空を仰ぐ
ウェザー・リポートの顔に冷たい雫が降り注ぐ。
いつまでこうしているのだろうか?
滅多に感情を表に出さない顔は相変わらずの鉄面皮を貫いていたが、
静かに路上に立ちすくむ彼の姿からは哀愁と不安が読み取れた。
毛皮でできた特徴的な帽子を濡らす雨は止めようとすればいつでも止められる。
しかし、彼は落ちてくる雫に身を晒し全身で風雨を受け止めた。
それは全てを揺るがす豪雨でも、何もかもを吹き飛ばす烈風でもなく、
優しく地面に染み渡っていく小雨と心地よい微風。
亡くなった仲間を天へと送る彼なりの鎮魂を続けていく。
「エルメェス……エンポリオ……」
呟いた二つの名は風に乗せられてどこかへ消え去った。
放送を聞いてから初めて発された言葉は非常に小さく、儚い。
だが、彼の放つ眼光はあまりにも力強く、雄雄しい。
視線を下げハッキリと前を見据えたウェザーの耳に同行者である
ブラックモアの声が届いた。
「気持ちの整理はできたみたいですねぇ」
「あぁ……すまない。貴重な時間を大分浪費してしまった」
「いえいえ。むしろ、うわついて隙だらけの行動を取られるほうが困りますから」
「そうか……」
己のスタンド能力により地上から5メートルほど高い位置に立っているブラックモア。
自然とウェザーを見下ろす形となるが、互いに細かい礼儀などは気にしない。
再び頭を上げて、ブラックモアと目を合わせながら会話を続行する。
「で、どうだ? 何か怪しいものでも見えたか?」
「すみませぇん。この高さからでは特に何も確認できませんでした。
もう少し上に行けばいいのかもしれませんが、無防備に姿を出すのは好ましくないんで。
まぁ、私達が危惧するのは外ではなくて内側ですね。随分怒っていらっしゃいましたよあの二人」
ブラックモアは軽い口調で返事をしつつ、雨粒を掴みながら下へ降りていく。
飄々とした彼のイメージから程遠い速さで颯爽と地面へと降り立った彼は、帽子に付いた飾りの位置を正した。
哺乳類の尾のような飾りは水を吸って重くなっていたが気にせずにウェザーへと顔を向ける。
「……これからについて話し合いましょう。何も言わずに東のボンペイまで移動してくれませんか?
出来れば、あの二人をまくために北に雨を降らせながら移動させていただくと嬉しいのですが」
「了解した……。ただ、いつもに比べて疲労感が大きい。正直な話数キロいくかいかないか分からないほどにだ。
限界が来たらすぐに解除するから何時までも騙し続けるのは不可能だろう」
「それで構いません。ある程度の距離まで撒くことが出来れば追跡はこの広い会場、不可能でしょうから」
黒と白が入り混じった鼠色の雲がゆっくりと、しかし確実に北へと向かっていく。
それがウェザーの無言であり明確な肯定の返事。
ブラックモアもそれを感じ取り、口を閉ざしたままで東へと足を向けた。
暁の空の下、死の都が太陽に照らされて白く輝く。
2000年近くも前からずっと変わらずに佇んでいた石造りの建物は荘厳な雰囲気を醸し出し、
大通りを歩くウェザー達の網膜と心に自然と焼け付いていく。
「これがポンペイですか、話には聞いてましたが……実際に見るとやはり違いますね。
百聞は一見にしかず。まさにその通りですが最初に考えたのは誰なんでしょうかネェ?」
「さぁな。しかし……少なくともこれを言い出したのは一人じゃない気はする。時代、場所、人物は違えども同じことを考えたヤツは何人もいるはずだ」
石畳で舗装された大通りを歩きながら何気ない会話をしつつ、全方位を見回す。
辺りの警戒の意味、そしてゆっくりと腰を据えて話し合うことが出来る隠れ家を求めて。
そして十分ほど歩き回った後、ブラックモアが一つの建造物を指差す。
大抵の家が何処かしら崩れている、もしくは大通りに面しているなどの理由で隠密には向かないのに対し、
その石積みの住居は小道の奥の方に位置している上に、目立った傷すら存在しない。
まさに二人が捜し求めている条件にピタリと当てはまる物件であった。
「ここにしましょうか。いざと言う時も雨漏りはしないと思いますよ」
二人は開け放ちの入り口から民家へと入り込み、一通り中を見回す。
ウェザーは家と一体化する形で床から生えているテーブルと机を発見し、腕で押して強度を確認してから固い椅子へ腰を下ろした。
「ふぅ……」
臀部が石と接すると同時に小さな溜息を吐き、もう一つの部屋へと向かったブラックモアを待つ。
「悪いが先に座らせてもらっている」
「いえ、全然構いませんよ。向こうも結局何もないみたいですからね」
ウェザーと同様、ブラックモアも椅子の耐久性を確認してから座る。
静寂が両者の間に広がり、屋内特有のひんやりとした空気に包まれながらしばしの休憩を取った。
ブラックモアはディバッグよりペットボトルを取り出してキャップを捻る。
蓋を口につけると気泡が天に向けられた底へと昇り、内容物の量を減らす。
透明かつ軽量で固い未知の素材に興味が湧くものの、この状況で聞くのは場違いな雰囲気があるので湧き上がる好奇心をグッと抑えた。
「補給しておこう」
小さな吐息と共に唇が離れていったペットボトルの口を綿毛のような雲が覆い、減った分の水を再び充填する。
謝礼の言葉を述べ、満タンとなった容器の蓋を閉めたブラックモア。
「さて、そろそろ本題に入りましょうか?」
彼の目が一瞬だけ輝いた。
「襲撃は第二放送時。これに異議はありますか?」
「早人の安全がある程度保障されるならばそれで構わん」
最も優先するのは駅に捕らえられた
川尻早人の安全。
向けられた鋭い視線を受け流しブラックモアは飄々と言った。
「殺すならば、移動時だと私は踏んでいます。早人さんは人質としての役割も果たしてますからね。
それに今すぐ行って他の同盟メンバーと鉢合わせた時も考えれば多少であろうとも時間を置いたほうが賢明だと思いますが」
「そうだな……どちらにしろ危ない橋を渡るならば少しでも確立が高いほうを選ぶべきか」
頭では納得できる。
実際、自分たちが移動した後に駅にいた三人がどう動くかは分からない。
下手に襲撃現場に居合わせ敵が増えましたとなっては目も当てられないだろう。
心の底にわだかまりが残るものの、理性で押さえつけて無理矢理納得させる。
「今回の禁止エリアはヴァニラとの戦いにおいて支障をきたす事にはならないでしょう。
隣とはいえども逃げ場の少ない橋の方へ逃げ込むくらいならば北の開けた部分に逃げるべきでしょうからね。
ヤツの能力……えぇっと、何と言うべきでしょうかね?」
「ブラックホールなんていうのはどうだ? 引き寄せる能力があるわけじゃないが、一度入れば出れないという点では共通している。
それに……内部で粉微塵の粒へと変えるという点もまさにブラックホールだ」
呼称に詰まるブラックモアにウェザーが何気無く思いついた単語を送る。
ブラックホールが何かは理解できないものの適当に相槌を打って会話を元に戻す。
「一度触れれば防御不能で即死……実に厄介な能力ですね。挙句の果てには可視不能。
ここまで強すぎるともはや感心する気すら起きません」
「だが、俺の能力さえあればヤツの軌道を視認することくらいなら出来る」
「えぇ。雨であろうと構わず消し飛ばしますからそれで動きだけは分かります」
不可視であるはずの敵の動きが見える、これだけで勝率はグッとあがる。
しかし、ウェザーはその事について手放しで喜ぶわけにはいかなかった。
自身が見た光景から導き出される恐るべき可能性の存在により。
「だが……早人と一時期行動していたアヌビス神とやらの話によれば、口の中にスタンドの体全体を収める事ができるらしい。
どんな絵になるかは想像がつかないほど奇妙な話だけどな。それに俺もヤツがスタンドの口内へと入ろうとするのを確かに見た」
「それは、最強の矛が最強の盾を兼ねると言いたいんですか?」
「早人の話によれば、スタンドの口の中に少しでも入った時点で粉砕されるだろうから恐らくは」
この言葉と共に再び沈黙が二人の間を覆う。
推測ではあるが、最悪の条件が二人の脳裏を過ぎる。
敵に触れた時点で粉々にする攻撃は、敵側からの攻撃をも砕く防御ともなる。
もし、もしもこの仮定が当たっていたら一体どのようなスタンド能力を以ってすれば彼に勝てるのだろうか?
暗雲が狭い室内に立ち込めていく。
「本当に……困りましたねぇ」
「弱点が無いわけじゃない。エンポリオと早人の情報から分かった事がある。
スタンド内に入っている最中は外界の様子は一切知覚できないという事だ。
これについては伝聞だけでなく、俺自身が判断する材料も存在している。
橋についている痕跡を見たか? 人間、それも子供一人を仕留める動きにしては無駄が多すぎる」
「そういえばそうですね。つまり……ヤツは当てずっぽうなんですか。いやはや、呆れるばかりですよ」
少しだけ俯き、小さな溜息を漏らす。
ゴリ押しであろうとも如何なる敵に勝てる算段があるからこその行為。
実際に、自身のスタンド能力を過大評価しているわけではなく
ヴァニラ・アイスにはそれを実行するだけの力があった。
「とりあえず現在分かっている事について纏めてみましょうか。
まず、ヴァニラ・アイスのスタンドは口の中にブラックホールに似た何かを作り出す能力で触れれば粉みじんになる。
更にヴァニラ・アイスはスタンドの体内に隠れることによって如何なる攻撃も通さなくなる。
それどころかスタンド自体の体までも“口”の中へ隠すことが出来る。
しかし、“口”の中からは外界の様子は分からない。こんなところですかね?」
「あぁ、付け加えるならば全体が口に収まった時の移動速度は尋常じゃないとも聞いている」
「尋常じゃない……こればかりは実際に体感しなければ分かりづらいですね」
顎に軽く手を添えながらブラックモアは大きく背中を後ろに傾け、背もたれが無いことに気付き慌てて体勢を戻す。
駅で曲者達を見事に纏め上げた隙のない彼と、今のような間抜けな行動や口調を取ってしまう彼。
ウェザーにはどちらの姿がブラックモアの本質か分からないが気にしないことにした。
自分の能力と赤い糸で結ばれたような見事な相性。
彼にとってはこれは大きなメリットとなる。ブラックモアへの疑問を振り払い、彼は二つ目の憂いを尋ねた。
「ところで同盟を組んだ連中はどうするつもりだ? 俺個人としては連中をほうっておくのは気が進まない。
叩けるならば機を見てたたけるようにしたいと思っているんだが」
「ですね。私もその辺に関しては思うところがあります。が、しばらくは手を出すべきではないでしょう。
ヴァニラと戦う前に消耗するのはキツイですし、戦った後に私達が五体満足の保障はないですから」
(それに……彼らには戦力として期待させてもらっているからな)
心の底に隠した本音を億尾も出さずにブラックモアはウェザーへと進言する。
優勝するといった目的がある以上は志を共にする仲間(もっとも最終的には敵同士として潰しあうが)は必要だ。
「それに、さっきの彼らを見て分かるとおりこの会場には案外殺し合いに乗るヤツが多い気もします。
もしかしたら危険人物の間引きにも役立つかもしれませんからね」
(彼らの能力は、少なくともアンジェロの方の能力は間違いなく水系統を操る能力。
ならばウェザーを味方に引き込んだ私が負ける要因もない)
彼は今後の算段も含めてアンジェロとJガイルは生かしておくことにした。
ヴァニラは第二放送になれば殺しに行くから関係がない。
ならば現在彼の目の上のタンコブになっているのは――――
「ですが、ラバーソウル。彼だけは放置しておくと非常に厄介なことになりますね。
変身能力を持つ彼に私たちの顔を覚えられたし、彼の顔が何時までも同じとは限らない。更に足として非常に優秀な足まで持っている。ようするに最悪ってやつです。
一刻も早く彼に対処しなくてはなりません……。しかし、先程は同盟を組んだ建前上下手に手出しすることができませんでした」
変身能力がある上に、未知数の能力があるが故に油断ならない相手にブラックモアの警戒も激しくなる。
逃がさざるを得ない状況をつくった事を本気で悔いるブラックモア。
馬に乗っている以上は既に彼は自分たちが追いつけないところへと逃げてしまっているのだろう。
「本当にすみませぇん。あの時何とかしていればよかったですね。私の完全な判断ミスでした」
「いや、むしろそれに気が付かなかった俺が悪い。仲間のことで頭がいっぱいいっぱいだったからな……」
「気にする事はありません。が、本当にどうするべきでしょうねぇ」
溜息と共に吐き出された一言が二人の肩に重くのしかかる。
厄介な相手を見逃してしまったことだ。
ヴァニラを相手にする前に憂慮すべきことが増えてしまった事は非常に大きい。
が、よどんだ空気を変えるためにウェザーはブラックモアへと話題を振る。
「とりあえずアンジェロとJガイルは放置。ラバーソウルは万が一出会えたら潰しにかかる。
放送が来るまではどうする? 駅付近でも歩き回って仲間でも集めるか? それともここで作戦を煮詰めるか?」
「そうですねぇ……移動する事にしましょう。詳しい作戦は歩きながら考えていけばいいですし、
作戦は万が一ラバーソウルが私たちの悪評を広めるならばその前に一人でも多くの参加者にコンタクトを取ることが阻止につながります」
荷物を手に取り、立ち上がりながらブラックモアは自分の意見をウェザーに伝える。
無言で頷き、ウェザーも彼に倣って荷物を拾い上げて出口へと向かう。
(やれやれ、ウェザーの信頼を得る。彼らとは敵対しないように上手いこと誘導する。
この二つを同時に行う『蝙蝠』のような作業は本当に骨が折れる)
ブラックモアの心の呟きに反応するように、天井の隅に付着していた水滴が光を反射した。