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報われない恋

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 移り行く季節は時を感じさせるには充分な変化を見せてくれる。色んな季節を見る度に、私の望みは霞み、想いは大きくなり続けていた。何処で間違えたのだろう。そんな反比例な私の心は、私には辛すぎた。




     報われない恋




 最初の変化に気付いたのは高校三年になったばかりの春の事だった。淡い桃色の花を満開に咲かせる桜の木の下で私達は向かい合って微笑み合う。「桜、綺麗だね」、そんな取り留めのない会話を肴にこれから迎える高校生活最後の年に思いを馳せた。
 一枚、桜の花弁が舞う度にこれまで過ごして来た思い出が走馬灯のように頭の中を過ぎ去って、少し切なくなるけれど、これからまだまだ沢山の良い思い出が出来て行くのだろう、と楽しみにもなった。まだ少しだけ肌に痛い風は、春と言う季節を裏切らずに爽やかな空気を運んで行って、受験と言う最大の不安も今だけは何処か遠い彼方へと吹き飛ばしてくれた。
「お姉ちゃん」
 不意に、桜に眼を奪われていた私に掛かる、嬉しそうな、何処か物哀しそうな、そんな声。上に向けていた視線をすぐ隣へと移動すると、そこには私の実の妹であるつかさが微笑を称えながら私の眼を見つめていた。紫苑の、キラキラと輝くその眼に、私も釘付けとなる。毎日見ているはずなのに、今は春だからか不思議な魔法にでも掛かってしまったのだろうか。
「どうしたの?」
 暫く、滑稽な話ではあるけれど二人で見つめ合って、私は尋ねる。周りには誰も居ない。満開の桜の木の下、私とつかさの二人きり。吹きすさぶ桜の花弁は優雅に私達の間を通り抜け、青一色の天へと舞い上がる。見上げてみれば、蒼いキャンバスの中には描かれるようにして桜の花弁が映っていた。
「私達、ずっと一緒だよね」
 先ほどと同じ、おっとりとした微笑はそのままに、けれど先ほどよりも真剣な眼差しで。つかさは私の眼を一直線に射抜いてきた。普段とは違う、真面目そうなつかさに多少驚いて、けれども尋ねられた質問の答えは当然のように一つしかなく。私はつかさと同じように真剣な眼差しで視線を返す。
 一際強い春風が私達の間を通り過ぎて、私は一回深呼吸すると、乱れてしまった髪の毛を片手で抑え付けてから言葉を紡ぐ。それは確かな拒絶であったのかもしれない。けれど、教えてあげないといけないと思った。ずっと一緒にはいられない、これから先、私達の人生の分岐点は無限に増え続けるのだ。これまでみたいにずっと一緒には居られない。
「無理、よ。つかさにはつかさの人生があって、私には私の人生がある。ずっと一緒なんて、きっと無理」
 そうだ。
 私の言った事は正しい事であるはずなのだ。これまではたまたま人生という列車が走る線路が同じ方向に進んで来たからこそ一緒に居られた。スタート地点でさえ同じ場所、同じ時、であったのだからそれはある種の必然と言えるのかもしれない。
 けれど、それは必然に見えるだけの偶然に他ならなくて、実際には色んな可能性が結びついて結果的に同じ道を歩んで来ただけだ。これからは違う。私達には多くの選択肢が突き付けられ、そして私達という人間が確立しているからこそ同じ道を歩むだなんてロマンチストな事は不可能だ。
 だから、言った。後悔はしていない。間違ったとも思っていない。つかさの為を思うなら、そして何より私が私として前に進むためには、言った方が良い。言葉にしなくては伝わらない、それは私の覚悟の一つの表れだったのかも知れなかった。
「そっか……そうだよね」
 つかさは数度そう呟いて、足元に散らばる桜の花弁を少しだけ見つめて、自嘲するような笑みを零した後で、勢い良く顔を上げた。一点の曇りも無い、つかさらしい無邪気な笑顔。それも、或いは――覚悟、だったのかもしれない。「桜、綺麗だね」、再びそう漏らしたつかさの声はとても明るくて、向けられた笑顔は眩しいほどに綺麗に見えて。
 私は心臓が一瞬跳ねた気がした。ドクン、と大きく脈打って、それはまるで“気付け”と私を責める声のように。「そうね」返すと同時に強い風が私達の間を通り抜ける。爽やかな陽気を纏った風は、桜の花弁と一緒に私の大切な想いを盗って、隠してしまった――。



 夏、全てを曝け出そうとしているかのように照り付けるお天道様の光がアスファルトを焦がし、熱した鉄板のような熱気が気温を容赦なく上げていた。薄手のノースリーブの襟元をパタパタと団扇の代わりにしながら、私は目の前に散らばる課題のノートを見て、嘆息した。
 夏休みに入って、私は適度に遊び、予定通りに課題をこなし、そろそろ中盤に差し掛かった長い休日の一時の中で机に向かわなければならない事に憂鬱な気分にさせられていた。すぐに課題をやる気にはならず、私は椅子を引いてそこに座り、頬杖をついて窓の外を見遣る。
 遠くの空で、白く大きい入道雲が影を降ろしている。ゆっくりと流れる雲に感化させられたのか、私まで時の進みが遅く感じられる。それに合わせて降りかかる蝉時雨に耳を澄ましてみれば、子供の頃に感じた懐かしい思い出が波となって私に押し寄せて来た。



 小学五年生の頃、つかさが中々家に帰って来なくなった日があった。昼間に家を出て、友達と遊びに行って来る、と言って家を出たつかさを見送ったのは私で、その時私は、私を置いてつかさが一人で誰かと遊びに行くのが面白くなくて、素気なくつかさを送り出した。
 それから太陽が夕陽の淡い赤を迸らせる時間になってもつかさは帰って来なかった。何時もは暗くなる前には必ず帰って来るつかさがこの時間に帰って来ないのはかなり意外な事で、それでももう少ししたら何事も無かったかのように帰って来るのだろう、と家族全員がそう思っていた。
 けれど、予想に反してつかさは日が完全に地平線に沈んでも帰って来る気配を見せなかった。流石に心配になった両親とお姉ちゃん達はそわそわしていて、後五分して帰って来なかったら警察を呼ぼう、と話していた事も覚えている。切欠は、一つだった。
 警察、という単語が出て、誰よりもつかさを心配していた私は居ても立ってもいられなくなった。気付いた時には蒸し暑い外へと飛び出して、街灯だけが提供してくれる頼りない光を道標に走り出していた。後ろから聞こえていた制止の声も、まるで届いていなかった。
 走り続けた。行く先も分からないのに不安だけを胸に抱えて、一心不乱につかさの名前を叫びながら走り続けた。途中、小石に躓いて膝を擦り剥いても、何処からか聞こえて来る犬の遠吠えに怯えても、すぐに私の声がつかさに届くと信じて叫び、走った。
 どれぐらいの間駆けずり回ったのか、見当も付かなくなった時、私はある川の土手に座り込んだ。漆黒の闇に包まれた川辺からは不気味なせせらぎの音が永続的に流れていて、まだまだ幼かった私は怖くて仕方がなかった。
 幾ら探してもつかさが見つからない。幾ら叫んでもつかさの声が返って来ない。自分がやっているのは不毛なことなのだろうか、つかさはもしかして無事ではないのだろうか、そう思う度に涙が頬を伝った。何であんなに冷たくつかさを送り出したのだろう、と悔恨の念に心が押し潰されそうになっていた。そんな時、川のせせらぎに混じって聞こえた音があった。
 何かを探しているのか、土手に茂る草を掻き分けているような、そんな音。それに混じって、無いなー、と言う呟きが。私が聞きたくて仕方がなかった優しい声が、確かに川のせせらぎと一緒に聞こえた。
 私は叫んだ。そこに居るのがつかさだと、信じて叫んだ。夜の闇に負けないように、私の声を遮る川のせせらぎを超えられるように、全力で叫んだ。不意に、土手の上に一台の自動車が止まって、その車のライトのお陰で暗闇に包まれた川辺の土手は明るく照らし出されて、込み上げて来る涙を必死に抑え付けながら私はあちこちに首を振ってつかさを探した。
「お姉ちゃん……?」
 私の不安を全て杞憂に終わらせてくれるような能天気な声は、意外にも私のすぐ下の方から聞こえた。草のクッションに膝を付いて、着ている服を泥で汚して、キョトンと私を見るつかさがすぐ近くに居た。
 私は声も出す事が出来ず、込み上げて来る涙に耐える事も出来ず、それらを抑え付けるようにしてつかさの体を強く抱き締めた。え、え、と何が起こっているのか分からない様子のつかさを無視して、私は嗚咽と一緒につかさの名前を呼び続けた。存在の証明が欲しくて、ただ一心に。
 どうやら、土手の上に車を止めたのは警察だったらしい。私達の事を保護した旨を、報告しているのが聞こえた。私は自分が落ち着くと、漸くつかさを腕の中から解放して、涙のフィルターが掛かった視界でつかさを見つめた。ちょっと怒気を示して、ちょっと嬉しさを滲ませて。
「あ、お姉ちゃんの為にこれ作ってたんだよ。はい、プレゼント」
 それなのにつかさはお気楽な声音で手に持った何かを私に差し出して、嬉しそうに微笑んだ。自分がやった事がどれだけ私に心配を掛けたか、まだ分かっていない様子のつかさに説教をしてやろうとも思ったけれど、当時私はまだまだ幼くて、おまけに心配ばかりかける妹から離れられなくて、だから手渡された物を見て自然と顔が綻んでしまうのも必然で。
 見れば、それは何処にでもあるような花を集めて作られた花輪が私の手の中にあった。形は歪だし、一目見て不器用なつかさが作ってくれた物なんだな、と分かってしまう物。決して綺麗とは言える代物ではなかったけれど、子供心につかさが話した理由は嬉しすぎた。
「お姉ちゃん、今日は元気無さそうだったから……元気になってくれるかな、って思って。ちょっと失敗しちゃったけど」
 エヘヘ、と恥ずかしそうに笑うつかさを見て、私はもう一度つかさの体を思い切り抱き締めた。暖かい温もりと、つかさの香りを私は一番近くで受け止めた。人目なんか気にしない、ずっと一緒だと思って疑わなかった、幼い頃の思い出――。



 一人、感傷に浸っていると、遥か遠い位置にあると思っていた入道雲は少しだけこちらに近付いていて、真正面に見る事が出来る夕陽の光に当てられて真っ白な色を赤く染めていた。ゆっくりと流れる時に合わせて鳴いていた蝉達の合唱は徐々に沈静化を始めている。
 ふと、視線を机の上に落してみれば、そこには手の付けられていない白紙の課題。そういえば何もやっていなかった、何時もなら此処で自己嫌悪する私だけど、久し振りに思い出した懐かしい思い出の所為で辿り着いた結果ならば、後悔なんてするはずもない。
 そろそろ蚊が入ってくる時間かな、と私は網戸を閉める。それが終わると同時に私の部屋の扉が開けられた。振り返らなくても誰かなんてすぐに分かる。やがて、その人物は声を出した。
「宿題で分からない所があって……」
 控え目に尋ねているから、きっと私の勉強を邪魔していないかどうか怯えているのだろう。つかさは優しいから、何を考えているのかなんて手に取るように分かった。
「数学?」
 私は振り返らない。確認する為に、質問する。
 つかさは私の機嫌が悪いとでも思ったのか、躊躇いがちにうん、と言った。それを聞いて、私は椅子を回してつかさの方に向き直る。手には未だ手つかずの数学の課題を持って。
「私もやってないから、一緒にやろっか」
 私が舌を出しておどけるのを見て、つかさは表情を一気に明るくさせた。そして、今度は喜色満面の笑みと一緒にうん、と頷いた。



 もう蝉達の声は聞こえない。全てを白日の下に曝そうと猛威を振るうお天道様も地平線に沈んでしまった。昼間よりかは幾分涼しくなって、私はつかさの部屋で向かい合いながら誰が考えたのかも分からない問題を解いていた。
 前を見てみれば、うんうんと唸りながら問題集とにらめっこしているつかさの顔が眼に入る。私はふっと微笑んで、つかさの隣に身を寄せた。夏だし、暑苦しいかな、とも思ったけれど、つかさの体は案外ひんやりとしていて気持ち良かった。
「お姉ちゃん?」
 私の行動が意外だったのか、つかさが丸くて大きな眼を更に大きく丸くさせて私を見た。私は気にせずにつかさの前に広げられている問題集に指を滑らせる。見ると、解かれている問題は僅かな量で、ちらりとつかさを見てみると恥ずかしそうに視線を下へと落とした。
「私が教えてあげるから、頑張るわよ。えーと、ここは――」
 つかさが顔を上げて、私に微笑むのを見て、私は説明を始めた。理解した時に浮かぶ嬉しそうな表情、まだ分からないのか、困った表情、そのどれもが見ていて飽きるものではなくて。教えてあげる代わりに貰ったものは割と高いものだったかな、と思った。
 もう蝉達の声は聞こえなくて、全てを白日の下に曝そうと猛威を振るうお天道様も地平線に沈んで行って、昼間よりかは涼しくなったつかさの部屋の中、外からは楽しげな夏の虫たちの演奏が、空に浮かんだ純白の光を放つ満月は、穏やかに私達を見守っているようで。
 そう、それは――私の気持ちがお天道様によって暴かれたからかもしれない。今まで知らない振りを通して来た私の気持ちを、あのお天道様は。


 新緑の葉が色を変え始める秋、私達は変わり行く季節をすっかり色の変わった木の葉を見ながら肌で感じていた。冷たいけれど、夏の余韻はそのままに、風は落ち葉を掬いながら吹き、私の長い髪の毛を、つかさの短めの髪の毛を揺らして行った。
 秋晴れ、その単語が正に似合うような天気の下で、私は飽きもせず、紅い背景に映るつかさの姿を見詰めていた。
 あの、熱く眩しい夏の太陽は隠していた私の気持ちを白日の下に晒してしまったのだ。色んな理由を作って、それが正しいのだと言い聞かせて、私は自分の感情を殺していた。けれど、それも出来なくなってしまった。元々抑え付けられるようなものではなかった。隠したままで、今までと同じように毎日を過ごせるほど小さい感情ではなかった。
 私はつかさが――好き。
 双子だから、とか、そんなものではなくて、一人の女性としてのつかさが堪らなく愛しかった。それを自身で納得するのは簡単な事ではなかった。本当はもっともっと昔から抱いていた気持ちのはずなのに、色んな事情が合わさって、それに気付けないでいた。
 同性愛者だから、そもそも姉妹間の恋愛など認められるはずがないから。もしも、そんな可能性があるとしたら、それこそ万に一つ、いや、それ以上に小さい確率の話になると思う。それを表現するならば、それはまるで天文学的数字でしか表わせないというほどに。
 空を見上げる。少し悲観的な思考回路になっていたのか、秋晴れの天気だと言うのに私の気分はちっとも晴れやかではない。少しだけ私から離れた所でつかさがはしゃいでいる。もうそんな事ではしゃぐ年でもないでしょ、何時もなら簡単に出せる突っ込みも今は出ない。
 世の中のしがらみを取っ払う事が出来るならどれだけ楽になれるのだろうか。少なくとも今みたいに不毛な恋愛をしているんだ、と卑屈になることもなく、素直に想いを告げる事も或いは出来るのだろう。それは何も出来ない今とは比べても比べられないような理想の世界のような気がした。
 日に日に募っていくつかさへの想いが私にある種の楽しみな感覚と莫大な不安を同時に与えてくれる。何時か、私は壊れてしまうのではないか、とそれが笑って言えないくらいに私の心は参っている。こうしてつかさの顔を見ていると、その時だけはその事も忘れられるけど、一人になった時はどうしようもなく怖かった。
「お姉ちゃん、ほら見て。トンボが飛んでる」
 つかさが嬉しそうに駆け寄って、指差した場所には蜻蛉が縦横無尽に飛び回っている。秋を感じさせるにはもってこいの昆虫が、私達を誘うかのように不規則な動きの軌道を見せていた。
 すると、つかさがおもむろにその近くへと静かに近付いて、手を前に差し出したかと思うと、そこから人差し指だけをぴょこんと突き出した。
 ああ、あれか。確かああやってると蜻蛉が人差し指に止まってくれるのだったか。幼い頃、お父さんにそれを見せて貰った私達はあまりの感動にお父さんは魔法が使えるんだ、と騒いでいた気がする。今ではそんな事言う訳もないけど――つかさはどうにか止まってくれないか、と真剣そのもの、と言った表情で自分の人差し指の先端を睨んでいた。
 馬鹿な事を考えた。しなやかに伸びるつかさの指を見て、本当に馬鹿な事を。私らしくなくて、普段は考えたくても考えられないような事。そんな事を極々自然に考えてしまった。
 もしも、あそこで飛び回っている蜻蛉が、この世の中に翻弄されている私自身だとしたら、そこに差し出されたつかさの指に私は止まる事は出来るだろうか。全てを放り出してでも、その指に止まる事が出来ただろうか。私から止まる事が出来ないのならば、差し出された指には止まる事が出来るのだろうか。
 それでも、私が見ている光景は『つかさが』蜻蛉を指に止まらせようと頑張っているのではなく、『蜻蛉が』つかさの指に止まろうと頑張っているようにしか見えなくて。そこまで考えて気付いた。
 もしかしたら、つかさはもっと前から私に指を差し出してくれていたのではないか、と。例えば私に泣きついて、頼りにして来てくれる時。例えば私と一緒に過ごしている時に私にだけしか見せない笑顔を咲かせる時。それが当然だと思って疑わなかった昔の私はその全てに気付かなかったのかもしれない。
 ああ、それに。今の私ではつかさの指に止まる資格など無いではないか。今年の春――桜の花弁が舞うあの季節に聞かれたではないか。あんなにも真剣な眼差しで、あんなにも寂しそうな眼差しで。
“私達、ずっと一緒だよね”
 私は何と答えた?
 自分の気持ちに気付く事にすら怯えて、何も知らなかった私は何と答えた?
 言ったはずではなかったのか、明確に、真剣に、あの子の為だと自分を偽ってまで、ハッキリと。拒絶の言葉を、つかさに向けて放ったではないか。そして、つかさは笑った。傷ついた、と訴える笑みを浮かべた。
 そんな事をしてしまった私が、どうしてつかさの指に止まる事など出来ようか。そんなのは卑怯で、自分勝手で、私が大嫌いな事だ。私は私なりの結論を出していたのだ。あの時、既に。
 仮につかさと私の想いが通じたとして、それが幾ら二人の合意の上だとして、世間は私達を認めるのか。
 ――有り得ない。
 少なくともこの日本の社会の仕組みでは、それは決して認められない事であり、むしろ蔑まれる立場にある。そんなのは嫌だったのだ。
 つかさを辛い目に合わせたくない。普通の人生を手に入れて、幸せになってもらいたい。けれど、それは私と一緒に居ては決して叶えられない願いだから、私とは遅かれ早かれ別れる時が来る。
 だから、あれを何時言うのかなんていうのは関係なくて、いずれにしろ私は拒絶の意を示していた。
 報われない恋愛に意味はない。ならば、何も始まらない方がマシだと、私はそう自分に言い聞かせる。眼の先では色付いた木の葉が舞う場所で、一生懸命人差し指を立て続けるつかさが居て、その指の先端には未だ何も止まらない。空虚の中に佇むそれはとても物哀しく見えた。
 双子だから分かってしまうのかもしれない。きっと、私とつかさの気持ちは同じで、つかさは私に拒絶されたからああして待つしかなくて、私はつかさを拒絶してしまったから何も言う事が出来なくて、すれ違っている。
 自分がしてきた行動に後悔しながら、つかさの指先を見つめる。蜻蛉は、つかさの指に掠るくらいに近付いたけれど、そこには止まらずに爽やかな秋空へと舞い上がった。ゆらゆらと揺れながら落ちる木の葉が、まるで私達の気持ちのように、虚しく舞い続けていた。


 寒波が押し寄せる冬。暖かい服装に身を包んだ私とつかさはお互いを暖め合うように互いに身を寄せて体を小さくしている。恋人ならばここで躊躇わずに手を繋いだり出来るのだろうか。懲りずに馬鹿な事を考えている私が居て、またしもそんな自分を全力で殴りたくなった。
 普通の恋をしていたならば、こうして想う人と歩いているだけで楽しくなれるのに、片思いですら楽しく思えるというのに、私達の関係は寒気がするくらいに今までと同じで、それがもどかしく、それどころか苛ついた。
 つかさは寒い、と手を擦り合わせながら息を吹きかけて暖めようとしている。私はそんなつかさを横目に見ながら報われない恋に恋をしてしまった自分を憂いていた。
「ねえ、つかさ」
 名前を呼ぶ。つかさは突然呼ばれた事が意外だったのか眼を丸くさせながら私の方を向いた。きっと、傍から見ればただの仲良しな姉妹にしか見えないのだろう。こうやって、お互いに身を寄せ合っても、私達は仲の良い良い姉妹でしかなくて。もしも異性とこうして歩いているのなら、それはそれは仲睦まじいカップルに見えたのだろうけど。
「私が、もし――」
 言って、自分が何を言おうとしていたのか疑った。
 どうかしている。
 私達はこのままで居なくてはならない、と決めたのは他ならぬ私自身のはずだったのに、私は何を言おうとしたのだろう。決して言ってはならない事を、自分の想いを私は告げようとしてしまった。
 俯いて、私は慌てて何時もの表情を作る。何事も無かったように、何を言おうとしたのか、そんな事は忘れてしまったとでも言うように。
「ううん、何でもない」
 つかさはそんな私に微笑をくれて、再び手を擦り合わせる。きっと私が何を言いたいのか分かっていたのだろう。だからこそ、それを言わなかった私の意志を拒絶の意味に感じ取って、何も言わずに微笑んでくれた。こんな卑怯な私に、優しく微笑んでくれた。何時も通りの優しい笑みで。
「お姉ちゃん」
 つかさが私を呼ぶ。寒そうに擦り合わせていた手を体の横にぶら下げて、穏やかな笑みを称えながら。私は顔だけをつかさに向けて、その呼びかけに応じる。手が冷たい。冬の寒さはこんなにも厳しいものだっただろうか。去年はもっと、暖かった気がする。
「私、」
 そこで一度言葉を区切って、つかさは空を見上げた。青い空の映し出されていない、灰色に淀んだ曇り空。私の心をそのまま写したみたいな、そんな空。つかさはそれを暫く眺めて、また微笑むと私に顔を近づけた。
 髪の毛と同じ、紫苑の瞳が私を見つめる。優しさしか感じられない輝きが私を射抜く。距離はどれぐらいか、暴れまわる心臓の所為で、そんな事も理解する事が出来ない。私は眼を瞬かせて、情けなく二の句を待った。
「お姉ちゃんが好きだよ」
 それは当り前の事だったのかもしれない。双子として四六時中一緒に居て、楽しく時を過ごして、それなのに嫌いだなんて言われるはずがないと思った。これは純粋に家族として、姉妹としての『好き』だと言われている気がした。そんな事、昔は普通に言っていた事なのに。
 どうしようもなく、暴れる心臓がその考えを否定しているように思えた。つかさが今言った、『好き』の意味は、決してそんなものじゃないと。私が求めて止まなかった意味での『好き』だと。それなら言ってしまえば良い。『私も』と、そう言ってしまえば良いのに。
「私も。そんなの当たり前じゃない」
 それなのに、どうして私の口から出た言葉は、つかさとは違った言葉なんだろうか。迷う余地など無かったはず。同じ思いなら、言えば通じ合える事なのに。また、私はつかさを拒絶した。今年の春と同じように、つかさを拒絶した。私の本当の気持ちを有耶無耶にして、拒絶した。何も変わらない私は、今でも臆病なままだった。
 つかさはニコリと、こちらが癒されるような優しい笑みを一つくれて、私は曖昧な笑みを返す事しか出来なくて。空を見上げれば淀んだ曇り空。ハッキリしない天気が、腹立たしかった。


 風が吹く。柔らかな春の香りを纏った風が、私達の間を吹き抜ける。鮮やかな色彩の桜の花弁を持って、私達の間をすり抜ける。空は晴天、隣りには当然のようにつかさの姿。去年と同じように、桜の花を見てはしゃいでる。私も、去年と同じようにそんなつかさの姿を眺めてる。
 受験が終わってみれば、やはり私達はずっと一緒に居る事が出来なかった。つかさは料理関係の専門学校に進学して、私は法学関係の大学に進学する事になった。ずっと一緒なんて無理、私が去年告げた言葉の通りに私達は別々の大学に進学する事になったのだ。
 これで良かった。そう思うのは何度目だろう。『これで』なんて言い訳にしか聞こえない言葉を、私は心中で何度も何度も呟き続けている。
 出来る事ならつかさと一緒の大学に行きたかった。何時までも曖昧な関係で居る事は分かり切っている事だけれど、それでも少しでも長い時をつかさと過ごせるならばその方が良かった。これからは、毎日のようにつかさと笑い合う事も出来ないし、話す事だって出来ない。一人暮らしをする、そう決めたからにはそれは当然の事象だった。
 きっと、私はこれ以上長くつかさと居たら、自分の感情を抑えきれなくなってしまう。そうなれば、私達は辛い道を歩む事になってしまうかもしれない。それは駄目だ。去年、今と同じこの場所で私は決めたのだ。
 だから、私はつかさと離れる事を決めた。臆病な私が考え着いた、最善の方法。つかさと離れれば、この気持ちも何時かは劣化してくれるかもしれない、そんな不明確な考えで、私は決断した。
 つかさが舞う桜の花弁を手で取った。何でもないその行動がとてつもなく愛しい。嬉しそうに私に微笑んで、自慢げに手に取った桜の花弁を私に見せて来るつかさの表情が、堪らなく恋しい。感情は素直だ。こんなにもつかさと結ばれたがっている。でも、体は強情。こんなにもそれを拒んでいる。だから辛い。辛くて、仕方がない。
 けれど、それも今だけのはず。一人暮らしを始めれば、そんな気持ちもやがては劣化の一途を辿る。そうすれば私は普通の恋を、普通にして、普通に過ごして行けるだろう。辛いのは今だけ、そう自分に言い聞かせる。
「お姉ちゃん」
 つかさが私を呼んだ。私は特に何も言わず、「ん」と返してつかさが居る場所へと足を向ける。一歩一歩足を進める度に、心が軋むのが分かった。痛い、と泣き叫ぶ私の心があるのが分かった。
「桜、綺麗だね」
 去年と同じ言葉をつかさが紡ぐ。私はそうねと返し、満開の桜の木を見上げる。一色に彩られた木はとても綺麗で。横で私と同じように桜を見上げるつかさはとても愛しくて。それを言葉にする事は出来ないけれど、私は心は繋がっていると勝手に思い込んで、それを心の中で告げた。
「去年も、綺麗だったよね」
 昔を思い出しながら、つかさは懐かしそうに眼を細めて呟いた。何もかも同じだ、桜は去年と何も変わらず綺麗なままで、私の気持ちも去年と同じ。むしろ、去年よりも肥大化しているように感じる。違うのは、ずきずきと痛む心だけ。
 風が吹く。私の心の裂け目をなぞるように作為的な風が、ひゅう、と吹く。簡単な事だ。痛いのが嫌なのなら、告げてしまえば良い。心が繋がれば、隙間風なんて入る場所も無い。
 きっと、私の想いをありのままつかさに伝えても、つかさは喜んでそれを受け入れてくれる。私が考えている不安なんて、杞憂にしてくれるような綺麗な笑顔で微笑んでくれる。それは幸せな事だ。私が望む幸せは、私の目と鼻の先でちらついているのだ。
「来年も、綺麗かな」
 それは未来を表す言葉に他ならなくて。そして、それは一人で見る桜は奇麗じゃない、と言っているように思えて。でも、私は気付かない振りを通す事に決めた。それは言葉よりは明確ではないけれど、ハッキリとした拒絶の意を伴っている。そうすれば、つかさもそれ以上は何も言わないだろうと、高を括った。
「きっと、そうよ」
 でも、私が認識していたつかさと言う人間は、現実では全く違う人物だったのかもしれない。私の知らない強さを、つかさは持っていたのかもしれない。少なくとも、私よりも強い部分を持っていた事だけは確か。つかさが告げた二の句は予想もしていない、嬉しすぎる言葉だった。
「私達、ずっと一緒でいられるかな」
 それは、去年とは違った問い。自分の想いを全て含ませた、告白だ。何を意味しているかなんて、考える以前に感情が理解してしまう。あの、去年の冬と同じように、つかさは言っているのだ。『好き』だと。
 時が止まったような錯覚。混線する思考回路。視覚が取り入れる情報は、私を真摯な眼差しで見つめるつかさと、その背景で舞う桜の花弁。私が感じている世界の中で、唯一時を感じさせる桜の花は、ゆっくりと舞っている。私は言葉を発する事が出来なかった。
 風が吹く。
 去年の此処で吹いた、一際強い風が、私達の間を吹き抜ける。あの日、隠してしまった私の願望を、季節を回って私に返す風が吹いた。けれど、私の時は止まったまま。思考はまともに動作せず、混雑したまま。
 口が、小刻みに震えているのが分かった。喉まで出かけている言葉が、あと一歩の所で出せなかった。
 喉が渇く。眼がつかさから離す事が出来ない。大きく脈打つ心臓が、喉で止まっている言葉を押し出そうと暴れていた。
「……」
 言葉が出ない。出そうとしているのに、私の中の何かがそれを拒んでいる。私は深い深呼吸を行った。少しでも気が楽になれば、と春の空気を大きく吸い込んで、吐き出した。
 思いの外、効果は大きかった。喉は潤いを取り戻し、口の震えは止まった。私が言いたい言葉もすんなりと滑るようにして形成されて、外界へと飛び出した。
「無理よ」
 時が動き出す。つかさの表情が悲しみに歪むのが分かる。私は、自分でも驚くほどに落ち着いた声でそう告げた。『無理』、それに含んだ意味はとてつもなく多くて、大きくて、残酷なものだった。
 喉まで出かけていた本当の想いは、引きずられながら私の心の奥へとしまい込まれて。何重にも鍵を掛けて、閉ざされた。二度と開く事は有り得ない。重く、冷たい扉の向こうに、それは大事に残るのだろう。
 風が吹く。
 まだ冷たく感じる春の風が、私達に突き刺さる。桜の花弁はそれに掬われて、狂ったような軌道を描いて空へと舞った。
 私は、表情を消して、空を仰ぐ。青いキャンバスの中にちりばめられた桜色が眼に付いた。
 全てが同じ。去年と何も変わらない春の風景。ただ違ったのは、去年は無かった、風の音に入り混じる誰かの嗚咽。
 ああ、何で。
 何で、『幸』と『辛』の字はこんなにも似ているのに、それが表わす意味は真逆なのだろう。頬に伝う何かを感じて、そう思った。










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  • 泣いた -- 名無しさん (2009-03-10 00:03:21)
  • 。゚・(ぅД`)・゚・。 -- 名無しさん (2008-01-31 14:28:35)
  • ・゚・(∩Д`)・゚・ -- 名無しさん (2008-01-31 09:03:34)
  • ・。・゚・(´Д` )・゚・。・ -- 名無しさん (2008-01-30 21:07:14)
  • 。・゚・(ノД`)・゚・。 -- 名無しさん (2008-01-30 21:04:09)

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