【冬季領の山】


訓練や任務で行動する際は大体が多人数であり、獣に襲われる事は無かった。
彼らは冷静で勝てない勝負はしない。
しかし、異世界にて襲われたのだ。“狼”に。
飛び掛る塊にナイフを突き立てたが、大の大人と同じ背丈かそれ以上ある体躯が“狼”であると認識できたのは、
濁った吠え声を吐きつけ、それが大きく間合いを離した後だった。
冗談ではない。

 ── 二日前・冬季領と他国境界付近の麓の宿にて
「皆、よく眠れたかな?! 今日より訓練の開始である!」
柔らかく肉厚のある葉が敷き詰められたベッドに、重さを感じさせない綿の様なかけ毛布。
寝心地は最高であった。
「装備の忘れ物は無いな? 忘れましたと後から取りに戻れる様なキッズスクールではないからな?」
と言いながら、毎回一つ二つ忘れるのが隊長なのだが。
「では、ガイドを紹介しておこう。 コルトパさんだ」
隊長の横に現れたのは、身長150cm程度の全身をフードコートで隠した褐色のエルフ
全身を隠しているのに褐色のエルフと分かったのは、頭部フードより突き出した長耳が褐色だからだ。
「本当に“山”へ入るのカ?」
開口一番で疑問符か。
コートで遮られているために低くくぐもった声。 声からは性別は分からないがこの際どうでも良い事だ。
「先達て私が下見をした時点では、多少梃子摺る事はあっても危険はそこまでのものではないと判断できた。
我ら隊の実力を信じて欲しい」
一時期休隊届けを出して何処に消えていたのかと思えば、こんな所まで下見に来ていたのか…隊長は。
何やらオーバージェスチャーでガイドに話かけているが、隊の装備や実力でも説明しているのだろうか。
「…仕方なイ。それでは案内しよウ」
溜め息に諦め色の言葉。 押し切ったな、隊長。

宿を出て直に荒れ野。 寒さが肌を刺す中で行軍を開始する。
程なくして、世界を隔てる様な巨峰の全容が現れた。
中腹から山頂にかけてが吹雪で覆われており、遠目では高さが測れない。
「作戦名は“ヘンゼル&グレーテル”。帰るまでが訓練だ!」
 ヒトフタマルマル 全員が時計の針を合わせる。
「ルートは随時判断。山頂にて立旗の後に下山。 以上!」
明確だ。
明らかな地図が無い以上、場所場所で判断して登り進むしかない。

隊を三つに分けての縦三角隊列。 自分は先頭、隊長と同じ隊である。
土と岩混じりの、道とは言い辛い山肌。 辛うじて緑色、草むらが残るも木々は全て枯れている。
時折、様子を伺う様に小鳥が寄って来ては囀るが、登っていくに従いその頻度は下がっていく。
斜面が険しくなった頃から岩場の陰などに無造作に捨てられている武具道具を見かける様になってきた。
「持っていられなくなったカ、用済みかで捨てていったのだろウ」
と、説明されたが心の奥底でキナ臭い何かを感じずにはいられなかった。

夜の訪れと共にキャンプ。 声での伝令が届く範囲で三つのキャンプを敷く。
どうしても外の様子が気になり、周囲をぐるぐると歩いて回る。
先頭のキャンプより更に頂上へ進んだ辺りに、ガイドのテントがあった。
「もう寝られましたか?」 抑え気味に問いかける。
「いや、まだ起きていル」 すぐに返答。
「少しお話など宜しいでしょうか?」 身をかがめたまま話を続ける。
「…分かっタ、入レ」 小さめの返事。
中は大人二人がぎりぎりで入れる広さだが、ガイドが大きくないおかげでやや余裕はある。
磨いでいた短刀を脇にしまい、隣をぽんぽんと叩き示す。
「まさかテントの中でも着ているとは思いませんでしたよ、コート」
耳以外では目元しか出ていない分厚い生地のコート。
「何時“冬”が襲(く)るか分からない時期だからナ。 用心に越した事は無イ」
明日の準備だろうか、並べた薬草の選別をしている。
「私達の様な…観光客はよく来るのですか?」観光客、まぁ観光客で良いだろう。
「下見にまで来て訪れるのはお前達くらいだろうナ。 越境隊以外で来ると言えば犯罪まがいの連中くらいの土地ダ」
雪でも積もっていればウインタースポーツでも出来そうな場所だが、恐らく雪が降ればそれどころでは無いのかも知れない。
「人間というものハ…」
不意の問いかけ。
「人間というものハ、皆一様に困難に挑みたがるのカ?」
下からこちらの顔を覗き込む様に、重なる視線に少し動悸が乱れた。
「ん、まぁ人それぞれと言いましょうか。 唯、私は今より高みへ行こうと思うのであれば、
今越えられぬ壁を越えなければならないと思っていますが」
高すぎる壁は越えれないでしょうけど。
「そうカ」 目元が少し緩んだ、様に見えた。
その後、当たり障りの無い会話をした後、テントを離れた。

「…? 獣の遠吠え?」
しかし獣臭は感じ取れない。 風の音か空耳か。
見上げた山頂には、暗闇でも分かる黒雲が被さっている。




冬季領に来ました二話目。
宿までは天国だったが、果たして山はどうなる?

  • 逆から読んでしまった。隊長はきっとどこでも愉快に生きていける人 -- (名無しさん) 2012-07-27 23:31:50
  • 旅にしても何にしても現地ガイドは欲しくなりますね -- (とっしー) 2012-07-31 09:33:08
  • 小さくも凛々しいコルトパに高嶺に咲く名もなき一輪の花を彷彿しました。山を登るのがどんどん不安になっていく異世界の冷たい山の空気です -- (名無しさん) 2014-10-26 17:27:05
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最終更新:2012年10月31日 21:10