西暦2020年11月21日 02:42 札幌市豊平区平岸1条12丁目1-32 陸上自衛隊豊平駐屯地 自衛隊札幌病院
「暇だ」
草木も眠る丑三つ時後半。
北海道最大の都市である札幌の夜も、その中にある自衛隊札幌病院も静けさに包まれていた。
その一室で、佐藤は退屈そうに呟いた。
首の傷は順調に癒えており、今年の年末は大陸で部下たちと共に過ごす事が既に決定されていた。
書類は指揮官代行のあの新人三尉が処理する事になっており、更にここは日本国内自衛隊駐屯地内部の病院である。
やるべき事もなければ、不躾な深夜の襲撃者もいない。
しかし、彼にとって一度眠れなくなると夜は長かった。
そして、特にこの夜は長かった。
同時刻 自衛隊札幌病院地下 霊安室
「この部屋の本当の意味の出番が来るとはな」
この日、霊安室には二人の人間がいた。
彼らは霊安室の管理を担当していた。
「聞いたか?こいつら大陸で班ごと全滅したらしいぜ」
「班ごと?それは穏やかじゃないな」
眉を顰める片割れ。
大陸での戦闘は、現代兵器を使用している事から、一見すると非常に派手である。
しかし、実際にはそれは攻撃を受ける側から見た話であり、する側から見れば演習と変わらない。
不意の遭遇戦や奇襲で死傷者が出るには出るが、それはあくまでも少数でしかなかった。
その状況下で、一個戦闘班が全滅するというのは、考えにくい。
「例の魔法ってやつか?」
「それも飛び切り強力な奴だったらしいぜ。
見てた奴の話だと、警告の叫びもなくバタバタと倒れてそれっきり」
「やばいなそれ」
「しかもだ、これは実際に見た奴から聞いたんだが、黒い霧みたいなものが全員を包んで、体の中に吸い込まれていった。
いや、正確には霧が体の中に飛び込んでいったそうだ」
「やばいな、それ」
薄気味悪そうに死体が安置されている特別な棚を見る。
死体を保存するためのそれは、冷蔵装置の低い唸り声を発しつつ静かに佇んでいる。
「派遣されなくて良かったな、俺たち」
「滅多な事いうんじゃない。あいつらは、俺たちの代わりに死んだも同然だぞ」
心底安心したように呟いた片割れを、もう一人は険しい表情で注意した。
「あ、ああ、すまん」
「まあ、お前と同じ気持ちがないわけじゃないがな。それでも言っていい事といけない事はあるだろう」
「そうだな、どうかしてたよ」
霊安室の中は、それきり静かになった。
冷蔵装置の唸り声、二人の自衛官が立てる僅かな音。
それだけだった。その時までは。
「何か、聞こえないか?」
「やめてくれよ、こんな時間にする冗談じゃないぞ」
不意に尋ねた片割れに、もう一人は嫌そうな声で答えた。
「いや、気のせいじゃない、よく聞いてみろ」
頑なに譲らない片割れに、もう一人は耳を澄ませた。
冷蔵装置の音に混ざり、確かに何かが聞こえる。
「なんだ?これ」
片割れが呟いた瞬間だった。
部屋の電気が点滅を始める。
「お、おい?」
「あ、ああ」
怯えた二人は、部屋の電気を見上げた。
先ほどまで揺らぐことなく室内を照らしていた蛍光灯が、不気味に瞬いている。
「こ、こまるな。ちゃんと蛍光灯は交換してくれないと。なぁ?」
震える声で、片割れは言う。
だが、もう一人は蛍光灯から目を離さない。
「おい?どうした?」
「蛍光灯なら、今日の昼間に交換したよ」
「で、電力に異常かな?」
「ここは病院だぞ。異常があれば非常発電機に切り替わるはずだ」
蛍光灯の異常な動作にあわせ、奇妙な音は大きくなる。
何かを引っかくような、何かを叩くような。
音の種類と数は増えていく。
「報告だ!報告しよう!」
突然、片割れが叫んだ。
「報告たって、何処に何をするんだよ?」
「なんでもいいよ!とにかく誰か呼ぼうぜ!」
恐慌状態になった片割れは、もう一人の答えを待たずに電話機に飛びついた。
そして、そこで凍りついた。
突然、静かな唸り声を発していただけの棚が、轟音を発しだしたのである。
死体が入っている扉だけが、一斉に。
「なんだよこれ!?なんなんだよ!?」
持っていた受話器を取り落とした事にも気づかず、片割れは喚く。
音はさらに大きくなる。
頑丈に作られているはずの棚が震える。
蛍光灯の点滅はさらに強まり、消えている時間が長くなる。
扉の金具が嫌な音を立てる。
「あいつら死んだんじゃないのかよ!なんで音がするんだよ!!」
遂にしゃがみこんだ片割れは、両耳に手を当てて叫ぶ。
蛍光灯は遂に消え、音はさらに大きくなる。
西暦2020年11月21日 03:15 自衛隊札幌病院 佐藤の病室
「こんばんわ睡魔ーまってたよー」
わけのわからない事を言いつつ佐藤が眠りに落ちようとした瞬間、彼の病室の引き戸がゆっくりと開かれた。
「どちらさまでー?」
突然の来訪者に彼は布団の中から尋ねた。
わずかな月明かりからは、ナース服の引きちぎられた若い女性の姿が見て取れる。
「その黒の下着は、良美ちゃんかな?どうしたそれ?」
通常では考えられない姿に、さすがに意識を覚醒させた彼は、認めたくない現実を目の当たりにした。
すぐさま起き上がり、ベッドを挟んで窓側に退避する。
「何があったか知らないが、そこで止まれ!止まるんだ!近寄ったら攻撃する!勘違いなら謝る!止まれっ!!」
彼が声を張り上げている間にも相手は部屋の中へと入ってくる。
月明かりに照らし出された正面を見た彼は、自身の考えがあっていることを確認した。
目は白濁し、口は半開きになっている。
服は掴みかかられたのか、正面部分が完全に破れてしまっている。
この状態でも取れないというのは、いったいどういうブラなんだ?
そんな事を思いつつ、彼は面会者用の椅子を片手に掴んだ。
「俺の言っている事はわからんな!?すまんが、成仏してくれよ!」
佐藤が椅子を振り上げるのと、相手が掴みかかろうと両手を前に出したのは同時だった。
そのまま相手はベッドに足をぶつけて倒れこみ、佐藤は布団に顔面をうずめた相手に対し、容赦なく椅子を振り下ろした。
もちろんそれだけでは収まらず、二度、三度、彼は椅子を振り下ろし、ようやくの事で相手の動きは止まった。
その頃には、佐藤は血まみれの姿となっていた。
「冗談じゃないぞ、どうして本土でゾンビ相手に戦わないといけないんだ」
喚きつつも彼は冷静に行動した。
廊下に顔を出し、明らかに人間ではない様子でうろつく人影を見かけると、素早く室内に戻り、扉に鍵をかける。
次いで収納棚を強引に引きずり、扉の前へと置く。
血と脳漿まみれになった椅子の足を折り、ドアレバーに固定してつっかえ棒の代わりにする事も忘れない。
「問題は、これからどうするかだな」
月明かりの中で、死体を油断なく睨みつつ彼は呟いた。
微かに廊下から悲鳴が聞こえる。
誰か、不運な奴がまた死んだんだろうな。
「ん?悲鳴?」
不意に、彼の中で名案が閃いた。
この窓の外は自衛隊駐屯地じゃないか。
声をあげれば普通科でも戦車でも、必要ならば支援戦闘機でもやってくる。
「善は急げだな」
腰を上げた彼は、窓へと近づいていく。
だが、そんな彼を引き止めるように、ドアを叩く音が聞こえる。
さすがに生存者だとは考えない。
しかし、ドアを叩く音はあくまでも理性を感じさせる。
力に任せて本能の赴くまま、という音ではない。
「どちらさんで?」
勇気を出して尋ねた彼に答えるように、ノックの相手はドアを激しく叩き出した。
しかし、固定されているドアレバーは全く音を立てない。
どうやら、あまり歓迎したくない相手に声をかけてしまったらしい。
「まいったねぇこれ」
困ったように彼は呟いた。
ドアを叩く音はますます増えている。
どうやら何体かがいるらしい。
「おーい!誰か助けてくれー!」
窓の外から声が聞こえる。
どうやら、隣室の住人が同じ事を考えたらしい。
それに混ざり、微かに雨音が聞こえてくる。
北海道の建築物は、基本的に頑丈に出来ている。
そうしなければ、冬の寒さに耐えられないからである。
それなのに聞こえる雨音。
外を見た佐藤は驚愕した。
いつの間にか月明かりは消えており、猛烈な雨が窓を叩いていた。
人間の声など、少し離れれば直ぐにかき消されてしまう。
気がつけば、ドアの音は止んでいた。
助けを求める声は未だに続いている。
すると、突然何かを叩く音が聞こえだした。
「やめろ!来るな!」
声はより一層大きくなった。
しかし、その声は建物の中に向けられている。
何かを破壊する音が聞こえる。
「来るな!!やめろ!!やめ、やめてくれぇぇ!!!!」
絶叫が聞こえ、そして静かになる。
どうやら、表に助けを求めるには、命を賭ける必要があるらしい。
「どうしたもんかな」
困り果てた佐藤は床へと座り込んだ。
「暇だ」
草木も眠る丑三つ時後半。
北海道最大の都市である札幌の夜も、その中にある自衛隊札幌病院も静けさに包まれていた。
その一室で、佐藤は退屈そうに呟いた。
首の傷は順調に癒えており、今年の年末は大陸で部下たちと共に過ごす事が既に決定されていた。
書類は指揮官代行のあの新人三尉が処理する事になっており、更にここは日本国内自衛隊駐屯地内部の病院である。
やるべき事もなければ、不躾な深夜の襲撃者もいない。
しかし、彼にとって一度眠れなくなると夜は長かった。
そして、特にこの夜は長かった。
同時刻 自衛隊札幌病院地下 霊安室
「この部屋の本当の意味の出番が来るとはな」
この日、霊安室には二人の人間がいた。
彼らは霊安室の管理を担当していた。
「聞いたか?こいつら大陸で班ごと全滅したらしいぜ」
「班ごと?それは穏やかじゃないな」
眉を顰める片割れ。
大陸での戦闘は、現代兵器を使用している事から、一見すると非常に派手である。
しかし、実際にはそれは攻撃を受ける側から見た話であり、する側から見れば演習と変わらない。
不意の遭遇戦や奇襲で死傷者が出るには出るが、それはあくまでも少数でしかなかった。
その状況下で、一個戦闘班が全滅するというのは、考えにくい。
「例の魔法ってやつか?」
「それも飛び切り強力な奴だったらしいぜ。
見てた奴の話だと、警告の叫びもなくバタバタと倒れてそれっきり」
「やばいなそれ」
「しかもだ、これは実際に見た奴から聞いたんだが、黒い霧みたいなものが全員を包んで、体の中に吸い込まれていった。
いや、正確には霧が体の中に飛び込んでいったそうだ」
「やばいな、それ」
薄気味悪そうに死体が安置されている特別な棚を見る。
死体を保存するためのそれは、冷蔵装置の低い唸り声を発しつつ静かに佇んでいる。
「派遣されなくて良かったな、俺たち」
「滅多な事いうんじゃない。あいつらは、俺たちの代わりに死んだも同然だぞ」
心底安心したように呟いた片割れを、もう一人は険しい表情で注意した。
「あ、ああ、すまん」
「まあ、お前と同じ気持ちがないわけじゃないがな。それでも言っていい事といけない事はあるだろう」
「そうだな、どうかしてたよ」
霊安室の中は、それきり静かになった。
冷蔵装置の唸り声、二人の自衛官が立てる僅かな音。
それだけだった。その時までは。
「何か、聞こえないか?」
「やめてくれよ、こんな時間にする冗談じゃないぞ」
不意に尋ねた片割れに、もう一人は嫌そうな声で答えた。
「いや、気のせいじゃない、よく聞いてみろ」
頑なに譲らない片割れに、もう一人は耳を澄ませた。
冷蔵装置の音に混ざり、確かに何かが聞こえる。
「なんだ?これ」
片割れが呟いた瞬間だった。
部屋の電気が点滅を始める。
「お、おい?」
「あ、ああ」
怯えた二人は、部屋の電気を見上げた。
先ほどまで揺らぐことなく室内を照らしていた蛍光灯が、不気味に瞬いている。
「こ、こまるな。ちゃんと蛍光灯は交換してくれないと。なぁ?」
震える声で、片割れは言う。
だが、もう一人は蛍光灯から目を離さない。
「おい?どうした?」
「蛍光灯なら、今日の昼間に交換したよ」
「で、電力に異常かな?」
「ここは病院だぞ。異常があれば非常発電機に切り替わるはずだ」
蛍光灯の異常な動作にあわせ、奇妙な音は大きくなる。
何かを引っかくような、何かを叩くような。
音の種類と数は増えていく。
「報告だ!報告しよう!」
突然、片割れが叫んだ。
「報告たって、何処に何をするんだよ?」
「なんでもいいよ!とにかく誰か呼ぼうぜ!」
恐慌状態になった片割れは、もう一人の答えを待たずに電話機に飛びついた。
そして、そこで凍りついた。
突然、静かな唸り声を発していただけの棚が、轟音を発しだしたのである。
死体が入っている扉だけが、一斉に。
「なんだよこれ!?なんなんだよ!?」
持っていた受話器を取り落とした事にも気づかず、片割れは喚く。
音はさらに大きくなる。
頑丈に作られているはずの棚が震える。
蛍光灯の点滅はさらに強まり、消えている時間が長くなる。
扉の金具が嫌な音を立てる。
「あいつら死んだんじゃないのかよ!なんで音がするんだよ!!」
遂にしゃがみこんだ片割れは、両耳に手を当てて叫ぶ。
蛍光灯は遂に消え、音はさらに大きくなる。
西暦2020年11月21日 03:15 自衛隊札幌病院 佐藤の病室
「こんばんわ睡魔ーまってたよー」
わけのわからない事を言いつつ佐藤が眠りに落ちようとした瞬間、彼の病室の引き戸がゆっくりと開かれた。
「どちらさまでー?」
突然の来訪者に彼は布団の中から尋ねた。
わずかな月明かりからは、ナース服の引きちぎられた若い女性の姿が見て取れる。
「その黒の下着は、良美ちゃんかな?どうしたそれ?」
通常では考えられない姿に、さすがに意識を覚醒させた彼は、認めたくない現実を目の当たりにした。
すぐさま起き上がり、ベッドを挟んで窓側に退避する。
「何があったか知らないが、そこで止まれ!止まるんだ!近寄ったら攻撃する!勘違いなら謝る!止まれっ!!」
彼が声を張り上げている間にも相手は部屋の中へと入ってくる。
月明かりに照らし出された正面を見た彼は、自身の考えがあっていることを確認した。
目は白濁し、口は半開きになっている。
服は掴みかかられたのか、正面部分が完全に破れてしまっている。
この状態でも取れないというのは、いったいどういうブラなんだ?
そんな事を思いつつ、彼は面会者用の椅子を片手に掴んだ。
「俺の言っている事はわからんな!?すまんが、成仏してくれよ!」
佐藤が椅子を振り上げるのと、相手が掴みかかろうと両手を前に出したのは同時だった。
そのまま相手はベッドに足をぶつけて倒れこみ、佐藤は布団に顔面をうずめた相手に対し、容赦なく椅子を振り下ろした。
もちろんそれだけでは収まらず、二度、三度、彼は椅子を振り下ろし、ようやくの事で相手の動きは止まった。
その頃には、佐藤は血まみれの姿となっていた。
「冗談じゃないぞ、どうして本土でゾンビ相手に戦わないといけないんだ」
喚きつつも彼は冷静に行動した。
廊下に顔を出し、明らかに人間ではない様子でうろつく人影を見かけると、素早く室内に戻り、扉に鍵をかける。
次いで収納棚を強引に引きずり、扉の前へと置く。
血と脳漿まみれになった椅子の足を折り、ドアレバーに固定してつっかえ棒の代わりにする事も忘れない。
「問題は、これからどうするかだな」
月明かりの中で、死体を油断なく睨みつつ彼は呟いた。
微かに廊下から悲鳴が聞こえる。
誰か、不運な奴がまた死んだんだろうな。
「ん?悲鳴?」
不意に、彼の中で名案が閃いた。
この窓の外は自衛隊駐屯地じゃないか。
声をあげれば普通科でも戦車でも、必要ならば支援戦闘機でもやってくる。
「善は急げだな」
腰を上げた彼は、窓へと近づいていく。
だが、そんな彼を引き止めるように、ドアを叩く音が聞こえる。
さすがに生存者だとは考えない。
しかし、ドアを叩く音はあくまでも理性を感じさせる。
力に任せて本能の赴くまま、という音ではない。
「どちらさんで?」
勇気を出して尋ねた彼に答えるように、ノックの相手はドアを激しく叩き出した。
しかし、固定されているドアレバーは全く音を立てない。
どうやら、あまり歓迎したくない相手に声をかけてしまったらしい。
「まいったねぇこれ」
困ったように彼は呟いた。
ドアを叩く音はますます増えている。
どうやら何体かがいるらしい。
「おーい!誰か助けてくれー!」
窓の外から声が聞こえる。
どうやら、隣室の住人が同じ事を考えたらしい。
それに混ざり、微かに雨音が聞こえてくる。
北海道の建築物は、基本的に頑丈に出来ている。
そうしなければ、冬の寒さに耐えられないからである。
それなのに聞こえる雨音。
外を見た佐藤は驚愕した。
いつの間にか月明かりは消えており、猛烈な雨が窓を叩いていた。
人間の声など、少し離れれば直ぐにかき消されてしまう。
気がつけば、ドアの音は止んでいた。
助けを求める声は未だに続いている。
すると、突然何かを叩く音が聞こえだした。
「やめろ!来るな!」
声はより一層大きくなった。
しかし、その声は建物の中に向けられている。
何かを破壊する音が聞こえる。
「来るな!!やめろ!!やめ、やめてくれぇぇ!!!!」
絶叫が聞こえ、そして静かになる。
どうやら、表に助けを求めるには、命を賭ける必要があるらしい。
「どうしたもんかな」
困り果てた佐藤は床へと座り込んだ。