- 3.据え膳食わぬは男の恥
「むっ……ぅ」
重なった唇から、荒い息が漏れた。
みさおのものではなく、かがみのもの。
慣れない口吸いに、上手く対応出来ずに息が出来なくなる。
その感覚と、伝わる感触がみさおを奮わせる。
「っ!」
その重なった唇から、今度は声が漏れた。
突然侵食したみさおの舌の感触が、かがみを驚かせたから。
「あ、わ、悪いっ」
「……う、ううん。ごめん」
少しみさおが顔を離す。
それが水を差した事に気がつき、赤面したままでかがみが謝る。
みさおも調子に乗った事を少し恥じる。
「その……初めて、だったから」
だが、すぐに点火。
その妖艶な表情に反応しない男性はいない。
その染まった頬にもう一度みさおが顔を寄せる。
「ひゃぅっ……」
そのまま唇を通り過ぎ、かがみの首筋に触れた。
くすぐったいような妙な快楽が体に走り、かがみの口から声が漏れる。
それを必死に漏らさないように耐えようと唇を噛む。
それでも口から漏れる声がみさおの耳に届くたびに、彼の男性に火がついていく。
そのまま手を、かがみの腰の辺りに回した。
「あ……」
自分の帯がゆっくりと解けていくのを感じ、かがみから言葉が出なくなる。
それとともにみさおに伝わったのは、彼女の動揺。
行き場を失くしたかがみの手を掴むと、首筋から唇を放して耳元で囁く。
「その……ま、任せて、いいから」
その声が自分でも上擦っているのに気が付き、誤魔化すようにもう一度唇を奪う。
それと同時に込めた手の意図をくみ、かがみが身を任せる。
淡い月光の下で二人の影が消えた。
不思議と、みさおに戸惑いはなかった。
経験だって、更衣や女御との記憶がある。
だがそんな、愛のないものじゃない。
目の前に居るのは、みさおの一番大切な人。
それを優しく、包み込む。
「あ、んまりその……見ないでよ」
油断すればまた唇が触れそうな距離に、お互いの顔があった。
その恥ずかしさに耐え、必死にかがみが言葉を漏らす。
肌蹴た小袖から溢れた白さに、みさおが唾を飲む。
「え? や……き、綺麗……だけど」
「そ、そういう意味じゃなくて……」
「へっ? えっ?」
真っ赤になるかがみの意味が分からず、みさおが戸惑う。
なかなか察せないみさおに苛立ち、かがみが小さく呟く。
「恥、ずかしい……から」
「あっ……」
顔の熱が伝達したかのように、みさおの顔が火を噴く。
「わわ、分かった……あんまりその、見ない」
そう言って視線を外そうとするが、意識してしまった以上うまくいかない。
その覚束無い手で、もうほとんど肌蹴ていた小袖に触れる。
その布が床を擦れる音が、かがみの耳に響く。
二人の心臓の音が交じり合い、二人の間の空気を止める。
「……」
かがみが目を瞑る。
それを確認して、みさおがゆっくりとその体に手を伸ばす。
だがその手が、止まった。
こんな時にばかり、頭を余計な事ばかりがちらつく。
それは、笑顔。
他の誰でもない……かがみの、笑顔。
「なぁ……かがみ」
「……なっ、に?」
少し驚いたような声が返ってくる。
「そんなに、好きか? ……ちびっ子の事」
「……っ!」
強く瞑られた目が開き、二人の視線が交わる。
ほとんど目の前のみさおの表情に、かがみの表情が強張る。
頬が持つ熱が冷めていくのを、みさおは感じていた。
今の彼女は、自分に身を捧げている。
でもそれは決して、みさおのためじゃない。
彼女の……大切な人のため。
みさおを、こなたの元に行かせないため。
それしかないと、みさおは『思い込む』。
彼の中にある記憶の欠片は、それしか紡ぎだす事をしない。
「だ……って」
月夜だけが差し込む対屋の中で、みさおは確かに見た。
目の前の少女の、涙を。
「だって、だって……だって!」
「……かがみ」
零れ続ける涙を、みさおの指が拭った。
その頬に触れた手にかがみの手が重なり、みさおの心臓が脈打つ。
「お願い……続けてよ」
大丈夫だと、何度も言い聞かせたはずだった。
信じられるはずだった。
想いは通じ合っているはずだった。
もう、どんなに離れても繋がっているはずだった。
それでも、この一瞬。
この瞬間だけは……一人で居る事を、かがみは拒んだ。
「こなたは今日、誰かのものになる……その体を、違う誰かに捧げる」
その言葉がみさおの胸にゆっくりと突き刺さる。
その誰か。
それが誰を指しているのか、みさおは知っていた。
「それを忘れさせて……今だけは一緒に、居て」
涙で擦れた声が、対屋に響いた。
そのままかがみが、彼に自分の唇を押し付ける。
ゆっくりと離れた口から、言葉が紡がれていた。
それがみさおの耳は、はっきりと聞こえた。
彼女の……慟哭が。
「私を……強くして」
重なった唇から、荒い息が漏れた。
みさおのものではなく、かがみのもの。
慣れない口吸いに、上手く対応出来ずに息が出来なくなる。
その感覚と、伝わる感触がみさおを奮わせる。
「っ!」
その重なった唇から、今度は声が漏れた。
突然侵食したみさおの舌の感触が、かがみを驚かせたから。
「あ、わ、悪いっ」
「……う、ううん。ごめん」
少しみさおが顔を離す。
それが水を差した事に気がつき、赤面したままでかがみが謝る。
みさおも調子に乗った事を少し恥じる。
「その……初めて、だったから」
だが、すぐに点火。
その妖艶な表情に反応しない男性はいない。
その染まった頬にもう一度みさおが顔を寄せる。
「ひゃぅっ……」
そのまま唇を通り過ぎ、かがみの首筋に触れた。
くすぐったいような妙な快楽が体に走り、かがみの口から声が漏れる。
それを必死に漏らさないように耐えようと唇を噛む。
それでも口から漏れる声がみさおの耳に届くたびに、彼の男性に火がついていく。
そのまま手を、かがみの腰の辺りに回した。
「あ……」
自分の帯がゆっくりと解けていくのを感じ、かがみから言葉が出なくなる。
それとともにみさおに伝わったのは、彼女の動揺。
行き場を失くしたかがみの手を掴むと、首筋から唇を放して耳元で囁く。
「その……ま、任せて、いいから」
その声が自分でも上擦っているのに気が付き、誤魔化すようにもう一度唇を奪う。
それと同時に込めた手の意図をくみ、かがみが身を任せる。
淡い月光の下で二人の影が消えた。
不思議と、みさおに戸惑いはなかった。
経験だって、更衣や女御との記憶がある。
だがそんな、愛のないものじゃない。
目の前に居るのは、みさおの一番大切な人。
それを優しく、包み込む。
「あ、んまりその……見ないでよ」
油断すればまた唇が触れそうな距離に、お互いの顔があった。
その恥ずかしさに耐え、必死にかがみが言葉を漏らす。
肌蹴た小袖から溢れた白さに、みさおが唾を飲む。
「え? や……き、綺麗……だけど」
「そ、そういう意味じゃなくて……」
「へっ? えっ?」
真っ赤になるかがみの意味が分からず、みさおが戸惑う。
なかなか察せないみさおに苛立ち、かがみが小さく呟く。
「恥、ずかしい……から」
「あっ……」
顔の熱が伝達したかのように、みさおの顔が火を噴く。
「わわ、分かった……あんまりその、見ない」
そう言って視線を外そうとするが、意識してしまった以上うまくいかない。
その覚束無い手で、もうほとんど肌蹴ていた小袖に触れる。
その布が床を擦れる音が、かがみの耳に響く。
二人の心臓の音が交じり合い、二人の間の空気を止める。
「……」
かがみが目を瞑る。
それを確認して、みさおがゆっくりとその体に手を伸ばす。
だがその手が、止まった。
こんな時にばかり、頭を余計な事ばかりがちらつく。
それは、笑顔。
他の誰でもない……かがみの、笑顔。
「なぁ……かがみ」
「……なっ、に?」
少し驚いたような声が返ってくる。
「そんなに、好きか? ……ちびっ子の事」
「……っ!」
強く瞑られた目が開き、二人の視線が交わる。
ほとんど目の前のみさおの表情に、かがみの表情が強張る。
頬が持つ熱が冷めていくのを、みさおは感じていた。
今の彼女は、自分に身を捧げている。
でもそれは決して、みさおのためじゃない。
彼女の……大切な人のため。
みさおを、こなたの元に行かせないため。
それしかないと、みさおは『思い込む』。
彼の中にある記憶の欠片は、それしか紡ぎだす事をしない。
「だ……って」
月夜だけが差し込む対屋の中で、みさおは確かに見た。
目の前の少女の、涙を。
「だって、だって……だって!」
「……かがみ」
零れ続ける涙を、みさおの指が拭った。
その頬に触れた手にかがみの手が重なり、みさおの心臓が脈打つ。
「お願い……続けてよ」
大丈夫だと、何度も言い聞かせたはずだった。
信じられるはずだった。
想いは通じ合っているはずだった。
もう、どんなに離れても繋がっているはずだった。
それでも、この一瞬。
この瞬間だけは……一人で居る事を、かがみは拒んだ。
「こなたは今日、誰かのものになる……その体を、違う誰かに捧げる」
その言葉がみさおの胸にゆっくりと突き刺さる。
その誰か。
それが誰を指しているのか、みさおは知っていた。
「それを忘れさせて……今だけは一緒に、居て」
涙で擦れた声が、対屋に響いた。
そのままかがみが、彼に自分の唇を押し付ける。
ゆっくりと離れた口から、言葉が紡がれていた。
それがみさおの耳は、はっきりと聞こえた。
彼女の……慟哭が。
「私を……強くして」
朝日が邸を少しずつ照らしていく。
その朝日を視界に確認すると、みさおが立ち上がる。
体に残った温もりが少し、名残惜しかった。
目の前で寝息を立てている少女の頬に軽く触れる。
涙の跡が指に絡まり、溜息をつく。
結局みさおが行為を続ける事はなかった。
まだ薄暗い世界で、自分の行為を恥じる。
最後の最後。
耳に届いた慟哭を前に、彼女をただ抱き締めた。
比喩とか、そんな意味でもなく……ただ、強く。
彼女の隣りに居ることしか出来なかった。
その行為の無意味さに、自分で呆れる。
自分がしてしまった事は、それほどの行為だった。
本当にすべき事は、別にあったはずだったのだから。
そのまま足音を殺し、対屋から出る。
心はまだ暴れていた。
行為自体は未遂だったとはいえ、一線を越してしまったのは確かだった。
触れた唇も、絡めた舌も。
その感触がまだ、彼の脳を弛緩していた。
だがまだ、その快楽に甘えるわけにはいかなかった。
その意味を、一つの蔀戸の前で租借する。
一番最初に来たはずの、扉の前。
そこには、居る。
みさおが……正室にすべき相手が。
「……」
一度、深呼吸をする。
それでも、胸の動悸は収まらない。
しかも先程のかがみの分が混じり、自戒する。
そしてゆっくりと、戸に手をかけた。
中に伸びた朝日が中を少しずつ照らしていく。
そこには、みさおが予想していたとおりの光景があった。
直垂(ひたたれ)を大きく乱して、寝息を立てる少女の姿。
それがかがみとは対照的で、少し可笑しかった。
その傍にゆっくり近づき、乱れた直垂を直してやる。
「……悪ぃな、ちびっ子」
こなたの顔をみさおが覗き込む。
その頬にあった涙の跡が、みさおの心臓を締め上げる。
彼女もかがみと同じだ。
家のために、家族のためにその身を捧げる。
全てはみさお惨めな嫉妬から始まった。
それが、みさおを苛める。
それだけならまだ彼にも耐えられたのかもしれない。
だがそれは、こなたを苦しめる。
かがみを傷つける。
それだけが、みさおには耐えられなかった。
「次は……ちゃんと、するから」
そう言い残し、みさおはその場から姿を消した。
その朝日を視界に確認すると、みさおが立ち上がる。
体に残った温もりが少し、名残惜しかった。
目の前で寝息を立てている少女の頬に軽く触れる。
涙の跡が指に絡まり、溜息をつく。
結局みさおが行為を続ける事はなかった。
まだ薄暗い世界で、自分の行為を恥じる。
最後の最後。
耳に届いた慟哭を前に、彼女をただ抱き締めた。
比喩とか、そんな意味でもなく……ただ、強く。
彼女の隣りに居ることしか出来なかった。
その行為の無意味さに、自分で呆れる。
自分がしてしまった事は、それほどの行為だった。
本当にすべき事は、別にあったはずだったのだから。
そのまま足音を殺し、対屋から出る。
心はまだ暴れていた。
行為自体は未遂だったとはいえ、一線を越してしまったのは確かだった。
触れた唇も、絡めた舌も。
その感触がまだ、彼の脳を弛緩していた。
だがまだ、その快楽に甘えるわけにはいかなかった。
その意味を、一つの蔀戸の前で租借する。
一番最初に来たはずの、扉の前。
そこには、居る。
みさおが……正室にすべき相手が。
「……」
一度、深呼吸をする。
それでも、胸の動悸は収まらない。
しかも先程のかがみの分が混じり、自戒する。
そしてゆっくりと、戸に手をかけた。
中に伸びた朝日が中を少しずつ照らしていく。
そこには、みさおが予想していたとおりの光景があった。
直垂(ひたたれ)を大きく乱して、寝息を立てる少女の姿。
それがかがみとは対照的で、少し可笑しかった。
その傍にゆっくり近づき、乱れた直垂を直してやる。
「……悪ぃな、ちびっ子」
こなたの顔をみさおが覗き込む。
その頬にあった涙の跡が、みさおの心臓を締め上げる。
彼女もかがみと同じだ。
家のために、家族のためにその身を捧げる。
全てはみさお惨めな嫉妬から始まった。
それが、みさおを苛める。
それだけならまだ彼にも耐えられたのかもしれない。
だがそれは、こなたを苦しめる。
かがみを傷つける。
それだけが、みさおには耐えられなかった。
「次は……ちゃんと、するから」
そう言い残し、みさおはその場から姿を消した。
「おはよう、お姉ちゃん」
「ぅ……ん?」
聞き覚えのある声にかがみが体を起こす。
軽く脳を襲った頭痛と目に入った光に、軽く眩暈を覚える。
視線を横にずらすと、光源と共に妹の顔が視界に入る。
「ん……おはよ、つかっ」
さ、と言いかけて言葉が詰まった。
かがみの頭に、昨夜の出来事が叩きつけられたからだ。
触れた唇の感触も。
絡めた舌の感触も。
「? お姉ちゃん、どうかしたの?」
急に顔を埋めた姉を不安に思い、つかさがその表情を覗き込む。
真っ赤になったその顔を必死に隠しながら、かがみが言葉を絞る。
「なっ……んでも、ない」
何てことをしたんだろう、と自分を苛める。
昨日の自分の言葉を反芻するたびに、動悸が心臓を殴打する。
そして、昨晩の彼との行為をゆっくりと反芻する。
最後の最後、結局彼の手がかがみに伸びることはなかった。
自分の体なのだから、何もされていない事ぐらいかがみにも分かってる。
だから尚更、自己嫌悪が襲う。
彼は、かがみのためだけに傍に居てくれた。
ただかがみが、泣き止むためだけに。
それなのに、かがみに出来た事は……何もなかった。
自分を好きだと言ってくれた男性に、酷いことをしてしまった。
そうかがみは『思い込み』、心を締め上げる。
「……あのさ、つかさ」
「うん?」
埋めていた顔をあげ、妹の顔を見る。
一番に、聞きたい事があったはずだった。
それはかがみにとって、一番大切なこと。
「こなた……はっ」
それなのに、言葉に詰まる。
昨日の行為の前に、申し訳なさがそれを遮ったから。
「き、昨日は……ありがと」
「? 何のこと?」
「あ……えと」
上手く意味が伝わらなかったことに気がつき、かがみが言葉を選ぶ。
だがそれだけで、顔が熱を持った気がした。
「ほら、あいつ……あのえと、ほら」
その所為で呂律は回らず、思考も上手く働かない。
ただその名前を呼ぶだけなのに、破裂しそうな心臓を押さえられない。
「み……さぉの、事」
「みさおさん?」
掠れそうな名前をようやく聞き取り、つかさが首を傾げる。
それは、意味が通じなかったからじゃない。
意味が、分からなかったから。
「ほ、ほら昨日……火の番、つかさだったでしょ?」
入内の晩は、外の篝火を絶やさないのが決まりだった。
本来はかがみの仕事の予定ではあった。。
だが体を気遣ったのか、妹のつかさが代わりを申し出た。
「うん、そうだけど……それが?」
未だにつかさは言葉の意味を理解しかねていた。
みさお、という男性の事は知っている。
だが彼が来たのは、一昨日のはず。
それなのに、目の前の姉は昨日だと言う。
それが上手く合致しない。
「だからその、みさ……あ、あいつ入れたの、つかさじゃないの?」
その日は、この邸にとって大切な日だった。
一人娘の入内という大事に、警備が厳重でないはずがない。
それなのに、彼は来た。
だからつかさが手引きしたのだと、かがみは思っていた。
そう、『思い込んでいた』。
「……お姉ちゃん、さっきから何言ってるの?」
「えっ……」
だから、戸惑う。
妹から返ってきた、素っ頓狂な言葉に。
「みさおさんが昨日? 無理だよそんなの……すっごい警備だったし」
邸に入っていた検非違使や雑色の数を、かがみは覚えていた。
それを数えだしたつかさが途中で指が足りなくなったと言い出して、それに呆れた事も。
いくらなんでもその眼を盗んで、彼が一人で忍び込んだとは考えられない。
だから、誰かが手引きがあったはず。
だが、みさおが他の女房を知っているとも思えなかった。
「で、でも……だって!」
「お姉ちゃん、夢でも見たんじゃない?」
「ゆ……ゆ、め?」
そんな馬鹿な、と自分に言い聞かす。
あの動悸も。
あの感触も。
あの狼狽も、逡巡も。
全てが夢だと、信じることが出来ない。
「それよりほらっ、急がないと怒られちゃうよ?」
「え、あ……うん」
そう言うと、つかさも立ち上がり部屋を出て行こうとする。
残されたかがみは、ただ放心する。
昨日の晩、自分が平常じゃなかったことはかがみ自身が分かっていた。
だからあんな幻を、夢を見た。
そう……考える事しか出来なかった。
「ふぎゃっ!」
「?」
その時だ。
目の前の妹の姿が、一瞬で消えた。
……というか、倒れた。
どうやら、何かに足を滑らせたらしい。
「ちょっ、大丈夫? つかさ」
「ふぇぇ……本踏んじゃった」
ぶつけた頭を擦りながらつかさが体を起こす。
そしてその手には、滑らせた本も。
だがその本が視界に入り、涙目だったはずのつかさの表情が一変する。
「わっ! お姉ちゃん、これどうしたの!?」
「?」
それは、好奇の眼だった。
それの意味が分からず、かがみも焦点をその本にあわせる。
そして世界が、固まった。
「これ、あれだよね……『源氏物語』!」
「ぅ……ん?」
聞き覚えのある声にかがみが体を起こす。
軽く脳を襲った頭痛と目に入った光に、軽く眩暈を覚える。
視線を横にずらすと、光源と共に妹の顔が視界に入る。
「ん……おはよ、つかっ」
さ、と言いかけて言葉が詰まった。
かがみの頭に、昨夜の出来事が叩きつけられたからだ。
触れた唇の感触も。
絡めた舌の感触も。
「? お姉ちゃん、どうかしたの?」
急に顔を埋めた姉を不安に思い、つかさがその表情を覗き込む。
真っ赤になったその顔を必死に隠しながら、かがみが言葉を絞る。
「なっ……んでも、ない」
何てことをしたんだろう、と自分を苛める。
昨日の自分の言葉を反芻するたびに、動悸が心臓を殴打する。
そして、昨晩の彼との行為をゆっくりと反芻する。
最後の最後、結局彼の手がかがみに伸びることはなかった。
自分の体なのだから、何もされていない事ぐらいかがみにも分かってる。
だから尚更、自己嫌悪が襲う。
彼は、かがみのためだけに傍に居てくれた。
ただかがみが、泣き止むためだけに。
それなのに、かがみに出来た事は……何もなかった。
自分を好きだと言ってくれた男性に、酷いことをしてしまった。
そうかがみは『思い込み』、心を締め上げる。
「……あのさ、つかさ」
「うん?」
埋めていた顔をあげ、妹の顔を見る。
一番に、聞きたい事があったはずだった。
それはかがみにとって、一番大切なこと。
「こなた……はっ」
それなのに、言葉に詰まる。
昨日の行為の前に、申し訳なさがそれを遮ったから。
「き、昨日は……ありがと」
「? 何のこと?」
「あ……えと」
上手く意味が伝わらなかったことに気がつき、かがみが言葉を選ぶ。
だがそれだけで、顔が熱を持った気がした。
「ほら、あいつ……あのえと、ほら」
その所為で呂律は回らず、思考も上手く働かない。
ただその名前を呼ぶだけなのに、破裂しそうな心臓を押さえられない。
「み……さぉの、事」
「みさおさん?」
掠れそうな名前をようやく聞き取り、つかさが首を傾げる。
それは、意味が通じなかったからじゃない。
意味が、分からなかったから。
「ほ、ほら昨日……火の番、つかさだったでしょ?」
入内の晩は、外の篝火を絶やさないのが決まりだった。
本来はかがみの仕事の予定ではあった。。
だが体を気遣ったのか、妹のつかさが代わりを申し出た。
「うん、そうだけど……それが?」
未だにつかさは言葉の意味を理解しかねていた。
みさお、という男性の事は知っている。
だが彼が来たのは、一昨日のはず。
それなのに、目の前の姉は昨日だと言う。
それが上手く合致しない。
「だからその、みさ……あ、あいつ入れたの、つかさじゃないの?」
その日は、この邸にとって大切な日だった。
一人娘の入内という大事に、警備が厳重でないはずがない。
それなのに、彼は来た。
だからつかさが手引きしたのだと、かがみは思っていた。
そう、『思い込んでいた』。
「……お姉ちゃん、さっきから何言ってるの?」
「えっ……」
だから、戸惑う。
妹から返ってきた、素っ頓狂な言葉に。
「みさおさんが昨日? 無理だよそんなの……すっごい警備だったし」
邸に入っていた検非違使や雑色の数を、かがみは覚えていた。
それを数えだしたつかさが途中で指が足りなくなったと言い出して、それに呆れた事も。
いくらなんでもその眼を盗んで、彼が一人で忍び込んだとは考えられない。
だから、誰かが手引きがあったはず。
だが、みさおが他の女房を知っているとも思えなかった。
「で、でも……だって!」
「お姉ちゃん、夢でも見たんじゃない?」
「ゆ……ゆ、め?」
そんな馬鹿な、と自分に言い聞かす。
あの動悸も。
あの感触も。
あの狼狽も、逡巡も。
全てが夢だと、信じることが出来ない。
「それよりほらっ、急がないと怒られちゃうよ?」
「え、あ……うん」
そう言うと、つかさも立ち上がり部屋を出て行こうとする。
残されたかがみは、ただ放心する。
昨日の晩、自分が平常じゃなかったことはかがみ自身が分かっていた。
だからあんな幻を、夢を見た。
そう……考える事しか出来なかった。
「ふぎゃっ!」
「?」
その時だ。
目の前の妹の姿が、一瞬で消えた。
……というか、倒れた。
どうやら、何かに足を滑らせたらしい。
「ちょっ、大丈夫? つかさ」
「ふぇぇ……本踏んじゃった」
ぶつけた頭を擦りながらつかさが体を起こす。
そしてその手には、滑らせた本も。
だがその本が視界に入り、涙目だったはずのつかさの表情が一変する。
「わっ! お姉ちゃん、これどうしたの!?」
「?」
それは、好奇の眼だった。
それの意味が分からず、かがみも焦点をその本にあわせる。
そして世界が、固まった。
「これ、あれだよね……『源氏物語』!」
どうすれば良かったんだろうと、みさおは外を覗いた。
だが牛車の窓から覗く景色は、脳に届くことは無い。
こなたの場所に行こうとする自分を、かがみは身を捧げてまで止めた。
……少なくとも、みさおにはそうにしか見えなかった。
それを彼女は、どんな気持ちで決めたんだろう。
どんなに心を、切り裂いたんだろう。
それが自分には分かるはずがないと、みさおは自分を苛める。
そこまで追い詰めたのは他の誰でもない、みさお自身だったのだから。
「あの……春宮様」
気がついた時には、牛車は止まっていた。
外から聞こえた雑色の声に、みさおが立ち上がる。
「……着いたか」
「ただいま、話を通しておりますので今しばらく……」
と、雑色の説明は続いていた。
だがそれも聞かずに、みさおは牛車から飛び降りる。
「は、春宮様っ!」
その雑色の呼び止める声も聞かずに、みさおはその『邸』に足を踏み入れる。
みさおはまっすぐには帰らなかった。
雑色に命じ、牛車を違う場所に向かわせていた。
その見覚えのある『邸』の中はさながら大混乱だった。
みさおが歩くたびにまるで悲鳴のような声が聞こえ、散り散りに逃げていく。
それもそのはずだ。
今みさおはこの場所に、『春宮』として来ているのだから。
「みさ……ちゃん?」
見覚えのある対屋に辿り着くと、目的の人物をようやく見つける。
だが向こうは、驚きのあまりに声を失っていた。
「よぅ……あやの」
「え、えとあれ? どうして、えと……」
ようやく出た言葉も、何処か覚束無い。
いつもの幼馴染の顔のはずだった。
だがその身に包んだ鮮やかな紫の束帯や装飾は、いつもの狩衣とはまるで違う。
その事実が分かっていても、みさおはこうする事しか出来なかった。
「悪ぃ……色々とすっとばした」
いつもなら、手引きしてくれる女房にあやのが口添えするだけでよかった。
だがそれはあくまでも、幼馴染としてのみさお。
春宮としての彼が会うためには、それなりの手続きが要る。
その道理も蹴っ飛ばして、今みさおはこの対屋に居る。
「……はぁ、みさちゃんったら」
今まで彼の理不尽に振り回された事は多々あったが、今回はまた規模が違った。
それにあやのが溜息をつき、心配そうに中を伺っていた女房に声をかける。
「春宮様は具合が悪くなり、この邸で少し休む事になりました……そう伝えておいて」
とりあえずとってつけた言い訳を女房に伝える。
それでも春宮の愚行が少しは噂にはなるなぁ、とあやのが呆れる。
そのあやのの前に、みさおが暗い表情のまま座る。
今日が何の日か、あやのも知っていた。
だからこの表情の意味は、少しだけ汲み取れる。
「……かがみちゃんに、会ったの?」
眉が少し反応したのを、あやのが見逃すはずがなかった。
形式も手続きも蹴っ飛ばしてここに居るのだから、ただ事じゃないのは分かっていた。
だがそれは、あやのの想像すらも超えていた。
「……会った」
少し沈黙した後に、返事。
まだみさおの頭の中は混乱していた。
それをあやのも汲み取り、一度落ち着かせる。
「ゆっくりでいいから、話して……私、聞くから」
「……」
そう言ってくれたあやのの言葉は、今のみさおには暖かかった。
そしてゆっくりと、たどたどしく。
必死に……言葉を紡いだ。
みさおの行為。
かがみの行為。
その結果の、全てを。
だが牛車の窓から覗く景色は、脳に届くことは無い。
こなたの場所に行こうとする自分を、かがみは身を捧げてまで止めた。
……少なくとも、みさおにはそうにしか見えなかった。
それを彼女は、どんな気持ちで決めたんだろう。
どんなに心を、切り裂いたんだろう。
それが自分には分かるはずがないと、みさおは自分を苛める。
そこまで追い詰めたのは他の誰でもない、みさお自身だったのだから。
「あの……春宮様」
気がついた時には、牛車は止まっていた。
外から聞こえた雑色の声に、みさおが立ち上がる。
「……着いたか」
「ただいま、話を通しておりますので今しばらく……」
と、雑色の説明は続いていた。
だがそれも聞かずに、みさおは牛車から飛び降りる。
「は、春宮様っ!」
その雑色の呼び止める声も聞かずに、みさおはその『邸』に足を踏み入れる。
みさおはまっすぐには帰らなかった。
雑色に命じ、牛車を違う場所に向かわせていた。
その見覚えのある『邸』の中はさながら大混乱だった。
みさおが歩くたびにまるで悲鳴のような声が聞こえ、散り散りに逃げていく。
それもそのはずだ。
今みさおはこの場所に、『春宮』として来ているのだから。
「みさ……ちゃん?」
見覚えのある対屋に辿り着くと、目的の人物をようやく見つける。
だが向こうは、驚きのあまりに声を失っていた。
「よぅ……あやの」
「え、えとあれ? どうして、えと……」
ようやく出た言葉も、何処か覚束無い。
いつもの幼馴染の顔のはずだった。
だがその身に包んだ鮮やかな紫の束帯や装飾は、いつもの狩衣とはまるで違う。
その事実が分かっていても、みさおはこうする事しか出来なかった。
「悪ぃ……色々とすっとばした」
いつもなら、手引きしてくれる女房にあやのが口添えするだけでよかった。
だがそれはあくまでも、幼馴染としてのみさお。
春宮としての彼が会うためには、それなりの手続きが要る。
その道理も蹴っ飛ばして、今みさおはこの対屋に居る。
「……はぁ、みさちゃんったら」
今まで彼の理不尽に振り回された事は多々あったが、今回はまた規模が違った。
それにあやのが溜息をつき、心配そうに中を伺っていた女房に声をかける。
「春宮様は具合が悪くなり、この邸で少し休む事になりました……そう伝えておいて」
とりあえずとってつけた言い訳を女房に伝える。
それでも春宮の愚行が少しは噂にはなるなぁ、とあやのが呆れる。
そのあやのの前に、みさおが暗い表情のまま座る。
今日が何の日か、あやのも知っていた。
だからこの表情の意味は、少しだけ汲み取れる。
「……かがみちゃんに、会ったの?」
眉が少し反応したのを、あやのが見逃すはずがなかった。
形式も手続きも蹴っ飛ばしてここに居るのだから、ただ事じゃないのは分かっていた。
だがそれは、あやのの想像すらも超えていた。
「……会った」
少し沈黙した後に、返事。
まだみさおの頭の中は混乱していた。
それをあやのも汲み取り、一度落ち着かせる。
「ゆっくりでいいから、話して……私、聞くから」
「……」
そう言ってくれたあやのの言葉は、今のみさおには暖かかった。
そしてゆっくりと、たどたどしく。
必死に……言葉を紡いだ。
みさおの行為。
かがみの行為。
その結果の、全てを。
「……どうすれば、良かったんだろうな」
全てを語った後で、頭の中で繰り返した言葉をもう一度呟いた。
出会わなければ良かったと、みさおは嘆く。
それなら、想いを寄せる事もなかった。
きっと、笑っていてくれた。
かがみとの最後の一線。
そこにみさおの瞳にこびりついたのは、彼女の笑顔。
大切な人と一緒に笑う、かがみの笑顔。
それがみさおは、たまらなく好きだった。
それを、いつまでも見ていたかった。
そのはずなのに……それを、奪ってしまった。
「……みさちゃんは、本当に好きなんだね。かがみちゃんの事」
全てを吐露したみさおの眼には、いつしか涙が浮かんでいた。
零れたそれを拭うように、あやのの手がみさおの頬を撫でた。
「だって、仕方ない……だろ」
出会ってしまった。
触れ合ってしまった。
想いを、寄せてしまった。
それならもう、引き返せない。
だけどその想いは……悲しみしか産んでくれない。
みさおを、かがみを……誰かを傷つける事しか出来ない。
「……大丈夫、今誰も居ないから」
その暖かい腕に包まれて、みさおの頬から涙が落ちた。
自分の行為を、心から恥じて。
傷つける事しか出来ない、自分自身を恨んで。
「……ありがとな、あやの」
零れた一筋の涙を拭い、幼馴染の腕の中から離れる。
その優しさに身を委ねることも出来た。
それでも、心が自制した。
「ううん、幼馴染だもんっ」
あやのが返してくれた笑顔に、みさおも心が落ち着く。
幼馴染という関係を、これ程実感した日はなかった。
「でもみさちゃん……ちゃんと向き合わないと駄目だよ、かがみちゃんと」
「ん……分かってる」
そうやって自分に言い聞かせてきたはずだった。
それでも、みさおは何処か甘えていたのかもしれない。
かがみの強さに、こなたの強さに。
二人の、繋がりに。
「ちゃんと、謝る。かがみにも……ちびっ子にも」
全てと向き合おうと、みさおは決める。
かがみに、こなたに。
……自分に。
「うん、それでこそみさちゃんっ」
あやのの手がみさおの頭に伸びる。
その撫でられた感触に、みさおの顔が熱を持つ。
「馬っ……やめろよ恥ずかしいっ」
真っ赤になって、手を払いのける。
その行動で少し元気が戻った事が伝わり、あやのも安心する。
二人の間の空気は、もう和らいでいた。
「でもどんな子なのかなっ」
それで、あやのはつい言葉を漏らす。
他意はなかった。
本当に、思ったままを口にしただけだった。
「? 何が?」
「かがみちゃんってどんな子かなってさ、私は一回しか会った事ないから」
ああ、そうだっけとみさおも思い出す。
いつもかがみと会っていたのは、みさおだけ。
会いに行くのも、みさおが一人だった。
だから初めて牛車が壊れたあの日、その一度きり。
……『そのはずだった』。
「ん? 一回じゃないだろ」
と、みさおの心に何かがひっかかる。
だが、あやのは言う。
「ううん、一回だよ。最初に、牛車で会った時だけ」
「いやいや、ほら『あれ』があっただろ?」
「あれ?」
あれ、という単語にあやのが首を傾げる。
それに該当する単語が、あやのには思いつかなかった。
「ほら、あれだよ。『左大臣』の」
懐かしいな、とみさおは思い出す。
それはもう数ヶ月も前の出来事なのに、みさおにはまだはっきりと覚えていた。
「左大臣ってあの、謀反の?」
「そそ、酷い話だったよなー。人の事暗殺なんてよー」
内々に処理されたそれの真実を、みさおは知っていた。
左大臣妻の謀反。
それを公にしたのもまた、みさおだった。
そして……『もう一人』。
「それと、かがみちゃんがどう関係あるの?」
「ふぇ?」
未だにあやのに話が通じていない事に、みさおがようやく気がつく。
だが、あやのが知らないはずがない。
左大臣妻の謀反を露にしたその場所に居た、『もう一人』を。
そのもう一人を連れ出した時、その場所にあやのも確かに居たのをみさおは覚えていた。
「だからほら、当今の屋敷に忍び込んだ時だよ……連れて行っただろ? 『かがみ』も」
ただ、みさおが居ない間に馬を見てもらうだけの仕事だった。
それでもその時、彼女がしてくれた事をみさおは忘れない。
その身を賭けて、自分を救おうとしてくれたことを。
……まぁ不発だったけどなぁ、と思わず顔が緩む。
だがその緩んだ顔が……引きつった。
「……さっきから何言ってるの? みさちゃん」
あやのには理解出来なかった。
みさおの話す事実。
それが、あやのの知るそれとは『食い違っていた』から。
「あの日でしょ? あの、『連書』を見つけた日」
「ん……ああ、だろ? あの宴のあった日」
その日は連日連夜の宴で、あやのにも記憶があった。
そして当今の邸にある左大臣の対屋に忍び込もうなどとみさおが言い出した日。
そんな日を、忘れるはずもない。
「あの日は……」
その、あやのの言葉。
それが……みさおの、世界を止めた。
全てを語った後で、頭の中で繰り返した言葉をもう一度呟いた。
出会わなければ良かったと、みさおは嘆く。
それなら、想いを寄せる事もなかった。
きっと、笑っていてくれた。
かがみとの最後の一線。
そこにみさおの瞳にこびりついたのは、彼女の笑顔。
大切な人と一緒に笑う、かがみの笑顔。
それがみさおは、たまらなく好きだった。
それを、いつまでも見ていたかった。
そのはずなのに……それを、奪ってしまった。
「……みさちゃんは、本当に好きなんだね。かがみちゃんの事」
全てを吐露したみさおの眼には、いつしか涙が浮かんでいた。
零れたそれを拭うように、あやのの手がみさおの頬を撫でた。
「だって、仕方ない……だろ」
出会ってしまった。
触れ合ってしまった。
想いを、寄せてしまった。
それならもう、引き返せない。
だけどその想いは……悲しみしか産んでくれない。
みさおを、かがみを……誰かを傷つける事しか出来ない。
「……大丈夫、今誰も居ないから」
その暖かい腕に包まれて、みさおの頬から涙が落ちた。
自分の行為を、心から恥じて。
傷つける事しか出来ない、自分自身を恨んで。
「……ありがとな、あやの」
零れた一筋の涙を拭い、幼馴染の腕の中から離れる。
その優しさに身を委ねることも出来た。
それでも、心が自制した。
「ううん、幼馴染だもんっ」
あやのが返してくれた笑顔に、みさおも心が落ち着く。
幼馴染という関係を、これ程実感した日はなかった。
「でもみさちゃん……ちゃんと向き合わないと駄目だよ、かがみちゃんと」
「ん……分かってる」
そうやって自分に言い聞かせてきたはずだった。
それでも、みさおは何処か甘えていたのかもしれない。
かがみの強さに、こなたの強さに。
二人の、繋がりに。
「ちゃんと、謝る。かがみにも……ちびっ子にも」
全てと向き合おうと、みさおは決める。
かがみに、こなたに。
……自分に。
「うん、それでこそみさちゃんっ」
あやのの手がみさおの頭に伸びる。
その撫でられた感触に、みさおの顔が熱を持つ。
「馬っ……やめろよ恥ずかしいっ」
真っ赤になって、手を払いのける。
その行動で少し元気が戻った事が伝わり、あやのも安心する。
二人の間の空気は、もう和らいでいた。
「でもどんな子なのかなっ」
それで、あやのはつい言葉を漏らす。
他意はなかった。
本当に、思ったままを口にしただけだった。
「? 何が?」
「かがみちゃんってどんな子かなってさ、私は一回しか会った事ないから」
ああ、そうだっけとみさおも思い出す。
いつもかがみと会っていたのは、みさおだけ。
会いに行くのも、みさおが一人だった。
だから初めて牛車が壊れたあの日、その一度きり。
……『そのはずだった』。
「ん? 一回じゃないだろ」
と、みさおの心に何かがひっかかる。
だが、あやのは言う。
「ううん、一回だよ。最初に、牛車で会った時だけ」
「いやいや、ほら『あれ』があっただろ?」
「あれ?」
あれ、という単語にあやのが首を傾げる。
それに該当する単語が、あやのには思いつかなかった。
「ほら、あれだよ。『左大臣』の」
懐かしいな、とみさおは思い出す。
それはもう数ヶ月も前の出来事なのに、みさおにはまだはっきりと覚えていた。
「左大臣ってあの、謀反の?」
「そそ、酷い話だったよなー。人の事暗殺なんてよー」
内々に処理されたそれの真実を、みさおは知っていた。
左大臣妻の謀反。
それを公にしたのもまた、みさおだった。
そして……『もう一人』。
「それと、かがみちゃんがどう関係あるの?」
「ふぇ?」
未だにあやのに話が通じていない事に、みさおがようやく気がつく。
だが、あやのが知らないはずがない。
左大臣妻の謀反を露にしたその場所に居た、『もう一人』を。
そのもう一人を連れ出した時、その場所にあやのも確かに居たのをみさおは覚えていた。
「だからほら、当今の屋敷に忍び込んだ時だよ……連れて行っただろ? 『かがみ』も」
ただ、みさおが居ない間に馬を見てもらうだけの仕事だった。
それでもその時、彼女がしてくれた事をみさおは忘れない。
その身を賭けて、自分を救おうとしてくれたことを。
……まぁ不発だったけどなぁ、と思わず顔が緩む。
だがその緩んだ顔が……引きつった。
「……さっきから何言ってるの? みさちゃん」
あやのには理解出来なかった。
みさおの話す事実。
それが、あやのの知るそれとは『食い違っていた』から。
「あの日でしょ? あの、『連書』を見つけた日」
「ん……ああ、だろ? あの宴のあった日」
その日は連日連夜の宴で、あやのにも記憶があった。
そして当今の邸にある左大臣の対屋に忍び込もうなどとみさおが言い出した日。
そんな日を、忘れるはずもない。
「あの日は……」
その、あやのの言葉。
それが……みさおの、世界を止めた。
「あの日は、みさちゃん……『一人だった』はずだけど?」
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