─ 朝
勢いは消沈化したものの、吹雪の名残は未だ陽を隠す。
頼りになるアナログ時計はマイペースに針を進めている。マルロクマルマル。
夜の吹雪に紛れて潜り込んだ岩間に張ったテントからずるずると出てくる十名。
既にこじんまりしたテントを畳み、荷物を背負おうとするコルトパと挨拶を交わす。
「匂いの出ル物は出してはいけなイ。
周囲でうろツいている“奴ら”の気配を感ジる」
「…まだこちらの位置は気取られていないと言う事ですか?」
匂いも無ければ味気も無い固形栄養粉を舐め取りながらの会話はどうにも間抜けである。
全員の荷物はまとめ終わった。
数少ない武器であるナイフは各々直ぐに取り出せる様に提げた。
「気取られテいれば夜の間ニ襲われていただろう」
「確かに、そうですね」
弱まっているとは言え、まだまだ吹雪は止みそうに無い。
留まっていても事態が好転するとも思えず、
タイムリミットを課せられているのはこちら側。
程無くして出立する段取りとなる。
「谷沿いに進ム。
谷が終わり地続キになっている所デ対岸に渡り、そこから下山スる」
「昨日言っていた、もう一つの道は?」
「山肌の直面ヲ降りていくノだが…この吹雪と自身の力を考えて、どうダ?行けそうか?」
自分を含め隊員全員が首を横に振る。
言い訳では無いが、本格的に岸壁へアタックをかけるには携帯している装備だと不十分なのである。
積雪で不明瞭な崖に近づきすぎない。
“冬”の舞った後は気温が低下していくので対処を怠らない。
“奴ら”を発見してもこちらから接近しない。
“奴ら”に襲われた場合は防戦し退却する。
コルトパがブリーフィングの中で連呼した“奴ら”という単語。
「コルトパさん…“奴ら”とは一体何ですか?
確かに昨晩、何かしらの気配は薄っすらと感じていましたが」
「狼ダ」
「狼?」
一同がざわめく。
それは、狼であれば余程の群れで無ければ対処は可能だろう?そこまで警戒しなければならないものなのか?
一同のざわめきの理由はそれだった。
「狼の群れならロシアで遭遇した事がありますが、我々の倍の数が襲って来たとしても対処は可能ですよ?」
北国出身で寒冷地での任務に慣れた隊員が発言する。
確かに対象の正体が狼であれば対策も取れる。下山も速やかに行える。
「お前達ノ考えている狼ガどの様なものかは知らなイが、奴らはお前達の背丈よりも大きいのだぞ?」
再度、一同がざわめく。
「しかも奴らは唯の獣デはない。
同族で言葉を交わし、本能とは別の意思で連携し襲ってクる」
…熊を想定すれば良いのか? いや、動きが根本的に違う。
これはもう実際に目にしてみないとはっきりとした対応が出来ない。
しかし銃火器が無い以上、コルトパの言う通りに防戦と退却がベストなのだろう。
ざわめきを信用できないと捉えたのか、コルトパが更に言葉を進める。
「奴らの総数はそう多くはナい。 この冬山は誰に対しテも厳しくあルからだ。」
登山途中の景色を見ても、ここが恵み豊かで命萌ゆる場では無いのは明らかだ。
「普段は五匹一組デ行動し、獲物を見つケると仲間を呼ぶ。
コの雪山で四本足に囲まレ追われれば、逃げ切る事は困難だロう」
罠でも張れれば状況は変わるのだろうが、先んずる物が無いのが恨めしい。
「初見での五匹であれば…やれるか?」
血気盛んな南国出。以前アフリカでライオンに襲われた事があるが、ナイフ一本で倒した経験のある者だ。
「五匹全部が向かってクれば、それを倒セばこちらの勝ちだガ。
一撃で仕留めネば爪と牙に襲ワれる。 ニ撃目は無イものと考えルのだ」
正直、自分の経験からも軍用犬との格闘であっても、ナイフ一撃で仕留めれたケースはほとんど無い。
熟慮の結果、総意は防戦と退却という事になり、出立となる。
しかし気になる事が一つだけあった。
「コルトパさんは狼と戦った事があるのですか?」
列の先頭で雪を掻き分けつつ周囲を伺うフードと並び、訪ねる。
「あルが、その時はまだ仲間がイた」
奴らと出会う事の無い様に祈りつつ、隊は進む。
「…正直に言うとだな…」
隊の分断からほとんど口を開く事が無かった隊長がぼそりと切り出した。
「嘘を言うつもりだったんですか?」
少しでも気を紛らわせようと返したつもりなのだが、隊長の顔は空と同じ曇ったままだ。
「茶化さんでくれ… 実の所、以前下見に来た時は穏やかな天候で
吹雪を巻き起こした“冬”などの気配も無かったのだ」
「でしょうね」
豪雪の大蛇など見れば誰だってそんな場所で訓練などしようとは思わない。
「観光がてら登山してだな、帰りはゆっくり
エリスタリアを見て回ろうという計画だったのだよ」
「まぁ、そんな事だろうと思っていましたよ」
どちらかと言えば訓練嫌いの隊長の企画。まともな訓練では無いとは思っていた。
唯、異世界を知らなかったという点が悪い方へ悪い方へ転がってしまったのだ。
「割り切りましょう、隊長。
危機だ危機だと悲観していると動く体も動き辛くなりますよ。」
隊長は一度だけ頷き、顔を上げた。
─ 昼
各員、歩を進めながら粉を舐める。
「後方、何か見えたか?」
「いえ、何も」
徐々に吹雪が強まってくる。 既に視界は2m圏内にまで狭まっていた。
山野で獣を発見するのは容易い事ではないが、相手の体躯が大きいと言うのであれば可能性はある。
大型ともなれば骨格も硬いであろう。狙うのならば、やはり喉か…。
しかし獣毛と筋肉を破り脈まで到達出来るかと言われれば、難しいだろう。
「コルトパさん?」
考え事をしていたせいか、前を進むコルトパに追いつき接触してしまった。
いや、コルトパの歩が遅くなっていたのか?
思わず手を添えた小さな肩は、コート越しではあるが少し強張っている様に感じた。
「側方はどうだ?」
「異常無し!
隊長~、気になり出したら岩影一つもそれっぽく見えてきますよ」
「っととっ、風が強くて粉がこぼれちまう」
列の中央、ながらで粉を食んでいた隊員が思わず雪面に溢した粉を拾おうと足掻く。
その、腰を屈めた瞬間 ──
轟と吹雪の壁を突き破る塊。
丁度、背後を向き直り粉を分けようとした視界を横切った巨大な獣は
腰を落とした獲物にすかされ、そのまま谷底へと落ちていった。
「戦闘体勢ーーッ!!」
最後尾から隊長の指示が飛ぶ。
しかし次なる塊は、隊長の後ろより背負う荷物ごと突き飛ばす。
「悪い方へ斜め上を行ったな! 大きいってもんじゃないだろ!?」
突き飛ばした隊長へ再度襲い掛からんと一歩二歩駆け込んだ大狼の横、
踏み込み様に前脚の付け根を刺し抉る。
やはり肉が分厚いっ! 手応えが薄い!
「ぐっ? うぉぉおっ?!」
トラックにしがみ付く様な体ごと持っていかれる無茶苦茶な膂力。
必死に体全体を振り、獣毛に埋れながらも相手を蹴り飛ばしナイフを抜ききった。
ぐっ こざ かしい
ひけっ ひと りおちて しまった
ふん わかぞうはなん でこうさきがみえ んのだ
!?
目の前から巨大な狼が飛び去ると同時に耳入ったのは、隊の誰のものでもない重低音が唸るような声。
そして一層強まる吹雪。 最早1m先すらも視認が困難になった。
「密集!」
「被害は?」
「荷物が少しばらけましたが、負傷無しです!」
不意の強襲にも拘らず被害は荷物だけ。急遽一所に集まったが状況は一気に悪化した。
「一箇所に集マってはいけナい! 一列になればまとメてやられるこトはない!
慎重な奴らハ反撃ヲ警戒してすぐには襲っテこないはズだ!」
すぐさまコルトパが指示を出し直す。
反撃を警戒? 獣が?
しかし、もしあの声が大狼のものであったとすれば…
縦列、しかし吹雪で前後に立つ姿は微かにしか見えない。
「最悪に近イが好都合だ。
流石にコの吹雪では奴らモ確実にこちらを捕らエる事はできナい」
それはそうだ。
もし、この中で臭いも視界も確保しているのであれば反則もいいとこだろう。
恐らくは奴らの仲間が揃うまでが刻限。
しかし無闇に急げば付け込む隙を見せる事になる。
味方は逸れていないと信じるしかない重い遅い行進。
ふっふ ふさてはて どうしてく れようか
暴風に乗って響いたのは先程の声。
どすん
前を進んでいた筈の隊員に接触。意識は既に朦朧としていた。南国出の…寒さには弱かったのか…
「しっかりするんだ!」
虎の子のホッカイロを背中にねじ込むと目に光が戻る。
「す、すまない。 あぁっクソったれ!吹雪さえなきゃデカブツだろうとヤってやんのによ!」
「それだけ元気があれば大丈夫だな。 頼むぞ」
こつん
こめかみに何かが当たった。 列の前からか?
気付く。
…増えている!? まさかもう奴らの仲間が? 早過ぎるぞ!
こつん
最後何かが眉間に当たる。 列の前からだ。
目を細めるとコートの袖が揺れているのが薄っすら見て取れた。 こっちへ来いと言うのか?コルトパ
一気に走って逃げると言うのか?それとも打って出ると? 数は最低でも四匹。あの巨体が四つ…
しかし、このまま時間が過ぎても奴らは仲間を増やし、こちらは体力を削られていくだけだ。
「何ですかコルトパさん。 新たな指示でも?」
「私が奴らニ仕掛けて引き付ケる。 その間に全力デ逃げてほしい」
フードから覗く眼光は本気であり、恐らくはもう奴らの位置を捕捉している。
跳躍。 雪の中から抜け出したコルトパは体重を感じさせない俊足で雪上を駆け出した。
「~っ!? 思い切りが良いにも程があるでしょうに!
皆!このまま走れぇっ! 絶対に逸れるんじゃないぞ!」
「和耶(かずや)!お前は何処へ行くんだ?!」
慌てて先頭に走って来た隊長が叫ぶ。
「一人で行かせる訳にもいかんでしょう! 私も一緒に打って出ます!
心配せずともキリの良いとこで逃げて追いつきますよ!」
とは言ったが何も思いつかんぞ!えぇいっ! しかし何という速さだ、見失わない様に追いすがるので精一杯だ!
“奴ら”との接触。
周囲は吹雪、相手は巨体、こちらは二人。
次回ダークエルフの戦いへ
- 鈍重ならいいけどトラックみたいな狼とか無理ゲーじゃないですかー! -- (とっしー) 2012-11-04 14:23:05
- 隊長がしょんぼりしているのがかわいそうかわいい -- (名無しさん) 2012-11-04 18:23:09
- 雪山の過酷な環境と襲い掛かってくる巨獣の前では軍人だったとしても人間は叶わぬものでしょうか? -- (名無しさん) 2015-04-05 17:24:04
最終更新:2013年03月26日 00:09