ゆたか、少し日焼けしたかな……。
一心不乱に夏休みの数学の宿題を解く横顔に感じた、微妙な違和感。それは例えば、オーケストラの第二ヴァイオリンの中の一台が、うっかり半音ズレた音符を奏でてしまったとでも言うべき、専門家でもなければ気付かないような小さな相違。でもみなみの心のフィルターは、それが素知らぬ顔で通り抜けることを許さなかった。あるいはひよりなら、これを以てみなみを「ゆたか専門家」にでも認定するだろうか。
「みなみちゃん?」
視線に気付き、ゆたかがみなみの顔を見る。
「もう終わった?」
「ううん、まだ……」
かすかに顔を赤らめ、みなみはノートに目を落とす。
「わたしはまだまだ」
それさえも守ってあげたくなる愛らしい苦笑。みなみは一瞬だけ顔を上げ、すぐにノートに戻した。顔の赤さだけ増して。そのことを誤魔化すように、みなみは問う。
「ゆたか、少し日に焼けたね……」
時は夏休み。会うのは二週間ぶり。だが時の隔たりも変化の小ささも、みなみには意味を成さなかった。
「みなみちゃんには分かっちゃった?」
ゆたかは、気付いてもらえたことがとても嬉しそうだ。
「おじさんやこなたおねえちゃんには、何とも言われてないんだよ」
「夏はそれが自然だから……」
なんて近親者の鈍さをフォローしてみるが、みなみの心は別のところにあった。
日に焼けたということは、外出したということだ。
「日差しに、気をつけて……」
埼玉といえば、日本一暑い土地ということが科学的―あるいは統計的―に認められてしまった土地である。ただでさえ人一倍……いや、人三倍くらい体の弱いゆたかである。気にかけるなという方が無理な相談だ。
「大丈夫、ちょっとお庭に出るだけだから」
「そう……」
殊ゆたかに関して心配性なみなみは、だからこそと思う。そうじろうやこなたが不在の時だってあるだろう。
「水分だけじゃなくて、体温もちゃんと落とすように……ね」
みゆきが言っていた。
砂漠がある国では、砂漠での遭難者が救助された場合、まず体温を落とす治療を行うのだという。
また、苦笑しながらこうも言っていた。
「みなみちゃん?」
視線に気付き、ゆたかがみなみの顔を見る。
「もう終わった?」
「ううん、まだ……」
かすかに顔を赤らめ、みなみはノートに目を落とす。
「わたしはまだまだ」
それさえも守ってあげたくなる愛らしい苦笑。みなみは一瞬だけ顔を上げ、すぐにノートに戻した。顔の赤さだけ増して。そのことを誤魔化すように、みなみは問う。
「ゆたか、少し日に焼けたね……」
時は夏休み。会うのは二週間ぶり。だが時の隔たりも変化の小ささも、みなみには意味を成さなかった。
「みなみちゃんには分かっちゃった?」
ゆたかは、気付いてもらえたことがとても嬉しそうだ。
「おじさんやこなたおねえちゃんには、何とも言われてないんだよ」
「夏はそれが自然だから……」
なんて近親者の鈍さをフォローしてみるが、みなみの心は別のところにあった。
日に焼けたということは、外出したということだ。
「日差しに、気をつけて……」
埼玉といえば、日本一暑い土地ということが科学的―あるいは統計的―に認められてしまった土地である。ただでさえ人一倍……いや、人三倍くらい体の弱いゆたかである。気にかけるなという方が無理な相談だ。
「大丈夫、ちょっとお庭に出るだけだから」
「そう……」
殊ゆたかに関して心配性なみなみは、だからこそと思う。そうじろうやこなたが不在の時だってあるだろう。
「水分だけじゃなくて、体温もちゃんと落とすように……ね」
みゆきが言っていた。
砂漠がある国では、砂漠での遭難者が救助された場合、まず体温を落とす治療を行うのだという。
また、苦笑しながらこうも言っていた。
「埼玉の昼間は確かに暑いですが、熱帯夜になることはあまりないそうです。昼間が辛い分、夜は過ごしやすいのですが、昼間を埼玉の学校で過ごし、夜を熱帯夜の東京で迎える私たちは、ちょっとした苦行か我慢大会に挑んでいるとも言えるかもしれませんね」
それに対して、みなみはこういう感想を持った。
昼暑く夜冷えるというのは、砂漠と同じではないか。
そして、思考が行き着く先は結局ゆたかである。この埼玉砂漠で遭難したら、一体誰が助けるのか?
「うん、気をつけるよ」
ゆたかが笑う。それはみなみだけに向ける、みなみの優しさを噛み締めた時の顔。
「……」
冷房の効いた室内だというのに、みなみの体温は否応なしに上昇する。倒れたらゆたかが介抱してくれるかな……。
「それにしてもすごいね、みなみちゃん」
ゆたかは、純粋な感嘆の表情を向けてくる。
「うん?」
「お姉ちゃんやおじさんも気付かない事、よく分かったね」
「……」
体温がまた上がる。まだ上がる。
「鵜の目鷹の目って言うけど、みなみちゃん本当に鷹みたいだね」
みなみを動物に例えると鷹になるのだという。
「そこまですごくないよ……」
たじろぐ様に答えて、無理矢理数学の宿題を再開する。
昼暑く夜冷えるというのは、砂漠と同じではないか。
そして、思考が行き着く先は結局ゆたかである。この埼玉砂漠で遭難したら、一体誰が助けるのか?
「うん、気をつけるよ」
ゆたかが笑う。それはみなみだけに向ける、みなみの優しさを噛み締めた時の顔。
「……」
冷房の効いた室内だというのに、みなみの体温は否応なしに上昇する。倒れたらゆたかが介抱してくれるかな……。
「それにしてもすごいね、みなみちゃん」
ゆたかは、純粋な感嘆の表情を向けてくる。
「うん?」
「お姉ちゃんやおじさんも気付かない事、よく分かったね」
「……」
体温がまた上がる。まだ上がる。
「鵜の目鷹の目って言うけど、みなみちゃん本当に鷹みたいだね」
みなみを動物に例えると鷹になるのだという。
「そこまですごくないよ……」
たじろぐ様に答えて、無理矢理数学の宿題を再開する。
言えるはずがない。
ゆたかに見とれていたから気付いたなどとは……。
ゆたかに見とれていたから気付いたなどとは……。
宿題を完膚なきにまで片付けたのは、大まかな予定よりも少し後だった。
夏休みの学生ならではの苦行から解放されると、二人はみなみが土産に持ってきたアイスを冷凍庫から持ってきて食べた。少しずつ交換したりもしながら。
「さてと」
ゆたかが不意に立ち上がる。……そうか。
「庭に行くの?」
「みなみちゃんも一緒にいこ」
「うん」
つばの広い帽子を手に、みなみの手を引いて外に出る。
思わずゆたかの前に立ちはだかってしまいたくなるような暑さと湿気が、たちまち二人を出迎える。目に痛いほどの日差し。いや、日差しだけでなく夏は色彩の全てが鮮やか過ぎる。まるで昼間に打ち上げた花火のように。
ところで、みなみにはゆたかが庭で何をするか、大体想像がついていた。というより、「庭ででも出来る事」はたくさんあるが、庭でしか出来ないことはあまりない。
「みなみちゃーん、出してー」
みなみが蛇口を捻ると、ゆたかの手にあるホースから、水が飛び出て舞い踊る。庭木に水をやる……それだけのことなのだが、夏の日差しのせいかもしれない。みなみは一瞬、水や植物と戯れる妖精を幻視した。
「ゆたかが係なの?」
水やりが終わり蛇口を逆の方向に捻ってから、みなみが聞く。
「うーん、そうなんだけど……これ」
ゆたかは、自慢げに一本の小さな木を指差した。
「これ……?」
まだ苗木と言ってもいいくらい小さなそれ。色は濃い茶色とも、深い緑とも。細さも相俟って熟しすぎたアスパラガスを連想させたが、葉の形に見覚えがなかった。
「??」
みなみはそれの正体以上に、ゆたかが自慢げなのが解せなくて首を傾げる。
「これ、アボガドなの」
「アボ……?」
みなみがきょとんとすると、ゆたかはさらに自慢げになって説明する。
「先月……あ、もっと前だったかな。サラダにアボガド使ったんだけど、お姉ちゃんが種をきれいに取り出したの。で、庭に埋めてみたらこうやって生えてきたんだ」
「へえ……」
みなみは、好きな果物の種を植えて育てたら……的なことをゆたかが言っていたのを思い出した(4巻045ページ)。
「ゆたか、好きなの? アボ……」
「う~ん、特に好きってわけじゃないんだけど……。でもみなみちゃん、知ってる? アボガドの種って、すごく大きいんだよ」
「うん……」
「桃の種よりも大きくって、種というよりは球根て感じで……」
ゆたかはひとしきり、種について夢中で語った。
みなみはといえば、例によってゆたかに見とれていて、あまり聞いていなかった。いや、それよりも最初に気になった点について指摘しようとしたのだが……。
「ゆたか……」
「なぁに、みなみちゃん?」
「……………………いつか」
「うん」
「もっと大きくなるといいね」
顔を見て、見据えて、言おうとして、やめて……結局出てきた言葉はもう一つの解釈が可能であったが、この場合はもちろんゆたか自身のことではない。
「そうだね」
ゆたかがいつになく楽しそうで、溌剌としていたのだから、全てはそれでいい。
夏休みの学生ならではの苦行から解放されると、二人はみなみが土産に持ってきたアイスを冷凍庫から持ってきて食べた。少しずつ交換したりもしながら。
「さてと」
ゆたかが不意に立ち上がる。……そうか。
「庭に行くの?」
「みなみちゃんも一緒にいこ」
「うん」
つばの広い帽子を手に、みなみの手を引いて外に出る。
思わずゆたかの前に立ちはだかってしまいたくなるような暑さと湿気が、たちまち二人を出迎える。目に痛いほどの日差し。いや、日差しだけでなく夏は色彩の全てが鮮やか過ぎる。まるで昼間に打ち上げた花火のように。
ところで、みなみにはゆたかが庭で何をするか、大体想像がついていた。というより、「庭ででも出来る事」はたくさんあるが、庭でしか出来ないことはあまりない。
「みなみちゃーん、出してー」
みなみが蛇口を捻ると、ゆたかの手にあるホースから、水が飛び出て舞い踊る。庭木に水をやる……それだけのことなのだが、夏の日差しのせいかもしれない。みなみは一瞬、水や植物と戯れる妖精を幻視した。
「ゆたかが係なの?」
水やりが終わり蛇口を逆の方向に捻ってから、みなみが聞く。
「うーん、そうなんだけど……これ」
ゆたかは、自慢げに一本の小さな木を指差した。
「これ……?」
まだ苗木と言ってもいいくらい小さなそれ。色は濃い茶色とも、深い緑とも。細さも相俟って熟しすぎたアスパラガスを連想させたが、葉の形に見覚えがなかった。
「??」
みなみはそれの正体以上に、ゆたかが自慢げなのが解せなくて首を傾げる。
「これ、アボガドなの」
「アボ……?」
みなみがきょとんとすると、ゆたかはさらに自慢げになって説明する。
「先月……あ、もっと前だったかな。サラダにアボガド使ったんだけど、お姉ちゃんが種をきれいに取り出したの。で、庭に埋めてみたらこうやって生えてきたんだ」
「へえ……」
みなみは、好きな果物の種を植えて育てたら……的なことをゆたかが言っていたのを思い出した(4巻045ページ)。
「ゆたか、好きなの? アボ……」
「う~ん、特に好きってわけじゃないんだけど……。でもみなみちゃん、知ってる? アボガドの種って、すごく大きいんだよ」
「うん……」
「桃の種よりも大きくって、種というよりは球根て感じで……」
ゆたかはひとしきり、種について夢中で語った。
みなみはといえば、例によってゆたかに見とれていて、あまり聞いていなかった。いや、それよりも最初に気になった点について指摘しようとしたのだが……。
「ゆたか……」
「なぁに、みなみちゃん?」
「……………………いつか」
「うん」
「もっと大きくなるといいね」
顔を見て、見据えて、言おうとして、やめて……結局出てきた言葉はもう一つの解釈が可能であったが、この場合はもちろんゆたか自身のことではない。
「そうだね」
ゆたかがいつになく楽しそうで、溌剌としていたのだから、全てはそれでいい。
言えるはずがない。
ゆたか、「アボガド」じゃなくて「アボカド」だよ……。
ゆたか、「アボガド」じゃなくて「アボカド」だよ……。
おわり
コメントフォーム
- えっ嘘…アボカドなの…アボガドだと思ってた…
いや、なんにせよ作者さんGJ!! テスト当日だっていうのに30分も見ちまった話が面白すぎる♪
-- オビ下チェックは基本 (2009-07-01 03:06:50) - 綺麗なお話ですねー。夏の日差しの下にいる二人が目に浮かぶようです
-- 名無しさん (2008-07-27 23:26:08) - かわいすぎます。
ええ、かわいすぎます。 -- 名無しさん (2008-07-26 22:39:19) - どっちでもええやないか〜い♪ -- 名無しさん (2008-07-26 08:01:55)