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Escape 第8話

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 8. (かがみ視点)


「かがみさん。そろそろ出発しませんか? 」
「そうね」
 こなたを迎えに行くために腰をあげた時、みゆきの携帯電話が鳴る音が、部屋中に響き渡った。
「もしもし、高良です。みなみさんですか? 」
 みゆきの表情が一瞬で変わる。

「みなみさん! しっかりしてください! 」
「どうしたの、みゆき? 」
 焦燥に駆られて叫んでいるみゆきに向かって一歩踏み出した時、彼女は半ば放心したように呟いた。
「小早川さんが逃げた…… のですか? 」

 私も驚いて、すぐ近くに寄って耳をすます。
『ゆたかは…… ボートで逃げたんです! 』
 僅かに聞こえたみなみちゃんの言葉に、心臓が止まりそうになる。
「代わって! 」
「はっ、はい」
 半ば奪い取るようにして、携帯を耳に押しつける。

「もしもし。柊よ」
『あっ…… かがみ先輩』
 明らかに意気消沈した声が聞こえてくる。
「みなみちゃん。ゆたかちゃんは、『ボート』で海上に逃げたのね」

『私とチェリーが浜辺に着いた時は、ゆたかは…… 海の上でした』
 みなみちゃんは、とても疲れた声で話している。
 俄かには信じがたい話だが、嘘を言っているとは思えない。
 虚言を弄する人間ではないと断言できる程、彼女の人となりを知っているわけではないが、
みなみちゃんが、今の状況で嘘を付くメリットが思い当たらない。

『もう少し早く見つけていれば…… 』
 みなみちゃんは小さな声で後悔の言葉を口にする。
 しかし、私の胸の奥底からわき上がった感情は悔しさではなくて、むしろ高揚だった。

(やるじゃない。ゆたかちゃん)
 仮にも、こなたが好きになった女の子だ。
 どんな絶望的な状況に陥っても、決してあきらめず、活路を見出してしまうところは称賛に値する。
 単に可愛いだけで、めそめそと泣いてしまうような子を、こなたが気に入るはずはない。


「みなみちゃん。落ち着きなさい! 」
 私は、激しく落ち込んでいるみなみちゃんを叱咤した。
「まずは、深呼吸しなさい」
『えっ!? 』
 戸惑っているようだが、構わず続ける。
「大きく息を吸って」
 空気を吸い込む音が微かに聞こえる。
「吐いて」
 みなみちゃんの吐息は、はっきりと耳朶に届いた。

「少しは良くなった? 」
 私は、笑顔をつくって問いかける。
『はい。すみません。かがみ先輩』
 やれやれ。これでようやくまともに話ができる。

「ゆたかちゃんを最初に見たのは何時ごろかしら」
『それは…… 11時半頃です。その時にはもう岸を離れていました』
 腕時計を覗き込むと、すでに12時半になっている。
「ゆたかちゃんは、何処に向かったの? 」

 行き先の見当は、既についているけれど、慎重を期すためにあえて問いただす。
『ゆたかは、すぐ近くの島を目指しています』
「ここから一番近い位置にある島ね」
 みゆきに頼んで、愛知県の地図を運んできてもらう。

 私たちのいる島と、ボートに乗ったゆたかちゃんが向かいつつある島は、わずか1キロ程度しか離れていない。
「ゆたかちゃんは、『篠島』に向かったのね? 」
『ええ。おそらく』
 篠島は三河湾の入り口付近にあり、知多半島と渥美半島の間にある有人島だ。

 面積は約1平方キロメートル、全周は約9キロと、狭いが入り組んだ海岸線を形成している。
「まだ、ゆたかちゃんのボートは見えるの? 」
『ええ、微かに…… 』
「ゆたかちゃんとは、どれくらいの距離が離れているのかしら? 」
『はっきりしたことは分かりませんが、隣の島まで、半分程のところまでは達しているようです』
 みなみちゃんは、普段の冷静さを取り戻して、状況を説明してくれた。


「そう」
 私は頷いてから、頭の中で計算した。
 1時間で1キロを半分ということは、1時間で500メートル程進んでいるということか。
 彼女が篠島に着くには、あと1時間ほどかかるとみておけばいいだろう。

 既に、私はこなたに対して、午後2時に名古屋鉄道の河和駅まで迎えにいくことを伝えてある。
「少し厳しいわね…… 」
 今から待ち合わせの時間を変更することは、こなたに不審を抱かせるので好ましくはない。

 では、こなたとの待ち合わせに遅れてでも、篠島に向かいつつあるゆたかちゃんを、
海上で捕えることを優先させるか?
 それとも、ゆたかちゃんは放置して、予定通りに河和駅に行ってこなたを迎えにいくか?

 今すぐにみゆきに船を出してもらうとすると、船着場まではおよそ15分、
船を出す準備にも同じく15分ほどかかる。
 更に、ゆたかちゃんのいる海域に到達するのには、10分から15分ほどは必要だ。

 ゆたかちゃんの状況にもよるが、篠島に到達する前に、傍に近づくことはできるだろう。
 しかし、海上にいる彼女を、レジャーボートから掬い上げることはかなり難しい。
 とても不安定な手漕ぎボートに乗っているゆたかちゃんに、下手に手を出した場合、
ボートをひっくり返してしまいかねない。
 船から人間を海上に落下させることは、少なからず死を意味することになり、危険極まりない。

 それでは、海上を進むゆたかちゃんを無視して、こなたを河和駅まで迎えに行った場合はどうなるか?
 待ち合わせ時間となっている午後2時までには、確実に着くことはできる。
 しかし、上陸を果たしたゆたかちゃんが、こなたへの連絡に成功した場合、
こなたは河和駅に現れず、最悪、二人とも取り逃がすことになりかねない。

 2つの案には、それぞれメリットと、デメリットがあるが、迷っている余裕は全くない。

「こなたを迎えにいくわ」
 私は、電話口にいるみなみちゃんと、傍にいるみゆきに対して、はっきりと言った。


つかさは留守番と、非常時の連絡役を頼むわね」
「がんばってね。お姉ちゃん」
 つかさはにこやかに微笑んで、私たちを見送った。

 別荘を出てからしばらく坂道をくだり、浜辺にでてみなみちゃんと合流する。
 私たちは、桟橋に係留されているレジャーボートに乗り込んで、出航の準備を整えているみゆきを手伝う。
「みゆき。お願い」
「ええ。わかりました」
 みゆきはうなずき、エンジンを始動させる。
 レジャーボートはゆっくりと桟橋を離れ始めた。

 今日の海はとても穏やかで、波やうねりはほとんどない。
「観光に来ていれば…… 素晴らしい景色を堪能できたのですが」
 みゆきは舵をとりながら、少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。

 小型船は、雲ひとつない陽光の下、篠島、日間賀島を右手にのぞみながら、
左側に見える知多半島の先端に位置する師崎港を通り過ぎて、丘陵地帯が連なる半島の沿岸を進む。

 空はどこまでも蒼く、強い日差しを受けた海はいたるところで輝きを放っている。
 時折、カモメとおぼしき海鳥が近くを通り過ぎ、離れた場所では大型の貨物船が
ごくゆっくりと航行している。
 どこまでも綺麗で心が穏やかになる、平和そのものの光景だ。

 もっとも、運命を狂わす一連の出来事が起こらなければ、純粋な観光として、
三河湾の入り口に佇む、風光明媚な島々を楽しむことができたのだが……

 心地よく吹き抜ける風に身をゆだねながら、過去を振り返る。
 以前、私は、努力すれば大抵の事は何とかなると思っていた。
 学校の勉強という狭い分野では、自分のやった事が、テストの成績という形で
ストレートに反映されたからだ。

 しかしながら、受験のための勉強は、人が学んでいくべき事のほんの一部に過ぎない。
 恋愛という複雑で、理不尽極りない感情への身の処し方は、当たり前だが学校では決して教えてくれない。

 私は、この半年間、何かに追われ続けるような強い焦りに苛まれていた。
 単なる焦燥感ならば、実らない片想いを経験した者ならば、誰もが感じることだろう。
 時が過ぎれば、ほとんどの人は失恋という事実を、単なるあきらめか、
甘酸っぱい思い出として、受け入れることができる。

 しかし、こなたとゆたかちゃんが付き合っているという事を知ってからの、
私の行動は異常だった。
 恋敵を攫い監禁した挙句、想い人を誘き寄せるエサに使うという、非道な振る舞いは
正気の人間がやれることではない。

 私は、失恋を認めるということが、どうしてもできなかった。
 自分自身の、決して広いとはいえない世界にとって、こなたの存在は全てに等しい。
 泉こなたをあきらめて生きる事に何の意義を見出すこともできない。
 こなたを失った後、抜け殻みたいな人生を送ることなど、とても耐えられる事ではなかった。


「かがみ先輩…… 泉先輩のことを考えていますか? 」
 珍しく、みなみちゃんの方から声をかけてくる。
「ええ。あなたが、ゆたかちゃんの事を思っていたようにね」
 私の物言いに、みなみちゃんは微かに口元を緩めた。
 彼女が笑う姿はあまり見たことがないけれど、今の微笑みは、胸が苦しくなるほど綺麗だ。

「私にとって、ゆたかは太陽であり光です」
 みなみちゃんは、私の瞳をまっすぐに捉えて、ゆっくりと語りかけてくる。
「私は、中学の時はとても無口で、いつも本ばかり読んでいる、他人との接点が薄い存在でした」
 彼女は小さく溜息をついた後、言葉を続ける。
「しかし、ゆたかは私の全てを受け入れてくれました。
ゆたかだけが私を分かってくれていました。だから…… 」

 みなみちゃんはとても辛そうな表情を浮かべて、重すぎる言葉の塊を吐き出した。
「ゆたかが私を想ってくれていると、勘違いしてしまいました」
 瞼から熱いものが溢れ出して、頬をつたう。
「間違いに気づくことができなかった私は、ゆたかから完全に見捨てられてしまいました…… 」
 たぶん、先程ゆたかちゃんを追っていた時に、何か最終的な事を言われたのだろう。

「もう、ゆたかちゃんをあきらめるの? 」
 嗚咽がおさまるのを待って尋ねたが、みなみちゃんは何も答えなかった。

 知多半島の沿岸を30分ほど北上すると河和港がみえてくる。
 みゆきは慎重に船を操り、高速船の乗り場にほど近い場所にある桟橋に接岸した。


 港から10分ほど歩くと、待ち合わせ場所となっている河和駅が見えてくる。
 やや古びた駅舎に入ると、赤色の塗装を施した列車が静かに停まっていた。
 私はベンチに腰掛けながら、腕時計を見つめた。約束の時間までには少し間がある。
「もう少しですね…… 」
 隣に座るみゆきが話しかけてきた。
「そうね」
 こなたと会う時間が近づくにつれ、鼓動が速まり、喉がカラカラに乾く。
 私は、ポケットから白いハンカチを取り出して、無意味に開いては折りたたむ。
 こなたは私をどんな目でみつめるだろうか?
 少なくとも、旧友に対する穏やかな視線はないはずだ。
 軽蔑という成分が含まれている瞳を向けられることに、私は果たして耐えきれるだろうか?

「かがみさん。少し…… 落ち着いてください」
「ごめん。みゆき」
 私は謝って、くしゃくしゃになってしまったハンカチを仕舞った。
 どういう結末を迎えるにしろ、まずは会って、話をしてからだ。

 間もなく、列車が到着いたします。
 スピーカーからアナウンスが降り注くと間もなく、電車がホームにゆっくりと滑りこんでくる。
「こなた、乗っているかしら? 」
「どうでしょう? 」
 みゆきは、微かに首をかしげた。
 私達3人の視線が集まる中、赤い塗装が施された列車は停まり、自動ドアが開く。
 十数人の乗客がぱらぱらと降りてくる。そして――

 最後尾の車両から、蒼く長い髪をなびかせた少女が、ゆっくりと姿をあらわした。


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Escape 第9話へ続く




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  • 愛知県だったのかぁ。それにしてもゆーちゃんはどうなっちゃうのかな、かな
    。かがみがだんだん壊れていくのがわかるね。また素晴らしいお話期待し
    てますよ。
    -- 九重龍太 (2008-06-08 18:29:03)

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