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 一月も半ば過ぎ。季節としては冬真っ盛りだが、この日は柔らかな日差しが暖かい、良い日和だった。
 古い畳の匂いが漂うアパートの一室。昼下がりの窓辺に、日向ぼっこをするように、一人の少女が腰掛けていた。茶けたイ草の上に広がる長い髪と、新雪のように白い肌が、冬の日向に良く栄える。
 傍らに古びた桐の火鉢が置かれ、切炭がやわらかい火をあげている。いまどき古風な暖房だが、小さな部屋なのでこれで案外用足りていた。ただ、換気のため窓を少しく開けているので、時折すきま風が吹き込む。
 薄く目を閉じている少女は、よく見ればうつらうつらと船を漕いでいた。繰り返すが一月半ば過ぎ。火鉢の傍、比較的日差しが強い日とはいえ、外気に触れながら昼寝をするような時節ではない。
「おい、かなたー……ん?」
 部屋の隅でどてらを着込んで文机に向かっていたそうじろうは、冬の日向で微睡んでいる少女を見て、慌てて傍へ駆け寄った。
「かなた!」
「……え? あ――」
 呼びかけられてすぐ目を覚ました少女――泉かなたは驚いたように目を丸くしてそうじろうを見つめた。……本当は少女という年齢ではないのだが、小柄かつ童顔なせいで控えめに見ても十代半ばとしか見えない。
「こんなとこで寝てちゃだめじゃないか」
「ごめんなさい、私ったらつい……今日は暖かかったから」
 かなたは恥ずかしそうに頬を染めた。
「暖かいって言っても冬なんだから。風邪を引いたりしないでくれよ」
 そうじろうはまだハラハラした様子で、かなたの顔色を確かめるように見つめている
「はい、気をつけます。ところで何か用事?」
「あー、その……お茶でも飲もうかと思ってね……」
「お仕事の方、一段落ついたの?」
「いや……気分転換がしたくて」
 微かに苦笑いのようなものを浮かべながら、そうじろうは頬をかく。どうやら原稿が少々煮詰まり気味らしい。
「じゃあ、お茶にしましょうか」
 三時のおやつには少し早いが、こんな時、かなたは黙ってそうじろうに合わせることにしている。
 そうじろうは淡く晴れ渡った空をまぶしそうに見つめた。
「……確かに今日は良い日和だね。たまには窓辺でティータイムとしゃれ込もうか」
 小さなアパートで、しかも飲むのは日本茶でティータイムも何もあったものではないが、こういうのは気分の問題だ。
 立ちかけたかなたを止めて、そうじろうは自分でお茶の用意する。
 お盆に乗せた二人分のお茶とお菓子を前に、そうじろうはかなたと並んで、畳の上にあぐらをかいた。そのまま黙って、熱々の緑茶が入った湯飲みを手に、外の景色など眺めている。どこか落ち着きのない様子だ。
 かなたは唇を湿す程度にお茶を飲んでから、同じように外を眺めていた。
「…………良い天気だねぇ」
 長い沈黙の後、明後日の方を向いたままそうじろうがそんなことを呟いた。かなたは思わず苦笑する。まるで初めてのデートで会話の糸口が掴めない少年みたいだ。付き合いでいえば二十年以上、今では籍も入れて歴とした夫婦だというのに。
「ええ、本当に……」
 差し障りなくかなたが相槌を打つと、そうじろうはお茶を一口飲んでから、小さくため息をついた。
「なあ、かなた」
「はい」
「お腹の方は、どうだ?」
「何も問題なし。昨日の定期検診でも、万事順調ですって」
 かなたはそう答えながら、自分のお腹を愛しそうにさすった。ゆったりした服を着て坐っているので少々分かりづらいが、そこには新しい生命が在る。

「生まれてくる子のためにも、早く庭付き一戸建てに引っ越さないとな」
 そう言いながら、そうじろうは自然と表情を綻ばせる。
「そんなに急がなくてもいいんじゃ……」
「いや、子供が出来たら庭付き一戸建てなのだ! 一家の大黒柱としてここは譲れない!」
 握り拳でわけのわからんこだわりを熱く語るそうじろう。かなたは天使のような微笑みを浮かべながら一言。
「そのためにはお仕事頑張ってくれないとね? 大黒柱さん♡」
「うぐ……」
 そうじろうはうめき声を上げて目をそらす。
「……お仕事、そんなに進んでないの?」
「いや、まあ……〆切までまだ余裕はあるから、さ」
「そんなこと言って。そう君はまだ作家として新米もいいところなんだから、いい加減なことして編集さんに愛想つかされても知らないわよ」
「う、うん……どうもネタ出しの調子が悪くて……子供の名前案ならいくらでも出てくるんだけどなぁ。ほらほら、もう名前ばっかりで原稿用紙三十枚分もたまっちゃった」
「それは原稿料が出るの?」
「はい。すみません。出ません」
 かなたは深々とため息をつきかけ、胎教に悪いと思い慌てて引っ込めた。妊娠が分かってから、日に日にそうじろうは落ち着きがなくなっていく。
「そう君ったら、ここ最近ずっとそんな調子でそわそわして……出産予定日までまだ何ヶ月かあるのに」
「いやぁ……分かっちゃいるんだけどな」
「お仕事に差し支えるようなら、実家の方で出産に備えようかしら……」
 ぽつりとそんなことを呟く。もちろん本気ではなく、ふと思いついたことを口に出しただけだ。
 が、そうじろうは背中に「ズガァァァァン!!」と効果音が見えそうなほどショックを受けていた。
「か、かなたぁぁぁ! 俺が悪かったぁぁぁ! ちゃんと仕事するから出て行かないでくれぇぇぇぇ!!」
 かなたの腕をしっかと握りしめ、本気で泣きながら引き留める。
「がな゛だぁぁぁ~~!」
「はいはい、分かりました。どこへも行きません」
「本当に?」
「本当です」
「そうか……良かった……」
 心の底からホッとした様子で、そうじろうは倒れ込みそうなほど脱力する。
 ちょっと出て行くと口にしただけで身も世もなく泣き叫ぶそうじろうを見て、かなたの胸中に別の不安が湧いてきた。
「ねえそう君。もしも私がいなくなったら――」
「かなたぁああぁぁやっぱり出て行っちゃうのかぁぁぁあぁぁ!!?」
「たとえばの話よ。近所迷惑だから大きな声を出さないで」
 再び泣き出すそうじろうをかなたは冷静にたしなめる。これぐらいで慌てていては、この男の女房は勤まらない。
「そう君がそんなだから心配なのよ。もし私がいなかったらどうなっちゃうのかって」
「俺、そんなに頼りないかぁ?」
「うん」(←即答)
 ……ちょっときつかっただろうか。目に見えて凹むそうじろうを眺めながら、かなたはそんなことを思う。
「確かに俺はダメ人間だし、作家としての収入もまだまだだけどさぁ……」
「お金のことじゃなくて――」
「いや分かってる。かなたの言いたいことは」
 そうじろうは手に持っていた湯飲みを盆に戻す。
「でも仕方ないだろ。俺にとっては、かなたの存在がもう自分の一部だからな」
「……じゃあもし私がいなくなったら」
「考えたくもないけど……抜け殻になるかもな。いや、多分、なるんだろうな」
「ダメよ、そんなの」
「かなたがいなくなるってのは、俺にとってそういうことだ」
 これはある意味、脅迫ではないだろうか。一見かっこよさそうでかなりダメな台詞を真顔で吐くそうじろうに、かなたは諦観の面持ちで肩を落とす。

「だから俺は、絶対にかなたの傍を離れないからな」
「そんなこ――あ」
 不意にかなたが動きを止めた。何か不思議なものでも見つけたように、じっと身じろぎせず黙っている。
「どうした?」
「動いた」
「え?」
 かなたは少し興奮した様子で、自分の膨らんだお腹を両手で押さえる。
「多分だけど、胎動。まだだったんだけど、今初めて」
「ほ、本当か!?」
 慌てふためきながら、そうじろうは自分も手の平をかなたのお腹に当て、全身の神経をそこへ集中する。

 ……………………――っ……

「あっ、い、今、今の!?」
「落ち着いてそう君。私も初めてだからよく分からないし」
 かなた自身にも何となく動いている程度にしか感じられない。が、どうやら動いているのは確かだ。
「そうか~、動いてるのか~……」
 感動を絵に描いたような表情で、そうじろうが呟く。
「きっとこの子、そう君が頼りないこと言うから怒ってるのよ」
「ええっ、そうなのか!?」
 かなたの冗談をそうじろうは真面目に受け取り、ショックを受けている。
「嘘よ。でも私達の声は、きっと聞こえてるんじゃないかしら」
「そうか……」
 そうじろうはふと口をつぐむと、かなたのお腹にもう一度手を当てる。一分ほどして、短く小さく、手の平に動きが伝わってきた。
「……ん。頼りない俺だけど、精一杯、お父さんになるからな」
 まだ誕生していない我が子へしみじみ語りかけると、そうじろうは何か安堵したように息をついた。
「そう君。この子のためにも、抜け殻になんてなっちゃダメだからね」
「ああ。……でも、かなた。こんな良い天気の日に、そんなたとえ話はよそう。お腹の子にもよくないだろ」
「……そうね。ごめんなさい」
 そうじろうとお腹の子、両方に向けてかなたは言った。
「謝ることないさ。悪いのは、かなたに余計な心配かけてる俺だからな。さて、仕事の続きをするかな……」
 そうじろうは立ち上がると、大きく伸びをした。
「ん~……それにしても、今日は本当に良い天気だな」
「ええ。……そういえば前にそう君が教えてくれたわね。冬のこんな日のこと、ドイツ語では『老婦人の夏』って言うんだって」
 かなたは西へと傾き始めた日の光を眩しげに見やりながら、言葉を継ぐ。
「いつか、私がお婆さんになっても、こんな冬の日和をそう君と一緒に楽しんでいたいわね……」
「もちろんだ。ずっと一緒なんだからな。その時にはこんなアパートの窓辺じゃなくて、立派な縁側でだぞ」
「ここはここで気に入ってるけど」
 そう言って微笑むかなたへ向けて、そうじろうは何か言おうとして、

 そこで視界がぼやけた。
 涙でも何でもなく。

 そのまま、不意に情景は霧散した。



 誰かが体を揺さぶっている。何度も、何度も。
「――さん。おとーさんってば」
「んぁ?」
 目を覚ますと同時に、口から垂れていたよだれが袖に落ちた。そうじろうは寝ぼけ眼で目の前の少女を凝視する。
「……かなた?」
「昔の夢でも見てたの? お母さんじゃなくてこなただよ」
 その通り。目の前にいるかなたと瓜二つの少女は娘のこなたで、ここはアパートではなく、庭付き一戸建ての縁側だ。
「今日は暖かいけど、いくらなんでも縁側で昼寝なんかしてたら風邪ひいちゃうよ」
「ああ、すまん……」
 一月、冬真っ盛り。あの日と同じように暖かな日和だが、時折吹く風は身が引き締まるほど冷たい。よくこんな所で寝られたものだと、そうじろうは自分に感心する。
 時計を見ると、正午過ぎ。
「あれ? こなた、学校は?」
「今日は日曜でしょ。ていうか朝からいたじゃん」
「そうか……」
 まだ寝ぼけているな……そんなことを思いながら、そうじろうは立ち上がり、大きく伸びをした。
「ん~……」
 腰痛というほどではないが、腰のあたりに少々違和感がある。何といっても体が資本なので、暇があれば医者に行かなければ。
(俺も年食ったなぁ……)
 まだまだ気は若いつもりだが、肉体はそうもいかない。そういえば髪の毛にも少し白いのが混ざり始めている。
「お昼ご飯できてるから。すぐ来てね」
 こなたはそう言うと、寒そうに手を擦りながら歩いていった。
 そうじろうは顔を洗おうと洗面所へ足を向けかけ、ふと立ち止まり、振り返った。
「夢、か……」
 誰もいない庭を眺めながら、哀惜とも感慨ともつかぬ声を漏らす。
「……いや――」
 あの日とよく似た空模様へと視線を移し、そうじろうは呟いた。
 冬の日差しは、ただ優しく、降り注いでいた。


おわり












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  • 何か悲しくなるお話ですね -- 匿名 (2009-05-11 00:47:17)
  • これは……
    昔の情景が素晴しく描き出されている。
    かなたさあああああ(ry

    GJでした、今後の参考にさせて頂きます。 -- 某SS書き (2008-02-09 01:27:51)

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