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人として袖が触れている 10話

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  • 10.嗚呼、愛しのクリスティーナ


 ルネは考えました。
―俺が考えてるってことは、俺が居るんだなぁ。
 ベークマンに殴られました。
 ルネはもう一度考えました。
―この世で、もっとも確かなことはなんだろう。
―この世で、まったく疑う余地のないことはなんだろう。
―例えば目の前の世界は本物だろうか。
 いいえ、幻かもしれません。
 いいえ、夢かもしれません。
―だって夢を見てる時、これが夢だと気がつけるかい?
―え、つける? あ、そう……。
―う、羨ましくなんかないんだからね!
 それを夢だと証明できますか?
 それは無理。
 原理的にはありえないこと。
 不可能なこと。
 人の手ではどうにも出来ないこと。
―じゃあ学問は?
―じゃあ数学は?
―じゃあ論理は?
―それが正しいと思うことだって、思い込みじゃないか。
 ルネは全てを疑いました。
 疑って、疑って、疑い続け、絶対的に正しいものを探そうとしました。
 そしてとうとう、見つけたのです。
 ハイデッガーがそれを笑いました。
 ビアスがそれを笑いました。
 スピノザがそれを笑いました。
 木城がそれを笑いました。
 それでもルネは言いました。
 木城を殴ってから言いました。
―私が認識するものは、全て嘘かも知れない。
―でもそれを疑い続けているものがいることは、真である。
 たとえ疑ってることを疑っても、『何かを疑ってる』ことは真であるでしょう。
 たとえ全てが夢だったとしても、その夢を見て夢じゃないかと疑っている自分が存在することは疑えないでしょう。
 たとえこの世の全てが信じられないものだったとしても、『疑っている何者かが存在する』ことは、絶対的な真実なのです。


 月光が辺りを照らし、手足に自分の感覚が伝わっていくのがわかる。
 そうだ、いつもと同じ。
 月夜の……私の時間がやってきた。
 今日やることはそうね……とりあえず破いたノート探しかな。
 ああ、それとあともう一つ。
 本当はどうでもいいけど、これ以上こじれるのも気分が悪いしね。
「こなた、起きてる?」
 足音を殺し、こなたの対屋までやってくる。
 まぁ……一応私の所為だし、謝るべきよね。
 例のごとく、返事はないんだけど。
 もう、寝てるとか?
 まさかね、いつも夜更かしして昼まで寝てるはず。
 じゃあやっぱ無視されてる?
 ……ああもう、人が謝りにわざわざ来てやってるのに!
「ちょっと、聞いてるっ!?」
 戸を勢いよく開く。
 ……が。
「あれ?」
 開いた戸からは、淡い蝋燭の光が漏れた。
 でも……その部屋の主の姿はなかった。
「こなた? こなたー?」
 私から隠れてるだけかと思い、何度か声をかけてみる。
 でもやっぱり返事はなし。
 というかこの対屋にそうそう隠れる場所なんてない。
 はて、これはどういうことだろう。
 ああそっか、あれかな。つかさのところとか?
「お、おおおおお姉ちゃんっ!!」
「?」
 でも、そのつかさが現れる。
 息を切らして、うちぎを乱して……はしたない。
「こ、こなっ、こなちゃんは!?」
「こなた? 居ないけど……とりあえず落ち着きなさいよ、ほら」
 とりあえず落ち着かせる。
 ……でも今、嫌な予感がしてる。
 今日ゆたかちゃんの家で感じたのと、同じもの。
「こ、こなちゃんがねっ、そのっ。行っちゃったみたいなの!」
「行った? 何処に?」
「そ、その……」
 そこで一度、言いよどむつかさ。
 私の悪い予感は……こういう時ばかり、当たるらしい。
「ゆたかちゃんの、邸に」
 ……。
 理由はまぁ……大体分かる。
 どうせゆたかちゃんの想い人でも見に行って、ついでに文句の一つでも言ってやるつもりなのだろう。
「夕餉の後にね、相談されたんだ……夜に抜け出そうって」
 それでつかさにも突っぱねられたから、一人で抜け出したと。
 ……あの馬鹿、私には相談しなかったくせに!
 はぁ……普通お姫様ってのは、邸にこもって顔も見せないのが美徳なのに。
「私、駄目って言ったんだよ? 夜は危ないからって……でもなかなか納得してくれなくて」
 それで心配になってきてみたら、居なかったと。
 この様子だと、邸中をいままで探していたらしい。
 ……どーすんのよ、それ。
「ど、どうしよどうしよ! お姉ちゃんっ!」
 もうパニック寸前のつかさ。
 これはもしかして、一大事?
 そうよね、私たちの責任になるわけで……。
 下手すりゃクビ? ってそりゃ困る!
 いつまでこの世界に居るのかなんて、見当も付かないのに!
「はぁ……とりあえず落ち着いて、何か考えるから」
 と言っても、どうしようもないわよね。
 もう抜け出してるわけだから。
 いや、一個あるか。
 簡単な話よ……もみ消せばいい。
 何もなかった、そう何も。
 それが出来れば最高なんだけど……問題はこなたが居ないってことか。
 待ってりゃ帰ってくる? そんなまさか、絶対何かやらかすに違いないっ!
「いいわ、つかさ……あんたはこの部屋に居て」
「え……な、何で?」
「こなたが居るふりをするのよ、寝てればいいから」
「むっ、無理だよそんなっ!」
 慌てるつかさ。
 まぁ確かに、綱渡りな作戦かもね。
 でもしょうがないじゃない、それしかないんだから!
「大丈夫、一日くらいなら分からないわ……朝までには連れ戻すから」
「お、お姉ちゃんが?」
 まぁ……そうなるわよね。
 正直なところ、行きたくない。
 でも鈍くさいつかさがばれないように邸を抜け出せるとは思えない。
 しかもつかさは暗いの嫌いだし。
 つまり、私が行くしかないわけよ。
「でもお姉ちゃん、こなちゃんとはまだ……」
「仕方ないでしょ、耳引っ張ってでも連れてくるわ……あんた、見つかったら駄目だからね!」
「うぅ……はぁい」
 渋々つかさも了承してくれたので、こなたの部屋に押し込める。
 あとはこなた、か……はぁ、たまにはゆっくりノートを探したいのに。
 いいや、とっとと行って捕まえて帰ってこよう。


 今朝通った道をもう一度早足で歩いていく。
 微かな月光が照らす道は少し不気味。
 早足のおかげで早々にゆたかちゃんの邸には到着した。
 でも問題は、そこからだった。
 深夜だというのに、大量に焚かれている篝火が乱暴に辺りを照らしている。
 さらには雑色や女房が入り口の門を行き来し、混乱している様子が伺える。
 そして、一人の女房と目があった。
「あ、先輩っ」
 特徴的な呼び方でこちらに駆け寄ってくるのは、見覚えのある女性。
 ……ひよりだ。
 そういや年下なんだっけ。
「どうしたんスか、こんな夜中に」
「う、ん……ちょっと所用でね」
 お姫様が抜け出した、なんて言えるかい。
 ばれたら死活問題よ。
「そっちこそどうしたの? 随分混乱してるみたいだけど」
 宴……とかじゃないな、この慌てぶりは。
 事件、のほうがしっくりくる。
「いやぁ……それがッスねぇ」
 と、辺りを警戒して少し小声になる。
「抜け出しちゃったんスよ、ウチのお姫様が」
 わー、そりゃ大変だー……って、言ってる場合じゃないか。
 もしかして流行ってるのか? 抜け出すって。
「ゆたかちゃんが?」
「ううぅ……自分が甘かったッス、文は自分で渡したいってごねだして……突っぱねたら、これッスわ」
 はぁ、とため息が漏れる。
 何処も大変なんだなぁ、お姫様ってのは。
「じゃあその、無言の君のところに?」
「そうなんスよ、だけどその……他の人には内緒でして」
 無言の君ってのはまぁ、愛称だ。
 呼びようがないから、そう呼んでるらしい。
 それでこの騒ぎ、ね。
 さながら邸内大捜索ってところ?
「なるべく早く迎えに行きたいんスけど、自分抜けられなくて……」
「抜けられない? 何で?」
「実は……んぎゃっ!」
 その時、ひよりから奇声が。
「おーぅ、何時まで駄弁ってんだコラー」
「こ、こう先輩、締まってるっ。頚動脈締まってるっス!」
 後ろからひよりを羽交い絞めにしたのは、女性。
 古参の女房だろうか……今度は知らない顔だ、多分。
「ゆい様がお呼びだって言ってるだろー? きっちりお説教されてきなよ」
「わ、分かってるッスよぅ……すぐ行くって言っといてください」
 はいはい、とその女性も去っていく。
 ……そっか、お姫様が抜け出した責任はそのお付の女房にくるに決まってる。
 明日は本当に我が身だ、怖や怖や。
「そこで先輩、お願いがあるんスけど」
 そしてさらにひよりの声が小声に。
 まぁ……ここまで来たら何のお願いかは、検討がつくけど。
「何よ、ゆたかちゃん迎えに行ってって?」
「どうか、どうかお願いしますっ!」
 土下座ばりに頭を下げる。
「ばれるわけにはいかないんスよ、あの二人……ばれたら多分、もう会えないっ!」
 夜中邸を抜け出して男と会ってたってのは問題だ。
 しかも相手は身分も分らないような殿方。
 成美さんならゆたかちゃんを箱詰めにしてでも、引きはがしそう。
 こなたに負けず劣らす、直情一直線だし。妹煩悩だし。
「お願いします……ゆたかには、幸せになって欲しいんスよ」
 と、頭を下げ続けるひより。
 ……。
 ここで、私お得意の違和感
 いや、いつものそれとは種類が違うか。
 要はなんで一女房のひよりが、ここまでするのかってこと。
 いくらお付の女房だからって、やりすぎよ。
 だって、隠したって良い事はないはず。
 隠せば隠しただけ、自分の首が締まっていくだけじゃない。
 そこで……嫌な予感。
「もしかして、だけど……さ」
「はい?」
 私の言葉にひよりが頭をあげる。
 こういうときの嫌な予感ほど、当たるものはない。
「ゆたかちゃんの事……好きなの?」
「へっ?」
 ……ここから、少し沈黙。
 そして見る見る顔が赤くなっていき……その後、火山が爆発。
「なぁっ! な、何を言ってるッスか? 自分はその、ほら、女房ッスよ? 女の子ッスよ? あ、あはは。やだなぁ先輩っ」
 真赤になった顔で、矢のような言葉の雨を降らすひより。
 はぁ……どうやら、というかやっぱりというか。
 彼女も、同じらしい。
 この世界の私……体の私と。


 近くの竹林を抜けると、ひよりの言ったとおり小さい御堂が立っていた。
 何でも古くなり、今は使われていないものらしい。
 そこがどうやら二人……ゆたかちゃんと無言の君の逢瀬の場所なんだそうな。
 辺りを確認しても、まだ邸の雑色たちが来ている様子はない。
 でも時間の問題か、調べる手を広げればすぐにここにも行き着くだろう。
 結局私はひよりに頼みを聞きいれ、こんな所まで来てしまった。
 はぁ……甘いな、私も。
 ちょっと前なら自分の用事で忙しいって突っぱねた所なのに。
 まぁいいや、どうせこなたもあの無言の君を探してるはず。
 会える確率だって、こっちのが高いわよ。
 ええと、ここの御堂の前でいつも会ってるらしいけど……。
「それで今日ね」
「!」
 声が耳に届き、思わず近くの茂みに隠れる。
 今のは確かにゆたかちゃんの声。
 目を凝らすと、淡い月明かりの下にその姿が浮かび上がった。
「こなたお姉ちゃんが遊びにきたのっ」
「……」
 そこに居たのは、二人。
 一人はゆたかちゃん。
 そりゃそうだ、彼女を連れに来たわけだから。
 そして……もう一人。
「あっ、こなたお姉ちゃんって言うのはお母さんのお兄さんの子供でねっ」
「……」
 ゆたかちゃんが楽しそうに喋っているのに、そのもう一人は一言も喋ることはなく、ただ頷くだけ。
 確かに……今日聞いたままの人物が、そこには居た。
 音のない世界に舞い降りたような……そんな神秘さを彷彿させるその顔だちを見て、思い出す。
 私が知ってる世界のその人の名は―ー岩崎みなみ。
 彼女が、ゆたかちゃんの想い人。
 その体に纏う束帯は、日下部と同じ違和感を連想させる。
 そう……彼女もこの世界での役割は、男性らしい。
「でも、すぐ帰っちゃった。もっと遊びたかったんだけどな」
「……」
「あっ……」
 するとみなみちゃんの手がゆたかちゃんの頭を撫でた。
 もしかして慰めてるのか……ゆたかちゃんオーバーヒートしてるけど。
 一見すれば、お似合いの二人。
 でもどうしよう。
 このどピンクの空間にズカズカ入れるほど、空気詠み人知らずじゃないぞ。つかさじゃあるまいし。
「そ、それでっ、こなたお姉ちゃんがねっ、えとっ」
 ようやく頭から手が離れたものの、まだ動揺してるのか呂律が回らないゆたかちゃん。
 ああもう、可愛いなぁ!
「お土産に……あっ」
「!」
 その時だった。
 ゆたかちゃんの体が急に、みなみちゃんの体と重なる。
 突然の自体に、みなみちゃんの表情にも何処か焦りが混じる。
 ゆたかちゃんから抱きついたようなものだから仕方ないか。
 どうやら体のほうが先に根をあげたらしい。
 まぁ熱が出てるのに無理すれば、そうなるわよね。
「あ、あれ? ゴ、ゴメン……なんか、変」
 みなみちゃんの腕の中で顔を真っ赤にするゆたかちゃん。
 その顔の熱は病気の所為かはたまた……。
 でもいいや、丁度出て行く口実になる。
 まだ多少ピンクだけどいいや、さっきよりはマシよ。
「ゆたかちゃ……」
「ゆーちゃんっ!」
 その時だ、私の声を誰かの声が塞いだのは。
 ……いや、誰かなんてのは愚問か。
 そんな呼び方するのはそうそう居ない。
 そして私の視界の中に、その三人目が割り込んでくる。
 見覚えのある長い髪に、幼い容姿……こんなとこにいやがったこいつ!
 そいつの――こなたの所為で、事態はさらに混沌を極めていくことになるわけで。
 あぁ……早く帰りたい。
 そう思う私の心とは裏腹に、夜はただ更けていった。


(続)













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  • 1000.html -- 名無しさん (2007-10-22 01:45:05)

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