痛みを分かち合う程度の能力

――第一回放送が終わった。

「……承太郎、今呼ばれた中に……確か居なかったわね?」

博麗霊夢が、努めて声に感情を込めぬように尋ねた。

「……ゼロ、だ。直接会ったことがあって、名前を知っている人物に限っていえば、だがな。
 『シーザー・アントニオ・ツェペリ』、『ウィル・A・ツェペリ』、『スピードワゴン』
 ……皆、俺の時代にはスデにこの世にいない人物だ。
 ただ、『タルカス』と……どこかで見た名前だ。確か……世界史の資料集とか、だったか。
 大統領に倒されたとかいう『ブラフォード』も、だ。
 あとは、聞いたことの無ぇ名前だ。もしかしたら、だが……まだ生きてる『ホル・ホース』、『ヴァニラ・アイス』の他に、
 オレたちがブチのめしてやったDIOの手下もこの場に呼び出されて、今、名前を呼ばれたのかも知れねーがな」

とりあえず、身近な知り合いは呼ばれなかった。
承太郎はそんな安堵をなるべく声色に出さぬよう、努めて事務的に答えた。

「……そのDIOの手下とやらの名前は、判らないのか」

「名を聞く間もなくブチのめしてやったことは一度や二度じゃねーからな……フー・ファイターズ、お前は」

「ああ。『エルメェス』という名があった。お前の娘、空条徐倫と行動を共にしていたスタンド使いだ。
 ……霊夢、お前は」

フー・ファイターズが、機械的に尋ねた。

「……『ナズーリン』、『伊吹萃香』、『紅美鈴』、『星熊勇儀』、『魂魄妖夢』、
 『二ッ岩マミゾウ』、『アリス・マーガトロイド』、『幽谷響子』、そして『十六夜咲夜』。
 ……承太郎にはさっきひと通り話したとは思うけど、私の知り合い……
 幻想郷の住民は、さっきの第1回放送とやらで呼ばれた18人の中に、9人いたわ」

「…………」

承太郎は反応を返すことができなかった。
……ただ帽子の鍔をつかみ、黙って俯いていた。
霊夢の方を見ないようにしながら。

先ほど情報交換を行った通りであれば、このバトルロワイアルに参加させられた90人のうち、
およそ半数が幻想郷の住人……関係の深さに程度の差はあれど、みな霊夢の友人と言って良い。
今告げられた死者18人のうち、9人がそうだった。
――確率的にいえば、妥当な割合だろう。
いや、DIOやその手下たちのような超危険人物も多く参加する中で、
戦い慣れていない者も多いと聞く幻想郷の住人たちは、良く生き残っている方ではないのか。

そんな考えが自身の頭の中に浮かんだことを、承太郎は嫌悪した。



(……辛ぇだろうな)

――そういえば、というのも奇妙な話だが、承太郎自身、3人のかけがえのない友を喪ったばかりだった。
彼らを喪いながらもDIOとその最後の部下、ヴァニラ・アイスを斃したのが、エジプトはカイロの、日没直後の話。
その次の日の朝にポルナレフと別れてジョセフと共に日本行きの旅客機に搭乗し、
――この、日本の山奥に存在する秘境・幻想郷に呼び出され、殺し合いに参加させられたのだ。
幻想郷に呼び出されて6時間。彼らの死からまだ、丸一日も経っていない。
だというのに、その事実にあまりショックを感じていないことを承太郎は自覚する。

アブドゥル、花京院、イギー。(この場に呼び出された花京院はどうやらまだ生きているようだが)
彼らとの縁は、いずれもDIOを追う旅にまつわる――非日常の中でのものだった。
自分も含めて、刺客の攻撃を受けていつ死んでもおかしくない――そんな旅だった。
彼らの死が、悲しくない訳ではない。
だが、それでもこうして平静を保っていられているのは、
『覚悟』を持っていたお陰だろう。非日常の、戦場の中で生きる覚悟を。

もし、戦いの場でない日常の中で突然親しい者が死んだとしたら――。
例えば、カイロへの旅立ちの日――母・空条ホリィがDIOとの運命の引力によって、母自身を蝕むスタンドを呼び覚まされたあの時、
母に残された時間が『50日』でなく、『6時間』だとしたら――。
つまり、共に日常を生きていたはずの母が殆ど打つ手無く『突然死』に近い形で死亡したとしたら――。
きっと承太郎とて取り乱さずにはいられなかったに違いない。

霊夢はまさに今、そんな目に遭わされているのだ。
横目で、名簿を手に俯いて立ち尽くす彼女を見やるが――長い髪に隠れ、表情を伺う事はできない。
――こういった気遣いは、どうにも不得手だ。
そもそもついさっきまで赤の他人だった同士でどうにかできる問題なのか。

「……何見てるのよ承太郎。こっちの様子をチラチラと」

気づかれた。

「あんたに気遣われなくても、このくらいなんてこと無いわよ。
 こちとら鬼さえ泣かす無慈悲で薄情な博麗の巫女よ。祓ってきた妖怪は今まで数知れず。
 妖怪や妖怪に付き従う人間がこれくらい死のうと、どうってことないわ。
 あんたなんかに気遣われる筋合いなんて、無いのよ」

フンッと鼻息を一つついて、霊夢は承太郎の方に向き直った。
そしてすまし顔で歩き出すと、承太郎の前を通り過ぎてゆく。



「……霊夢、どこへ行く気だ?」

「ちょっと『雉を撃ちに』、ね。少ししたら戻るから、ついて来ないで」

「……10本も飲むからだ、ビールを」

承太郎は呆れ顔で漏らした。

「待て、霊夢」

「何よ、FF(フー・ファイターズ)」

「女性の場合、排泄に行く際の表現は『花を摘む』、では……グワッ!」

側頭部にアヌビス神の鞘を叩き込まれたFFを尻目に、霊夢は少し離れた低木の茂みの陰へと消えていった。

「……それを言ったら、わざわざ『雉』とか『花』とか言う意味がなくなるだろーが」

「……むう、難しいな……」

凹んだ頭をうつむかせて、しょんぼりするFFに承太郎は耳打ちした。
この生き物に耳という部位が存在するかはひとまず置いておくとして。

「FF……霊夢の様子を見に行けるか? ……コッソリとな」

「体内にペットボトルを仕込めば、多少の時間なら何とかなる。
 ……確かに、排泄中はどうしても無防備になるからな」

「……ああ、そうだな……。
 俺が行ったら覗き魔になっちまうしな」



FFはゆっくりと霊夢の消えていった茂みに近づいた。
そろり、そろりと気配を殺し、首尾よく霊夢の背後に回り込むことができた。
霊夢はしゃがみこんでいる。こちらに気づく様子はない。
野外で排泄を行うなら、当然その姿勢をとっているはずである。

だがFF、そこで気づく。

(下着を脱いでいない……)

彼女は、うっかり下着を脱ぎ忘れたまま排泄行為に及ぼうとしている。
霊夢は下着を脱がないままに排泄の姿勢をとり……今まさにプルプルと身を震わせて――『力んで』いる。
下着を脱がずに排泄を行っては、下着を汚してしまい、不衛生だ。
糞尿に汚染された衣服は周囲に強い臭気を発散し、行動の隠密性を著しく損ねる。

(止めなければ……!)

駆け寄ったFFが目にしたのは、震える身を抱き苦しそうにうずくまる霊夢の姿だった。
頬を涙が止めどなく伝い、歯をを食いしばり、声を押し殺してうめいていた。
痛みをこらえて、苦痛をこらえているように見えた。

その様子はFFの目には、霊夢が酷い傷を負って苦しんでいるように見えた。
失礼とは理解していたが、FFは霊夢に声を掛けずにはいられなくなった。

「さっきの傷が、痛むのか?」

ようやくFFの存在に気付き、ハッと我に返った霊夢。
涙を袖で拭い、向き直ってから、突き放すように言った

「来るなって、言ったでしょ。この変態」

「排泄中はどうしても周囲への警戒が薄くなるからな……。
 すまない……先ほどの戦闘の傷がそこまでひどいとは思わなかった。
 すぐに手当を。私のプランクトンを傷口に詰めれば、止血にはなるはずだ」

「…………」

霊夢はFFの顔を見て一瞬固まった。
そして2呼吸ほどの後に、得心した様子で、

「……そうよ、さっきので傷口が開いたからついでに手当てしてるのよ」

「ではやはり、私が手伝った方が……相当に、苦しそうだったぞ。
 本当に、いいのか?」

「……ええ。見張るのは構わないけど、離れて、あっち向いてて」

「わかった」

FFは霊夢に背を向け、彼女の元を立ち去ってゆこうとした。
1歩、2歩、3歩と進み出た所で――不意に腕を掴まれた。

「待って。……やっぱり、待って。お願い……そばにいて」

振り返ると、そこには涙を流し訴える霊夢の顔があった。
流れ落ちる涙を拭おうともしない、その瞳と視線が合った時。
FFは胸に――ヒトでいう胸の部位に、何かで締め付けられるような、そんな痛みを感じたのだった。
身体を構成する分身たちにダメージはない。その痛みの正体を、FFはまだ知らなかった。



   ○    ○


少女の押し殺した嗚咽だけが、周囲に漏れ出ていた。
霊夢は先ほどまでと同様に、うずくまって震えていた。
FFはその傍に座り込み、霊夢の様子を見守っている。

一体霊夢は私に何がしたいのか。私に何を期待しているのか。
FFは霊夢が呼び止めた意図を、さっぱり理解できないでいた。

見たところ、外傷は――少なくとも、今までの傷口が開いたという様子はない。
FF自身が彼女に与えたダメージも、放送以前の通り、このように苦しむ程では無かったはず。
――では、何故彼女は苦しんでいる?
内臓など、外観では判らない部位に傷を負ったのか?

「霊夢、本当に傷は大丈夫なのか?」

「大丈夫……うっ、ぐずっ……傷はッ、本当に、大丈夫だから……」

「では、なぜ苦しんでいる?」

「悲しいのよ、友達を失って……FF、これがッ……『悲しみ』なのよ」

「……それを私に教えるために、わざわざ呼び止めたのか?」

「ええ……分からない?
 だって……『自由』ってッ……まず心が『自由』じゃないといけないでしょう……」

FFには霊夢の言葉の意味が理解できなかった。
FFに敗北を認めさせた『自由』とは、『悲しみ』という耐え難い苦痛をもたらすものなのか。

『悲しみ』も、言葉は知っていても、それがどの様なものであるかはいまいち理解できなかった。
刑務所の外れでDISCを守っていた頃は、人の感情に関心など沸かなかった。
プランクトンにスタンドと知性を与えられた新生物『フー・ファイターズ』にとって、それは理解の及ばない感情だった。
フー・ファイターズという種族は、全てが一つの意識を共有した存在。
同族が死ぬということは、彼にとっては水さえあればすぐに治るような、ちょっとした傷を負う程度のことに過ぎない。
そして自分以外の生物は全て異種であり、異種族が死のうと、傷つこうと、知ったことではなかった。
だから、人は仲間が死んだら悲しい、ということを、理解できなかった。

――私を負かした『自由』とは、一体何だ? そして、その自由がもたらす『悲しみ』とは?


「霊夢、お前の言っていることが、さっぱり理解できない」

「……そう」

「だから、提案、いや……頼みがある」

「……何よ」

「今一度、私をお前にとりつかせてほしい。
 人間でなく、友もいなかった私にはお前の苦しみが、『悲しみ』という感情がわからない。
 お前が友を喪ってどうしてそんなに苦しそうなのか、理解できないのだ。
 私がお前にとりついて、お前の知性を、今感じている『悲しみ』を体験させてもらうことはできないか」

「…………」

FFの真剣な問いかけに、霊夢は無言で同意する。
そう、FFは真剣だったのだ。
自由がもたらす悲しみとは何なのか、知りたい。
そしてそれ以上に、本人も意識しないところで、
彼は初めて得た仲間の苦しみをどうにかしたいと感じ始めていたのだった。

FFはゆっくりと霊夢の鼻先に指を差し出した。
霊夢はそれをそっと手に取り、桜色の唇に口づけするように、近づけていった。
黒い泥か、水ごけのようなFFの分身たちが、ゆっくりと霊夢の中に流れ込んでいった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


『咲夜は……ほとんど私が殺してしまったようなもの』

『レミリアとパチュリーにどんな顔して会えばいいか、わからない』

『美鈴も、咲夜が生きていれば、彼女も助かったのかも。
 他のみんなも、私が最初からあんなゲームになんて乗っていなければが助けられたのかも』

『たった6時間で9人。『あの男』に殺しあえと言われてしまった以上、幻想郷は本当に終わりなのかもしれない』

『『あの男』が幻想郷という世界に飽きてしまったから、外界の強い人間たちを呼んで殺し合いを開かせたの?』

『それほど、最初に会ったあの男は私には絶対的な存在に感じられた……。
 最初あの男から聞いた言葉は神のお告げの夢……『霊夢』に感じられた』

『友達を、咲夜を殺す罪の意識さえ心の奥底に押し込めてしまえるほどに』

『私ってば、ホント薄情な奴ね。
 友達を殺すのは平気でも、負けるのは我慢できないなんて』

『実際9人も死んだけど、意外と平気。……押しつぶされるほどじゃない。
 こんな薄情な私に、友達を守ることなんてできるのかしら』

『……妖怪なら、いっぱい祓って、いえ、殺してきたからね。やっぱり私は、薄情者なのかも』

『これからもいっぱい人も、妖怪も死んでいくんでしょうね。
 だったら、これくらい薄情でないとやっていけないのかも』

『そんな薄情者の私なのに……!
 どうしてこんなに身体が重いの!?
 どうしてこんなに胸が苦しいの!?』

『手足は水浸しの綿みたいに重いし!』

『胸は鉄のサラシを巻いたみたいに苦しいし!!』

『頭なんて脳味噌が鉛にすり替わったみたいにボーっとして働かない!』

『何もする気が起きないのよ!!』

『立ってるのも、息するのも嫌になって、このまま何もせず寝そべっていたい!』

『そのまま泣き叫んでしまいたい!』

『こんな時に!
 こんな時なのに!!
 こんな……悲しんでられる時じゃないのに!!
 私ががんばらなきゃ! もっと、もっといっぱい友達が死んでいくのに!!』

『……どうして動けないの! どうしてこんなに辛くて、苦しくて! 悲しいのよ!
 何者にも縛られない、博麗の巫女が!!』

『このまま『あの男』の言うとおりに、皆死んでいくなんて……悔しくてしょうがないじゃない!!』


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



「……霊夢、わかった。もういい。もう……たくさんだ。
 お前の悲しみ、苦しみ、絶望は……痛いほどよくわかった」

分身を霊夢の体内から引き戻したFFは、頭を抱えながらこぼした。

「霊夢……どうしてお前はこんな苦しみを抱えながら、『自由』であることにこだわるんだ?」

「証だからよ。
 この身を締め付けるような悲しみは、私が咲夜たちを大切に思っていた証。
 私は、友達を喪って、悲しむ事ができる。
 この感情は、私のもの。誰にだって、奪わせないわ。
 なんて……私も丸くなったものね。少し前までだったら、想像もできなかった。
 ……ついさっきまでだって、そうだとは思わなかった。友達を喪うと、悲しいなんて。
 ねえ、FF。私……最初は殺し合いに乗っていたの」

「ああ、さっきお前の中に入り込んだ時に、わかった。
 霊夢、お前も、私と同じだったのか」

「ええ。アンタが『ホワイトスネイク』の使い手に生み出され、操られていたように
 私も、主催者だった『太田順也』の言いなりだったのよ。
 ここに来る前に私は咲夜を傷つけ、倒れた咲夜は別の誰かに殺された。
 私の落とした妖刀を持ち去ってね。
 ……彼女は、殆ど私が殺したようなものなのよ」

「……そうか。
 では、今はどうして殺し合いを止めようとしている?」

「私が咲夜を倒した後に、承太郎が現れた。
 私はあいつとも戦って……殆ど相打ちに近い形で倒れたの。
 その時持っていた妖刀を落とした私は考えたわ。
 私の持っていた妖刀には人を操るスタンドが宿っていた。私には通用しなかったけど。
 だから今まで私は妖刀に操られていたということにして、
 承太郎に一旦ついていって、不意を討って殺そうって、ね」

「合理的、ではあるな」

「太田の言いなりの操り人形として動くなら、ね。
 けど、私にはできなかった。
 そんな手を使うのは、あいつとの勝負に、負ける気がして。
 あいつに負けると思うと、とても悔しくて。
 一回あいつを殴り倒して、参ったって言わせてやらなきゃ、どうにも気がすまなかった。
 そうするには、妖刀を落としてからも、承太郎に挑戦する必要がある。
 操り人形の範疇を逸脱した行為ね。
 ……そうして私は操り人形としての役割を捨てて、承太郎に再戦を挑み、私に、『博麗霊夢』に戻ることができた。
 ……妖刀を持って逃げた奴に咲夜が殺されたのはその時よ。
 私は、『博麗霊夢』は、咲夜の死を悲しんだ。悲しみなんて、感じるはずないって思ったのに」



「傍から見れば、支離滅裂だな。お前の行動」

「……返す言葉もないけど、まあ、そういうことよ。
 そういう意味では、承太郎も、私の恩人ね……あっ、今のだけは、あいつには言わないでよね。
 ……つまり、私が何を伝えたいかっていうと!」

「ああ」

「悲しみも、悔しさも、全ての『感情』はその人自身のもの。
 そう感じる心を誰かに奪わせるなんて、あっちゃいけないことなの。
 ……それが『自由』ってことだから。
 だからFF。12時になって、約束の時間が終わったら、アンタはアンタ自身の『感情』に従って行動しなさい。
 まぁ、またDISCを奪おうとして他の奴を襲うっていうなら、私がぶちのめすけどね。
 アンタにも私にも、『自由』は存在するんだから」

「感情……人ならざる私にも、あるのか?」

「あるはずよ。人にだって、妖怪にだって感情はある。
 アンタに無いとは思えない。……だからこそ、私に負けを認めたんでしょ?」

「……そうだったな」

「じゃ、私の話は終わり。FF。見張るなら離れて見張ってて。
 私は、もう少し泣く」

「……ああ……いや、ちょっと待て。
 ……お前はまだ、我慢しているんじゃないのか?」

「何をよ」

「泣くことを、だ。
 本当はもっと大声で泣き叫びたい、それほど悲しいんじゃないのか?
 さっきお前の中に入り込んだ時に、そんな声が聞こえた」

「それは、できないわ。だって、承太郎に聞こえるじゃない」

「人間とは、難しい生き物だな……。それなら、これでどうだ?」



FFは急に何か閃いた風に手を叩くと、霊夢の鼻の穴に指を突っ込み、
霊夢の体内に再度侵入した。
抗議の声をあげようとした霊夢だったが、

(声が出ない!! FF! アンタ一体何したのよ!!)

「お前の肉体を操って、声帯の機能を一時的に停止させた。
 今のうちに、好きなだけ泣き叫ぶといい。
 もっとも、その声が彼に聞こえることはないだろうがな」

(え……)

「さあ、今のうちだ。……本当は泣きたいほど悲しくて、悔しくて、苦しいのだろう?
 私にも、うんざりする程に伝わって来る」

(でも……)

「あれほど他人に操られる事を嫌がっていたお前が、
 どうして再び私の侵入を許した?
 本当は、自分の苦しみを、誰かに理解して貰いたかったのではないのか?」

(……それは)

「生き残る可能性を、この殺し合いを破壊する確率を少しでも上げたいなら、
 泣けるうちに好きなだけ泣いて、少しでも心の重荷を取り除く事を推奨する」

(いいのね? FF)

声なき声は既に涙ぐんでいた。



   ○    ○


――そして霊夢は、思いっ切りに泣いた。
泣き叫んだ。大泣きに泣いた。
間違いなく、彼女の人生で初めての経験だった。

霊夢はみなし子として生まれ、博麗の巫女としての素質を見出されて拾われた子だった。
物心付いた頃から、修行の人生。(あまり取り組みは真面目ではなかったが)
それなりに大事に育てられはしたが、それは彼女が次代の博麗の巫女だったから。
今の自分のように、感情のままに大泣きするような自分の弱みを、他人に見せることはできなかった。
弱みを誰かに見せた瞬間、博麗の巫女・不適格として、捨てられるかもしれないと思ったからだ。
そんな彼女のサガは、霊夢が成長し、正式に博麗の巫女を襲名して、
気のおけない友人たちが出来てからも、ずっと意識の底に残り続けていた。

霊夢はこの日生まれて初めて天を仰ぎ、声なき声で泣き叫んだ。


DISCを守るため、ただそれだけのためにロボットの様に生きてきたFFの考え方はどこまでも合理的で、
それでいて人の心の痛みを理解することのできる彼は、ひょっとして世界で一番優しい存在なのかもしれない。
――霊夢はそう思ったのだった。



                    ●

                    ●

                    ●

「……そろそろ戻ろうか、FF」

どこかスッキリとした、そんな表情で霊夢は言った。

「……少しは、楽になれたか」

「ええ……ざまぁ無いわね。アンタに教えてあげるつもりが、逆に助けられるハメになるなんて。
 でも……ありがと、だいぶ肩の荷が降りた気がするわ」

「そこまで苦しかったなら、承太郎に構わず泣けばよかっただろうに。
 そういう『自由』だって、あったのではないか?」

「それは……何か嫌。
 あいつだけには、どうしても情けないところを見せたくないのよ。
 泣くのが『自由』なら、あいつの前で強がっているのもまた『自由』ってことよ」

「『自由』に生きるというのも、難しいのだな……」

と、神妙な表情のFFの横で、霊夢はしゃがみこんだままの姿勢で、おもむろにスカートに手を掛けた。
放送の直後、霊夢がこうして茂みに隠れたのは承太郎に気付かれずに泣くためであるが、
尿意を催していたのもまた事実だったのだ。
何しろ彼女は数時間前に缶ビール10本を飲み干したばかりである。
出したくならない方が不自然である。

霊夢はスカートを下ろそうとしつつ、FFにあっちを向いているよう告げようとした。
まさにその「あっち向いてて」の「あ」が霊夢の口からこぼれようとした瞬間に、

「あ……」

霊夢は下腹部の違和感に気づいてしまったのだ。
――尿意が消えている。膀胱の張りも全く感じない。
涙を流したせい? いやいやまさか、いくらなんでもそんな量は流さない。
では、茂みに隠れる直前まで確かにあったはずの尿はどこに行ってしまった?

スカートに手を掛けたまま固まる霊夢に、FFが気を利かせて教えてくれた。

「霊夢、排尿の必要はない。さっきお前の中に入り込んだ時に、私が吸収させてもらったからな」

「……えっ?」

青ざめた顔でFFの顔を見上げる霊夢。
哀れFFは彼女の心境を察する間もなく、淡々と続けた。

「どうせ排出する水分だしな。こちらとしても、陸上で貴重な水分が補給できて、助かった」



   ○    ○


「お待たせ。……承太郎、見張りをよこすならちゃんと言ってよね」

「ああ、すまなかったな……」

FFを引き連れて戻って来た霊夢がわりあい元気そうなのを見て、承太郎は内心で安堵した。
放送直後の、見苦しい程に取り繕った霊夢の態度は、もう見られない。

(やれやれ、気を使うまでも無かったか。
 このくらいで……と言えるハズもない出来事だが、
 それでも、このくらいで折れるタマじゃなかった、か)

「……FFも、その、何つーか……ご苦労、だったな……。
 認識が甘かった、人間相手じゃなければ覗かれても大丈夫だと思ったんだが……」

恐らく覗き魔としての制裁を受けたのだろう、頭部がボコボコに凹んだFFに、
承太郎は心からの労いと謝罪の言葉を掛けた。

「そうじゃなくて……これはだな……。……いや、止そう。この話は……」

FFはその時あった出来事について、決して語ろうとはしなかったのだった。

「さ、行きましょ、承太郎……って、アンタ何してたの?」

「……コレか?」

承太郎は、右手を胸の高さで空に向けて、左手でその中の何かをいじり回してるようだった。

「承太郎、そんなに珍しいか? 私の身体は」

承太郎の手にあるのは、他でもない『フー・ファイターズ』の身体の一部の、プランクトンである。
承太郎はそれを指で摘んだり、太陽の光に透かしてみたり、先ほどから実に興味深そうにいじり回していたのだった。

「ああ、珍しいぜ……刀や、犬や、猿のスタンド使いは見てきたが、
 まさかプランクトンの群体がスタンド使いになるなんてのはな……」

「まったく、FFは、FFよ。コイツがどんな生物かなんて、今はそんな事に構ってる場合かしら?」

「いーや、重要だぜ? この生物がどんな特徴を持っているか知っておく……
 ……つまりは、味方がどんな強みと、弱みを持っているかを知っておくのはな。
 ……スタンドで戦う場合において、最も重要なのは『情報』と言って良い」



承太郎は語る。

承太郎達はエジブトへの旅路を最大6人のスタンド使いで旅をしていたが、
襲い来る敵の数は常にそれ以下で、多くの場合、たった1人であった事を。
そしてそれにも関わらず、承太郎達は何度も全滅の危機に晒されてきた事を。
圧倒的な戦力の差を覆すもの。
それはひとえに、情報の差であった。
襲いかかる敵はこちらのスタンド能力の特性はおろか、
旅の現在位置・ルート・交通手段、そしてスタンド使い自身の性格・生い立ち・癖に至るまで、詳細に調べ上げていた。
こちらの情報はDIO達に筒抜けになっていたといっても過言ではなかった。

だから船や飛行機に乗れば毎回決まって敵の襲撃を受けて破壊されたし、
行動を別にして人数の減った所を襲われる所もままあった。
時には友の肉親の仇をけしかけてチームを分断させられたことさえあった。

逆に敵のスタンドについて、こちらは全く知らない事が殆どだった。
スタンド攻撃を受けていると気付いた時には、既に絶対絶命の状況と判るのが常だった。
敵の未知のスタンド能力を解き明かす為、ただそれだけの為に命懸けのギャンブルに出なければならないことさえあった。
実際、花京院は、本来であれば――と、そこで承太郎は、口を噤んだ。

「……ごめん、悪かったわ」

霊夢は心底申し訳なさそうに、頭を下げた。
気のせいか、彼女の頭の大きなリボンまで落ち込んだ猫の耳のようにおじぎしている様に見えた。

「いや、気にするな。
 それに、ここに来て、また会えるんだ。恐らく……この場だけだがな。
 ……『いつ』の花京院かはわからねえから、複雑だがな」

「……けどさ、承太郎」

「……何だ、霊夢」

「さっきからその『スタープラチナ』が書きまくってる、
 FFの『スケッチ』はさ、本当に必要な情報なの?」

「…………」



霊夢に向かい、情報の重要さについて説く承太郎の傍に立つ、『スタープラチナ』。
彼はさながら電動ミシンの様なスピードと正確さで、承太郎の手のひらの水たまりで泳ぎまわるFFの個体を拡大スケッチし続けていた。
流石に声には出さないものの、『オラオラオラオラ!』と叫び出さんばかりの迫力で水たまりを睨みつけながら、鉛筆を酷使していた。
様々な角度から、白黒写真のように、精密に描かれたFFの50倍拡大スケッチ達。
彼らは次々に増殖を続け、既にA4サイズの紙を埋め尽くそうとしていた。

「ほう……これは中々、正確なスケッチだな。
 スタープラチナの能力については、先ほど見せてもらったが……。
 スタンドには戦うだけではない、この様な使い方もできるのだな……」

「FF、アンタまで……」

感心しきりの表情でスケッチを覗きこむFF。
霊夢も、この時ばかりは頭を抱え、呆れ返ってしまったのだった。

「まったく、あんたって結構細かいというか、マニアックなところがあるのね。
 そんなでっかい図体してる割に。
 いや、身体が大きいと、逆に細かいこと気にする性格になるのかしらね?
 霖之助さんも背は高い方だけど、かなりのうんちく屋さんだもの」

「なんだ、そりゃ……まあ、俺は学者志望だから、そういう部分は否定しねーが」

「何それ、全然イメージに合わない。
 兵隊か、吸血鬼専門のハンターでもやってるのかと思ったわ」

霊夢は彼の第一印象とは余りにかけ離れたその言葉に、思わず吹き出してしまった。

「って……そういえば、承太郎? 私あんたの事何も知らないわ。
 さっき、あんたの仲間や、敵のことについては妙に詳しく話してくれたし、
 私の知り合いについても詳しく聞き出そうとしてたのは正直ヘンに思ったけど、今の話を聞いて納得がいったわ。
 けど私、あんた自身の事は何も知らないわ。
 スタンド使いで、ジョースターって一族の人間ってこと以外は。
 あんた、いったい何者なの? どうして自分の事はほとんど話そうとしないの?」

「どうしてって、見ての通りだからだ……。
 ……俺はただの高校生だ、時々『不良』って頭につくがな。
 学校ってシステムが幻想郷にあるかは知らねーが」

承太郎のあっけらかんとした答えに、霊夢は食って掛かった。

「ああん? ……そんな訳ないでしょう?
 外界の学生がどんなのかは人づてだけど、だいたい知ってるわ。
 ただの学生が吸血鬼退治とか、そういう戦いに巻き込まれる訳、ないじゃない」

「……そこはもう話したはずだぜ。
 呪いに掛かった俺のオフクロを救うため、俺たちはエジプトに向かい、DIOを倒したってな。
 ここでもう一度やり直すハメになっちまったがな」

「……本当に? それ以前は修行とか、戦う訓練とか、何にもしてこなかった訳?」

「全く無ぇな。スタンドに目覚めたのも、オフクロが呪いに掛かる少し前だった。
 まだ2ヶ月も経ってねぇ」

「そう……」

すると、霊夢は一転して黙りこくり、承太郎の顔を見上げるのをやめて

「…………」

「……悔しい」

と漏らしたのだ。



「ん?」

「何だか、すっごく『悔しい』わ」

そして霊夢は語り出した。どこか、遠くの方を見つめながら。

「私はさ、物心ついたころから妖怪退治の『博麗の巫女』として、修行を積んできたの。
 ……まぁ、あんまりマジメに修行した記憶はないけどさ。
 とにかく! 私はどんな妖怪でも退治できる自信があった。
 実際、鬼だって、吸血鬼だって、神様だって、時には人間だって退治してきた。
 命のやりとりはしなかったにせよ、ね。
 この名簿にある、知ってる名前も、殆ど私が退治したことがある奴ばっかりよ。
 負けたことなんて、片手で数えられるくらいしかないわ。
 あんたに、そう、あんたに……負けた、のも数に入れてね」

霊夢の言葉に、徐々に怒気がこもり出した。

「私、あんたに負けて、すっごく悔しかった。
 ……そして今、あんたがどんな奴か知って、更に悔しさが湧いてきたわ。
 スタンドとかいうのに2ヶ月前突然目覚めるまでは、
 戦いとも妖怪とも無縁で、のうのうと日常の生活を送ってきた、とか。
 スタンドに目覚めたら目覚めたで、あんたのお母さんを救うためにDIOを倒した……のは良いとして、
 その後は戦いとも関係無さそーな学者先生を目指してた……なんていうね、
 そんなマイペースな生き方してたあんたにこの私が負けたなんて、悔しくてしょうがないわ」

そして霊夢は殆ど叫びだしそうになっていたのを押さえて、

「だからっ! ……だからね」

承太郎の正面に回りこみ、

「承太郎。……もう一度、私と勝負しなさい!
 全てが終わった後、この殺し合いをぶっ壊して、太田と、荒木を懲らしめてやった後に」

と、承太郎の目の前に右の拳を差し出したのである。



――さて、面倒くせーことになった、と承太郎は思った。

この女の身勝手ぶりはここ数時間で何度も思い知らされてきた通りだが、
まさか堂々と喧嘩を申し込まれるとは思ってもみなかった。
承太郎は不良やチンピラどもに喧嘩を挑まれることは何度となくあったし(もちろん挑まれる度に返り討ちにしてやった)、
女子生徒にデートを申し込まれることも何度となくあった(もちろんチャラチャラした女は嫌いなのでシカトしてやった)。
だが、女に正面から喧嘩を挑まれることは彼の経験からしても初めてのことだった。

――こんな挑戦、無視だ、無視。

承太郎には、自分より頭一つ以上も小さい――体重など、自分の半分ほどしか無さそうなやせっぽちの女を殴る趣味など無い。
一方的に殴るだけでなく、コトによっては承太郎だってタダでは済まない。
まさか命懸けで殺し合えとまでは言ってこないだろうが、
素手で殴りあうにせよ、スタンド・お札何でもアリのルールでやりあうにせよ、この女は相当に手強い。
それは、今までこいつの戦いぶりを身をもって体感してきたから、明らかだった。
こんな挑戦受けたって、どちらかが、あるいは両方ともがケガをするだけで、何の利益も無いのだ。
霊夢の気が済むかどうかだけ、それだけの問題だ。
霊夢が殺し合いに乗るなんてくだらねーと思ったのは承太郎に負けたのが悔しかったから、らしい。
ではもしここで挑戦を蹴ったら、再びこの女は太田とやらの操り人形に逆戻りするか――そんなことはありえねー、と断言できた。
さっきも、知り合いが死んだと判って相当に堪えていたのを、承太郎は知っていた。
アレほど露骨なタイミングで“雉撃ち”に行っていたのだ。
ここで霊夢の挑戦を断っても、この女は殺し合いを打破するための仲間でいてくれることだろう。
だから、この挑戦は無視する。
しかし結局、ここでNOと言った所で、この殺し合いを破壊し、DIOと主催者を打倒して、それぞれの日常に帰ろうした所で――
そこで――霊夢はこちらの返答などお構い無しに一方的に殴りかかって来る。そんな光景しか想像できなかった。
何しろ承太郎と決着を付けない限り、霊夢の気は済まないだろうから。
この女は、自分の感情にどこまでも正直だ。こちらの事情などお構いなしだ。
結局この女、こちらの返答など、聞いていないも同然なのだ。

「……やれやれ」

承太郎はしぶしぶながら、霊夢の差し出した拳に――
蜜柑の様に小さく丸い拳に自分の拳を軽くぶつけ、挑戦に応じたのだった。

「ん、良しっ」

テメーは何様のつもりだ、と毒づきたくなる様な高慢な口ぶりの霊夢。
だが、その雲間から太陽が覗いたような笑顔の前に、さしもの承太郎も毒気を抜かれてしまったのだった。
来たるべき決着を付けた時、その顔が見るも無残なアザだらけにならない保証はどこにもないというのに、である。

「……で、ルールはどーするんだ」

「考えとくわ」

「……やっぱりな」

そしてこの回答である。
承太郎はまたやれやれ、とこぼしそうになるのをこらえつつ、
一人蚊帳の外に居たFFに目を向けた。
FFは、まだ先ほどの『自画像』のスケッチを眺めていた。



「なあ、承太郎。ここに書いてある生物は何という名前だ?
 ……この生物は私ではないし、私はこのような姿の生物を見たことがない。
 少なくとも、グリーンドルフィン刑務所の周辺には生息していない生物だ」

FFが指した紙の隅には、鋭く細長い三角形の皮膜の翼に、
細長いクチバシと、同じくらい細長いトサカを持った鳥のような生物がスケッチされていた。
だがこの生物は鳥ではないし、コウモリでもない。鉛筆で描かれたこの生物のスケッチは白黒写真のように精密だったが、
羽毛の類は一切描写されていなかったからである。

「ちょっと、私にも見せなさいよ」

霊夢が承太郎とFFの間に割って入り、爪先立ちで背伸びして、スケッチを覗きこんだ。

「……妖怪、ではないわね。承太郎は知ってるの?」

承太郎はしゃがみ込み、小さな声で答えた。
承太郎がしゃがみ込むと件のスケッチも低い位置に移動し、3者の目線もそれに合わせて移動した。
――つまり、自然と3者が頭を突き合わせ、スケッチに覆いかぶさる形になった。
口元の動きも、スケッチの絵も周囲からは見えない。

「コイツはプテラノドンだ……恐らくな。
 大昔……およそ6500万年前に絶滅した、恐竜の一種だ」

「恐竜? 名前は聞いたことあるけど……」

「その口ぶりじゃあ、幻想郷にも恐竜は棲息してねぇらしいな……。
 ……俺の世界、外界でも、恐竜は骨の化石しか見つかっていねえ。
 もし生きてる恐竜が発見されたら大騒ぎだ。
 ……だが、コイツはさっきその辺を飛んでいた。何匹も見たぜ。
 一般的に知られている想像図通りの姿で……ただし、翼開長7メートル以上もある想像図とは違う、
 センチメートル単位のミニマムサイズでな」

「誰かのスタンド……か?」

「ああ。十中八九な」

霊夢も、FFと同じ結論に辿り着いたという風に頷いた。
……だが、この場合周囲を飛び回っているものの正体が何かはあまり重要ではないのだ。



「何だって良いわ。要は、コイツらは斥候、あるいは見張りって所でしょ?」

「その可能性が高い……今はまだ、知らんぷりしとけよ」

「……あまり良い気分がしないわね。とっとと巣をツブしたいところだけど」

……とは言うものの、この実在するはずのない生物の実在するはずのない姿に対して、
現状で打つ手は全くないのであった。この生物に見張られている事に気づかないフリをするのが、せいぜいである。
何しろ、この生物の親玉が何者か(もしかしたら主催者かも知れない)、
そいつが危険な人物かどうか、そいつはどこに居るのか、この生物はどれくらいの数がいるか、
この生物がどれほどの視力・聴力をもっているか、など……。何一つ不明なのだ。
そもそも――

「承太郎、そもそもアンタはどうやってこれを見つけたの?」

「『スタープラチナ』だな」

承太郎が答えるより早く、FFが答えた。
プテラノドンの周囲に描かれたFFの分身の精密なスケッチ。
それを可能とする『スタープラチナ』の視力が、昆虫ほどのサイズで周囲に潜む斥候をも見つけ出したのだ。

――やれやれ、と霊夢は心の中で溜息をついた。

見張りの件で、またあいつに差を付けられちゃった気がするわ。
結局、私は幻想郷という小さな井戸の中で粋がっていた蛙に過ぎないのかもしれない。
それに、あいつとの勝ち負けにこうまでこだわってしまうなんて、我ながらどうかしてるわ。

でも、どうしてこんなにあいつと張りあわずにはいられないのか、ようやくわかった気がする。
さっきあいつに話したとおり、私は物心ついてからずっと修行してきたのに、
あいつが特別な力に目覚めたのがほんの最近だってこと。

それからこれは『勘』でしかないのだけど、特別な力を持っているだけじゃなくて、
特別な運命を背負っているのよ、やっぱりあいつは。
生まれつき『博麗の巫女』としての力を持って生まれた私と同じくらいに、特別なのよ。
ひょっとしたら、私の知らない半分の参加者は、承太郎か、あいつの一族と何らかの関係があるのかも。
それくらいに、特別な存在なのよ。空条承太郎という存在はね。

だとしたら、あいつには尚更情けないところは見せられないわね。
大げさな言い方かも知れないけど、お互いの世界の代表者同士、なんだから。
――とにかく、私は負けないわよ、承太郎にも、もちろん主催者のあいつらにも。

決意を新たにした霊夢は、ジョースター邸の方から男が近づいてくるのを目撃した。
長い金髪に、服の上からも判る引き締まった長身の中年の男である。
霊夢たちがその姿を遠目に認めると、男はジョースター邸に引き返してしまった。
だがその様子に敵意は感じられず、むしろこちらを手招きしている。
その男は、屋内に3人を招き入れようとしているように思われた。

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最終更新:2015年06月07日 22:15