼の姿を見つめる。青年の姿が見えなくなると彼はそっと振り向いて、ゆっくりと歩き出した。
黄金に輝いていた夕日がいよいよ赤く燃え始める。あの太陽が沈めば夜が来て、再び朝になるのだ。
輝かしい、朝に。
あとがき
wikiの設定は読んだつもり
もし後に決めた設定とこのSSに矛盾することが起きたら、このSSは無視してね
駄文失礼しました
- 交流が進むと地球側でも亜人が生活しているのが当たり前になっていて… とそんな中でどの様な付き合いが生まれるのだろうかと考えさせてくれる一本 -- (名無しさん) 2012-03-25 20:56:33
- 百年後のスチュアートの話を読みたい。きっと世界の、あるいは異世界のどこかでマシューの曲を演奏してるだろう。 -- (名無しさん) 2012-03-26 22:01:18
- 読んでるとダレてくる -- (名無しさん) 2012-03-27 03:43:37
- 上のコメントでもありますけど地球の上で深いとこまで共生が進んだ時代なんだと思って読みました。異種族が混ざるバンドというのが当たり前になってくるともう歌唱力で勝負しなければいけないんですよね。ほんの一握りの成功者に彼らがなれるかと言われればと考えてしまい少し哀愁が流れました。 -- (名無しさん) 2012-05-05 19:21:42
- 特に気負いも違和感もなく異なった種族が日々を送っている様子が楽しいながらも現実のハードルの高さは変わらないようで…寿命の差というのも少し哀愁が漂います -- (ROM) 2013-02-11 18:54:54
- じわっと泣ける。寿命の差は最も越え難い種族差かもしれない。最後の二行が良い -- (名無しさん) 2013-03-09 19:27:39
- 一緒にいるとなると成長の早さや寿命って後々関係に大きなポイントになるだろうなぁ -- (名無しさん) 2015-01-30 18:57:34
- 種族交流が進んで自然になっても寿命の違いは意識の壁か溝として残りますか -- (名無しさん) 2015-09-16 08:33:45
- 地球にて異なる種族が一緒になって行動すればどうなるのか?夢を目指せば誰もが成功者になれるわけではないが進み続ければ足跡ができていく。人生とは長さではなくどれだけ心が震えたかが大切なのかもしれないと思わせる -- (名無しさん) 2016-08-17 15:56:45
- 異種族混ざり合う生活というのは異世界と地球とでは何かと違う部分があるのかな、と。ただ色々と違う皆が一つの夢や目標に向かって進む姿はこれぞ異世界交流という感じですね -- (名無しさん) 2020-04-30 03:36:48
最終更新:2011年08月17日 15:11