もし神様がいるなら、時間を巻き戻してもう一度ゆたかを看病させてほしい。
こんな形で終わる位なら、こんな恋なんて諦めて、また友達に戻りたい。
……でも、それは決して届かない願い。
今の私に許されているのは、寂しい空き教室の隅で、あの瞬間を悔やんで泣くことだけ。
こんな形で終わる位なら、こんな恋なんて諦めて、また友達に戻りたい。
……でも、それは決して届かない願い。
今の私に許されているのは、寂しい空き教室の隅で、あの瞬間を悔やんで泣くことだけ。
「ゆたか……」
大好きなひとの名前が、頭の中に何度も浮かんで、そのたびに良心を苛む。
その痛みに耐え切れずに溢れる涙は、拭っても拭っても、後から後からこみ上げてきて……。
4時間目はとっくに終わって、昼休みも半分過ぎたのに、普段通りを装う元気も出ない。
そんな私を見下ろす空は、今の自分と同じ、太陽を失くして鼠色に染まっていた。
その痛みに耐え切れずに溢れる涙は、拭っても拭っても、後から後からこみ上げてきて……。
4時間目はとっくに終わって、昼休みも半分過ぎたのに、普段通りを装う元気も出ない。
そんな私を見下ろす空は、今の自分と同じ、太陽を失くして鼠色に染まっていた。
みなみべりー・ぱにっく! ~神無月の漫画家さん~
「小早川さん、早退したんだって――」
教室に戻ってすぐ、後悔で塗り潰された心に、誰かの声がのしかかる。
ゆたかを保健室にエスコートする時や、体育の時間以外は、私は特に注目されたりしない。
けれど、目を痛々しく泣き腫らした今の私は、教室に入った瞬間から、格好の話題の的だった。
心にできた大きすぎる空洞を誰かが見つけて、別の誰かに話して……
気がつけば憎らしいまでの連帯感で、クラスのそこかしこから嫌な噂や推理が上り始めた。
教室に戻ってすぐ、後悔で塗り潰された心に、誰かの声がのしかかる。
ゆたかを保健室にエスコートする時や、体育の時間以外は、私は特に注目されたりしない。
けれど、目を痛々しく泣き腫らした今の私は、教室に入った瞬間から、格好の話題の的だった。
心にできた大きすぎる空洞を誰かが見つけて、別の誰かに話して……
気がつけば憎らしいまでの連帯感で、クラスのそこかしこから嫌な噂や推理が上り始めた。
「そーいえば岩崎っていつも小早川にベタベタだったよな?やっぱ岩崎って……だったんかな?」
「もしかして保健室で告ってフラれたとか」
「えー、もうすぐ柊先輩化すると思ってたのに……」
目を閉じて、投げかけられる言葉から意識を逸らそうとする。
けれど、自分の一番痛い場所に突き刺さる言葉を、気にしないなんて無理。それどころか……
「もしかして保健室で告ってフラれたとか」
「えー、もうすぐ柊先輩化すると思ってたのに……」
目を閉じて、投げかけられる言葉から意識を逸らそうとする。
けれど、自分の一番痛い場所に突き刺さる言葉を、気にしないなんて無理。それどころか……
「けど小早川も大変だよな。頼りの保健委員がこんな趣味……」
「そんなこと――!!」
「は、ははっ、悪ぃ、ちょっと言いすぎたわ……」
思わず本気で怒鳴りかけた私と、何人かの抗議の視線に押されて、その男子はそそくさと
引っ込んだ。しかし、投げかけられてしまった一言は、その場を支配していつまでも消えない。
だってそれは、私を含めた多くの人が、どこかで意識していた言葉だったから。
「そんなこと――!!」
「は、ははっ、悪ぃ、ちょっと言いすぎたわ……」
思わず本気で怒鳴りかけた私と、何人かの抗議の視線に押されて、その男子はそそくさと
引っ込んだ。しかし、投げかけられてしまった一言は、その場を支配していつまでも消えない。
だってそれは、私を含めた多くの人が、どこかで意識していた言葉だったから。
「あんなの、気にすることないよ?」
気まずい空気の中に、田村さんがすすっと割り込んできた。
棒立ちのまま固まっていた私の背中を撫でて慰めてくれる。
その横ではパトリシアさんが、武道やら任侠やら、日本の精神美(?)について語りながら、
近くの何人かの女子を巻き込んで、私を励ましつつ今の失言に抗議している。
気まずい空気の中に、田村さんがすすっと割り込んできた。
棒立ちのまま固まっていた私の背中を撫でて慰めてくれる。
その横ではパトリシアさんが、武道やら任侠やら、日本の精神美(?)について語りながら、
近くの何人かの女子を巻き込んで、私を励ましつつ今の失言に抗議している。
「…………」
ここはお礼を言わないといけないのに、普段でも不慣れな『ありがとう』を言う元気なんてなくて、
そのまますとんと椅子に落ちる。
……いや、違う。気力がないのもそうだけど、お礼を言えなかったのは、私のせい。
二人のお陰で、『居心地』は大分良くなったけれど、肝心の良心の呵責は消えないままだから。
自分が叩かれるだけなら、いくらでも我慢できる。
けど、自分がしたことのお陰で、ゆたかにまで負担をかけてしまうのは耐えられないから。
ここはお礼を言わないといけないのに、普段でも不慣れな『ありがとう』を言う元気なんてなくて、
そのまますとんと椅子に落ちる。
……いや、違う。気力がないのもそうだけど、お礼を言えなかったのは、私のせい。
二人のお陰で、『居心地』は大分良くなったけれど、肝心の良心の呵責は消えないままだから。
自分が叩かれるだけなら、いくらでも我慢できる。
けど、自分がしたことのお陰で、ゆたかにまで負担をかけてしまうのは耐えられないから。
今の一喝と、田村さんやパトリシアさんのお陰か、変な謗り声は静かになったけれど、訝しみの
視線は変わらない。いや、それどころか更に酷くなっている気もする。
こんな場所に、ゆたかが戻ってきたらどうなるだろう。きっと今の私のように、教室にいる間中、
ずっとこんな視線を浴びせかけられて……そう思うたび、胸の奥がきりきりと痛みを増す。
視線は変わらない。いや、それどころか更に酷くなっている気もする。
こんな場所に、ゆたかが戻ってきたらどうなるだろう。きっと今の私のように、教室にいる間中、
ずっとこんな視線を浴びせかけられて……そう思うたび、胸の奥がきりきりと痛みを増す。
なら、私はどうすればいい?ゆたかを少しでも傷つけないために、何かできることはある?
決まってる。簡単なことだ。
私から、ゆたかと距離を置けばいい……。
決まってる。簡単なことだ。
私から、ゆたかと距離を置けばいい……。
そう、きっと私達はこれで良かった。
今回の事件のお陰で、ゆたかは私と別れられた。
同じ女の子を好きになる『普通じゃない』私と……わがままで変態で自分勝手で、ゆたかを看病
するふりをして本当は欲情していた、そんな私と別れられたんだ。
今回の事件のお陰で、ゆたかは私と別れられた。
同じ女の子を好きになる『普通じゃない』私と……わがままで変態で自分勝手で、ゆたかを看病
するふりをして本当は欲情していた、そんな私と別れられたんだ。
……無理矢理嘘をつく。誰もいない机を見ながら、必死に自分を納得させる。
私は自分から、ゆたかが汚れてしまわないように……そう思って、別れたんだ。
私は自分から、ゆたかが汚れてしまわないように……そう思って、別れたんだ。
だいじょうぶ、私なんかいなくても、ゆたかならきっとがんばれる。
辛い時とか体調を崩した時は、泉先輩や田村さんたちが支えてくれる。
嫌な噂だって、私がゆたかから遠ざかれば、きっと何日もしないうちに消えてくれる。
だからゆたかは、私のことなんか忘れて、がんばって……。
辛い時とか体調を崩した時は、泉先輩や田村さんたちが支えてくれる。
嫌な噂だって、私がゆたかから遠ざかれば、きっと何日もしないうちに消えてくれる。
だからゆたかは、私のことなんか忘れて、がんばって……。
きーん、こーん、かーん、こーん。
自分を納得させる作業に取り憑かれていた私を、今日最後のチャイムが引き戻す。
いつの間にか授業は終わり、下校の時刻になっていた。
自分を納得させる作業に取り憑かれていた私を、今日最後のチャイムが引き戻す。
いつの間にか授業は終わり、下校の時刻になっていた。
「やば、傘持ってきた?」
「今日はさっさと帰って寝るわ。金ねーし」
教室中から一斉に上がる明るい声と、机や椅子が擦れる賑やかな音。
けれど私はずっと自分の席で、人がいなくなるのを待っている。
今の自分を帰りに見られないように、見られてこれ以上、ゆたか絡みの噂を囁かれないように。
「……」
ただ一箇所を除いて全ての席を埋めていた同級生も、私をちらりと流し見たり、逆に目を逸らし
たり、遠回りして私を避けたりしながら、塾へ、部活へ、思い思いの場所へ消えていく。
騒がしかった教室から、生徒が何人かずつ減っていき……
「今日はさっさと帰って寝るわ。金ねーし」
教室中から一斉に上がる明るい声と、机や椅子が擦れる賑やかな音。
けれど私はずっと自分の席で、人がいなくなるのを待っている。
今の自分を帰りに見られないように、見られてこれ以上、ゆたか絡みの噂を囁かれないように。
「……」
ただ一箇所を除いて全ての席を埋めていた同級生も、私をちらりと流し見たり、逆に目を逸らし
たり、遠回りして私を避けたりしながら、塾へ、部活へ、思い思いの場所へ消えていく。
騒がしかった教室から、生徒が何人かずつ減っていき……
「ごめんね、非番だったのに」
「Don't worry ヒヨリン、だが我々は百合のため、萌えを忘れた人のため、デスヨ?」
「恩に着るよパティ、この埋め合わせは……を……ね?」
「Wow !!! 恐悦至極に存じまス♪ではそろそろCafeに出撃シマスネ、後のコトは頼みましたヨ!」
「Don't worry ヒヨリン、だが我々は百合のため、萌えを忘れた人のため、デスヨ?」
「恩に着るよパティ、この埋め合わせは……を……ね?」
「Wow !!! 恐悦至極に存じまス♪ではそろそろCafeに出撃シマスネ、後のコトは頼みましたヨ!」
パトリシアさんが軽快に飛び出していった後には、たった二人だけが残された。
俯き続ける私と、それを見つめる、丸眼鏡が似合う、膝下まで届く長い髪をした彼女の。
俯き続ける私と、それを見つめる、丸眼鏡が似合う、膝下まで届く長い髪をした彼女の。
「ちょっと、前に座るね」
前の席の椅子をくるっと回して、すとんっと腰を下ろす。
生徒がいなくなった教室では、その音が嫌に耳障りに聞こえた。
前の席の椅子をくるっと回して、すとんっと腰を下ろす。
生徒がいなくなった教室では、その音が嫌に耳障りに聞こえた。
沈黙が、辛い。
特に用事がない限り、大宮の漫画の店に行くか、自宅や漫研の部室に直行して原稿と闘って
いる田村さんが、私の前に座って会話のタイミングを伺っている。
話題は間違いなく、私にとって辛いこと。
そんな話をするのは怖くて、悲しくて、それなのに何故か断る気にもなれなくて……。
特に用事がない限り、大宮の漫画の店に行くか、自宅や漫研の部室に直行して原稿と闘って
いる田村さんが、私の前に座って会話のタイミングを伺っている。
話題は間違いなく、私にとって辛いこと。
そんな話をするのは怖くて、悲しくて、それなのに何故か断る気にもなれなくて……。
椅子に座っていて、背中を向けることもできない私が、意固地に下を向き続けて、どれほどの
時間が経った頃だろう。
「岩崎さん」
田村さんに呼ばれた私は、条件反射的に、途方に暮れた顔を上げていた。
時間が経った頃だろう。
「岩崎さん」
田村さんに呼ばれた私は、条件反射的に、途方に暮れた顔を上げていた。
やけに広く感じる教室で、田村さんと向き合う。
毎日話をしている人の筈なのに、体が強張る。まるで面接試験でも受けているようだ。
……そう思ってみて、やっと気付く。
ああ、そうか。田村さんと二人きりで話すのは、これが初めてなんだ。
思えば、いつも私達の間には、ゆたかがいてくれた。
ゆたかと並んで話をして、ゆたかがいない時は、昔と同じように、一人で過ごして。
ゆたかを通さないと、私は友達と話もできなかったんだ……。
毎日話をしている人の筈なのに、体が強張る。まるで面接試験でも受けているようだ。
……そう思ってみて、やっと気付く。
ああ、そうか。田村さんと二人きりで話すのは、これが初めてなんだ。
思えば、いつも私達の間には、ゆたかがいてくれた。
ゆたかと並んで話をして、ゆたかがいない時は、昔と同じように、一人で過ごして。
ゆたかを通さないと、私は友達と話もできなかったんだ……。
「あのさ、た、単刀直入だけど……その、昼休みのこと、少し聞いてもいいかな?」
近くに人気がないのを確認してから、普段より小さめの声で聞いてくる。
私はどうしたらいいか分からず、黙ったまま。
でも、それを『否定はしていない』と取ったのか、田村さんは話を続けた。
「その、悪気はなかったんだけどさ、ちょっと気持ち悪いフリして授業抜けて、ゆーちゃんの様子
見に行ったら、岩崎さんが保健室から飛び出して、どこかに走ってくの見ちゃって……」
近くに人気がないのを確認してから、普段より小さめの声で聞いてくる。
私はどうしたらいいか分からず、黙ったまま。
でも、それを『否定はしていない』と取ったのか、田村さんは話を続けた。
「その、悪気はなかったんだけどさ、ちょっと気持ち悪いフリして授業抜けて、ゆーちゃんの様子
見に行ったら、岩崎さんが保健室から飛び出して、どこかに走ってくの見ちゃって……」
そこからは、大体予想通り。
私の方も気になったけど、ゆたかの方が不安で、ベッドの傍に駆け寄った。
ゆたかは『何でもない』って笑おうとしていたらしいけど、どう見ても無理が見え見えで、こんな
状態で授業を頑張るのは辛いからと、先生に頼んで早退にしてもらったらしい。
「家に連絡したら迎えに行けるって言うから、ちょうど良かったよ」
私の方も気になったけど、ゆたかの方が不安で、ベッドの傍に駆け寄った。
ゆたかは『何でもない』って笑おうとしていたらしいけど、どう見ても無理が見え見えで、こんな
状態で授業を頑張るのは辛いからと、先生に頼んで早退にしてもらったらしい。
「家に連絡したら迎えに行けるって言うから、ちょうど良かったよ」
疲れた笑みを浮かべる田村さんを見て、ほっとする。
こんなに優しい田村さんがいれば、ゆたかは何も心配ない。それなのに、どうして私は……。
こんなに優しい田村さんがいれば、ゆたかは何も心配ない。それなのに、どうして私は……。
「ねぇ、岩崎さん、さ……」
今の顔を見られるのが嫌で、再び俯いた私に、田村さんが聞いてくる。
「ゆーちゃんのこと……」
「田村さん」
その先は、聞かれちゃいけない。聞かれたら、頷いてしまう。折角の決意が鈍ってしまう。
だから、言われる前に。
今の顔を見られるのが嫌で、再び俯いた私に、田村さんが聞いてくる。
「ゆーちゃんのこと……」
「田村さん」
その先は、聞かれちゃいけない。聞かれたら、頷いてしまう。折角の決意が鈍ってしまう。
だから、言われる前に。
「ゆたかのこと、なんだけど……明日から、ゆたかのこと、みて、あげ……」
ゆたかのためにできる、私の最後の頼みごと。
これを伝えれば、きっとみんなうまくいく。もうゆたかは変な目で見られなくなるし、私もゆたかに
変なことをできなくなる。それで、ハッピーエンドになれる、はず……
なのに、その言葉の終わりの方は凍りついて、声になろうとしなかった。
これを伝えれば、きっとみんなうまくいく。もうゆたかは変な目で見られなくなるし、私もゆたかに
変なことをできなくなる。それで、ハッピーエンドになれる、はず……
なのに、その言葉の終わりの方は凍りついて、声になろうとしなかった。
「私、ゆたかに近づいたらだめだから……田村さんなら、優しいし、ゆたかとも仲良し、から……」
どうして、うまく言えないの?
いつもと同じように、自然に言わないといけないのに、どうして、また涙が出そうになるの?
どうしてこんなに悲しい、本音に見えない声になるの?
いつもと同じように、自然に言わないといけないのに、どうして、また涙が出そうになるの?
どうしてこんなに悲しい、本音に見えない声になるの?
「だから、ゆたかの調子が悪いときは、たむら……」
「だめだよ」
ポケットティッシュを取り出しながら、田村さんが言葉を遮る。
「ゆーちゃんの一番は、岩崎さんだしね。岩崎さんが休んだ時は代わりになるけど、そうじゃない
時は、岩崎さんが……」
「違う」
それはもう昨日まで。今日のあの時、私が壊してしまった。
だから、私は……。
「だめだよ」
ポケットティッシュを取り出しながら、田村さんが言葉を遮る。
「ゆーちゃんの一番は、岩崎さんだしね。岩崎さんが休んだ時は代わりになるけど、そうじゃない
時は、岩崎さんが……」
「違う」
それはもう昨日まで。今日のあの時、私が壊してしまった。
だから、私は……。
「田村さんは、私のこと知らない、私がゆたかに何をしたか知らない、ゆたかはもう私を嫌いで、
私も、ゆたかと……」
「嘘だよ、岩崎さんとゆーちゃんは、今だって特別の」
「そんなのじゃない、ゆたかとはもう何でもっ」
「そんなわけない!!」
私も、ゆたかと……」
「嘘だよ、岩崎さんとゆーちゃんは、今だって特別の」
「そんなのじゃない、ゆたかとはもう何でもっ」
「そんなわけない!!」
椅子を跳ね除け、反射的に駆け出そうとした私の手を、田村さんが引っ掴む。
何があっても絵描きとして庇い続けてきた、その大切な左手で。
「――っ!」
力任せに引っ張られても、引きずられて机を引き倒しそうになっても、田村さんは頑に離さない。
それどころか、こんなに意地を張る私の方に、真っ向から視線をぶつけてくる。
時間にすれば、きっと10秒にもならない程度。
運動が得意な筈の私の方が、その剣幕に折れていた。
何があっても絵描きとして庇い続けてきた、その大切な左手で。
「――っ!」
力任せに引っ張られても、引きずられて机を引き倒しそうになっても、田村さんは頑に離さない。
それどころか、こんなに意地を張る私の方に、真っ向から視線をぶつけてくる。
時間にすれば、きっと10秒にもならない程度。
運動が得意な筈の私の方が、その剣幕に折れていた。
「その……ご、ごめ……」
「いいっていいって。未来のエトワールを見守るのは……いや、なんでもないナンデモナイ……」
私が大人しく席についたのを見てから、荒い息と一緒に椅子に座り直す。
腰掛ける間際に作った不敵なVサインは、まるで何かをやり遂げた勇者のようだ。
「けど、私の本能が許せないから、ちょっとお節介焼いてもいいかな?」
「いいっていいって。未来のエトワールを見守るのは……いや、なんでもないナンデモナイ……」
私が大人しく席についたのを見てから、荒い息と一緒に椅子に座り直す。
腰掛ける間際に作った不敵なVサインは、まるで何かをやり遂げた勇者のようだ。
「けど、私の本能が許せないから、ちょっとお節介焼いてもいいかな?」
親身な笑顔で、聞いてくる。 さっきのごたごたで緊張が解けたせいだろうか。
私は先生に注意される子供のように、小さく頷いていた。
私は先生に注意される子供のように、小さく頷いていた。
「……岩崎さんさ、もったいなすぎるよ。ここでゆーちゃんから逃げちゃうなんて」
いつもとはちょっと違う、穏やかな声で、田村さんは『お節介』を始めた。
「逃げてるわけじゃない。私はゆたかに酷いことしたから、ゆたかと別れないといけないから、」
「嫌われた、ねぇ……」
いつもとはちょっと違う、穏やかな声で、田村さんは『お節介』を始めた。
「逃げてるわけじゃない。私はゆたかに酷いことしたから、ゆたかと別れないといけないから、」
「嫌われた、ねぇ……」
真剣に考えているのか、それとも呆れているのだろうか。田村さんは少し考え込んで……。
「それって、本当に『嫌われた』の?岩崎さんが『思い込んでる』わけじゃなくて?」
「え……?」
詰め寄るような笑顔で、そんな言葉を口にした。
「それって、本当に『嫌われた』の?岩崎さんが『思い込んでる』わけじゃなくて?」
「え……?」
詰め寄るような笑顔で、そんな言葉を口にした。
「いやなんか、ゆーちゃんが岩崎さんを嫌いになるのがどうしても想像できないんだよね。
夜×光はむしろ……だし、ヤンデレとか黒化とか?いやそれでもゆーちゃんならきっと……」
「田村さん?」
「……はっ、ごめんごめん、漫画家の癖で、つい」
何だか思考が変な方向に脱線していた田村さんを、こっちに引っ張ってくる。
「でもさ、やっぱりゆーちゃんを無理矢理嫌いになるなんてダメだよ。
それに何となくだけど、岩崎さんがしたことって、ゆーちゃんにとっては、岩崎さんが思ってる
ほど酷いことじゃないような気がするんだよね」
夜×光はむしろ……だし、ヤンデレとか黒化とか?いやそれでもゆーちゃんならきっと……」
「田村さん?」
「……はっ、ごめんごめん、漫画家の癖で、つい」
何だか思考が変な方向に脱線していた田村さんを、こっちに引っ張ってくる。
「でもさ、やっぱりゆーちゃんを無理矢理嫌いになるなんてダメだよ。
それに何となくだけど、岩崎さんがしたことって、ゆーちゃんにとっては、岩崎さんが思ってる
ほど酷いことじゃないような気がするんだよね」
只今良からぬことを考え中、という邪笑に、思わずぱっと顔が火照る。
違う、田村さんが思ってるようなご都合主義な展開なんてない。それは私の叶わない夢で。
そうだ、田村さんは私が何をしたか知らないから暴走しているだけで、でも、もしゆたかが……。
違う、田村さんが思ってるようなご都合主義な展開なんてない。それは私の叶わない夢で。
そうだ、田村さんは私が何をしたか知らないから暴走しているだけで、でも、もしゆたかが……。
「はぐぁっっ♪」
クールダウンの作業を、謎の雄叫びが妨害する。
田村さんが突然頭を抱えて、重心が崩れる限界近くまで仰け反っていた。
この角度は危ない。咄嗟に椅子から立ち上がって、後頭部を机の縁に強打しないよう支える。
「もう少しで倒れるところ」
「あ、ありがと……まじ助かったわ……」
ひとすじの冷や汗を流しながら、安堵のため息をつく。
クールダウンの作業を、謎の雄叫びが妨害する。
田村さんが突然頭を抱えて、重心が崩れる限界近くまで仰け反っていた。
この角度は危ない。咄嗟に椅子から立ち上がって、後頭部を机の縁に強打しないよう支える。
「もう少しで倒れるところ」
「あ、ありがと……まじ助かったわ……」
ひとすじの冷や汗を流しながら、安堵のため息をつく。
けれど体勢を整えるや否や、田村さんは私の顔を覗き込んで、言った。
「でも、今の顔で確信したわ。やっぱりどんなに誤魔化しても、岩崎さんの一番はゆーちゃんだよ」
「顔?」
「そう、さっきの……って、そっか、自分じゃ分からないよね、ザンネン。
……でも、古今東西、二次元でも三次元でも、人は本当に気になる人のことになると、どうしても
その人専用の顔しちゃうもんだからね」
「でも、今の顔で確信したわ。やっぱりどんなに誤魔化しても、岩崎さんの一番はゆーちゃんだよ」
「顔?」
「そう、さっきの……って、そっか、自分じゃ分からないよね、ザンネン。
……でも、古今東西、二次元でも三次元でも、人は本当に気になる人のことになると、どうしても
その人専用の顔しちゃうもんだからね」
とんでもなく恥ずかしいことを言われて、さっきよりももっと真っ赤になる私。それをたっぷり堪能
しながら、田村さんもさっき以上の酷い笑顔を浮かべた。
くぁあぁあああっ、これでご飯10杯は逝けるっ!と、嬉しそうに付け加えながら。
しながら、田村さんもさっき以上の酷い笑顔を浮かべた。
くぁあぁあああっ、これでご飯10杯は逝けるっ!と、嬉しそうに付け加えながら。
「例えばこな×かが……あ、こなた先輩とかがみ先輩ね、があんなにカリスマになってるのも、
ルックスとか天性のかけ合いだけじゃなくて、『二人がすごい幸せ』ってのが伝わってくるから
じゃない?特にかがみ先輩なんか、普段はすごいツン……マジメで、笑っても作り笑いだけど、
泉先輩と一緒だとキレたり照れたり、一人の時より断然生き生きしてるでしょ」
「そうなの?」
「そうなの、私達がよく見てるかがみ先輩は特別。もしかして一人の時に会ったことない?」
ルックスとか天性のかけ合いだけじゃなくて、『二人がすごい幸せ』ってのが伝わってくるから
じゃない?特にかがみ先輩なんか、普段はすごいツン……マジメで、笑っても作り笑いだけど、
泉先輩と一緒だとキレたり照れたり、一人の時より断然生き生きしてるでしょ」
「そうなの?」
「そうなの、私達がよく見てるかがみ先輩は特別。もしかして一人の時に会ったことない?」
私の中のかがみ先輩は、とても生真面目には見えない。むしろ気さくで楽しくて、時々同じ女性
から見ても惹かれるくらい、例えようもなく可愛い顔をすることもある。
でも、言われてみれば確かに、私がかがみ先輩に会った時は、いつも傍に泉先輩がいた。
今までそれがかがみ先輩の『素』だと思っていたけど……あれが、泉先輩専用……?
から見ても惹かれるくらい、例えようもなく可愛い顔をすることもある。
でも、言われてみれば確かに、私がかがみ先輩に会った時は、いつも傍に泉先輩がいた。
今までそれがかがみ先輩の『素』だと思っていたけど……あれが、泉先輩専用……?
「でも岩崎さんも、かがみ先輩に負けてないよ?さっきの照れてる顔とか、その前の怒った顔とか、
昼休みに陰口叩いてたみんなが見たら絶対萌え死ぬって」
「そんな、私……」
「私も同人やってるせいかな、人の表情とかよく観察してるけど、それでも普段のみなみちゃんは
無表情っていうか……でも、ゆーちゃんのことになるともう吐血するほど可愛いんだよね。
喜んだり怒ったりわざと普段通りのフリしたり、ああもう羨ましいくらいの恋だなぁって」
昼休みに陰口叩いてたみんなが見たら絶対萌え死ぬって」
「そんな、私……」
「私も同人やってるせいかな、人の表情とかよく観察してるけど、それでも普段のみなみちゃんは
無表情っていうか……でも、ゆーちゃんのことになるともう吐血するほど可愛いんだよね。
喜んだり怒ったりわざと普段通りのフリしたり、ああもう羨ましいくらいの恋だなぁって」
自信満々に断言してくる。
本当は気付いているのに、必死に目を逸らしている『私』の代わりに。
本当は気付いているのに、必死に目を逸らしている『私』の代わりに。
「でも、こんなのやっぱりおかしい。私は男の子じゃないし……」
「だから萌え……いや、よかったんじゃない♪
だってさ、もし岩崎さんが男だったら、入学試験の出逢いはなかったわけでしょ?
それに、頭よくてスポーツ万能で、クールで優しくてピアノも弾けるイケメン……orz……なんて、
絶対学校中の女子からマークされるよ?
そしたらゆーちゃんの性格だと、私なんかが、とかって遠慮しちゃうんじゃないかなぁ」
「だから萌え……いや、よかったんじゃない♪
だってさ、もし岩崎さんが男だったら、入学試験の出逢いはなかったわけでしょ?
それに、頭よくてスポーツ万能で、クールで優しくてピアノも弾けるイケメン……orz……なんて、
絶対学校中の女子からマークされるよ?
そしたらゆーちゃんの性格だと、私なんかが、とかって遠慮しちゃうんじゃないかなぁ」
もう隠し通せないと知っているのに、必死に言い訳をかき集めてくる天邪鬼な私。
だけど田村さんは強気の笑顔と説得で、否定も迷いも消していく。
この顔は……そうだ。
優柔不断なヒロインにやきもきして、つい暖かい野次を飛ばす、おせっかいな観客さん。
だけど田村さんは強気の笑顔と説得で、否定も迷いも消していく。
この顔は……そうだ。
優柔不断なヒロインにやきもきして、つい暖かい野次を飛ばす、おせっかいな観客さん。
「それに、『同性だからこそ』幸せになれた恋だってたくさんあるよ?こな×かがだってそうだし、
アニメとか小説とかだってそういうのたくさんあるし。今度○テナと○リみてと○無月と○タハネ
進呈するから、参考に見てみたら?ティッシュが足りなくなるよ、感動で」
「いい、何となく遠慮する……」
アニメとか小説とかだってそういうのたくさんあるし。今度○テナと○リみてと○無月と○タハネ
進呈するから、参考に見てみたら?ティッシュが足りなくなるよ、感動で」
「いい、何となく遠慮する……」
田村さんの理論は、ちょっとご都合解釈気味だ。最後の方なんか、何だか怪しい宗教の勧誘
みたいになっていたし。でも、こんなに『本音』に気付かされると、もう一度……。
「けど、それはさておいて、もう一回ゆーちゃんと話してみたら?泉先輩風に言えば、きっとそれで
またフラグ立つよ?」
「……!」
田村さんの言葉と、心の声が重なる。
ちらっと、時計を見やる。
次のバスまでは……確か、運がよければぎりぎり飛び乗れる時間。でも……。
みたいになっていたし。でも、こんなに『本音』に気付かされると、もう一度……。
「けど、それはさておいて、もう一回ゆーちゃんと話してみたら?泉先輩風に言えば、きっとそれで
またフラグ立つよ?」
「……!」
田村さんの言葉と、心の声が重なる。
ちらっと、時計を見やる。
次のバスまでは……確か、運がよければぎりぎり飛び乗れる時間。でも……。
「――みなみちゃん」
ぴょんっ、と椅子から立ち上がると、私の体を廊下の方に向ける。
「ええと……」
胸の奥で燻ぶる何かをどうすればいいのか、いや、分かってはいるけれど本当にそうしても
いいのか戸惑っている背中に、ぐいっと物理的な力がかかる。
「こういう時は突き抜けるしかないって♪みなみちゃんの足なら間に合うでしょ?」
ぴょんっ、と椅子から立ち上がると、私の体を廊下の方に向ける。
「ええと……」
胸の奥で燻ぶる何かをどうすればいいのか、いや、分かってはいるけれど本当にそうしても
いいのか戸惑っている背中に、ぐいっと物理的な力がかかる。
「こういう時は突き抜けるしかないって♪みなみちゃんの足なら間に合うでしょ?」
私の中の本音と、私を励ましてくれた友達が、一緒になってエールをくれる。
だから、私は。
「うん、ありがとう……それと、遅くなったけど、昼休みの時もありがとう、たむ、……ひより」
とびっきりの笑顔で『GJ』のジェスチャーを返すひよりにお礼をして。
2,3歩踏み出した勢いのまま、教室から走り出した。
だから、私は。
「うん、ありがとう……それと、遅くなったけど、昼休みの時もありがとう、たむ、……ひより」
とびっきりの笑顔で『GJ』のジェスチャーを返すひよりにお礼をして。
2,3歩踏み出した勢いのまま、教室から走り出した。
扉を開け放って、左右確認もしないで飛び出して、誰も居ない廊下を走る。
昼間ゆたかとの別れに向かって歩いたその場所を、今度はゆたかに会いに行くために。
今まで心に積もり続けていたものを吹き飛ばすストライドは、始めは戸惑い混じりに、けれど
次第に大きく、速く。
長く伸びた廊下をあっという間に抜けて、御手洗の前を通り過ぎて――
昼間ゆたかとの別れに向かって歩いたその場所を、今度はゆたかに会いに行くために。
今まで心に積もり続けていたものを吹き飛ばすストライドは、始めは戸惑い混じりに、けれど
次第に大きく、速く。
長く伸びた廊下をあっという間に抜けて、御手洗の前を通り過ぎて――
『だいじょうぶ?保健室……一緒に行こうか?』
『あ……』
『あ……』
頭の中を、懐かしい思い出が過ぎる。今でもはっきり覚えてる、ゆたかとの出逢い。
通い慣れ過ぎて忘れかけていたけれど、この廊下を初めて歩いたのは、入試の日、ゆたかを
保健室に連れて行った時だった。
あの時は名前どころか、同じ受験生だってことも知らなくて。
すごく小さくて可愛かったから、てっきり受験に来た誰かの妹さんだと思っていて……。
通い慣れ過ぎて忘れかけていたけれど、この廊下を初めて歩いたのは、入試の日、ゆたかを
保健室に連れて行った時だった。
あの時は名前どころか、同じ受験生だってことも知らなくて。
すごく小さくて可愛かったから、てっきり受験に来た誰かの妹さんだと思っていて……。
御手洗の先にある階段を、二段飛ばしで駆け下りる。
途中すれ違った先生の『走ると危ないぞ』の声は、今日だけはスルー。
1階に着いたら、昼間も通った保健室への分岐を無視して、下駄箱へ。
途中すれ違った先生の『走ると危ないぞ』の声は、今日だけはスルー。
1階に着いたら、昼間も通った保健室への分岐を無視して、下駄箱へ。
『会えてよかったです。ずっと、返そうと思ってて……』
出逢いの次は、採寸の日の再会。
あの日、私を見つけたゆたかが、ハンカチを返してくれた。
あげたつもりだったハンカチだったのに、余計な手間をかけさせて、ちょっと悪い気がして……
でも、それだけのためにこんなに自分を探してくれたことが、ううん、ゆたかが自分と同じ、
陵桜の一年生だったことが嬉しかった。
それから二人並んで、色々な話をしながら、裏門のバス停まで歩いて……。
あの日、私を見つけたゆたかが、ハンカチを返してくれた。
あげたつもりだったハンカチだったのに、余計な手間をかけさせて、ちょっと悪い気がして……
でも、それだけのためにこんなに自分を探してくれたことが、ううん、ゆたかが自分と同じ、
陵桜の一年生だったことが嬉しかった。
それから二人並んで、色々な話をしながら、裏門のバス停まで歩いて……。
『今日は、家の車だから……』
『あ、はい、じゃあここで』
『あ、はい、じゃあここで』
散りばめられた思い出を追いかけて、濡れて色の変わったアスファルトを突っ走る。
傘を取り出す暇も惜しんで、正門前でバスを待つ人ごみを横目に裏門へ。
こんな時に、一番早いバスが、こっちのバス停に来るバスだなんて、ちょっとした嬉しい偶然。
ぎりぎりの所で信号に引っかかったバスに先回りして、懐かしい場所に滑り込んで、
大切なあの言葉をリフレイン。
傘を取り出す暇も惜しんで、正門前でバスを待つ人ごみを横目に裏門へ。
こんな時に、一番早いバスが、こっちのバス停に来るバスだなんて、ちょっとした嬉しい偶然。
ぎりぎりの所で信号に引っかかったバスに先回りして、懐かしい場所に滑り込んで、
大切なあの言葉をリフレイン。
『じゃあ……』
『……あのっ、これから3年間、よろしくお願いしますっ』
『……あのっ、これから3年間、よろしくお願いしますっ』
あの日ここから帰ったゆたかと同じ道で、糟日部の駅へ、そして夕方の人ごみの合間を縫って
飛び乗った電車で、ゆたかの家の最寄りの駅へ。
駅に着いたらすぐに飛び出せるように、鞄を握り締めたまま、ドアのすぐ側で待機する。
飛び乗った電車で、ゆたかの家の最寄りの駅へ。
駅に着いたらすぐに飛び出せるように、鞄を握り締めたまま、ドアのすぐ側で待機する。
でも、そうして水滴だらけの窓から、ゆたかの家の方に目を凝らす間にも、
思い出が止め処なく溢れていく。
一緒に新しい教室に入った入学式、二人で花火を見上げた夏祭り、みんなで踊ったチアダンス、
それにあの恥ずかしすぎる宝塚喫茶……。
ううん、そんな特別なイベントだけじゃない。朝の挨拶や、休み時間の世間話、一緒に食べる
お昼や保健室でのやり取り――そんな何気ない普通の時間も。
私がしまっていた思い出の中には、いつもゆたかがいて、私の方を見て笑っていた。
思い出が止め処なく溢れていく。
一緒に新しい教室に入った入学式、二人で花火を見上げた夏祭り、みんなで踊ったチアダンス、
それにあの恥ずかしすぎる宝塚喫茶……。
ううん、そんな特別なイベントだけじゃない。朝の挨拶や、休み時間の世間話、一緒に食べる
お昼や保健室でのやり取り――そんな何気ない普通の時間も。
私がしまっていた思い出の中には、いつもゆたかがいて、私の方を見て笑っていた。
「ゆたか……」
本当に、どうして今になるまで気付かなかったんだろう。
きっと私は、あの日田村さんの本を見て、意識し始めた時よりもずっと前から……
ゆたかと出逢って、別れて、また再会したあの頃から、こんなにゆたかが大好きだったんだ。
きっと私は、あの日田村さんの本を見て、意識し始めた時よりもずっと前から……
ゆたかと出逢って、別れて、また再会したあの頃から、こんなにゆたかが大好きだったんだ。
目的の駅に着いたら、ドアが開き終わるのも待たずに、電車を飛び出す。
他の乗客が押し寄せる前に無人の階段を駆け上り、改札をすり抜けて、後はゆたかの家まで
ひたすら走るだけ。
他の乗客が押し寄せる前に無人の階段を駆け上り、改札をすり抜けて、後はゆたかの家まで
ひたすら走るだけ。
家に行ってみたって、会えるかどうかも分からない。
もし会えても、ドラマみたいなハッピーエンドになれる保障はない。
うん、知ってる。それなのに、それでも今は1秒でも早く、ゆたかの家に行きたかった。
もし会えても、ドラマみたいなハッピーエンドになれる保障はない。
うん、知ってる。それなのに、それでも今は1秒でも早く、ゆたかの家に行きたかった。
信号待ちで呼吸を整えて、それ以外は立ち止まらない。
こんなに走っていては、折り畳み傘なんて殆ど役に立たない。秋雨に濡れた制服が風を受け、
体温がどんどん奪われていく。
向かい風と雨の中、教科書の詰まった学生鞄と傘を手にしての長距離走は想像以上に過酷で、
両足の筋肉も限界に近づいていく。にも関わらず、それを無視して走り続ける。
こんなに走っていては、折り畳み傘なんて殆ど役に立たない。秋雨に濡れた制服が風を受け、
体温がどんどん奪われていく。
向かい風と雨の中、教科書の詰まった学生鞄と傘を手にしての長距離走は想像以上に過酷で、
両足の筋肉も限界に近づいていく。にも関わらず、それを無視して走り続ける。
今日、私はゆたかに酷いことをした。
眠るゆたかに一方的に迫って、謝ることも、素直になることもしないで、自分勝手に逃げ出した。
それなのに、今更また会いに行こうとしている私は、酷くわがままだと思う。
……でも、会いたい。
会いに行って、もし会ってくれたら、自分がこれまで秘密にしてきた何もかもを打ち明けたい。
ずっとひとりで、読書と勉強で休み時間を潰してきた私に、はじめてできた居場所。
自分が寂しいことさえ知らなかった私が、はじめて求めたぬくもり。
そんなかけがえのないひとと、このまま別れてしまうなんて、そんなの、絶対に嫌だから――。
眠るゆたかに一方的に迫って、謝ることも、素直になることもしないで、自分勝手に逃げ出した。
それなのに、今更また会いに行こうとしている私は、酷くわがままだと思う。
……でも、会いたい。
会いに行って、もし会ってくれたら、自分がこれまで秘密にしてきた何もかもを打ち明けたい。
ずっとひとりで、読書と勉強で休み時間を潰してきた私に、はじめてできた居場所。
自分が寂しいことさえ知らなかった私が、はじめて求めたぬくもり。
そんなかけがえのないひとと、このまま別れてしまうなんて、そんなの、絶対に嫌だから――。
最後の横断歩道を渡って、畑交じりの住宅地に入る。
この頃にはもう、全身が悲鳴を上げていた。
最早『走る』というより『早歩き』と言った方がいい速度。
呼吸のリズムは滅茶苦茶。酸欠の足と雨水の染み込んだ靴では小さな段差や短い坂道も
億劫で、重々しい足音は呼吸と鼓動と、傘を叩く雨音と混ざって曖昧だ。
鞄や傘を握り締める指先の感覚だっておぼつかない。
この頃にはもう、全身が悲鳴を上げていた。
最早『走る』というより『早歩き』と言った方がいい速度。
呼吸のリズムは滅茶苦茶。酸欠の足と雨水の染み込んだ靴では小さな段差や短い坂道も
億劫で、重々しい足音は呼吸と鼓動と、傘を叩く雨音と混ざって曖昧だ。
鞄や傘を握り締める指先の感覚だっておぼつかない。
……それでも、足を止めない。
止まったら『何か』が冷めてしまう、今はこのまま走りたい、走らなくちゃいけない。
何故かそんな風に、心が声を張り上げている気がするから。
止まったら『何か』が冷めてしまう、今はこのまま走りたい、走らなくちゃいけない。
何故かそんな風に、心が声を張り上げている気がするから。
荒い息をつきながら、最後の曲がり角を曲がる。
街灯の点り始めた道をひたすら進んでいくと、やっとゆたかの家が見えてきて……
街灯の点り始めた道をひたすら進んでいくと、やっとゆたかの家が見えてきて……
「え――!?」
ゆたかの家の前に、小さな影が佇んでいた。
夕暮れの空と、黒い傘の影を写し込んで深い藍色に染まった長い髪を、風に揺らしている。
小さな体とは裏腹の存在感。ここまでふらふらになっても走り続けていた足が、
気圧されたように止まる。
それを合図にしたかのように、その人はこちらに振り返り……
夕暮れの空と、黒い傘の影を写し込んで深い藍色に染まった長い髪を、風に揺らしている。
小さな体とは裏腹の存在感。ここまでふらふらになっても走り続けていた足が、
気圧されたように止まる。
それを合図にしたかのように、その人はこちらに振り返り……
「こんばんは、みなみちゃん」
一見のほほんとして友好的に見えるのに、何故か不敵な覚悟も感じる――そんな、今までに
見たことのない不思議な表情で、泉先輩は私を迎えた。
一見のほほんとして友好的に見えるのに、何故か不敵な覚悟も感じる――そんな、今までに
見たことのない不思議な表情で、泉先輩は私を迎えた。
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- この物語はみなみだけじゃなく
ひよりの名脇役ぶりも輝いてて素敵です -- 名無しさん (2012-02-03 19:48:14)