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『4seasons』 冬/きれいな感情(第七話)

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『4seasons』 冬/きれいな感情(第六話)より続く
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

§11

「ほんっとすげーんだぜちびっ子。ふわって身体が浮いたかと思うと、もう横になってんだっ」
「はいはい、よかったねみさちゃん」
「おうっ。ってかあれどーやんだ? 今度私にも教えろよー」
「いやいや、そんなすぐには無理だから。ってかあれ実は秘伝なのだよ」
「ひ、秘伝! それってあれか、髭のじいちゃんが持ってくる巻物に書いてあんだよな! すげー!」
「ぷぇっ、そんなわけないじゃん。みさきち、漫画とかアニメの見過ぎー」
「お前が云うなお前が!」
 思わず私は突っ込んで、そうしてこなたが嬉しそうな顔をする。
 いつも通りのやりとり、いつも通りの下校風景。
 バス亭へと向かいながら、私たちは表面上いつもとなにも変わらないやりとりを繰り広げていた。
 みさおが空気が読めないやつで助かった。心の底からそう思う。
 格闘技のことでやたらと絡んではすげーすげーと連発するみさおのことを、こなたも最初のうちは鬱陶しがっていた。けれどなんだかんだ云って本人も満更でもないらしく、気がついたらこなたも楽しそうに応じているのだった。
「――今日もかがみさんのお宅にお邪魔しましょうか?」
 小声でみゆきが囁いた。
 丁度よくみさおとあやのがこなたの相手をしてくれていて、私とつかさとみゆきで固まることができていた。その点もみさおに感謝したいところなのだった。
「……ううん、必要ないと思う。またすぐ明日会うでしょ?」
「それはそうなのですが……」
「お姉ちゃん、何か考えがあるの?」
「考えってほどのことでもないけど、帰ったらこなたの家に行ってみようかって思ってるのよ」
「そうですか、ではかがみさんにお任せします。……でも、後で必ず電話下さいね」
「うん、勿論」
 私はうなずいて、ちらりとこなたたちの方に視線を向ける。こちらにはまるで注目していない様子で、なぜかこなたとみさおはプロレスみたいに手と手を組んで押し合っていた。
「――こんな時期で、ある意味よかったのかもしれませんね」
 そんな二人を眺めながら、みゆきがぽつりと呟いた。
「え?」
「受験目前ですし、休み明けには今日の出来事も風化してしまっているでしょうから」
「――そうね」
 進学校である陵桜の生徒たちのこと、自分の受験のことで精一杯で、同学年の誰かが誰かと喧嘩したなんてことは皆すぐに忘れてしまうだろう。
「ねっ、せめてさ。明日は楽しいクリスマスにしようね。色んな事があっても、楽しく笑えたらきっと大丈夫なはずだよ!」
 私たちの手を取って、つかさはにっこりと笑った。
 私もみゆきも、その瞬間虚を突かれたようにはっと息を飲んだ。
 そうしてつかさを見つめるみゆきの表情は、いつも通りのぽやんとした物に変わっていく。そのときになって初めて、私はみゆきが近頃ずっと緊張していたことに気がついた。
「……そうですね。本当に、そうですね」
「ふふ、あんたのケーキ、すっごく期待してるからね」
「うん、がんばるよ~」
 つかさが気合いを入れるように拳を握りしめたとき、後ろからこなたが叫ぶ声が聞こえてきた。
「あー、バス、バス! バスきちゃってるよ!」
 みると、いま正に曲がり角を曲がってバスがやってくるところだった。
「あ、やばっ、急ごう」
 そう云って、私たちは駆け出した。
 走り出すと、冷たい風が顔に当たって身を切られるような寒さを感じる。体操着や上履きで膨らんだ荷物に難儀しながら、私たちは懸命に走った。
 びゅん。と後ろからつむじ風のような勢いで追い越していくのは、こなたとみさおの二人だった。
「わ、わー、ふたりとも、はやーい」
 見る間に私たちを引き離して、二人はぐんぐんと加速していく。
 けれどさすがに本職とは比ぶべくもなくて、こなたもすぐにみさおから引き離されてしまった。「ぬおー」なんて、こなたが叫ぶ声が聞こえてくる。何をむきになっているんだあいつは。ちらとそんなことを思ったけれど、私はなんとなくその理由がわかる気がしていた。
 青い長髪が風にたなびいて、こなたの背中で踊っている。小さな身体を懸命に動かして、前に前に進んでいく。
 目的がただのバス亭であることなんて、きっと関係がない。
 スポーツ推薦が決まっているみさおに勝てるわけがないことなんて、全然関係がない。
 そんなこなたを突き動かしている感情は。
 そんなこなたを見て私の胸にわき上がる感情は。
 きっと今の私たちだけが感じられる何かだろうと、私は思った。
 荒い息を吐きながら、みゆきに遅れてバスのステップに足をかける。みさおは胸を張って勝ち誇り、こなたの頭を押さえつけながらニヤニヤと笑っていた。つかさとあやのが手を取り合いながら駆けてきて、やっと全員がバスに乗り込むことができた。

 そんな私たちを見て、初老の運転手さんが眩しそうに笑っているのだった。


§12

 窓の外で、ツグミが飛んでいた。
 群れをなす鳥たちは、あの日死んでいた一羽のツグミなど素知らぬ風でただ空を飛んでいる。
 そう、あのツグミは死んでしまったけれど。失われたものを取り返すことはもうできないけれど。
 鳥たちは、また春になれば故郷に帰り、巣作りをして新たな子を産んで、来年の冬には再びここに戻ってくる。
 きっとそういうものなのだろうと思う。そういうサイクルの中、私たちは生きているのだろうと思う。
 持ち物を確認して部屋を出ようとしたそのとき、ケータイが鳴って私に着信を知らせた。みると、みさおからの電話がかかっていた。
「おーっす、どうしたのよ」
『うぃー。いや、どうしたじゃねーだろ』
「うん?」
『ちびっ子のことだよ。それこそどうしたんだよ。あいつ、いくら頭に血が昇っても他人に暴力ふるうような奴じゃねぇだろ。このごろずっとおかしかったじゃんか、何があったんだ』
 その指摘に、思わずケータイを取り落としそうになる。
 ――こいつ、気づいていたのか。
 頭が真っ白になって、咄嗟には言葉がでてこなかった。
 そう考えると、私が“空気を読めない発言”だと思っていたあれこれも、まるで違った意味を帯びてくる。
 投げ技にひたすら関心してみせたり、運動神経を褒め称えたり、駆けっこで完勝して勝ち誇ったりしたことも、こなたが感じているはずの罪悪感を少しでも軽減しようとしてのことだったのかもしれない。
 実際、始めのうちは沈みがちだったこなたも、みさおと話しているうちに段々といつもの元気を取り戻していたのだ。
 みさおもみさおなりに、精一杯こなたのことを元気づけようとしていたのだろう。何にも気づかないふりをして、さりげなく周りを気遣って、どこまでも明るく振る舞って。
 ――それを私は、ただ無邪気に『みさおは元気だな』なんて受け止めていた。
「すまんっ!」
 恥ずかしさに、顔が熱くなっていく。みさおの思いに気づかなかった自分が情けなくて、頭を下げて謝った。こなたがみていたら、また電話でジェスチャーをしても伝わらないだのなんだのと云ってくるだろうけれど、それが伝わるかどうかは問題ではない。ただ自分の気持ちの表れなのだ。
『おお? なんでかがみが謝ってんだ?』
「いや、あんたが気づいてるとは思ってなかったのよ。マジですまん。あんたのことちょっと軽くみてたのかもしれない」
『おーおー、かがみもやっと気づいたか。な? 私ってば気遣いできるやつだろ? ニヘヘ、でも私に惚れちゃだめだぜー』
「云ってろよ。ってか調子にのんな!」
『ちぇっ、デレは一瞬でやんの』
「あんたはこなたかよ。……ねぇ、事情、説明した方がいい?」
『うーん、もしかして込み入ってんのか? なんか理由があって私たちには云いづらいとか』
 ――みさおは、もう大人だ。
 私はいつまでも中学校時代のみさおのことを引きずっていて、いつまでたっても子供みたいなやつだなんて思っていたけれど。私やつかさが少しずつ成長していったように、こいつだってもう高校三年生なのだ、成長しているに決まっている。
 ――云った方が良いのだろうか。私の事情を。
 みさおとあやのに伝えていなかったのは、何も蚊帳の外に置こうとしていたわけじゃない。みさおは他人に隠し事ができる人間じゃないと思っていたから、云わなかっただけなのだ。あやのには伝えられるとしても、あやのだってみさおに隠し事をするのは辛いだろう。
「込み入ってはいるし、理由があって云いづらいのもその通りだけど。あんたが自分の胸にしまっておけるなら説明するわよ」
『うへぇ。そんな重い話なん? うーん、性格的に私は隠し事できねっからなぁ……。いつか云えるようになったら教えてくれ』
「――そっか、わかった」
『とにかくさ、私だって普段のだらだらしたあいつのこと、結構好きなんだぜ。だから、頼むかんな』
 そう云って、みさおは電話を切った。
 私は、沈黙したケータイを眺めながらため息をつく。改めて人という存在の凄さを思い知った気がしていた。その人が普段見せている表情なんて氷山の一角のようなもので、一人一人がその奥に深い思いを抱き、一人一人が別の人生を送っているのだ。
 その不思議さに、少しだけ眩暈がした。

 ※     ※     ※

 つかさが焼いてくれたクッキーを持って、自転車を漕ぐ。
 もう通い慣れた道だ。目を瞑ってでも辿り着ける道だ。
 けれど行き交う人々は、みなどこかそれまでと違って見えていた。一人一人が背景ではなく、風景でもなく、皆私と同じように色々な思いを抱きながら生きている人間なのだと、そう思うようになっていた。
 曲がり角を曲がれば、泉家はもうすぐそこ。それは曇天を背景に少しだけ懐かしい佇まいで聳えている三階建ての建物だ。その中にこなたがいる。その中にこなたの十八年がつまっている。
 立ち並ぶ家並の中、こなたが住むその建物は私にとってどこまでも特別な物に感じられていた。
「――いらっしゃい」
「おーっすっ」
 なんだか不思議そうな顔をしているこなたに、私はいつも通りの挨拶をする。玄関に現れたこなたは、珍しく普通の格好をしていた。ファーのポンポンがついた生成のセーターに、フェミニンなギャザーフレアスカート。そこから覗く足をオフホワイトのカラータイツが覆っていて、まるでお姫様みたいに可愛らしかった。
 いつもこなたはパジャマに丹前のずぼらモードですごしているのに、一体どういう風の吹き回しなのだろう。
「どうしたのよそんな格好しちゃって。どこか出かけてたの?」
「別に。ただ着合わせてみただけだよ」
 なぜか不機嫌そうにそう云って、ぷいと先に部屋に戻ってしまうこなただった。
「あ、ちょっと待ってよ」
 慌ててブーツを脱いでいると、部屋の中から「勝手に上がってきてよー」と声がした。
 なんなんだ一体。そんなことを思いながら部屋に入ると、後ろを向いて椅子にまたがったこなたが、くるくると回転椅子を回して遊んでいた。机の上には参考書やノートが広がっていて、ちゃんとさっきまで勉強していたようだった。
「――あのさ、こなた」
「んー?」
「頼むから、スカートで足広げないでくれ」
「えー。いいじゃん減るもんじゃないし」
「いや、減るだろ。せっかく可愛いコーデなのに、隙だらけじゃ魅力半減だわよ」
「んー、そういうもんかな」
 そう云ってこなたはまたがっていた足を上げ、正面座りになってくるりとこちらに向き直った。
「可愛い格好は好きだけど。見せちゃいけないとか、おしとやかじゃないといけないとか、面倒くさいから嫌い」
「面倒くさいってなあ……。あんたは本当昔から恥じらいってものがないわよね」
 そんなことを云いながら、私はバッグから勉強道具を取り出して座卓に拡げていった。
「だってそういうのよくわかんないんだもん」
 こなたはそう答えて、私がすることを興味深そうに眺めていた。
「あ、つかさがクッキー焼いてくれたから一緒に食べよう」
「あ、うん。じゃお茶淹れるけど……かがみ?」
「ん?」
「いや、何しにきたの?」
「云わなかったっけ?」
「聞いたけど、よくわかんなかった」
「勉強会に来たんじゃないの」
「わたしとかがみ二人だけで?」
「……変かな?」
 こたなはしばらく宙を見上げながら何事か考えている風で、しばらくしてぼそりと口を開いた。
「や、別にそんな変でもない、のかな?」
「だろう?」
「うん。なんか釈然としないけど……」
 ――お茶淹れてくるね。
 そう云って、こなたは部屋を出て行った。タンタンと階段を昇る跫音が聞こえてくる。この家のキッチンは二階にあるのだ。
 取り残された部屋で一人、私はなんとなく周囲を見渡した。壁紙の色、家具の配置、集められた漫画やフィギュア。そういったものの全てにこなたの思いが詰まっている気がした。こなたが考えた結果この部屋のあれこれはできあがっていて、ならばここはこなたの心の中そのものだ。
 ベッドの脇、机との間に前は見かけなかったカラーボックスが置かれていて、入りきらなかった本やCDが周囲にまで溢れている。ああ、あそこが前に云っていた未読用本棚か、確かに山のようになってるな。私はそう思って、一週間ほど前の楽しかったあの日を思い出していた。
「おまたせ」
 カチャリとドアを開けて、紅茶セットを載せたお盆を持ったこなたが戻ってくる。
 お礼を云って、がさごそとクッキーの袋を開けて小皿に取り分けて。さあ始めるかと云うときにこなたが云った。
「わたし、こっちでもいい?」
 さっきまで勉強をしていたのだろう、机の方を指して云った。
「ああ、いいんじゃない。わざわざ動かすこともないだろうし」
 そんなこんなで、二人で別々に勉強を進めていく、奇妙な勉強会が始まった。

 さらさらと流れるシャーペンの音。ぎしと鳴る椅子の背もたれ。ぶつぶつと呟く声。頭を抱えながら発するうなり声。
 古今東西受験生が勉強中立てる音なんてそのようなもので。私とこなたもそれぞれそんな音を立てながら、穏やかな時間が流れていく。
 こなたもちゃんと身を入れているようで、小さな背中が手の動きに合わせて小刻みに揺れている。なんだかそれが可愛くて、なんとなく顔を上げてその様子が眼に入ると、私はつい微笑を浮かべてしまうのだ。
 何かつまらないミスでもしたのだろう。小声で「あー」と呟いてがしがしと頭を掻くこなたのことを、頬杖を突きながら眺めていた。と、ちらりと振り返ったこなたと眼があった。私が見ていることに気がつくと、こなたは面食らったように驚いて、そうして頬を紅く染め上げた。
「な、なんで見てんのさ」
「別に。たまたま目に入っちゃっただけよ」
「じゃ、なんでそんなニヤニヤしてんの?」
「いやー、あんたって何か変な小動物みたいで面白いわよね」
「あれ? もしかしてわたし、かがみに弄られてる?」
「たまにはそういうのもいいでしょ」
「よくないよ。調子くるうなあ」
 そう云って、ふて腐れたみたいな態度で机の上の参考書を取り上げてこっちに来ると、どすんと乱暴な動作で座りながら座卓の上にそれを拡げだした。
「ね、ここよくわかんないんだけど」
「マグナ・カルタ?」
「そそ、法の支配だか法治主義だかの礎になったみたいな話だけど、その二つの違いがよくわかんない」
「んー。法治主義っていったらローマ法がもとになった大陸法のことで、法律の内容は問わずにただ法に触れたからという理由で捌いていく主義で、法の支配は英米法の理念にある“正しい”法を追求していく考え方のことよ」
「……わかんない。ってか法治主義って悪いことなの?」
「や、良い悪いじゃないだろ。ただ形式的に適用されるから、不当に市民の自由を制限できる可能性が出てくるわね」
「ええ? じゃ、法治主義の日本は駄目ってことじゃん」
「だから、駄目とか駄目じゃないの話じゃないのよ。そりゃ私はマイノリティを平気でスポイルできる形式的法治主義は否定するけど、それが絶対的にいいことだなんて思わん。ってか日本国憲法は法の支配を理念にしてるぞ?」
「うそー。日本って法治主義の法治国家なんじゃないの?」
「形式的法治主義と実質的法治主義は違う」
 私がそう云うと、こなたの中で何かが切れたようで、突然立ち上がって叫びだした。
「なんで違うのさ! 実質的法治主義ってもう法の支配と同じなんじゃん、なんで名前違うの!」
「私に切れんな! 成立過程が違っていれば呼び方も違うもんだろ。いいから座ってろ」
「もー。大体さ、このジョン欠地王ってのが悪いよね。もっと強気で出ればマグナ・カルタなんて突きつけられなかったんじゃないの?」
「それはそれで、今の社会がもっと不自由だったかもしれないだろ。ってかあんたは覚えたくなくて適当云ってるだけでしょうが」
「ばれたか」
 ぺろりと舌を出してから、こなたは言葉を継いでいく。
「まあ実際、ヘタレキャラの存在も重要なんだよねー。欠地王なんてかなりいいキャラ立ちしてるもん」
「あんたはまたそんな見方かよ。まあでも、そんなんでも覚えられるならいいかもしれないわね」
「うむう。エドワード黒太子とか、CVは絶対小野大輔だよね。ナルキャラ、ナルキャラ」
「しらんわ」
「獅子心王とか笑っちゃうくらい格好よすぎじゃん。あんたはどこのカシュー陛下だってーの。っていうかさ、このあだ名つけたの絶対わたしたちの同類だよね。ライオン・ハーテッドとかありえない」
「……そうかもな」
「カップリングはリチャード×サラディンで決まりだよね。敵味方に分かれた禁断の恋。お互いの信仰が二人を引き裂くのだー」
「はいはい」
「で、フィリップ二世オーギュストがリチャードに岡惚れしてんの。こいつは絶対ツンデレ」
「いいけど、頼むからそれは答案に書かないでくれ」
 ――実際、獅子心王と呼ばれたリチャード一世は同性愛者と噂され、フィリップ二世との関係も疑われていたのだ。
 そんなこと、気軽に云ってしまってもよかったのかもしれないけれど、なぜだか私はそれを云い出せずに飲み込んだ。気楽にネタにできるほど、私にとって同性愛は縁遠い物ではなかったのだ。
 そうしてふと、部屋に沈黙が訪れた。こなたはそのまま座卓の前に座って参考書に目を落としていた。パラリとページをめくる音が聞こえてくる。しばらくして、思い出したようにこなたがぽつりと云った。
「――聞かないの?」
「……何をよ」
「今日のこととか、こないだ太宮行った時のこととか、色々だよ」
 こなたは顔を伏せたままだった。だから、こなたがどういう表情をしているか、私にはわからない。
「聞いたら、教えてくれるの?」
 ゆっくりと穏やかに、できる限り優しく聞こえるように、私はこなたに問いかけた。参考書に眼を落としたまま、こなたは動きを止めている。文章を読んでいるふりをしているけれど、その実文字なんて目に入っていないことは明白だ。
 たっぷり十秒ほど沈黙してから、こなたも小さい声で返事をした。
「――云えないよ」
「それじゃ、私も聞かない。教えてくれないことには理由があるんでしょ」
 私も、つかさも、みゆきも。別にこなたが隠している事情を知りたいわけじゃない。ただこなたにいつも通り心からの笑顔を浮かべていて欲しいだけなのだ。
「そうだけど、それでいいの? それ聞きにきたんじゃないの?」
「違うわよ。久しぶりにあんたと二人で勉強するのもどうかなって。最初に云ったじゃないの」
 あるいはゆたかちゃんやそうじろうさんなど、こなたの家族や親戚ならなんらかの事情を知っているかもしれない。けれどこなたが隠していることを他の人に教えてもらっても意味がない。それでこなたの問題が解決するとは到底思えず、それどころか勝手に事情を詮索することで、こなたを傷つけることになるかもしれない。私たちはそう思っていたのだった。
「――い、云ったけど……よくそんな恥ずかしいこと云えるね、かがみの癖に……」
「特に恥ずかしいとは思わんが。ってか私の癖にってどういう意味だ」
 ――別に。
 そう云って、ぷいっと横を向くこなただった。
 ふて腐れたような態度はしていたけれど。
 その後、こなたは私の正面に座ったまま、二度と自分の机に戻ることはなかった。

「ああ、もうこんな時間か」
 ふと時計を見上げれば、もう夕食も近い時間になっていた。
 なんだかんだでこなたはあれこれとわからないところを聞いてきた。なんでこんなところがと思うところもあったけれど、答え辛い質問、私も完全には理解できていない部分の質問なんかもあって、答える私にとってもいい勉強になったと思う。
「よかったらごはん食べてく?」
 座卓の上にぐでんと寝そべって、こなたは上目遣いで私を見る。
「いや、さすがに急には悪いわよ。家にも遅くなるって云ってないから用意してるだろうし」
「そっか、まあ、そうだよねー」
 ――その台詞がどこか淋しそうに聞こえたのは、私の思い上がりだろうか。こなたの後ろ姿を眺めてそう思う。
 こなたはティーカップとお皿を纏めると、お盆に乗せて部屋を出て行った。
 渡そうかどうしようか迷っていたけれど、ここまで来たら渡してしまおう。そう思って鞄からプレゼント用の紙袋に包まれたそれを取り出したところで、こなたが部屋に戻って来た。
「ん、どったのそれ?」
「いや……」
 恥ずかしくて、顔に血が昇っていくのを感じていた。これを編んでいる最中、私はこなたのことばかり考えていた。編み棒を動かす度にこなたの声を思い出し、編み目を作る度にこなたの笑顔が思い浮かんだ。そんな私の想いが宿っているような気がして、つい差し出すことにためらいを感じてしまう。けれど、そう思うからこそみんなの前では渡しづらいなと思って、今日これだけを持ってきたのだ。
「おおお、なになに? なに一人でデレてんの?」
「う、うっさい!」
 途端にあのニヤニヤ笑いを浮かべ出して、ここぞとばかりに近寄ってきて脇腹をつんつんとつつき始めるこなただった。
「やめんか、もう……。はいこれ、ちょっと早いけど上げるわよ」
「おお? あ、クリスマスプレゼント? なんで?」
「なんでもないわよ。ってか恥ずかしいから後でこっそり開けてよね」
「それって、今開けろっていう意味?」
 いっそ憎たらしいほどに笑み崩れた顔で、こなたはとんでもないことを云い出した。
「ちょ、まっ、なんでよ!」
「いやー、押すな押すなは押せっていう意味でしょ、芸人的に」
「私は芸人じゃないわよ!」
「じゃ、ツンデレ的に?」
「どこでそんなコンセンサスが定まってんのよ!」
 ――ビッグサイトかな? なんてことをのたまって、こなたは鼻歌交じりにシールをペリリとはがし始めた。私はもう自分のこんな顔をみられたくなくて、さっきまで座っていたクッションを頭に被って床にはいつくばる。けれど冷静に考えたらこんなものの下に隠れられるわけがない。そんなこともわからないほど、私は慌てていたのだった。
「こ、こりは……」
 意外な物を見た、というような沈黙の後、一転穏やかな口調になってこなたは云った。
「これ、手編みだよね?」
「そうよ、悪かったわね既製品より荒くて!」
「んーん、一瞬わかんなかったよ。でもタグみたいなのが全然ついてなかったから手編みかなって」
「そ、そう?」
 思ったより弄ってこないな。そう思って顔を上げると、こなたはなんだか優しそうな表情をしている。
「ありがと、嬉しいよ」
 そう云ってふわりと笑ったその顔は、私が今までみたことがないような表情で。こんなときにそんな顔をするこなたのことを、私は卑怯だと思った。
「べ、別にそんなに気合い入れてたわけじゃないんだからね。ただ勉強の合間の気晴らしに少しずつやってたって云うか」
 だから私は、思わず憎まれ口を叩いてしまうのだ。けれどそんな私の言葉を聞いて、こなたは肩をぷるぷると震わせ始めた。そうして我慢ができなくなったように突然ぷーと吹き出すと、けたけたと笑い出したのだった。
「あ、あははははは! か、かがみそれ、それなんてツンデレ? テ、テンプレすぎる、あははははは!」
 爆笑するこなたを前にして、私は恥ずかしさの余り何も云うことができなくなっていた。ただ口をぱくぱくと開けては閉め、開けては閉めるのを繰りかえす。こなたは脱力して立っていられなくなったようで、床に転がってひーひー云いながら足をぱたぱたさせている。
 頭に血が昇って、どんどん顔が熱くなっていくのを感じている。今の私の頬は、きっとこれ以上なく赤くなっていることだろう。口を開いても、出てくるのはあうあうという間抜けな音ばかり。いたたまれなくなった私は、頭を沸騰させたまま荷物をひっつかんで云い放った。
「も、もう帰るっ!! また明日!」
「あ、あはははは、気をつけて、あはははは、お、お腹痛い」
 まだ笑い転げているこなたを部屋に残して泉家を出た。
 かっかと火照った身体に冬の風が寒くって、ぶるると身体が震え出す。空ではすでに夕陽が宵闇に駆逐されかけていて、地平線にオレンジ色の残滓が残るだけになっていた。冬至が過ぎたばかりで、今は一番夜が長い時期なのだと思い出す。
 寒さに縮こまりながら裏手に回り、自転車を出してこぎ出した。
 まだ頬には火照りが残っている。
 けれどペダルを踏む度冷たい空気が身体に当たって、風はそんな火照りを冷ましながら後方に吹き流れていく。
 やがて沸騰した頭が完全に冷めきると、その後に残った物はきらきらと光る宝石のような何かだった。
 ――ふふ。
 思わず、口元に笑みが浮かぶ。
 あの時のこなたの表情、大口を開けてひたすらに笑い転げる様子、笑いすぎて目尻に浮かんだ涙、ひるがえった青い長髪。
 思い出すと、また少し頬が熱くなる。冬の夜風であっても、こんな想いを冷ますことなんてできやしない。
 なんだかペダルを踏む足が軽かった。
 羽根が生えたように、身体が軽かった。
 戻ったらつかさに話して、みゆきに電話して、そして――。
 明日の準備をしよう。クリスマス会の準備をしよう。
 ――楽しくなる。きっときっと楽しくなる。

 そのとき私は。

 両手を拡げたら、空も飛べそうな気がしていた。

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『4seasons』 冬/きれいな感情(第八話)へ続く



















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  • 原作だとこなたの方が走るの早そうだけど -- 名無しさん (2017-05-11 05:02:49)
  • いやー恋って本ッッッ当にいいものですね -- 名無しさん (2008-07-04 06:19:39)
  • かがみー!こなたがデレてるのに気付けー! -- 名無しさん (2008-06-30 01:37:57)
  • もう 「らき☆すた」はコレで良いじゃない -- 名無しさん (2008-06-28 08:52:34)
  • 映画化を激しく希望する。 -- 名無しさん (2008-06-27 18:11:52)
  • すごく綺麗……こんな二人をいつまでも見たいwww -- 名無しさん (2008-06-27 17:36:05)
  • もう、めっさたのしい!
    -- 名無しさん (2008-06-27 11:36:57)
  • これだけ誰かを愛せたなら、明日死んでもあまり後悔しないかも。
    いや、冗談抜きで。 -- 名無しさん (2008-06-27 02:39:03)
  • なんでだろう…
    涙が出てくる。

    心から、あなたの作品が好きです。 -- 名無しさん (2008-06-27 02:36:07)

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