ギャン鬼 中

ギャン鬼 前⇐前編から



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  ◆  『乾坤一徹・チンチロ大番勝負』  ◆

     シュトロハイム
 ジョセフ・ジョースター  対  八雲藍
       森近霖之助

 ゴ                 ゴ
               ゴ
       ゴ              ゴ


 【ルール】
○最初に親を決め、左回りに順番に親を回す。
○子がチップを張り、親から賽を振り、次に子が振っていく
○目が高い方が勝ちとなり、子が張った額に応じてやり取りを行う。
○賽は三回まで振ることが出来るが、目が出た段階で次の人が振る。
○三回振っても「目」が出なかった場合は「目なし」(役なし)となる。
○賽が椀から出てしまった場合は即負け。目なしとなる。
○初期手持ちチップ数は全員20枚。チップが無くなれば敗北し、首輪が発動する。


 【役の強さ】

1のゾロ目(ピンゾロ)
6のゾロ目(オーメン)……三倍配当
―――――――――――――――――
2~5のゾロ目……三倍配当
―――――――――――――――――
4、5、6(シゴロ)……二倍配当
―――――――――――――――――
1~6の通常目……一倍配当
―――――――――――――――――
目なし……一倍払い
―――――――――――――――――
1、2、3(ヒフミ)……二倍払い


さて、随分と手間をかけさせてくれるものだ。
本来ならこのような児戯、時間も掛かるだけでかなり非効率な行い。
私から提案した勝負方法なのだから愚痴をこぼす筋合いもないが、とにかく面倒だ。

当初の私の策としては、ジョセフ達に自分を信用させ共に行動してくれと説得した上で、寝首を掻くつもりだった。
ところが計画はジョセフたちの登場でいきなり破綻しかけた。正確にはヤツの仲間、シュトロハイムを見た途端だ。
忘れようもない。あの月の玉兎、鈴仙・優曇華院・イナバを襲撃したときに共に居たあの軍人の男だった。
となればジョセフらにも私がゲームに乗っていることも既に伝わっていると見て間違いないだろう。
そして話を進めるうちにジョセフは私の荷の中にあのキョンシーの体の部位が入っていると当たりをつけ、私の心中を看破してきた。
言い逃れも出来なくなったところで、直接的排除を行使しようと身を乗り出す私にジョセフは言ったのだ。

『俺たちが二時間経っても戻って来なかったら、八雲藍は『ゲームに乗った者』として会場中に情報をバラ撒く。
 拠点に残った『仲間』にそう伝えて来てんのよコッチは。ゲームが進むほど、不利になるぜお前は』

ジョセフらの拠点に待機しているという仲間。見当はすぐに付いた。シュトロハイムと同行していた鈴仙。あるいは他にも居るのかもしれない、と。
ハッタリだろうとカマをかけてみたが、それに返したジョセフはこうも反論してきた。

『ハッタリじゃあねーさ。そいつの名前は言えねえが……そうだな。性格の悪そうな月のウサギちゃんとだけ言っておくぜ』

月のウサギ……やはり、鈴仙か……!
コイツらは月の民を味方に付けていると確信した私は、正直言って不利だと悟った。
あの鈴仙だけならまだしも、その師である『八意永琳』を敵にするにはかなり骨が折れる。ただでさえ『月人』などマトモに相手にはしたくない。
そのうえ現在の私は負傷している状況。未知数の力を持つジョセフやシュトロハイムにすらまともに相手できるか怪しい。
だからこの場は出来るだけダメージを負わず、最悪あの月人を相手取る場合になっても万全の状態で挑まなければならない。

そこで万が一の場合のため橙に仕掛けておいた首輪で人質を取り、話の運びを私のペースにするよう掌握した。
あらかじめ確認していた支給品と、霖之助の持っていた賽子を使っての『ゲーム』。これが私の策だ。
なるべく汗をかかず敵を全滅させるための、くだらない遊戯だった。
万が一にもこの私が人間如きに劣るわけがない。敵の拠点とやらは全て終わった後、橙に強引に聞き出せば済む話だ。


勝つための方策は既に完了している。後はこのままゲームにゆるりと勝ち、首輪を発動させて皆殺し。簡単だ。


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

いよいよ始まってしまったのか……と、森近霖之助は自らの首に取り憑いた首輪を擦りながら深く思案する。
直接的な戦闘ではなく、まさかこのようなお遊びで決着をつけるとは流石に予想も出来なかった。
だが理に適ってはいる。こちらの目的はあくまで八雲藍の説得。殺害ではない。
橙を人質に取られ、互いが互いに攻めあぐねていた状況をゲームによって解決する。
冗談みたいな話だが、この首輪の存在が現状を如実に肯定している。

(今、僕は命を懸けてあの大妖と戦っているというわけだ。戦う力など塵ほども無い、この僕が)

僅かに抑えていた体の震えは、武者震いなどではないだろう。
負ければ死。血肉飛び散る暴力の盤上でこそないものの、そこに過程など関係なく、敗北すれば結果は『死』だ。
恐ろしいに決まっていた。なにしろこのような死と隣り合わせの場面は初めて経験する。相手が八雲の眷属ならば尚更だ。
そんな禍根の渦へと身を投げたのは霖之助自身。彼の決心ゆえの行動だ。乗りかかっていた舟だからなどという受け身な理由ではない。

霖之助は知っていた。
力の無い自分がどう足掻いたところで、殺し合いからの生還は不可能だと。
霖之助は半分諦めていた。
あの主催者に何とか傷を負わせるような足掻きなど無理だと。
そして霖之助は半分抗っていた。
自分の行動が奴らを将来脅かす遠因を何とか作れやしないかと。

ここでの対八雲藍説得のためへの布石が、主催にダメージを与える結果に辿り着けるかはわからない。
だが『やってみる価値はある』。そんな根拠もない決心が、彼自ら舟を漕がせる動力となった。
自分がまともに勝負したって、この力をも兼ね揃えた智嚢を崩せるわけもない。

だが『三人』なら。
『三対一』ならどうだ? しかもこれはチンチロリン。圧倒的有利なのはこちら側なのだ。
四人が賽を回しての勝負だと謳ってはいるこのゲームだが実質、勝利のポイントは八雲藍ひとりのチップを如何に集中的に減らせるかだ。
単純に考えて二対一で戦うよりも倍有利。そういう意味で霖之助の勝負加入は大きな意味になるはずだ。

だが―――

(不気味……不気味だ、八雲藍……)

この勝負を提案したのは言わずもがな、八雲藍自身。
そんな数の不利も当然考慮した上での勝負形式だろう。しかもほとんど運任せの賽子勝負だなんて。
何を考えている? 三人相手にどう勝つつもりだ?


霖之助の困惑など何処吹く風といった涼しい表情で、藍の右手が卓上の賽を取った。


「手始めに私から親番を務めさせてもらうか。お前たち子はチップを張ってくれ。その張りに私が勝負する形となる」

「あっそ。んじゃ、最初だし俺は軽~くこんだけ賭けようかな」


軽口でジョセフは積まれたチップを目の前に差し出した。
その数…………、


「に……『20枚』だとォォォーーーーーーーーーーッッ!?!?
 何を考えておるジョジョ! もし負けたらキサマ、いきなり脱落だぞッ!!!」

「でも勝ったらいきなり勝利よ~ん? だったらケチくせえ張りしてねえで、とっとと大勝負に持っていった方が早いっしょ」


ゲーム開始直後、すぐさま場は騒然とした。
……妖しく佇む藍を除いて。



「……ジョセフ。通常、掛け金の上限など特に決まりはないが、このゲームにおいては制限を課そうか。
 そうだな……最大『5枚』までとしよう。いきなりゲームが終わっても、それはそれで興醒めだ。
 それと普通チンチロは、勝った親はツイている限りどこまでも親を続けられるが、これも『一回限り』としようか。
 あまりタラタラ進めても日が暮れる。親番は勝っても負けても一回で交代だ」

「あーん? 5枚~~??」

「そうだ。……ああ、ついでにもう一つ二つばかり。
 チンチロは親が『6の目』以上の役を出せば子は賽を振ることも出来ず即負けなんだが、それもナシ。
 所謂、親の『総取り』というのはあまりにあっけなく終わってしまうからな。これではつまらない」

「あ、そーなの? チッ……俺がチップ張った途端、次から次へとルール追加してきやがってよォー。
 もう他にねーだろうな? 今のうちに全部言っといてくれねーとお兄ちゃんフキゲンになっちまうぜ~」

舌打ちをした割にはジョセフの顔は全く悔しげではない。
むしろどこか楽しんでいるかにも見える。

(ムッ……まさかジョジョのヤツ、さっきの『20枚賭け』は藍の反応を見るためのハッタリか?
 藍が賭け上限を引き下げようがどうしようが、結局ヤツは「やっぱや~めた」とか言ってそこそこの賭け枚数に落とすつもりだったのか)

シュトロハイムとてジョセフの性格を少しは理解している。
この男の十八番は何といっても『ハッタリ』。適当なホラを吹かせて相手の動揺を誘ったり出方を見るのはお茶の子さいさいなのだ。
藍が後になって賭けチップ枚数の上限を制限したのは、『万が一』にでもジョセフに瞬殺されかねない事態を防ぐためといった所か。
そしてその『万が一』を自由に操り得るのがジョセフ・ジョースターというペテン師の恐ろしいところだ。


―――つまりジョセフが初手から何か『仕掛けて』くるかもと八雲藍は危惧し、急遽ルールに枷を嵌めた。


(と、とんでもない奴らだな……! ジョジョも、そしてこの八雲藍という物の怪も!)


ゲームが始まる前から既に、常時二手三手先を読み続ける駆け引きの攻防。
シュトロハイムが密かに両者を評価していると、藍は続けざまに口を開いた。

「最後にもうひとつ加えるか。特にジョセフ、お前に向けてのルールだが……
 『イカサマが発覚した場合は罰として相手にチップ10枚の譲渡』。そして『二度目のイカサマは即敗北』。
 こうでも付け加えておかないと、お前のような道化はやりたい放題だろう? ジョセフ・ジョースター」

そのルール追加を聞いた瞬間、シュトロハイムは首を傾げる。
一回目のイカサマペナルティーがチップ10枚の譲渡? それはまた、思ったよりは軽い刑罰だ。
二回目は即首輪発動とはいえ、これでは『一回くらいのイカサマは認めますよ』と言っているようなものだ。
そこまで考えてシュトロハイムと霖之助は同時に理解した。
つまり藍のこの言葉に隠された真意とは……

(お……『誘き寄せている』! 奴は敢えてイカサマを誘うようなルールを作り、そして―――!)

(ジョセフの『手の内』を見極め、把握しようと考えているのか……! なるほど、八雲藍め……狡猾だ……!)

もしジョセフが勝負を決するような重要場面でイカサマを“初”披露したなら、初見の藍では見破れない可能性がある。
『イカサマをした瞬間、即敗北』のルールならジョセフは中々手を出してこないだろう。
だから『一度はイカサマを認める』といったルールの抜け道を作り、そこに獲物が通る姿をこの妖狐は出口で待ち構えようとしているのだ。

「俺が? イカサマを~?? 馬鹿言え、俺ほど純粋にゲームを楽しむ心の綺麗な人間もいないぜ。
 逆にテメーが“サマ”やんねーようにこっちはしっかり見張ってるからな。
 そしてほらよ、賭けチップは最大の『5枚』にしとくぜ。俺はこの5枚でお前と勝負する」

ここまでくると清清しいなとシュトロハイムはその男を笑う。
この初戦にジョセフが通常の目で勝つと藍の残りチップは15枚。もう少し削ってやりたいところだ。

「じゃあ俺は『3枚』賭けようッ!」

「……流れも分からない最初だからね。『2枚』にしとくよ」

シュトロハイム、霖之助も賭けを積み、ようやく勝負は開始する。

親である、八雲藍の投擲をもって。


『一巡目・一番手(親) 八雲藍』 現所持チップ20枚


一投目:1、4、5  目なし
二投目:2、3、4  目なし

賽と椀のぶつかり合う金属音が部屋に響く。
その光景は静かで、見る者は固唾を呑んで見守るのみ。

「へっへっへ~~! 二回連続で目なしだなァ~藍ねえちゃんよォー。
 もしやもしやの初回いきなり出目なしってこともあるんじゃないのォ~?」

そんな中でジョセフだけはいつもの調子でヘラヘラ挑発する。
それを受けても藍は変わらず冷静に返した。

「……チンチロで賽子を三つ振った場合の目の組み合わせは全部で『216通り』だ。
 一回振って目の出ない確率は『50%』。三回振って目の出ない確率は『12.5%』となる。
 つまり三回も振れば『87.5%』というかなりの確率で目は出るものさ」

粛々と賽子における確率論を口ずさみながら、藍は焦りも動揺も無しに三投目を投じた。
カランコロンと賽は回り、そして結果はただ等しく落ちてくる。


「―――こんな風に、な」


三投目、『3、3、5』。
出目は『5』。役の中でも強い位の目だ。

(ぐ……ッ! 『5』、か……! いきなり良い目を出してきたな、藍め……。
 俺や霖之助はともかく、ジョジョの賭けチップは5枚。負けたら痛手だぞ……!)

敵の初撃は痛恨とまでは言えずとも、ジャブにしては手痛い一撃だ。
シュトロハイムはジョセフの表情を横目で覗きながら念ずる。
次の番はジョセフだ。ここで6の目以上の役を出さなければチップの四分の一を持っていかれてしまう。

(だが……焦るなよジョジョ~~! お前が稀代のイカサマ野郎なのは嫌というほど知っておるわ!
 藍の挑発に乗ってここでうっかり『仕掛ける』のは悪手だぞ……! 機を見るのだ! 頼んだぞ、ジョジョ!)

そんなシュトロハイムの念押しなど知ったことかと、ジョセフは賽を受け取って手の中で転がした。
負けたくない初戦とはいえ、相手は永きを生きる大妖怪。迂闊に手の内など知られるわけにはいかないのだ。
あたかも平静に、通常通り賽を転がして勝てば上々。負けても取り返せばよい。

「ジョセフお兄さん……」

少し離れて橙もその様子を見守る。
ジョセフとて運を自在に操る能力など有していない。こんな運任せのゲームの行方など、誰にだって分かるものではないのだ。


「じゃ、まず一投目だな。最初だから軽~~~くね……肩慣らしのつもりで行くゼ……軽くね」



『一巡目・二番手 ジョセフ・ジョースター』 現所持チップ20枚:賭け数5枚


「ほい」


短く、軽い調子の掛け声で投げたジョセフの第一投目。互いに何度かぶつかり合った賽が……一斉に止まる。

目は―――


「え?」

「なにッ!?」

「…………」


霖之助とシュトロハイムと藍は三者三様の反応を見せた。
場の空気が一気に変貌する。それも仕方ない話だろう。

ジョセフの初手は……


「6、6、6の……『オーメン』だとォォーーーーーーーッ!? イキナリ……ッ!!」


シュトロハイムの驚愕がその光景を物語っている。

最強の役ッ! 配当三倍付けッ! 確率216分の1ッ!
通常の場面ではほぼ、ありえにくい。が、決して不可能ではない。
そんな役を初手から。

(な……なんて奴だ、ジョセフ……! 藍の『イカサマ誘引』ルールはあからさまだろうに……!
 それをわかっていてこの男は、あえてイキナリ仕掛けていった……! イカサマだとバレない自信があったのか?)

セオリーガン無視。定石など吐き捨てるようなジョセフの行動に霖之助も思わず閉口する。
こんな役をいきなり叩き出しておきながら「なんて運の良い男なんだ!」と褒めるマヌケはいないだろう。
誰がどう考えたってジョセフはイカサマを行った。そう考えるのが普通だ。

だが……だがしかし。霖之助は知っている。
この男が恐らく、元より『強運』の持ち主だったことを除いても、余りある『幸運』がその身に宿っている可能性を。
人間に幸運を分け与える白兎『因幡てゐ』と関わりを持ってしまったジョセフは、もしかすれば本当に『ラッキー』でオーメンを叩きだしたのかも知れないという可能性を。
チラと見たジョセフの表情は表面では白々しい驚きを作っているが、その内面では嬉々としてニヤついているように霖之助には見えた。

「ウッソォーーッ! こいつはいきなりバカづきだァ~~~ッ! まるで! まるで! 俺がイカサマしたみてぇーだなこりゃ~!」

ど……どっちだ? イカサマ、『した』のか『してない』のか。
仮にも仲間であるハズの霖之助すら困惑させるジョセフの奇行に、その場の全員訝しげる。

「よ……よォ~~し、次は俺だな……」

「待てシュトロハイム。……その賽子、少し調べさせてもらうぞ」

やや焦りながら賽子を掴もうとしたシュトロハイムに、藍はすかさず制止の声を掛けた。
当然だ。明らかに今のは怪しすぎる。霖之助ですらそんな感想を抱いたのに、この八雲藍を果たして騙し通せるのか。

「…………『シゴロ賽』を使っているとか、賽子そのものに細工を施しているわけではないようだ。
 何処から見ても普通の六面賽子。……なるほど、“運の良い男”だな、お前は」

満足したのか、僅かに苦笑した藍は問題ナシと判断を下した。
そして惜しげもなく、賭け数5枚の三倍配当……計『15枚』のチップが藍からジョセフへと渡る。

あまりにあっけない裁定。
そもそも本当にジョセフはイカサマを使ったのか? 霖之助の仮定したような、てゐから与えられた幸運がいきなり発動しただけではないのか。
これが幸運による結果ならば、イカサマでも何でもない。だとするならば、思った以上にこのゲーム……容易く勝利できるかもしれない。


『一巡目・三番手 ルドル・フォン・シュトロハイム』 現所持チップ20枚:賭け数3枚


「さて、俺が賽子を振る前に確認するが……わかっているのか八雲藍。
 キサマは既に所持チップ『5枚』。俺が3枚賭けているのでもし二倍配当の『シゴロ』でも出せばキサマはこの巡で終了だぞ」

シュトロハイムの宣言したとおり、藍はジョセフの出したオーメンにより既に残りライフは5枚。
そうでなくとも次に霖之助の番が控えている。間違いなく、今追い詰められているのは藍なのだ。
やはりこのゲーム、霖之助の考えていたとおり多数相手をしている藍がそもそもの不利。数の利は絶対不変であった。

「わかっているよ。だが6の目以上の高い役などここ一番で早々出まい。シゴロなど尚更だ。
 賽子一回振ってシゴロ以上の役が出る確率は216分の12。実に約5.55%となるが……さて、お前に出せるのか? この数字を」

「……フン。キサマが算数大好きギツネだということは分かったわい。安心しろ、すぐに終わらせてやる」

シュトロハイムには、ジョセフが先ほど行ったイカサマらしき事象の見当は大方付いていた。
何といってもジョセフは波紋使い。波紋の悪用など彼にとっては朝メシを通り越してお夜食前なのだ。
となればイカサマにも当然利用されていると容易に想像できる。
聞くによれば波紋には『くっつく波紋』や『弾く波紋』などがあるらしい。

(恐らくジョジョの奴は全ての賽子の『1の面』にのみ、くっつく波紋とやらを微量に流していたのだろうよ。
 1面の裏は『6の面』。面をピタリと椀にくっ付かせ、役の目を操作したといったところか……?)

まさか今ここで正解を聞くわけにもいかないが、あのジョセフの得意げなニヤケ面を見れば大体分かる。
そしてその波紋入りの賽子は今、シュトロハイムが握っている。
これを振ればオーメンの再現だ。三倍付けでチップ9枚が藍から得られる。
二回連続でオーメンなど子供だって騙せない子供騙しだが、証拠は無い。現に藍だって初見では見破れなかったのだ。

「喰らえィィィ八雲の妖怪ィィィイイイッ!!! 俺がキサマにトドメを刺してやるぜぇーーーーーッ!!!」

派手な咆哮から振り上げられたシュトロハイムの腕は、そのまま目前の椀へと一直線に落ちていく。
ここで賽を零せばギャグにもならないが、そんなことは起こらず賽はキッチリ三つとも椀の中へ吸い込まれていった。

そして、現れた目は―――


「…………1、2、3。『ヒフミ』の……二倍払いだな。シュトロハイム殿?」

「……………………は?」


1。2。3。
目を擦ってもう一度見ても、1。2。3。
何度見たって1と、2と、3の目だ。間違いなく。

「さあ、チップを6枚渡してくれないか。悪いが勝負は非情の世界だ。泣きの一回など無い」

掌を差し出す藍の笑顔が、死神に見えた。
どういうことだ。ここで現われる目は6、6、6のオーメンのはずではないのか。
それともシュトロハイムの推測が初めから間違っていたのか。ジョセフは最初から波紋のイカサマなど使用していなかったのか。

馬鹿な。そんな歯痒い表情をしていたのはシュトロハイムだけでなく。
ジョセフの顔からも、余裕の笑みは霧消していた。


『一巡目・四番手 森近霖之助』 現所持チップ20枚:賭け数2枚


「博奕とは恐ろしいなぁ、店主よ。まあ……『こういうこと』もあるさ」


四番手として振った霖之助の目の前にあるのは、既に転がり役目を終えた三つの賽子。

その役―――1、2、3の『ヒフミ』。負の二倍払い。


(ば……馬鹿な……! 二回連続で、一投目から『ヒフミ』だって!? ありえない……!)


霖之助だけでない。藍以外の全員がその場で起こった『奇跡』に黙りこくった。
起こってはならない奇跡に。

本来、ヒフミが出る確率は216分の6。約2.78%だ。
それを二回連続? 確率的に不可能だ。少なくとも一発目でオーメンを出す確率よりも、ずっと低い。

何をしたんだ八雲藍。

「店主が賭けていたチップは2枚だったかな? 助かったな、たかだか2枚で。ともあれ、この勝負は私の4枚取りだ」

いとも簡単にシュトロハイムから6枚、霖之助から4枚の『計10枚』を奪い返した藍。
ジョセフはこの普通では在り得ない事態に考えを巡らせた。
奴が何をしたのかはわからない。わからないが間違いなく……


八雲藍は――― イ カ サ マ を し た 。


「……おい藍、次は俺の親番だったろ。振るのは俺からだ」

ジョセフは間髪いれずに霖之助の眼前にある賽子と椀を取った。
仕掛けがあるとするなら賽子だ。だが振ったのは藍でなく、シュトロハイムたち。

やはりこの女……一筋縄では倒せない。


―――そしてゲームは一巡する。


 【現在の各チップ所持数】
ジョセフ     35枚(+15)
シュトロハイム  14枚(-6)
森近霖之助    16枚(-4)
八雲藍      15枚(-5)


『二巡目・一番手(親) ジョセフ・ジョースター』 現所持チップ35枚


シュトロハイムの推測どおり、ジョセフは一巡目の振り手の時に『イカサマ』を使った。
波紋の接着性を利用し、1の面のみにそれを張ることによって6、6、6のオーメンを意図的に作るイカサマ。
普通に使用すれば視覚的にも目立ち音も響くので、ジョセフは波紋の呼吸を最小限に抑え誰の目にも分からぬよう工夫した。
ジョセフが振った後に藍が賽子を調べても気付かれぬほどに、微弱な波紋。
とはいえ少なくとも霖之助の手順が終わるまでにそれが続く位には、波紋量を練ったはずだ。
厳しかった修行の甲斐あって、絶妙のバランスで練られたと自負できる波紋。

八雲藍はどんな妖術を使った?
二度連続で相手にヒフミを出させるような、そんな妙手を。


「…………あ」


賽子を念密に調べ、ジョセフは簡単にその答えに辿り着く。

―――僅かだが、賽の一部分に粘性がある。それぞれの賽の『6』『5』『4』の面にのみ。

(コイツは………油かッ!)

微弱なものだった故、既に波紋は消失しかけているが、この油が塗られた面に僅かな波紋が流れた形跡がある。
藍が波紋使いでないのなら、この油に流れた波紋の主は他の誰でもない、自分自身の波紋。
『波紋は油を流れやすい』という性質を利用して、ジョセフが流しておいた1の面からこの『6』『5』『4』の面まで意図的に波紋を伝導させた。
6、5、4の面の裏は『1』『2』『3』だ。この女は油を塗ることによって、意図的に『ヒフミ』の役を相手に出させた。
そのイカサマの根幹部分はジョセフがやったものと同じ。くっつく波紋を利用してお望みの目を出すというものだ。

だが、もしそうであるならば納得できない部分も出てくる。


「て、めえ……! 俺が『波紋』を使えることを知ってやがったのか……!?」


油を塗り、ジョセフの波紋をそのまま別の面に伝えるというこのイカサマはある前提知識がなければ使えない。
勿論それは『ジョセフが波紋使いだということを知っていなければ成立しない』イカサマなのだ。
波紋自体は目視できるほど出していなかったはず。音も同じだ。
ならばこの妖狐は如何にしてジョセフの能力の正体を見破ったというのか。


「気付くのが遅かったなジョセフ。この私をそこらの青臭い雑魚妖怪と一緒にしないで欲しいものだ。
 私は中国伝承の古来より伝わる、正真正銘の大妖『九尾』だぞ? 生きた年月は百やそこらではきかない。
 八雲の眷属として、外界の知識もそれなりに蓄えている。お前の操る波紋は東洋でいうところの『仙道』なる技術だろう?
 道教や漢方医学では『気』を使っての人体治療も確立しているし、また中国武術にも『気』の概念を取り入れた流派だってある。
 仙道はその『気』の源流だという説も聞いたことがある。この幻想郷には『気』を使う中国系の妖怪だっているしな」


もっとも……その彼女は既にこのゲームから退場したようだが、と付け加えて藍はジョセフの疑問を説明した。
ようするに、この八雲藍は『波紋』の存在自体は元々知識として持っていたのだという。
成る程、汲めども尽きぬ知恵の泉とはまさしくこの妖獣を指した言葉だ。その知識量、ジョセフなど比較にならない。

だがそれで終わりではないだろう。
何故この女がジョセフを波紋使いと見抜けたか? 問題はそこなのだ。
その時、腑に落ちないジョセフの心情を察したのか、対面の席に座る霖之助が両者の間に割って入った。

「……ジョセフ。八雲藍に口止めされていたので今まで黙っていたことがあるんだが……その……」

「……まさか、とは思うけどよォ~霖之助ちゃん」

「……すまない。君たちがここへ到着する前、僕は彼女と『賭け』をして負けたんだ。
 その代償として僕が知る限りの君についての情報を喋ってしまった。……本当にすまない」


ジョセフ一行到着前、この香霖堂で起こったもうひとつの『勝負』。
それにあっさり敗北した霖之助は、藍から徹底的にジョセフについての情報を喋らされてしまった。もっとも、情報を喋らなければ霖之助の命は間違いなく刈り取られていた。
霖之助もその時点では八雲藍を『悪』だと見抜くことは出来なかった。彼を責めることなど誰にも出来ないだろう。
霖之助は賭けに『負けたからこそ』今の命がある。それは幸運の結果であるはずだ。

そして同時に今、霖之助は八雲藍という妖怪の本性を肌で理解した。

九尾という妖狐の強さや八雲の肩書きなどではない、この女の本当の恐ろしさを心から味わった。
もはや常人のそれを超えた……化け物。


(八雲……藍……っ! こいつ……この女は、なんて奴だ……!)


霖之助は確かにジョセフの情報を、自分の知る限り八雲藍に与えた。
だが、霖之助の持つジョセフ・ジョースターという人間の情報などたかが知れた量。
屋敷の中からプッチ神父やチルノたちとの戦闘を覗いていただけで、彼はジョセフとほとんど会話らしい会話も行っていなかった。
霖之助の目撃した事象のほんの断片を摘み摘みで藍に伝えたのみだ。当然、波紋のことは霖之助ですら知らなかった。
傍から観戦していたジョセフの戦闘スタイルを言葉で伝えただけで、藍はジョセフの能力についてほぼ正解の予測を立てた。
観察さえも必要とせず、推理と仮説だけでジョセフという人間を頭の中に想定し、波紋という武器にまで辿り着いたのだ。

さながら、闇の中で数枚のジグソーパズルを手に取り完成の絵を想像するかのような。
そんな伝言ゲームのような行程だけでジョセフの能力を推理し、そのイカサマを見抜き、瞬時に対応策まで組み立てた。
まさしく規格外だ。薄ら寒く微笑する彼女の仮面の裏には、どれほど鋭利な牙が光っているのか。
こんな化け物相手に、よりによって知恵の土俵で勝負することが端から間違いだったのか。

この『チンチロリン』はもはや運試しの勝負では収まらない。
常識の範疇を超えた“喰らい合い”……! 相手を底無し沼に誘き、千の手を伸ばして引きずり込む喰奴同士の騙し合いッ!
一手見誤れば……その瞬間、喉元に牙が喰い込むッ!

(こんな奴を相手に……ジョセフは、僕たちは勝てるのか!?)

そして霖之助自身も、そんな沼の渦中に半身を潜らせているのだ。
檻の外から応援する傍観者ではなく、闘士の一人としてフィールドに立ち、脳冴えた猛牛を相手に陣取っている当事者。
数合わせにしかならない無力な自分のまま、喰われて死ぬか。それとも―――!


「……この油はどう都合つけたっての?」


かつてない窮地に身を振るわせる霖之助を置き、ジョセフは更なる種明かしを藍に追求した。

「なに、ついさっきまでここで呑気にも朝餉などをとっていてな。その料理にも油を使用したばかりだ。
 こんな状況だ、入手した物品は持ち歩いて損はないだろう。
 生憎ぶかぶかとした服装でね。『紙』くらい袖の中にでも隠せるし、出す時も手早く済む」

藍はジョセフが振った後、賽子を調べると言ってイカサマを疑う『フリ』をしつつ、袖に隠した紙から既に油を微量に抜き取っていた。
そして周囲に気付かれぬように、賽の『6』『5』『4』の面にだけ油を塗り、既にジョセフが1の面に流していた微量の波紋を『伝導させた』。
『シゴロ賽』ならぬ『ヒフミ賽』を人工的に構築し、それを何食わぬ顔でシュトロハイムに渡したというのが藍の施した細工の全容だ。
油を隠していたのも恐らく偶然ではない。ジョセフが波紋使いだと推測し、その波紋を何らかの形で利用するために持っていた。

つまり、藍はジョセフの波紋によるイカサマを最初から見破っていたのだ。
それに気付かないフリをした上で利用した。



「理解したか? 外界の波紋使いよ。
 こうして私は全てを曝け出したが、お前はこれを『イカサマ』だと断定し、私に『ペナルティー』を与える権利を持っているのだぞ?」

ギリリ、とジョセフは歯軋りする。
藍は今、自分で自分の行った不正を説明したようなものだ。
これをイカサマだと判定し、彼女にチップ10枚のペナルティールールを課すことは可能。
だが、ジョセフにはそれをしたくとも出来ない。正確には、『意味がない』。

藍の不当を指摘した所で返ってくるのは、ジョセフが先に行ったイカサマへの指摘だろう。
藍のイカサマを暴くことは、自分のイカサマを暴くことと同義だ。となれば結果、ジョセフ自身にもペナルティーは返ってくることは明白。
相手もそれを分かっているからこそ、敢えて説明をしただけに過ぎない。
イカサマにイカサマで返しただけ。相手が行ったのは、そんな簡単な意趣返し。

つまりこれは藍からの『警告』。
―――『お前の企みなど全てこちらの掌の上だ』。
―――『次はない』。

八雲藍はジョセフの術を看破し、抑圧した。
言葉でなく、イカサマという同じ枠内で。
無言の――しかしこれ以上ない、遥か上から見下された『警告』。

この女の仕掛けた術は、つまりはそういう搦め手の意味を含んでいた。

敗北感という感情が、ジョセフの心にわだかまる。
格上。敵は、己の得意とする『読み合い』という盤上においても遥か天上の存在。


「……………次は、俺の親だ。チップを賭けな」


ジョセフは、藍のイカサマを『違反』だと指摘しない。
ここは堪えよう。今、下手をしてそれを指摘すれば、自分にも害は及ぶ。
前向きに考えれば、自分に『もう一度』イカサマできるチャンスが維持されたということ。
『次』……ここぞという場面にイカサマを仕掛ける隙が今後訪れるかもしれない。
機を待て。さっきの失態は、手痛い勉強代だと思え。
自分の心にそう言い聞かせながら、無理矢理に敗北感を抑え付ける。

確かに自分は、スタートダッシュの化かし合いには負けたかもしれない。
それでも。
それでもジョセフには、この戦法しかない。
騙し。ハッタリ。心理戦。読み合い。
これらの分野で敗北すれば、失うチップは自分の命だけでは済まない。
シュトロハイム。霖之助。橙の命だって無事でいられる保証はない。

「ゲームを続けるぜ。……俺の命を懸けて、テメーは叩きのめす」

「グッド。そうでなくてはつまらないな」

再び廻り始めた歯車は、否応なくゲーム二巡目再開の音を鳴らした。
敗色の空気を身に感じてきたシュトロハイム、霖之助もそれぞれ賭けるチップを卓に積む。

両者ともに、1枚ずつ。
当然だ。この巡の親はジョセフ。チンチロとは親と子で戦う博奕。ジョセフの親番で、仲間が勝負に出る必要性は無い。
藍が親でない限り、子は無駄にチップを積んでも仕方が無いのだ。
勝とうが負けようが、仲間同士で潰し合うという本末転倒な目に遭ってしまう。重要なのは、藍が張るチップだ。

(この巡での僕やシュトロハイムの勝負は実質、消化試合のようなものだ。問題なのは藍の勝負。親であるジョセフと再びぶつかるぞ……!)

霖之助は来る猛攻に備えるよう、呼吸を整えた。
吹き荒れるのは、初夏に流れる薫風の快い風か。
それとも、木々をも薙ぎ倒すほどの嵐が如き台風か。

周りからの重圧を受け流すように藍は、しなやかにチップを積む。
その数―――



「……『1枚』だとォ~~? もしもーし藍ねえちゃーん? 俺と勝負するんじゃなかったのォ?」

「ふふふ、そう言うな。なにしろ私はこの身ひとつで三人相手に戦っているんだ。慎重にもなるさ」


藍の賭け数は『1』。勝負には出なかった。
ジョセフと勝負する機会はここを逃せば、次は『五巡目』。
藍の親ターンでジョセフの勝負を受けるか、『六巡目』で再び巡ってきたジョセフの親ターンに仕掛けるかしか無い。
そのチャンスを捨て、慎重策を取った。

この二巡目、全ての参加者の賭けチップは1枚。
大きく勝負は動かず、自らの生命とも言えるチップの維持が重視された。

「ちぇ~っ、つまんねーの」

半ば拍子抜けしたジョセフも、とにかく賽を振らなければ勝負は進まない。
親のジョセフ、その手から振られた一投目は―――

1、4、5。

一投目、目なし。
続いて投げるも、3、4、6の再び目なし。
最後の三投目。ジョセフとしてはこのまま目なしでもそれはそれで悪くはない。
負けても取られるのは合計たかだか3枚。それぞれが賭けたチップの少なさを考えると、ここはむしろ負けた方がまだ良いぐらいだ。
現時点で自分はチップの所持数では圧倒してはいる。多少の負けは響かない。

そんなジョセフの思惑を嘲笑うように現れた三投目の役は―――

(ろ……6、6、4…! 目は『4』か……! 役でいえば無難な目……だが、“だからこそ”一番嫌なパターンだぜ……!)

チンチロで4の目は良くも悪くも『普通』。そこそこではあるが、今の状況ではその普通こそが、少し良くない。
これはチーム戦。ジョセフは二人の仲間と共に藍を打ち倒さねばならないが、勝負そのものの形式は一対一なのだ。
ジョセフが全員の子と戦う義務がある以上、この微妙な目では最悪の場合、仲間には勝ち、敵には負けるという場合も充分あり得る。
得をするのは藍だけ。賭けたチップが全員1枚なのが幸いだ。

とにかくジョセフの出した目は4。それに皆が勝負する。


『二巡目・二番手 ルドル・フォン・シュトロハイム』 現所持チップ14枚:賭け数1枚


「今のところは俺が最下位か。ジョジョに勝っても仕方ないが、負けるのもなんか癪だな」

冗談か本心かわからない台詞を零しながら、シュトロハイムは賽を振る。
ジョセフが多くチップを持っている以上、ここは勝って1枚でも多く『命』を増やしたい。

だが一投目は1、3、4。目なし。
危うくヒフミを出すところだったが、続いて投げた賽の目は―――

「……1、1、2で目は『2』。俺の負けか」

ジョセフの4に敗北し、シュトロハイムは仕方ないといった表情でチップを1枚掴み、ジョセフへと放る。
形式上での試合ではあるが、こちらが多人数のチームでゲームを行う以上、あり得ることだ。
そして次なる振り手は―――


『二巡目・三番手 森近霖之助』 現所持チップ16枚:賭け数1枚


「……やってしまった、か。傷は深くないにしても、良い流れじゃあないね、これは」


軽く頭を抱えた霖之助は、己の勝負弱さに辟易した。

一投目:3、5、6  目なし
二投目:1、3、5  目なし
三投目:3、4、6  目なし

結果は『目なし』。霖之助の負け。
シュトロハイムに続き、またしてもジョセフらは互いに喰い合った。
チップを渡す霖之助も、受け取るジョセフも、その目には沈痛さが垣間見える。
チンチロでの目なしは、そう珍しい結果ではない。そして今は勝負を決めるべき場面でもない。
だが『勝負』というものには『流れ』はあり、その『ツキ』を霖之助は今取り逃してしまった。
勝負は勝負。そう言い聞かせ、賽の入った椀を藍に渡して黙る。

二巡目、最後の勝負。
このチンチロは結局の所、ジョセフら三人が勝つか、藍が一人勝ちするかだ。
本番と言える勝負はこの八雲藍が振る時のみ。逆に言えば藍が関わらない勝負に大して意味は無いのだ。
攻める場合も受ける場合も、藍の一振りに全てが懸かっていると言っても過言ではない。

喰うか喰われるか。
刺すか刺されるか。
もしかしたらこの勝負に数の利など、あってないようなものかもしれない。
判断を見誤れば、ひとりひとり順番に消化されてしまうだろう。

歪なる歪みを孕んだ、この巨大なる九尾の胃袋に。


『二巡目・四番手 八雲藍』 現所持チップ15枚:賭け数1枚


「くくく……。面白いなぁジョセフ。私は数字を信頼するタイプの性格だが、店主の言った通り勝負に『流れ』というものはあるかもしれんな」


藍の妖しげな笑みの口元に、ジョセフは白い牙を錯覚した。
二巡目最後の番で彼女が放った賽の目は、一投目は2、4、6の目なし。

そして二投目に現れてしまった。ジョセフの危惧した最悪のパターンが。

「4、5、6のシゴロ。私が二倍付けで勝ちのようだ。たかだか2枚の配当だが、お前らにとってはこれ以上なく泥濘だろう」

ジョセフの4に対して、藍だけが勝利。
この二巡目……仲間同士、足を踏みつけあって転んだのはジョセフたちだ。
元々こうなることを見越しての『1枚賭け』。想定してはいた事態。
だが実際、この悪循環に襲われた気だるさのような重力が身に圧し掛かると想像以上に重い。
この重力という枷を嵌めたまま、彼らは次なる勝負の流れに身を投げねばならないのだ。


―――二巡目を終え、ゲームは第三巡目に突入する。


 【現在の各チップ所持数】
ジョセフ    35枚(±0)
シュトロハイム 13枚(-1)
森近霖之助   15枚(-1)
八雲藍      17枚(+2)


『三巡目・一番手(親) ルドル・フォン・シュトロハイム』 現所持チップ13枚


「次は俺が親か。つまり実質的に俺とキサマの勝負になるというわけだ。……八雲藍よ」

「………」


静かな威圧感を滾らせ、シュトロハイムは藍を睨みつける。
彼のその様は言うなら、天高く衝く鬼峰の如し存在感。
頂から地上を見下ろし、登り来る者の障害として聳える巨大なる壁。
動と静の性格を併せ持ちながら、様々な戦場を駆けて生き抜いてきた屈強な男が、目の前の妖艶な雌狐と命を賭け合う。

女の表情は読めない。
無表情なのか、笑っているのか。
瞳の奥に映る色は、他の全てを飲み込まんとする黒き津波の飛沫。

シュトロハイムは確信していた。
この女は『狂っている』。
全てを見通すような鋭い眼の中にあるのは、深淵のみ。
千手先を読み通すほどの常人を越えた頭脳を持ちながら、その実なにも見通せていないのだ。
狂っている、というよりも壊れていると言った方が正しいのかもしれない。
本来、芯として守るべき目的を彼女は半ば見失い、暴走状態にあると言っても良い。
非情に強かに、冷静に行動・思考しているように見えて、致命的なバグのような異物が脳内に混ざってしまっている。
殺し合いに巻き込まれたという理由で陥った状態にしては、冷静すぎる。
『何か』をきっかけとして、彼女の侵されてはならない領域にヒビが入った。
それを彼女自身は修復したつもりであっても、一度侵入したバグを完璧に排除することなど出来ない。


もし出来るとしたら……彼女の偉大なる主であり、スキマを操るという賢者・八雲紫しかいないだろう。
『あの時』、二ッ岩マミゾウから被せられた言葉という名の僅かなバグを、心にスキマを開けて取り出せる八雲紫なら。


―――きっとこの暴走する九尾を宥め、治められるかもしれない。


「じゃあ僕の張るチップは……勿論1枚にしとくよ」


霖之助は定石通り、掛けチップを最低額の1枚に留める。
問題なのは藍の賭け数だが……。


「私がお前と勝負するチップは……これだ」


シュトロハイムの威圧ある視線を受けて藍が積んだチップの数は―――5枚。
一度に賭けられる最大の数で、勝負に出た。
殺気かと間違えるほどの冷たい視線を受けたシュトロハイムは、藍の積んだチップを見て視線を研ぐ。

「―――なるほどな。キサマ、俺から殺す腹か」

シュトロハイムの放った言葉は、藍の本心を確かに射た。
藍はまず、このシュトロハイムから仕留める算段をつけていた。
それは藍にとってジョセフなどよりも、この謎の軍人の方が遥かにアンノウン的存在であり、未知なる男だったからだ。
彼と最初に遭遇したのはここより近く、レストラン・トラサルディーで鈴仙を襲った時。
この男は鈴仙の持つ紙から現れたように見え、男の身体も普通の人間ではなかった感触を捉えた。
結局その時は逃がしてしまったが、今回再会した時は何食わぬ顔でジョセフと同行していた。
彼はジョセフとどこか親しい関係性が見えたし、その直接的な肉体能力はかなり高いと思わせる動きも見せた。
だが先ほど霖之助から仲間の情報を聞き出した時は、シュトロハイムのシの字も出てこなかった。
霖之助が敢えて情報を隠匿するという機転を利かせたのでなければ、このシュトロハイムは彼すらも知らなかった男ということになる。

(私の持つコイツへの情報がまるで無い。シュトロハイムは早めに叩いておくが吉、だな)

様々な思案の結論として、藍はドイツの軍人シュトロハイムを第一のターゲットとして見定めた。
こうしてシュトロハイムを親番として、最後にジョセフがチップを眼前に差し出した。



「―――って、ジョジョォ!? なんでキサマまで『5枚』も張るのだッ!!」


敵を殺す毒をチップに盛ったのは藍だけでなく。
味方のジョセフまでもが最高額の5枚張りなのは流石のシュトロハイムも愕然となった。

「いやだって、今お前最下位よ? お前が俺に勝って5枚増やさないと後々苦労するぜ」

「もし俺が負けたらどうするつもり…………あっ、なるほど“そういうこと”かジョジョ」

ジョセフの考えを察し、出しかけていた抗議を仕舞い直す。
ここで弱い目でも出し、全員に負けたりすればシュトロハイムは計11枚取られることになる。
下手をすればこの巡で死ぬ可能性すらあるが、ジョセフには何か考えがあるのだろう。
兎にも角にも、ジョセフは実質自分のチップを5枚、シュトロハイムに譲るような行為をしたも同然。
心の中で恩に着りつつ、シュトロハイムは勝負に出る。

大胆に口を吊り上げ、椀に振り込んだ最初の目。


一投目は―――1、2、4。目はなし。


「危なかったな。3が出ていればヒフミになるところだったぞ。また自爆するつもりか?」

「たわけ! どこが危ないものか、4は3の真裏だ。このシュトロハイム、二度も自滅を繰り返すヌケサクではないわァ!!」

強気の言葉とは裏腹にシュトロハイムの額には一滴の汗が光を反射している。
因みに今二倍払いのヒフミが出ていれば、霖之助から2枚、ジョセフと藍から10枚ずつ取られシュトロハイムの負けがほぼ確定していた。

「次ィ! 二投目、投げてやるぞッ!」

段々と地の性格を現してきたシュトロハイムは、その腕に力込め賽を振るった。


    カラァン!

 カラ…
        カラ…


「―――2、2、3……出目は『3』、だな。あまり強い目とは言えないな」


くつくつと馬鹿にするような笑いを漏らし、藍はあしらう。
数多の戦場を生き抜いたシュトロハイム、ここで化け狐に喰われるか。
はたまた―――


『三巡目・二番手 森近霖之助』 現所持チップ15枚:賭け数1枚


さて、僕の番が巡ってきた。
今までに出した僕の目は、一巡目が藍の仕業によりヒフミ。二巡目が目なし。
あまり芳しくない結果だが、だからと言って「ここらで一発!」とわざわざ気概を見せることもない。
僕とシュトロハイムのチップ数はほぼ同数。そして互いに味方であるわけだから、正直勝っても負けてもいいんだ。
僅かに彼の方がチップは少ないので、どちらかと言えば僕が負けておくべきなのだろうが……

「6、6、4……出た目は『4』か」

勝ってしまった。
シュトロハイムから僕へチップが1枚。
渡す時の彼の目が若干、睨むような感じに見えたのは彼の元々の目つきの悪さ故だと思っておこう。

しかしここではない。
重要なのはこの場面では無いんだ。
次……勝負は次の藍のターンで始まる。
どうか勝ってくれよシュトロハイム。もし負けたらキミは一気に不利になるんだ。


『三巡目・三番手 八雲藍』 現所持チップ17枚:賭け数5枚


「初手は……1、3、6の目なし。……次だ」


カランカランと、弾き合う賽子の音が店内の静寂を掻き回す。
この勝負にシュトロハイムが勝てば、藍を最下位に叩き落すことが出来る。
それだけに、重要な転機。


「……2、4、5か。またも目なし。ふふ、陳腐な遊戯とは言え結構白熱するものだな、シュトロハイム?」

「……黙って最後の一投を振れ。これで目が出なかったら俺の勝ちだということを忘れるな」


互いに腹を探りあい、心の内を見破る。
ギャンブルとはそんな精神の戦い。
そして『運』。これが無ければどうしようもない。
今日、この時、この瞬間。
運命の女神がいるとしたなら、女神の息が降りかかったのは―――


「―――私の勝ちだ。目は4、5、6の『シゴロ』。二倍付けでチップ10枚の大勝だ」

「………ッ!」


勝ちの波動……その流れは策士の九尾に向いた。


シュトロハイム―――現在総チップ数2枚。


『三巡目・四番手 ジョセフ・ジョースター』 現所持チップ35枚:賭け数5枚


まさかこのタイミングで藍が倍付けで勝つとはジョセフも想像していなかった。
シュトロハイムの残りチップは2枚。瀕死の状態と言ってもいい。
通常この枚数なら絶体絶命。何故ならシュトロハイムの出した目は『3』。お世辞にも強い目とは言えない。
となればここでジョセフが普通に振っても、シュトロハイムの3を超える目が出る可能性は高い。
たとえジョセフの賭けたチップ数が『1枚』だったとしても、この巡でシュトロハイムがジョセフに負け、残り1枚になれば最悪だ。
次の霖之助の親番で、シュトロハイムは最後の1枚を賭ける羽目になってしまう。
もしその勝負にも負ければ、ここでシュトロハイムは脱落。無情なる首輪の餌食になる。

それはジョセフの『イヤな予感』だったのか、または『虫の知らせ』だったのか。
とにかくジョセフは、嫌な方向だけはよく当たる己の『カンの良さ』を心の底から褒めた。
念のため『5枚』賭けておいて本当に良かった。自分のチップが減るのは少し癪だが、これでシュトロハイムの延命には成功した。

「テメー、これで『貸し』だかんな! 後でちゃんと返せよコノヤロー!」

「分かっておるわ! さっさと投げろ!」

ヤケクソのように賽を振り撒いたジョセフは、賽の目を見ぬまま肘を突いて態度悪く溜息を吐く。
ジョセフには賽の目など見なくても、結果は『分かっている』のだから。

「……ああ、その手があったのか。成る程ね……」

霖之助は素直に賞賛した。
チンチロのルールを利用した、抜け道。それがジョセフの策。

「出目は……なし。シュトロハイムの勝ちか……なるほど、お前も随分セコい手を使う」

藍は褒めるというよりも半ば呆れたように賽を眺めた。
そこには“椀から零れ落ちた賽子”の様子が見える。

―――賽が椀から出てしまった場合は即負け。目なしとなる。

チンチロにある絶対不変なこのルールを利用し、ジョセフは『わざと』賽を椀から零した。
敢えて負けることにより、ジョセフはシュトロハイムに自身のチップを流したのだ。
その数5枚。僅かにだが、この策によりシュトロハイムの所持チップをゼロから遠ざけた。
当然ジョセフ自身のチップもそれだけ失うのだ。あまり頻繁に使える作戦ではない。
ほんの少し命を繋ぐ延命処置。結果はあまり釣り合わないものだ。


全員の手番を終え、九尾は笑む。
見た者を凍り付かせるほどに冷たく歪んだその口を、橙だけが目撃していた。
藍はこの結果を予想していたのか。
それは彼女以外には、知る由も無く。


―――三巡目を、終えた。



 【現在の各チップ所持数】
ジョセフ     30枚(-5)
シュトロハイム  7枚(-6)
森近霖之助    16枚(+1)
八雲藍      27枚(+10)


後編へ⇒ギャン鬼 後

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最終更新:2016年01月15日 02:18