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二人だけの交差点

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 空気の読めない青空の真中で輝いている太陽が煩わしい。私の気分は絶賛どんより曇り空なのにも関わらず、あの空と太陽はそんな私を嘲笑しているかのようで、どうにもやるせない気持ちになった。
 どうせなら、私の気分と同じでどんよりと湿っぽい天気になってくれたら幾らか楽になれるのに、ホント、最悪。雲一つ見当たらない空に向かって独り善がりな悪態を吐いて、憎たらしげに睨んでやると、種類も分からない私にとっては無名同然の鳥が視界を横切った。
 あんたまで私の気分を害する気か。それとも、お天道様に向かって悪態を吐いた私を諌めたのか。ああ、それなら仕方ない。特別に、あの鳥は許してあげよう、ついでに、お天道様にも謝って、許して貰おう、なんて意味の分からない事を道端の真中でブツブツ呟きながら考えている私は傍から見たらどう譲歩したって変質者以上には見えないのだろう。
 はあ、溜息が落ちる。遠くから段々とパタパタと焦燥感を滲ませた足音が近付いて来ている。盛大に溜息を再度吐き出しながら、私の名前が呼ばれる事を予見して、心底呆れた顔を作ってからゆっくりと振り向いた。
「おねえちゃーん!」
 そんな大きい声を出さなくても十分聞こえるのに……、住宅街の真っ只中で行う迷惑行為は止めなさいよ。本人は百パーセント自覚無しでファイナルアンサーだろうけど。ほら、その証拠に私が呆れている顔をしているのが不思議なのか、眼を丸くして首を傾げてる。
 まったく、少しは成長しなさいよ、と言おうと思ったら、突然マイシスターは盛大に噴き出した。そのお陰で私の顔面にマイシスター、もといつかさの唾液の飛沫が少なからずジャストミート。ピキッ。と私の眉間に青筋が出来たのが自分でも理解出来た。
「あは、あはは。おねえちゃッ。その顔っ……!」
 結局何が言いたいのだろうか。そこまで笑われるような顔をしていた自覚はないし、こちらが訳の分からない状況に陥っているのに、眼の目で馬鹿笑いされると怒りが沸々と焚き上がって来て、あ、もうじき何かが切れるわ。ぴくぴくとこめかみの辺りが痙攣してるから、危険信号が発生しているのが分かる。私の脳内アラーとはマックス稼働中。つかさの危険探知センサーは動作が重いらしい。可哀そうに。
「その顔、面白過ぎるよ……っ!」
 はい、ドーン。
「誰の所為だと思ってんのよぉオオ!!」





   二人だけの交差点





 今日未明、某市内で大規模な火山噴火が起こった模様で、辺りには警戒を呼び掛けると同時に、騒音警報が発令、付近の住民は著しい被害を受ける事となりました。現場に行っている、アナウンサーの柊さーん?
 はーい! ……馬鹿か私は。一人で意味の分からないワールドを脳内に形成して何が面白かったんだろう。今になってそんな事を思いながら、隣でしょげている様子のつかさを見てみる。
 悲壮に伏せられた瞳、それは微かだけど、確かな潤いを持っていて、気を緩めたらたちまちに大粒の滴が落ちてしまいそうだ。顕著な体のラインはまるでガラス細工を思わすほどに儚げで、繊細に見える。チャームポイントで、何時もは立ちあがっているカチューシャ風のリボンも、つかさとシンクロしているかのようにくたびれていた。
 少し大袈裟にマイシスターの解説をした所で、顔が何時の間にか熱くなっている事に気が付いた。オーマイゴット、私は何を考えていたんだろう。何か、とてもいけない事を考えていた気がするんだけど、それを思い出そうとするのは自粛しよう。主に私の尊厳の為に。
 チラリ、もう一回つかさを盗み見る。あらあらあらまあまあまあ、そんな表情は反則だと思う私はアホですか?
 だって、私が丁度つかさの方を見た時に正にこれ以上にないくらいのタイミングの良さでつかさと目があったのよ。しかも、それに加えて遠慮がちに上目使いで私を見つめる仕草と言ったら、図らずともこのまま盗み見るだけじゃなくて本当に盗んで行きたいと思ってしまうわ。……色んな意味で。
「あの……お姉ちゃん?」
 お願いだから、そんな表情で私を見ないで欲しい。危ないわよ、私の理性が。二人並んで住宅街を歩きながら欲情している私ってどうなんだ。健全と言うべきか、それとも変態か。頼むから前者であって欲しい所だけど、この答えをつかさに聞くわけにも行かず、私は口を噤む。
 さっき危なそうな思考をしていた気がする、とかなんとか思っていた気がするんだけど、私は現在進行形でデンジャラスシンキングらしい。少しは自粛しろよ、私の理性。いや、本能か。
「お姉ちゃん……まだ怒ってる?」
 指を胸の前で絡ませるつかさの姿は私の保護欲をどんどんと駆り立て――別の何かも同時に――私を次第におかしくしているように思えた。いけない、と分かっていても、このつかさの姿を見ていると否応なしに腕がギリギリと小さな抵抗を受けながらもつかさを抱きしめようと活動していた。つかさは眼を伏せている。やるなら、今の内。
「その……ごめんね、あんなに笑っちゃって」
「うひゃあッ!」
 我ながら素晴らしい反射神経。何時もの三割増しに敏感だった。つかさの背中に回そうとしていた手は、某とっつあんに追われる某派手な泥棒よろしく神速の勢いで私の腰の横に、気を付け、の姿勢になって留まった。その代償に、私らしくない、いかにも女の子です、みたいな声を出しちゃったけど。
 つかさがきょとんとしていて、余計に恥ずかしい。眼を逸らして、赤くなった顔を出来るだけ誤魔化そうとした。その行動がどれだけ無意味なのか分からない私ではないけど、まあ、要するに何かをしてなきゃ落ち着かなかったから。
「べ、別にもういいわよっ。元からちょっとイライラしてただけで、あれはその弾みと言うか――」
 何故に私はこんなにどもっているのか、取り敢えず自分を地平線まで殴り飛ばしたくなったけど、何とか耐える。横には更に顔をきょとんとさせたつかさの姿があって、私の羞恥心を煽った。ますます上がる体温、膨れ上がる欲望。ヤバい、ヤバすぎる。臨界点突破、とか叫びたい。
 本当に、何で私はこんな昼間から欲情してんのよ。しかも相手はつかさなのよ。同姓で、双子の姉妹で、そんなつかさに何で浴場してるのよ。
 待て。
 取り敢えず落ち着くんだ私。まずはこの火照った顔を冷やして、昂った感情を落ち着けて、そしてゆっくりと目を覚ませば、全ては元通りに戻るはず。そうだ、こんな時は深呼吸が良い。深く吸って、吐いて――。
「お姉ちゃん、大丈夫? 顔赤いし、何だか変だし」
「ぶほォッ! ごほ、げほ!」
 深く吸った息がこんな形で仇となるとは思ってもみなかったわ。こんな不意打ち、全くの予想外。私にぎりぎりまで顔を近付けて、心配そうに瞳を揺らすドアップのつかさの顔は私にはクリティカルヒットに会心の一撃を掛けたような壮絶かつ一瞬で昇天出来る幸せを含んだ破壊力に感じられた。
 もう止めて。私のライフはとっくにゼロだわ。何処かで聞いたようなセリフが頭を過り、消えて行った。
「ごほっ、だ、大丈夫。うん、ほんと大丈夫だから、気にしないで」
 説得力皆無の私の言葉。せめてもの救いは家がすぐ間近にあった事ぐらいで、私は漸く平穏を手に入れる事が出来た、と心の中では歓喜の悲鳴を上げて、現実では小さく安堵の溜息を吐いた。つかさは納得いかない、といった表情で怪訝そうな視線を私に突き刺していたけど、気付かない振りを通してやり過ごした。
 つかさには悪いけど、今日は自分を安静にしていよう。精神が凄く磨り減った気がするし、休みでもしなければどうにかなってしまいそうだ。と、そんな事を考えている内に、自宅は目の前に迫っていた。
「ただいま」
 出来るだけ早く靴を脱いで、出来るだけ早く自分の部屋に向かう。後ろから、少し不機嫌気味なつかさのただいまが聞こえた。ごめん、つかさ。全ては私が悪かった。
 少なからず苛立ちをぶつけてしまった事の罪悪感を覚えつつ、私は家の階段を早足で登った。
「お、あんた今帰ったの?」
 ここでエンカウントとは、神様も随分と意地悪なようだ。それはもう、宝箱を取れる寸前で雑魚と遭遇して、その後宝箱を開けたら人食い箱でした、みたいなムカつくオチを体験させられたような感じだ。つまりは、面倒な事この上ない、って事。
「うん、ただいま」
 特に刺激する事は言ってはいけない。そうなれば墓穴を掘ってしまうし、今私が最優先にやらなければならない事は自室に引きこもって頭を冷やす事だ。まつり姉さんに構って時間を浪費する事ではない。ただでさえ、些細な事で怒りだすんだから、こんな時に逆上されては敵わない。
「ちょっと、あんた顔色悪くない? どうかしたの?」
「え?」
「だから、顔。何だか赤いみたいだし、熱でもあるんじゃない?」
 驚いた。この自己中心にして唯我独尊を貫く姉が私を真面目に心配しているなんて、明日は槍でも空から降って来るのでしょうか。いやいやまさか、何だかんだ言ったって姉妹なんだし、心配するのも当然よね。逆の立場だったら私だって心配するに決まってる。
「ううん、大丈夫。心配してくれてありがと」
「まあ、それならいいけど」
 そう言ってまつり姉さんは階下へ降りて行った。何事も無くて良かった。今日何度目かになる安堵の溜息を吐きながら、私は自分の部屋のドアに手を掛けて、中へと入る。馴れしたんだ部屋の香りが与えてくれる確かな安心感を肌で感じながら、私は鞄を適当に放り投げて、机に着いた。
 何で私はあの青空が空気の読んでいない色に見えたのだろう。頬杖を着いて、先刻に思った事について考えてみる。
 そうか――原因は今日の学校生活にあったのかもしれない。私が不機嫌になった理由は、そこに。
 今は夕暮れの茜色に染まりつつある空を眺め、地平線に段々とその身を沈めて行く太陽を見ながら、私は記憶の回廊を辿り始めた。



「お姉ちゃんって、好きな人居るの?」
 思わず口から盛大に吐き出しそうになったつかさの弁当のおかずを必死に口の中に留めると耐えきれない苦しみが喉の奥から襲いかかって来た。派手に数十秒間噎せた私は息も絶え絶えにつかさが聞いた内容を反復した。
 まさか、つかさの口からそんな質問が飛び出してくるとは思わなかったから。
「す、好きな人って?」
「好きな人は好きな人だよ。男の子とか、気になる人、居る?」
 何故か諭されている私。悔しい気がしてならないけど、ここはグッと堪えて、冷静につかさの質問に答える。流石、私。返した言葉はクール極まりなく、微塵の動揺さえ窺う事は出来なかった――。
「い、いい居ないわよ、そんなの!」
 ――ってのが理想だったんだけど、所詮現実とはこういうものらしい。自分のイメージした通りには行かないんだな、これが。私の場合、イメージとかけ離れ過ぎて悲しくさえなってくるけど。
「ほんと? ほんとにいない?」
 珍しく積極的に問い質してくるつかさ、少しだけ身を乗り出して話している所から、よく分からないけど必死になっている気がする。
 因みに、ここには何時ものメンバー四人の姿は無く、私とつかさしか居ない。こなたは一年生たちとの約束があったらしく、みゆきは何でも、黒井先生から何かの手伝いを頼まれたらしい。昼休みの始めに、困ったような笑みを浮かべたみゆきの顔が思い浮かぶ。
 そんな訳で、何時も固まっている私達のグループには私達二人しか居ない。つまり、何時も飄々とした猫口顔で私を冷やかすこなたは此処には居なくて、少し様子がおかしいつかさの姿も手伝ってくれて、私は何時もよりも素直になる事が出来た。つかさの目をじっと見つめて、伝わる想いがあるのかどうか、探ってみる。
 暫くそんな状態が続いた後、つかさは不思議そうに眼を丸くさせただけで、私の想いに気付いてくれる事はなかった。まあ、つかさも鈍感だしね。私はそう割り切って、椅子の背凭れに体重を預けた。ギシリ、と、少しだけ軋む音が聞こえた。
「居ないわよ、ほんとに、誰も」
 そう言うと、つかさはみるみる内に表情を明るく輝かせて、いかにも喜んでます、と言った感じで椅子に座り直した。エヘヘ、と声に出している様には期待しても良いのかしら。ほんの少しの希望しか抱いていなかっただけに、そう思う。
 そして、そんな事を考えていたら唐突に些細な好奇心が出来た。ポン、と頭から豆電球が出て来るみたいな、マンガでよくあるみたいに自然と湧いて出て来た疑問を、私はぶつけてみる事にした。少しの期待を密かに抱いて。
「つかさは? 居るの、そういうの」
 極々自然な声音で尋ねて、私はつかさの反応を待つ、つかさは一瞬驚いたように豆鉄砲を食らった鳩みたいな表情を作ってから、ふっと意味ありげな笑みを零すと、言った。
 それは到底予測していなかった出来事で、信じたくない現実だった。
 つかさは、称えた笑みをそのままにうん、と言って頷いた。
「……まじっすか」
「……まじっす」
 愕然とした。男の子がむしろ苦手な部類に入るつかさが誰かを好きになるなんて、思ってもいなかった。何時も私の背中を追いかけて来ていた子が、異性を好きになるだなんて、考えた事もなかった。
 それだけにショックは大きかった。金槌で殴られたような衝撃の錯覚が私の思考をぐちゃぐちゃに混線させる。
 私は茫然自失なな状態になりながらも、「誰?」と、小さく弱々しい声で尋ねていた。誰だって答える事を拒む質問なのに、それが分からないほど子供ではないのに、私は当り前のようにその言葉を紡ぎ出していた。
「うーんとね……」
 人差し指を顎に当てて、つかさは暫くの間黙考する。その間に、自分の弁当箱の中身を見遣ってみると、半分も食べ終わっていなかった。昼休み終了十分前だと言うのに、何時ものペースからして今日のはかなり遅い。
 午後が辛くなりそうだ、と先に不安を感じている時に、つかさは丁度考え――と言っても何について考えていたのか――を纏めたのか、笑顔を保ちながら嬉しそうに言った。
「今、近くにいるよ」
「え?」
 慌てて私達の周囲を取り囲んでいるつかさ達のクラスメイトを見まわす。
 後ろ――数人の女の子グループだ。
 右――誰も居ない。窓の外に晴天が広がっているのが分かった。
 左――ここでも、女子数人が話に花を咲かせている。
 前――つまり、つかさの後ろ。騒がしい集団が眼に入る。つかさは分かった? とでも聞くような目で私を見つめている。少し、体をずらして、つかさの背後を窺ってみると、そこには何人かの女子に囲まれて、傍に男子も何人か引き連れて、その輪の中心に居る人物と、眼が合った。
 顔は、多分格好良い部類に入ると思う。女子の中でも評判は決して悪くなかったと思う。それどころか、成績優秀、運動神経抜群の誰もが羨むスーパーマンと言う話だ。
「もしかして……」
 震えた声で、確認を取る。指で示したり、名前で示したりはしていない。ただ、雰囲気だけで分かるような口振りで言った。否定して欲しかった。冗談だよ、と、つかさらしくなくても、冗談だと言って欲しかった。
 でも、つかさは私の期待を裏切って、私の確認に対して肯定の意を示すように微笑んで、頷いた。何かが崩れる、そんな音がして、私は視線を手に持っていた弁当箱に落とした。色取り取りのおかずが、色褪せて見える。
 つかさの後ろで騒いでる集団が、憎く思えた。
「そっか……つかさもそんな年になったんだな、って少し感動しちゃったわよ」
 私は顔を上げて、今日一番の明るい声で、言った。つかさは心底嬉しそうに、喜色満面の笑みを浮かべながら、その色をより一層濃くさせた。そして、弁当箱からタコの形のウインナーを摘み上げて、口の中に放り込んだ。
 耳に付いて離れない、昼休みの終了を告げるチャイムが校内に鳴り響く。私の何かを終わらせる残酷な鐘の音が私の胸を貫いた。
 黙って、半分以上残っている弁当箱に蓋をして、包み用の布で丁寧に包み、私は席を立った。授業が始まってしまう、そう自分に言い訳をして、予鈴が鳴ったばかりだと言うのにこの教室を出て行きたくなった。
「じゃ、私はもう行くわ。次の授業、ちょっとは予習しておかないとヤバいし」
 心にもないウソを吐いて、私は教室の出口へと向かう。一刻も早く、このクラスの喧騒から逃れたい。私の足は自然と早足になってしまっていた。
「あ、お姉ちゃん」
 教室から出られる寸前、つかさに呼び止められた。私は後ろを向かないまま、つかさの言葉を待つ。やがて、恥ずかしそうに躊躇いながら、つかさは言った。
「今日、一緒に帰ろうね」
 手を振って、了解すると、私は自分の教室へと戻った。正直に言えば、冗談じゃないと思った。私に対しての当て付けなのか、とも思ったし、断ろうとさえ思った。でも、私は承諾した。それは、未練がましい私の体が自然と選んだ選択肢なのかも知れない。元々有り得ない話であったのに、私は馬鹿だ。
 窓の外に見えた景色は、私には場違いな澄み切った蒼だった。



 ゆっくりと、意識が現実へと戻って来る。とっくに夜の帳が降りた外の景色は漆黒に包まれていて、何も映さない。ただ、寂しさを感じさせるほどに孤独に見えた月が、漆黒の海を切り裂く光を発しながらぼんやりと浮かんでいた。
「かがみー、ご飯、出来たわよー」
 階下からお母さんの声が聞こえた。行かなくてはならないのは分かっていたけれど、こんな時に限って体が倦怠感に包まれて、上手く動かせない。それでも、重い体に鞭を打って、私は一階へと向かう。
 また、つかさの笑顔を見なくてはならないのか、と思うと途端に倦怠感が増した気がした。
「どうしたの? あんた、さっきよりも具合悪そうになってない?」
 一階に着いて、食卓の席に座ると、誰より先にまつり姉さんが私を気遣った。心配してくれるのは嬉しかったけど、今は放って置いて欲しいのが本音だった。暫くすれば治る、そう楽観的に考えていたから。
 まつり姉さんに続いて、いのり姉さんやお母さんお父さんまで心配して来て、私は大丈夫と言い張るしかなく、食欲はあまり無かったけど、ちょこちょことご飯を突いていた。
 何時もよりも暗い雰囲気の食卓で、つかさは一言も話さずに、ただ私の事をじっと見つめ続けていた。
「ごちそうさま」
 何とかお椀によそられたご飯を食べ切り、おかずもそこそこお腹に入れて、私は自分の分の食器を流しへと持って行った。とにかく、今日は早めにお風呂に入って、何もかもを忘れて眠りに就きたい。私は早々にリビングからお暇すると、着替えやら何やらを持ってお風呂場へと向かった。
 衣服を全て脱いで、適当に洗濯機の中に入れて、私は何となく鏡を眺めてみた。まつり姉さんが言う通り、少し疲れた表情をしているかもしれない。余程。昼間の出来事が精神的に堪えたのだろう、それが一目で分かる表情だ。
 暫くぼーっとしていたら、寒気が急に襲って来て、何でこんな所で素っ裸で佇んでいるんだろう、とか自分が行っていた行動に腹を立てつつ、私はお風呂場の中に足を踏み入れる。まだ誰も入っていないお風呂場は、寒かった。
 蛇口を捻って、お湯を出そうとしたら、最初は普通に水しか出なかったので、お湯に変わるまでの間、暫く待つ事にした。閉め切られたお風呂場のタイルに、シャワーが打ちつける音が響き、反響しては私に耳に五月蠅い音を届けた。
 中々水がお湯に変わらない。未だ出て来る透明な液体は冷たいままだ。いい加減イライラしてきて、私は忌々しげに溜息を吐く。それと同時――お風呂場の扉がいきなり開け放たれた。
「は?」
 一瞬、状況が読み込めず、私の頼りない脳は暫くの間思考を停止する。そこに立っていたのは、バスタオルを胸まで巻いた、まつり姉さんだった。対して素っ裸の私。幾ら家族で同性だからと言っても、背筋から這い上がる羞恥は抑えられなかった。頭に血が上る感覚と共に、顔がとてつもなく熱くなった気がした。
「あんた、ガス付けてなかったわよ? 水でも浴びるつもりだったわけ?」
「う、うるさいっ! 大体何でまつり姉さんがこんな所に居るのよ。今は私が入ってる真っ最中なんだけど」
「うん、だから一緒に入ろうかと思って」
「はァ?」
 いまいち意図が読み取れない。つまりは一緒にお風呂に入る、という事なのだろうけど、なんの為にそんな事をする気になったのか、意図が図りかねた。取り敢えず、まつり姉さんがガスを付けといてくれたっぽいから、試しにシャワーから出ている液体に触れてみると、それは暖かかった。
 すっかり寒くなってしまった体にシャワーを掛けると、心が洗われるような気分になって、とえも気持ちが良い。今の訳の分からない状況も忘れられる気がした。
「あたしも寒いんだけど」
「入って来たタイミングが悪かったのよ」
 大体、私はタオルすらしてないんだから、少しは我慢してもらいたい。私は一通り体をお湯で温めると、まつり姉さんにシャワーを渡して、シャンプーを手に取った。数回プッシュして、手に乗せたシャンプーを頭へと。それはたちまちに泡立って、私の髪の色を白くした。
「じゃあ、たまには背中ながいてあげようかな」
「は? 別にいいわよ。それぐらい自分で――」
「はいはい、文句言わない。人の好意は黙って受け取りなさいよねー」
「……」
 はあ、と溜息を一つ落として、私は頭を洗う。どちらにしろ、手間は減るのだし、任せても悪くないかもしれない。それに、姉妹でこうやってお風呂に入るのも悪くないかもしれないと、私は、背中に当てられたタオルの感触を心地よく受け取りながらそう思った。




「で、何かあったわけ?」
「……」
「ちょっと、黙らないでよ。それ聞いてあげる為に来たのに」
「だからってね……こんな事をする必要がありますか」
 今の状況。湯船に浸かる私と姉さん。うん、ここまでは全然オッケー。じゃあ、次に、私達はどんな体制で湯船に入っているか。
 元々、柊家のお風呂はそこまで広くないし、湯船は一人でも足が伸ばせないくらいだ。それなのに、私より体が大きいまつり姉さんと私が何故に一緒に入れているか。そんなのは思いつく限りで一つしかない。そもそも、思いつく以前に既に実行されているのだから何も言えないんだけど。
「だって、こうでもしなくちゃ一緒には浸かれないでしょ」
 全くその通り。だから私も大人しくこうやってしている。
 ……まつり姉さんに抱きかかえられる格好で。お風呂に入っている所為だけじゃなく、別の意味――主に羞恥――で顔が熱い。背中に感じるまつり姉さんの豊かすぎってくらいの胸が直に当たっていて、何とも言えない柔らかさを提供している。これだけでも顔から火が出るくらい恥ずかしいのに、まつり姉さんの腕が私のお腹に回されているとなっては余計に恥ずかしい。まるで、幼子に戻ったみたいな感覚だ。
「で、何かあったんでしょ。話してみなよ」
 対して、恥ずかしさなど微塵も感じていないのか、何時も通りの調子でまつり姉さんが尋ねて来る。私は水面に映る自分の顔を見つめて暫く考えたあと、そのままの状態で話し始めた。何故だか、まつり姉さんになら話しても大丈夫な気がした。
「なんて言うか、その……間接的に振られたと言うか……」
 歯切れ悪くなってしまうのは、相手が相手だからだろう。流石に事情を一気に全て話す気にはなれなかった。まつり姉さんは、マジで? とか呟いた後、私が此処でウソを吐く意味は無いと悟ったのか、腕に力を込めた。
「えーと、誰に?」
「……そ、それは……その……」
「言った方が、楽になると思うけど」
 まつり姉さんが言う事も分かるけど、それを受け入れてくれる確証が無い以上、その相手を言うのは憚られた。それでも、一人で溜め込む事の辛さは嫌と言うほど、今日の午後の授業で味わった所為か、私はポツリポツリと話しだしていた。私の好きな人を、その名前を。
「……さ」
「え?」
「……かさ」
「……えーと、よく聞こえないんだけど」
「……つかさ」
 何回かの同じやり取りが続いた後、私がはっきりと伝えると、時が止まった。
 天井から滴る水滴が湯船に落ちる度に波紋が広がって、私の体に当たる。
 たっぷり数十秒、私に不安を与える間を空けて、まつり姉さんは唐突に笑いだした。それは大爆笑と言って差し支えない、豪快な笑い方で。
「意味が分からないんだけど。何でそこで笑うのよ」
 普通はもっと深刻なシーンになると思うのだけど、まあ、この人に深刻なシーンなんて似合わないか、と自己完結しつつ、それでも怪訝な視線は変わらず、私は出来る限り首を後ろに向けてまつり姉さんを睨もうとした。しかしながら、角度的にも人間には限界があるもので、私は耳元で姉の馬鹿笑いを聞く羽目になった。
「あ、あんた……ぷぷっ!」
 だからそこで噴き出す意味が分からん。ふざけているのかからかっているのかはっきりして貰いたいんだけど、それはそれで腹が立ちそうだ。
「ま、まあ、そんなに気にしなくても良いわよ。なるようになるって」
「はあ?」
 今日のまつり姉さんは本当に訳が分からない。なるようになる、って一体何が? 今日何回目だろうか、盛大な溜息を思い切り吐き出して、私は眼を閉じた。
 ――もしかしたら、まつり姉さんに話したのは墓穴だったか?
 とか、失礼な事を思ったりしながら。まあ、気分転換にはなったけど。
「じゃあ、お遊びタイムと行きますか」
「は? ちょ、何すんのよ! って、そこは……っ!」
 突然胸に感じた違和感に、瞑っていた眼を更に堅く瞑る。まつり姉さんの手が、卑屈な動きで私の胸を水中で弄んでいた。意識している訳でも、そこまで欲望を持て余しているわけでもないのに、口からは嬌声が出てしまう。
 風呂場の外に聞こえないように抑えたのに、狭い密室であるここでは小さな音も大きい音になってしまうので、私は声を抑えるのに必死になっていた。
「ほらほら~、どう?」
「くっ……ちょ……ほんとに、冗談やめてよ……!」
 必死の抵抗を試みるも大した効果は得られない。それどころか。まつり姉さんの悪戯心を煽ってしまったらしく、まつり姉さんは悪戯っ子みたいな笑い方をして、その行動を更にエスカレートしていった。
 熱い湯船の中で、体が溶けてしまいそうな感覚。まだ慣れないその感覚に身悶えしながら、私はまつり姉さんの愛撫に耐えていた。
 そう、姉さんの気が済むまで――。



「やられた……」
 ヤバい意味ではなく、してやられた、という意味で。お風呂から上がる時に浮かべたまつり姉さんの意地悪い笑顔が瞼に焼きついたようで、瞬きする度にその笑顔が見えてしまう。で、その度に腹が立っている訳で。
 私は自分の部屋で、湯上りの所為だけじゃなく、別の意味でも火照った体をどうするか考えあぐねていた。
「何でこんな中途半端な……」
 私だって、その、そういう行為をした事がないわけではない。だからこそ、これからどうするかを考えているのだけど、いざ決断しようとなると、どうしても私の中の何かがそれを邪魔してしまうのだ。
 元はと言えば、お風呂場であんな悪戯をしておいて、物凄く中途半端な所で止めてくれた忌々しい姉に全ての非があるんだけど、またあの姉に会いに行ったら何をされるか分かったものではないし、進んで行きたいとも思わない。
「あー、このままじゃ眠れないじゃない……」
 ベッドに座る。体が熱い。何時もはお風呂から上がるとすぐに冷めてしまって、寒ささえ感じるほどなのに。今は布団に入りたくないくらいに体が熱い。とてもじゃないけどこの状態で安らかな眠りに就けるとは思えなかった。
「あの、お姉ちゃん……。入って良い……?」
 ふと、部屋の入口から控え目な声が聞こえた。
 つかさだ。けれど、何かが違う気がする。何か、声が熱っぽいような――そんな違和感だ。気になるほどではないのだけど、どうしても引っ掛かった。
「良いわよー」
 それにしても、今の私の状態でこの状況、私は耐えられるのだろうか。いや、私が、じゃなくて私の理性が。絶対大丈夫と言える確証がないだけに、自分が自分で怖くなった。
「あ、ごめんね、こんな時間に……」
「良いわよ、別に」
 時計を見ると、短針が丁度11を指し示す頃だった。つかさはお風呂から上がったばかりなのか、頬を赤く上気させて、熱そうな吐息を小さな唇の間から切なげに漏らしていた。ヤバい、お願いだから耐えてくれ、私の理性。
「あの、ね、今日の事なんだけど……」
 瞬間、昂りかけていた私の感情がサーっと水を掛けられたみたいに一気に熱を失うのが分かった。『今日の事』それは紛れも無く、つかさの好きな人について、の事なのだろう。忘れかけていたのに、折角全部忘れようとしたのに、嫌な気持ちも、全て思い出してしまった。
 そのお陰か、私の理性は強靭になったみたいだけど。
「私の好きな人、誰だと思う?」
「……っ」
 もう、聞かないで欲しかった。つかさが好きだと言った、あの男の人を思い出したくなかった。物音が私達の声以外に何も聞こえない家の中、つかさの声はあまりにもよく通っていて、嫌でも私に届いてしまった。つかさの口から、他の人の名前が出るのさえ嫌なのに、聞かない、と言う選択肢は用意されていなかった。
「……あの……つかさと同じクラスの、カッコイイ人でしょ。何でも出来る、って言われてる……」
 つかさの顔は見ないで、私は言った。間違い無い事だと思っていた。だって、昼間に私が示した人物は確かにあの人で、つかさは頷いたから。明確な示し方なんてしなかったけれど、つかさになら伝わっていると思うから。
「違うよ」
 つかさは余りに早く、そう言った。即答なんてものじゃない。まるで、予め私が言う事が分かっていたみたいに、私が言い終わる前よりも早く言われたような言葉だった。十分な意外性を持ったそれは、私の頭の中を揺さぶるには申し分ない威力を持っており、私は茫然としながらつかさを見つめた。
 真摯な、つかさの瞳が細められる。優しい笑顔が、私の大好きな優しい笑顔を浮かべたつかさが、後ろで手を組みながら私に微笑みかけていた。
「私、お昼休みの時に、お姉ちゃんが正解を言ったのかと思って、嬉しかった。でも、お姉ちゃんはあんまり嬉しそうじゃなかった」
 そうだ。想っている人に、私以外に好きな人がいるなんて聞かされれば、誰だって不機嫌を隠すのは難しくなる。私だって例外じゃなかった。素直なままに、感情を表面に出してしまった。
「だって、お姉ちゃんは私の事を見てたって、私の事を指してたって、そう思ったんだよ。眼も合ったし、きっとそうなんだろうな、って」
 眼を見開いた。つかさは相変わらず穏やかな表情で私を見つめている。
 じゃあ、私は勘違いをしていた? つかさとは意思の疎通が図れているだなんて奢りを持っていた所為で、全く違う事を考えていた?
 だとしたら、全ての辻褄が合う。あの後、つかさが凄く嬉しそうにしていたのも、私に怒られてあんなにしょげていたのも、全て。
「私が好きな人、お姉ちゃんだよ」
 私が全てを理解する前に、つかさは言った。微塵の動揺も見られない、凡そ、つかさとは思えないほどに毅然とした態度で、つかさは私の眼を見つめながら、はっきりと伝わるように、そう告げた。
 口が開かない。言いたい事は沢山あるのに、それを言葉に出来ない。
 心臓が、痛い。痛いくらいに、暴れ回っている。今、この静寂に満ち満ちている今なら、この動悸の音がつかさにも聞こえるんじゃないか、とまで思った。
「お姉ちゃんは……どう、かな」
 つかさが一歩一歩、ゆっくりと私に近付いて来る。私はベッドに腰掛けたまま、動けない。体を針で縫いつけられたみたいに、その場から体を動かす事が出来なかった。そんな中で近付いてくるつかさの笑みは、酷く妖美で艶やかだった。
 湿った髪も、心なしか潤んだ瞳も、赤く上気した頬も、濡れた唇も、その全てがつかさの可愛らしさではなく、美しさを際立てている。
 私は、息を呑むようなその光景に眼を奪われて離す事が出来なかった。
「私も……好き。つかさが、好きよ」
 目尻から何かが落ちた気がした。心が、満たされた気がした。体が、求めている気がした。何かが、壊れる音がした。
 体が急速に熱を取り戻す。冷めていた内面も、煮えたぎっていて、苦しいくらいに切なかい。つかさはすぐ目の前にいる。全てが愛しく、全てを求め、全てを求められている気がした。
 気付けば、私の目の前には私と同じ、濡れた水晶のような目があって、両頬には暖かい手の感触があって、唇には熱いものが押し付けられていた。蕩けるような甘い口付けを、二人で気の済むまで堪能して、私達は顔を離す。
 つかさの顔は、さっきよりも赤くなっていた。
「つかさ……」
 名前を呼ぶ。
 私の片割れとも言える妹の名を、囁くように。
「お姉ちゃん……」
 名前が呼ばれる。
 脳を溶かすような、甘い声が耳から入って、脳髄を刺激する。
 もう、私達は止まりそうになかった。気持ちは溢れ出して、感情は抑えられなくて、それら全てがこの行為へと繋がっている。後悔なんてない。私は今この瞬間を最高に幸せだと感じている。今は、それだけで十分だ。
 私は、つかさをベッドに寝かせ、私を誘うかのように揺れる瞳と、震える唇に導かれるがままに自分の唇をつかさのそれに重ねた。
 先ほどのとは比較にならないほどに、濃厚で、甘いなんて領域を超越した何かが脊髄を走り抜ける。舌が絡み合う度に鳴る、水音も、私達を昂らせる媚薬にしかならない。どちらのものかも分からない唾液が入って来る度に、もっと欲しくなる。
 私達は、飽きもせず、互いで互いを求め合った――。









――end.























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  • かが×つか、も素晴らしい!
    双子百合最高ッス!! -- チャムチロ (2012-09-06 21:55:09)
  • お熱いですね~ -- 名無しさん (2011-04-17 13:37:54)
  • 別視点とセットで楽しませてもらいました。描写細かいよ細かすぎだよ!ライトノベルしか読んでない私にはちょっと大変だったRよw
    しかも最後のアマアマ展開がエロくてけしからん!GJすぎ!ww -- 名無しさん (2008-02-21 05:35:40)
  • これは素晴らしいこういう文体は大好きだ
    まつりさんのポジションもよかったし
    ご馳走様でした -- 名無しさん (2008-02-16 06:08:40)

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