リビングへ行くと、やっぱりこなたがいた。
「あ、おはよー」
「あーおはよー」
適当に返事を返し、俺はいつもの自分の場所に座る。俺はいちいち毎日座る場所を変えたりはしない。周りがどうあろうと
もそれに流されて自分のしたいことを変更するなんて、ケース・バイ・ケースではあるが、あんまりしないほうだと思う。だ
からこなたが隣に座ることになろうとも、俺はいつもの場所に座るのだ。うん。
座ってからちらりと横を見ると、こなたはなんだか幸せそうな顔で、ご飯と味噌汁を口にしている。てか、ホントに食べて
やがる。ウチの母もなんで用意してるのか。こなたちゃんいっぱい食べてね、とかどんだけ?
「みのるのお母さんお料理上手ですね」
「あらそう?」
「この煮物とか味が染みてて」
「昨日の残りでごめんなさいね」
「いえいえ、食べさせて貰って文句なんかー」
母よ、あなたはコイツの外面に騙されている。そうは思っても、それを口に出して告げるほど俺は愚かではないつもりだ。
口は災いの門。注意一秒怪我一生。触らぬ神に祟りなし。君子危うきに近寄らず。女性二人の会話を右から左へ受け流しなが
ら、黙々と俺は朝食を片付ける。
「右から、やってきたー」
「はい?」
「いや、なんでもない」
「そう?」
「そう」
首を傾げながらも、こなたはご飯に戻る。その様子がどこか浮かれているようにも、そして無理してそう振る舞っているよ
うに見えて、俺は小さく嘆息した。そろそろコイツが何を考えてるのか分かるようになりたいもんだ、と少しだけ俺は思った。
いつまでも振り回され続けるのも、結構疲れるもんな。
視線を動かした先で目があった父さんは、小さく肩を竦めて見せた。なんかムカつく仕草だ。
「あ、おはよー」
「あーおはよー」
適当に返事を返し、俺はいつもの自分の場所に座る。俺はいちいち毎日座る場所を変えたりはしない。周りがどうあろうと
もそれに流されて自分のしたいことを変更するなんて、ケース・バイ・ケースではあるが、あんまりしないほうだと思う。だ
からこなたが隣に座ることになろうとも、俺はいつもの場所に座るのだ。うん。
座ってからちらりと横を見ると、こなたはなんだか幸せそうな顔で、ご飯と味噌汁を口にしている。てか、ホントに食べて
やがる。ウチの母もなんで用意してるのか。こなたちゃんいっぱい食べてね、とかどんだけ?
「みのるのお母さんお料理上手ですね」
「あらそう?」
「この煮物とか味が染みてて」
「昨日の残りでごめんなさいね」
「いえいえ、食べさせて貰って文句なんかー」
母よ、あなたはコイツの外面に騙されている。そうは思っても、それを口に出して告げるほど俺は愚かではないつもりだ。
口は災いの門。注意一秒怪我一生。触らぬ神に祟りなし。君子危うきに近寄らず。女性二人の会話を右から左へ受け流しなが
ら、黙々と俺は朝食を片付ける。
「右から、やってきたー」
「はい?」
「いや、なんでもない」
「そう?」
「そう」
首を傾げながらも、こなたはご飯に戻る。その様子がどこか浮かれているようにも、そして無理してそう振る舞っているよ
うに見えて、俺は小さく嘆息した。そろそろコイツが何を考えてるのか分かるようになりたいもんだ、と少しだけ俺は思った。
いつまでも振り回され続けるのも、結構疲れるもんな。
視線を動かした先で目があった父さんは、小さく肩を竦めて見せた。なんかムカつく仕草だ。
昨日に引き続き自転車の二人乗り。自転車を引っ張り出した時点でもうwktkしてるあの顔を見て、止めたと言える人間
がいるなら教えて欲しい。是非会ってその秘訣を教えて貰いたいものだ。
俺がペダルを踏んで自転車が動き出すのと同じタイミングで、こなたの重さが肩に掛かる。
「さあ行こうー」
「漕ぐのは俺だけどな」
「がんばれみのるー」
あんまりがんばる気にならないのは何故だろう。それともかんばっちゃった方がいいのだろうか。少し考えた結果、俺は頑
張らないことに決めた。朝から疲れるし。汗かきたくないし。
駅まで、まっすぐに行けばほんの五分と少しの道のり。慌てずにのんびりと俺はペダルを踏む。
「みのるのさ」
頭の後ろ辺りから、こなたの声が聞こえる。
「ん?」
「お母さんって、いい人だよネ」
「そうか?」
「そうだよ」
「そんなもんか」
「うん、そんなもん」
親がいい人かどうか。俺は少し考えてみる。が、正直考えてもよく分からなかった。親なんているのが当たり前で、それが
良いとか悪いとかいう次元の存在ではないからだ。いつも割と結構うっとおしくて、時々、ほんの時々だけ、感謝をしてもい
いとおもっちゃったりしないこともないかもしれない、そんなものなんじゃないのかと俺は思う。
だから、
「私、お母さんいないから。お母さんってこういう感じなのかなぁ、ってちょっと思ったヨ」
こなたのその言葉に、俺はなんて返して良いのか分からなかった。いきなり投下されたヘヴィな爆弾に、俺は爆風に吹き飛
ばされる哀れな一兵卒でしかあり得なかった。こなたが、それが爆弾だと認識しているかどうかは別にして。こんな時に何も
言えない自分はどれだけ薄っぺらいんだろう、と情けなくなる。
会話が途切れたまま、自転車は駅に近づいていく。
俺は何を言えばいいんだろう。そんな事を考えている。こなたがどんな表情をしているのか分からない。どんな思いでその
言葉を言ったのか分からない。俺は、俺が何を言おうとしているのか分からない。俺はどんなことをこなたに言いたいのか分
からない。
駐輪場の手前で、こなたはスピードを落とした自転車から飛び降りた。俺はそのまま、こなたの顔を見ないで自転車を停め
に行く。駐輪場から出ると、その入り口でこなたは待っていた。いつもと同じ顔だった。俺を見て、いつもと同じように、笑う。
「さ、電車来ちゃうから行こうよ」
ああ、と俺は吐息のような返事を返した。
がいるなら教えて欲しい。是非会ってその秘訣を教えて貰いたいものだ。
俺がペダルを踏んで自転車が動き出すのと同じタイミングで、こなたの重さが肩に掛かる。
「さあ行こうー」
「漕ぐのは俺だけどな」
「がんばれみのるー」
あんまりがんばる気にならないのは何故だろう。それともかんばっちゃった方がいいのだろうか。少し考えた結果、俺は頑
張らないことに決めた。朝から疲れるし。汗かきたくないし。
駅まで、まっすぐに行けばほんの五分と少しの道のり。慌てずにのんびりと俺はペダルを踏む。
「みのるのさ」
頭の後ろ辺りから、こなたの声が聞こえる。
「ん?」
「お母さんって、いい人だよネ」
「そうか?」
「そうだよ」
「そんなもんか」
「うん、そんなもん」
親がいい人かどうか。俺は少し考えてみる。が、正直考えてもよく分からなかった。親なんているのが当たり前で、それが
良いとか悪いとかいう次元の存在ではないからだ。いつも割と結構うっとおしくて、時々、ほんの時々だけ、感謝をしてもい
いとおもっちゃったりしないこともないかもしれない、そんなものなんじゃないのかと俺は思う。
だから、
「私、お母さんいないから。お母さんってこういう感じなのかなぁ、ってちょっと思ったヨ」
こなたのその言葉に、俺はなんて返して良いのか分からなかった。いきなり投下されたヘヴィな爆弾に、俺は爆風に吹き飛
ばされる哀れな一兵卒でしかあり得なかった。こなたが、それが爆弾だと認識しているかどうかは別にして。こんな時に何も
言えない自分はどれだけ薄っぺらいんだろう、と情けなくなる。
会話が途切れたまま、自転車は駅に近づいていく。
俺は何を言えばいいんだろう。そんな事を考えている。こなたがどんな表情をしているのか分からない。どんな思いでその
言葉を言ったのか分からない。俺は、俺が何を言おうとしているのか分からない。俺はどんなことをこなたに言いたいのか分
からない。
駐輪場の手前で、こなたはスピードを落とした自転車から飛び降りた。俺はそのまま、こなたの顔を見ないで自転車を停め
に行く。駐輪場から出ると、その入り口でこなたは待っていた。いつもと同じ顔だった。俺を見て、いつもと同じように、笑う。
「さ、電車来ちゃうから行こうよ」
ああ、と俺は吐息のような返事を返した。
「なあ白石。個人の趣味にとやかく言う筋合いはないと思うんだが、これだけは言わせてくれ。ロリはいかん。ロリだけはい
かんと思うぞ」
なんだかこのままずるずると習慣になりそうな勢いでこなたと一緒に投稿し、自分のクラス、そして自分の席に着いた俺を
出迎えてくれたのは、前に座る谷口のそんな言葉だった。
「まあ、リアルでロリはまずよな。ていうか犯罪だよな」
「そうだろう。そう思うだろう?」
「二回言うな」
まあ、それは当然だろう。そもそも未成年相手に欲情する奴の気が知れない。要は自分より弱い相手に対して自分の好きな
ように弄びたいだけという歪んだ感情じゃないのか。小さい子は普通に可愛いとは思うけれど、そういう対象にしてしまうと
人間失格だろう、太宰先生に叱ってもらえ。
「いや、太宰先生に叱られるようなことした時点でもう人間失格取り返しつかないとはおもうけどな」
「それもそうか」
太宰先生も結構な人格破綻者らしいしな。というか、その時代の文豪と呼ばれる人間はデフォで人格破綻というスキル持っ
てるみたいだし。人格と作品は関係ないという証か。
「それはそうと、ロリの話なんだが」
「それ蒸し返すのか」
「一応言っといたほうがいいかと思ってな」
何の話だ。そう聞き返した俺に、谷口は周囲を伺うように視線を巡らし、声を潜める。
「オマエと泉のことだよ」
「俺とこなた?」
「そう、それ」
谷口は俺の眼前に指を突きつける。それ国によっては問答無用でしばき倒されても仕方ないジェスチャーだぞ。気をつけろよ。
「そりゃどうも。で、どうなのよ」
「どうってなんだ」
「オマエ、泉とデキてんの?」
さて、どう答えるべきか。というよりは、どこまで話してもいいものか、正直迷う。迷ったときは黙秘で行くか。ぶっちゃ
けそれが、谷口のフラストレーションを溜める意外にはまったく俺に被害が及ばない素晴らしい選択肢じゃないかという気が
する。
そもそも。
根本的な問題として、俺とこなたの関係ってどういうものなのだろう。それが分からない限りは、答えようがないんじゃな
いだろうか。一方的に攻略する宣言をされたまま来ているが、俺はどうなのだろう。
それに答えを出さなければいけない日が、来るんだろうか。
「さあ、どうなのかな」
「状況証拠は満載だぜ?」
「言ってみろ」
「曰く、毎朝一緒に登校している」
「ああ、してるな」
「曰く、既に名前で呼び合う関係になっている」
「ああ、なってるな」
「曰く、自転車で二ケツしていた」
「そんなとこまで見られてたのか」
今朝もそうだったし。てか、ずいぶん二ケツが気に入ったみたいだ。
「曰く、昼休みは文芸部の部室にこもっている」
「ああ、高良さんや柊姉妹も一緒だけどな」
「今俺に芽生えた感情はきっと殺意と呼ばれるものだろう。てか、殺していいか?」
「その質問にイエスと答える馬鹿がどこの世界にいる」
拳にはーはー息を吹きかけている谷口を、俺は温度を下げた視線で見てやる。だいたい、こっちはこっちで事情があるんだ。
羨ましいって言うんなら劇の主役も一緒に抱き合わせて引き取ってくれよ。
「それは嫌だ」
「だろ」
「ま、がんばれよな」
肩を竦めながら、谷口は言う。その言葉とほぼ同時に教室のドアが開いて、黒井先生が出席簿を振りながら教室に入ってく
る。今日のファーストスイングは坪井だった。渋いところついてくるなぁ。
がたがたと音をさせて、ばらばらに立っていたクラスの連中が椅子に座る。朝のホーム。今日も一日がんばろう、と素直に
思える奴がいたらそれはきっと天然記念物だ。
朝はいつだって怠くて眠い。
「それでもさ」谷口は顔だけをこちらに向けて言った。「噂ってのは広がると怖えから、ちゃんと対処しとけよ?」
どんな対処しろって言うんだ。俺にできることがなにかあるのか。文化祭が終わるまでは嫌でも一緒にいなきゃいけないん
だ。それでどうこう言われたところで、俺にいったい何ができる。谷口の背中を少し睨む。しかしながら、コイツは善意で言
ってるんだ、と思ってため息を吐く。
腕を枕にして、目を閉じる。
谷口の言葉の断片が真っ黒な世界でぐるぐると回っている。それを無視しようとして、俺はさらにきつく目を閉じた。
わかってる。
わかってる?
いったい何を分かってるっていうんだ。
俺が俺の何を分かっているんだ。
俺がこなたの、何を分かってるんだ。
一時間目開始のチャイムが鳴るまで、俺はそのままの姿勢で動けずにいた。
かんと思うぞ」
なんだかこのままずるずると習慣になりそうな勢いでこなたと一緒に投稿し、自分のクラス、そして自分の席に着いた俺を
出迎えてくれたのは、前に座る谷口のそんな言葉だった。
「まあ、リアルでロリはまずよな。ていうか犯罪だよな」
「そうだろう。そう思うだろう?」
「二回言うな」
まあ、それは当然だろう。そもそも未成年相手に欲情する奴の気が知れない。要は自分より弱い相手に対して自分の好きな
ように弄びたいだけという歪んだ感情じゃないのか。小さい子は普通に可愛いとは思うけれど、そういう対象にしてしまうと
人間失格だろう、太宰先生に叱ってもらえ。
「いや、太宰先生に叱られるようなことした時点でもう人間失格取り返しつかないとはおもうけどな」
「それもそうか」
太宰先生も結構な人格破綻者らしいしな。というか、その時代の文豪と呼ばれる人間はデフォで人格破綻というスキル持っ
てるみたいだし。人格と作品は関係ないという証か。
「それはそうと、ロリの話なんだが」
「それ蒸し返すのか」
「一応言っといたほうがいいかと思ってな」
何の話だ。そう聞き返した俺に、谷口は周囲を伺うように視線を巡らし、声を潜める。
「オマエと泉のことだよ」
「俺とこなた?」
「そう、それ」
谷口は俺の眼前に指を突きつける。それ国によっては問答無用でしばき倒されても仕方ないジェスチャーだぞ。気をつけろよ。
「そりゃどうも。で、どうなのよ」
「どうってなんだ」
「オマエ、泉とデキてんの?」
さて、どう答えるべきか。というよりは、どこまで話してもいいものか、正直迷う。迷ったときは黙秘で行くか。ぶっちゃ
けそれが、谷口のフラストレーションを溜める意外にはまったく俺に被害が及ばない素晴らしい選択肢じゃないかという気が
する。
そもそも。
根本的な問題として、俺とこなたの関係ってどういうものなのだろう。それが分からない限りは、答えようがないんじゃな
いだろうか。一方的に攻略する宣言をされたまま来ているが、俺はどうなのだろう。
それに答えを出さなければいけない日が、来るんだろうか。
「さあ、どうなのかな」
「状況証拠は満載だぜ?」
「言ってみろ」
「曰く、毎朝一緒に登校している」
「ああ、してるな」
「曰く、既に名前で呼び合う関係になっている」
「ああ、なってるな」
「曰く、自転車で二ケツしていた」
「そんなとこまで見られてたのか」
今朝もそうだったし。てか、ずいぶん二ケツが気に入ったみたいだ。
「曰く、昼休みは文芸部の部室にこもっている」
「ああ、高良さんや柊姉妹も一緒だけどな」
「今俺に芽生えた感情はきっと殺意と呼ばれるものだろう。てか、殺していいか?」
「その質問にイエスと答える馬鹿がどこの世界にいる」
拳にはーはー息を吹きかけている谷口を、俺は温度を下げた視線で見てやる。だいたい、こっちはこっちで事情があるんだ。
羨ましいって言うんなら劇の主役も一緒に抱き合わせて引き取ってくれよ。
「それは嫌だ」
「だろ」
「ま、がんばれよな」
肩を竦めながら、谷口は言う。その言葉とほぼ同時に教室のドアが開いて、黒井先生が出席簿を振りながら教室に入ってく
る。今日のファーストスイングは坪井だった。渋いところついてくるなぁ。
がたがたと音をさせて、ばらばらに立っていたクラスの連中が椅子に座る。朝のホーム。今日も一日がんばろう、と素直に
思える奴がいたらそれはきっと天然記念物だ。
朝はいつだって怠くて眠い。
「それでもさ」谷口は顔だけをこちらに向けて言った。「噂ってのは広がると怖えから、ちゃんと対処しとけよ?」
どんな対処しろって言うんだ。俺にできることがなにかあるのか。文化祭が終わるまでは嫌でも一緒にいなきゃいけないん
だ。それでどうこう言われたところで、俺にいったい何ができる。谷口の背中を少し睨む。しかしながら、コイツは善意で言
ってるんだ、と思ってため息を吐く。
腕を枕にして、目を閉じる。
谷口の言葉の断片が真っ黒な世界でぐるぐると回っている。それを無視しようとして、俺はさらにきつく目を閉じた。
わかってる。
わかってる?
いったい何を分かってるっていうんだ。
俺が俺の何を分かっているんだ。
俺がこなたの、何を分かってるんだ。
一時間目開始のチャイムが鳴るまで、俺はそのままの姿勢で動けずにいた。
昼休み。
もはや恒例となりつつある文芸部部室で、俺たちは昼食を食べながらそれぞれの準備をしていた。高良さんと柊妹は本番用
の衣装をちまちまと製作し、俺とこなたと柊姉は本の読み合わせ。そろそろ日もないし、暗記してしまわなければならないだ
ろう。現状七割くらいか。
「まあ、それでもがんばってるとは思うけどね」柊姉は嘆息する。「そもそも、一週間で間に合わせようってのが無茶だし」
「そうだよねえ」
「オマエは前々から決まってたんだから覚えてないとダメだろ」
「たはー☆」
「たはー、じゃないっ」
うむ。いつも思うことだが、このナチュラル漫才は素晴らしい。これでネタ合わせもやってないというんだからもしも本格
的に芸人の世界に飛び込んだらどうなるのだろうか。こなたが無茶振りでボケて、柊妹がさらにボケて、高良さんが天然で受
ける、そこに突っ込むのが柊姉。完璧だ。難点は柊姉の負担が大きすぎることだろうか。いかに優秀なツッコミ能力者でもさ
すがにこのボケの嵐にはツッコミきれないかもしれない。
「で、白石くんは何をうんうん頷いてるのかしら?」
「いや、君たちを芸人として売り込むにはどういう路線がいいか考えてた」
「考えるなっ!」
ハリセンがあったらすかさず振り下ろされそうなキレのいいツッコミだった。やっぱり彼女は素晴らしい。
「うんうん、やっぱりかがみはいいツンデレだよねー」
「だからツンデレ言うな!」
ひとしきりツッコミ終えた後、柊姉は深々とため息を吐く。なかなか大変そうだ。このメンバーツッコミ役いないから、柊
姉いないとどこまでも脱線していくし。
「とりあえず、今日から読み合わせだけじゃなくて私とみゆきで演技指導いれてくから。しっかり頼むわよ」
「ういー」
「了解」
どこまでも揃わない返答で答えた俺とこなたをみて、また重いため息。床抜けたら大変だなぁ。
「いよいよ」こなたはぐっ、と俺に向かって親指を立てる。サムズアップ。「キスシーンだね」
「気が早いよ」
「でも、いつかはやるんだし」
「マジでやるんだよなぁ……」
「マジもマジ、大マジ」
ついつい俺はこなたをじっと見てしまう。このちびっ子とキスをする。そんなことを考えると、視線が勝手にこなたの唇に
行ってしまう。慌ててその視線を外すが、手遅れだった。俺の視線移動の軌跡はとっくにこなたに察知されてしまっていた。
こなたはにんまりと笑う。うっわ、なんて嫌な笑顔だ。
ちょんと自分の唇に人差し指を当てて、その指をそのまま俺に向けて突きつける。俺はつい気持ち分、体を引いてしまう。
「意識した? した?」
「二回言うな」
俺は丁重にこなたの人差し指にお引き取り願ったあとで、肩を竦めた。
「ちなみに、みのるくんや、キスの経験は?」
くっ、それを聞くか。昨日彼女いないとちゃんと白状した俺に向かってあえてそれを聞くか。
「いやいや、彼女いるのとキスしたことあるかはまた別でしょ」
「そうか?」
「そうじゃない?」
よく分からない。そうなのかもしれないけど、そうじゃないようにも思う。言ってるこなたもそうなのか、小さく首を傾げ
ている。俺もこなたと同じ方向に首を傾げた。
そして、同時に同じ方向に向かって視線を送る。
「わ、私っ!?」
そこには何故か顔を真っ赤にしてこっちを見ていたらしい柊姉がいる。なんで顔を赤くしているのかは分からないけれど、
ここは一つ、他の人の意見も聞いてみたいところだ。彼女がいるかどうかと、キスしたことがあるかどうかということの因果
関係について。
「というわけで、柊姉の意見が俺たちには必要だ」
「うん、かがみの意見が必要だー」
ちゃんとこなたも乗ってくる。うん、ちゃんと空気読んでいるじゃないか。それでこそ俺の相方だ。
「さあ、柊姉、君の意見を」
「意見を!」
柊姉の顔の赤面浸食度がさらに上昇している、ように俺には見える。意見を求めているのに何故赤面する必要があるのだろ
うか。ひょっとして、過去の体験をプレイバックしているのだろうか。さすが柊姉、経験豊富だな。
「んなわけあるかあっ!」
「あ、違うんだ」
「私は男の人と付き合ったことなんてないし、キスだってしたこと、な……」
尻すぼみになっていく柊姉の言葉。
俺はそっと、心の中で柊姉に向かって手を合わせた。君はイイ奴だったのに、無茶しやがって。なぜなら、ひどく楽しそう
にいつもの十二割増しで猫口になっているこなたと、興味津々の目でこっちを見ている柊妹と、これまた隠そうとしながらも
隠せない好奇心の光を放っている高良さんが見えたからだ。
がんばれ、柊姉。俺は明後日の方向に向かって親指を立てる。
彼女の怒声が響き渡ったのは、その直後だった。
もはや恒例となりつつある文芸部部室で、俺たちは昼食を食べながらそれぞれの準備をしていた。高良さんと柊妹は本番用
の衣装をちまちまと製作し、俺とこなたと柊姉は本の読み合わせ。そろそろ日もないし、暗記してしまわなければならないだ
ろう。現状七割くらいか。
「まあ、それでもがんばってるとは思うけどね」柊姉は嘆息する。「そもそも、一週間で間に合わせようってのが無茶だし」
「そうだよねえ」
「オマエは前々から決まってたんだから覚えてないとダメだろ」
「たはー☆」
「たはー、じゃないっ」
うむ。いつも思うことだが、このナチュラル漫才は素晴らしい。これでネタ合わせもやってないというんだからもしも本格
的に芸人の世界に飛び込んだらどうなるのだろうか。こなたが無茶振りでボケて、柊妹がさらにボケて、高良さんが天然で受
ける、そこに突っ込むのが柊姉。完璧だ。難点は柊姉の負担が大きすぎることだろうか。いかに優秀なツッコミ能力者でもさ
すがにこのボケの嵐にはツッコミきれないかもしれない。
「で、白石くんは何をうんうん頷いてるのかしら?」
「いや、君たちを芸人として売り込むにはどういう路線がいいか考えてた」
「考えるなっ!」
ハリセンがあったらすかさず振り下ろされそうなキレのいいツッコミだった。やっぱり彼女は素晴らしい。
「うんうん、やっぱりかがみはいいツンデレだよねー」
「だからツンデレ言うな!」
ひとしきりツッコミ終えた後、柊姉は深々とため息を吐く。なかなか大変そうだ。このメンバーツッコミ役いないから、柊
姉いないとどこまでも脱線していくし。
「とりあえず、今日から読み合わせだけじゃなくて私とみゆきで演技指導いれてくから。しっかり頼むわよ」
「ういー」
「了解」
どこまでも揃わない返答で答えた俺とこなたをみて、また重いため息。床抜けたら大変だなぁ。
「いよいよ」こなたはぐっ、と俺に向かって親指を立てる。サムズアップ。「キスシーンだね」
「気が早いよ」
「でも、いつかはやるんだし」
「マジでやるんだよなぁ……」
「マジもマジ、大マジ」
ついつい俺はこなたをじっと見てしまう。このちびっ子とキスをする。そんなことを考えると、視線が勝手にこなたの唇に
行ってしまう。慌ててその視線を外すが、手遅れだった。俺の視線移動の軌跡はとっくにこなたに察知されてしまっていた。
こなたはにんまりと笑う。うっわ、なんて嫌な笑顔だ。
ちょんと自分の唇に人差し指を当てて、その指をそのまま俺に向けて突きつける。俺はつい気持ち分、体を引いてしまう。
「意識した? した?」
「二回言うな」
俺は丁重にこなたの人差し指にお引き取り願ったあとで、肩を竦めた。
「ちなみに、みのるくんや、キスの経験は?」
くっ、それを聞くか。昨日彼女いないとちゃんと白状した俺に向かってあえてそれを聞くか。
「いやいや、彼女いるのとキスしたことあるかはまた別でしょ」
「そうか?」
「そうじゃない?」
よく分からない。そうなのかもしれないけど、そうじゃないようにも思う。言ってるこなたもそうなのか、小さく首を傾げ
ている。俺もこなたと同じ方向に首を傾げた。
そして、同時に同じ方向に向かって視線を送る。
「わ、私っ!?」
そこには何故か顔を真っ赤にしてこっちを見ていたらしい柊姉がいる。なんで顔を赤くしているのかは分からないけれど、
ここは一つ、他の人の意見も聞いてみたいところだ。彼女がいるかどうかと、キスしたことがあるかどうかということの因果
関係について。
「というわけで、柊姉の意見が俺たちには必要だ」
「うん、かがみの意見が必要だー」
ちゃんとこなたも乗ってくる。うん、ちゃんと空気読んでいるじゃないか。それでこそ俺の相方だ。
「さあ、柊姉、君の意見を」
「意見を!」
柊姉の顔の赤面浸食度がさらに上昇している、ように俺には見える。意見を求めているのに何故赤面する必要があるのだろ
うか。ひょっとして、過去の体験をプレイバックしているのだろうか。さすが柊姉、経験豊富だな。
「んなわけあるかあっ!」
「あ、違うんだ」
「私は男の人と付き合ったことなんてないし、キスだってしたこと、な……」
尻すぼみになっていく柊姉の言葉。
俺はそっと、心の中で柊姉に向かって手を合わせた。君はイイ奴だったのに、無茶しやがって。なぜなら、ひどく楽しそう
にいつもの十二割増しで猫口になっているこなたと、興味津々の目でこっちを見ている柊妹と、これまた隠そうとしながらも
隠せない好奇心の光を放っている高良さんが見えたからだ。
がんばれ、柊姉。俺は明後日の方向に向かって親指を立てる。
彼女の怒声が響き渡ったのは、その直後だった。
ロミオとジュリエットの物語というのは、本当に端的な要約をしてしまうと、行き違いによる悲劇だ。強制的に結婚させら
れようとしていたジュリエットは、一日だけ仮死状態になる毒薬を飲む。そのジュリエットにこっそりと会いに行ったロミオ
は侵入者と勘違いされ、襲いかかってきたジュリエットの婚約者ハリス伯を誤って殺してしまう。そしてジュリエットがもう
死んでいると思い、自らその場で毒を飲んで死んでしまう。翌朝になって目を覚ましたジュリエットは死んだ二人を見て、悲
嘆に暮れ、その場で短刀で自刃してしまう。
ラストの部分を本当に端的に要約すると、こんな感じだ。ロミオとジュリエットのそれぞれの家同士の対立とかいろいろあ
るけれど、台本を見る限り本当に二人だけにスポットをあてて、それ以外のところは大胆に省かれている。
時間的な問題もあるし、それくらいの方がいいのだろう、と俺は思う。素人舞台で全部やれるわけがない。主演する人も少
ないし。俺とこなた以外に数人。それも、ほとんどの人が掛け持ちばっかりだ。他の出演者をロミオに回せなかったのはその
せいらしい。ほとんどの出演者が掛け持ちでもう動いているから、移動よりはそのまま別の人間を入れた方がややこしくなか
ったのだろう。
たぶん。
俺にはそういう方向はよく分からないけれど。
「こなたさん、もうちょっと大げさなアクションでお願いします」
「ほーい」
高良監督に指示に、こなたはさっきの動きを、さっきよりもオーバーに再現する。それでお願いしますね、と監督。
やってみて分かったことがある。台詞読むだけでも結構アレだけど、それに演技をつけようとすると、本当に混乱する。恥
ずかしいとか最初思っていたけれど、練習が進むにつれて恥ずかしいとかそういうレベルじゃなくて、もういっぱいいっぱい
だ。そして、監督や演技指導柊かがみ女史の指示をこなすということしか頭に残らなくなっていく。
れようとしていたジュリエットは、一日だけ仮死状態になる毒薬を飲む。そのジュリエットにこっそりと会いに行ったロミオ
は侵入者と勘違いされ、襲いかかってきたジュリエットの婚約者ハリス伯を誤って殺してしまう。そしてジュリエットがもう
死んでいると思い、自らその場で毒を飲んで死んでしまう。翌朝になって目を覚ましたジュリエットは死んだ二人を見て、悲
嘆に暮れ、その場で短刀で自刃してしまう。
ラストの部分を本当に端的に要約すると、こんな感じだ。ロミオとジュリエットのそれぞれの家同士の対立とかいろいろあ
るけれど、台本を見る限り本当に二人だけにスポットをあてて、それ以外のところは大胆に省かれている。
時間的な問題もあるし、それくらいの方がいいのだろう、と俺は思う。素人舞台で全部やれるわけがない。主演する人も少
ないし。俺とこなた以外に数人。それも、ほとんどの人が掛け持ちばっかりだ。他の出演者をロミオに回せなかったのはその
せいらしい。ほとんどの出演者が掛け持ちでもう動いているから、移動よりはそのまま別の人間を入れた方がややこしくなか
ったのだろう。
たぶん。
俺にはそういう方向はよく分からないけれど。
「こなたさん、もうちょっと大げさなアクションでお願いします」
「ほーい」
高良監督に指示に、こなたはさっきの動きを、さっきよりもオーバーに再現する。それでお願いしますね、と監督。
やってみて分かったことがある。台詞読むだけでも結構アレだけど、それに演技をつけようとすると、本当に混乱する。恥
ずかしいとか最初思っていたけれど、練習が進むにつれて恥ずかしいとかそういうレベルじゃなくて、もういっぱいいっぱい
だ。そして、監督や演技指導柊かがみ女史の指示をこなすということしか頭に残らなくなっていく。
『ジュリエットの傍らに、ティバルトの血に染まった鎖かたびらを着た遺体があった。ロミオはそれを見て、死体に許しを乞
い、ジュリエットへの愛から彼を“いとこ”と呼んだ』
いつのまにかナレーション=柊かがみ女史になっていた。彼女の声が場面を告げる。
と、次は俺の台詞だった。
「すまない、我が“いとこ”よ。私が犯した罪は許されるものではない。君の敵だった自分を殺すことで、君のために尽くす
つもりだ」
台本にはこうある。
『ロミオ:ジュリエットに接吻をして、最後の別れを告げる』
接吻ってなんだ。それって日本語?
と思わず現実逃避してしまいそうになるが、まあ、要するに唇と唇の粘膜での第一次接触をしろということだ。今更だけど
よくこんな脚本上に通ったな。だいたい合同学園祭だから小学生とか中学生も見に来るんじゃないのか。そんな純真な子供達
の前で接吻、もとい、粘膜と粘膜の第一次接触なんてしてもいいのか。見せてもいいのか。というか、そんな人前で俺はキス
シーンを披露せねばならないのか。
俺は片膝をつく。そのすぐ目の前には、ジャージ姿のお姫様が横たわっている。何かを待ち構えている雰囲気が嫌というほ
ど伝わってくるのがまた憎たらしい。
片膝をついたまま、こなたの背中に手を当てて、体を少し起こす。実際に触れると、本当に小さくて、軽い。その感触と重
さに何故か俺は落ち着かなくなる自分を感じている。
なあ、いいのかよ。
おまえ、こんなんで本当にいいのかよ。
彼女いるかどうかとキスしたことあるかどうかは別。昼間の会話を思い出す。おまえはそう言ったよな。ああ、そうかもし
れないさ。そうかもしれない。人と人の関係なんてそれこそ人それぞれだから、そういうことだってあるかもしれない。俺た
ちは純真な、赤ちゃんはコウノトリが運んでくるとかいう戯れ言を信じられるほど子供じゃない。体だけの関係、っていうの
だって世の中にはあってしまうんだろう。
でも。
じゃあ、好きかどうかっていうのも、おまえにとっちゃ別なのかよ。
分からない。
「……みのる?」
片目を開けて、こなたが囁く。舞台の下には聞こえない声。このまま止まっているのも不自然なので、俺はこなたに顔を近
づけた。たぶん、客席から見たらキスしているかもしれない、という風に見える位置。
「あれ、しないの?」
本当になんの含みもなくそう問いかけてくるこなたに、俺は少し尖ったものが自分の中に生まれるのを感じた。
なんだこれ。
「……いいのかよ」
「私は」こなたは言う。「最初っから、そう言ってるじゃん?」
もう忘れちゃった? 囁くこなたの目に、どこにも揺らぎは見当たらなかった。俺はそれを、こなたのどこかに見つけたか
ったのかもしれなかった。
「そうか」
ほんの一瞬。
一瞬だけ、俺とこなたの唇は接触していた。何も感じる暇のない、一瞬。
こなたの顔がくっつくほど近くなり、そしてすぐに離れる。俺は逃げるようにこなたから体を離し、立ち上がった。
演技。
演技の、続きだ。
「……さよなら、ジュリエット」
街に帰ってくる途中で手に入れた毒薬。ロミオはそれを呷って死ぬ。渡された小道具の瓶を口元に持って行き、それを飲む
真似をして、そのまま倒れる。
ここまでだ。
はやく終われ。
目を閉じてそう思っているのに、いつまでたっても終わりが来ない。あれ、ここってシーン切れてなかったっけ。戸惑いな
がらどうしようか迷っていると、誰かの手が俺に触れた。うつ伏せに倒れていた俺の体を、誰かがゆっくりと、どこか優しい
手つきでひっくり返す。
「ロミオ……!」
演技が続いている。俺は少しだけ目を開けた。どうせ舞台の下からは、目を開けているかどうかまでは確認できない。色の
戻った視界には、こなたがいた。まだ演技を続けている。
毒薬の瓶が空であることを確かめたあと、俺を覗き込む。俺は目を閉じた。何故かそうしなければならないという気がした。
次の瞬間、俺の唇はこなたの唇で塞がれていた。さっきみたいな何も感じる暇のないキスじゃなかった。
演技だろ?
演技じゃないのかよ。
ジュリエットは、目が覚めて、目の前に広がる光景に絶望し、ロミオの持っていた毒薬を求める。瓶の中になければ、ロミ
オの口内に残っているかもしれない。
それを忠実に再現するかのように、唇が離れる直前、こなたの舌が俺の唇を撫でていった。肌が泡立つような感覚を、俺は
押し込める。
毒薬がもう残っていないことを知ったジュリエットは、ロミオが帯びていた短刀で自刃し、この物語は終わりを迎える。ど
さりと俺の胸に重さがかかる。これで幕が下りて終わりだ。
もういいから、早く終わってくれ。
そのまま、時間が過ぎる。静寂が耳に痛い。あとなんかあったっけ? ナレーションでも流れるんだったか? それにして
も静かなままではなかったはずだ。誰かが動いている気配もしない。
「……こなた」俺は薄目を開けて小さく囁く。「これで、終わりだよな?」
「ん」顔は見えないけれど、こなたも囁くように答える。「その、はずだけど」
どうしようかしばらく考えた挙げ句、俺は体を起こした。「んにゃ」とか意味不明の声を上げてこなたが俺の上から転がり
落ちる。
「高良さん?」
俺は舞台下にいる監督に呼びかけた。
「かがみ?」
こなたは同じように、ナレーション件演技指導主任に。
俺たちが二人を見ると、何故か二人とも頬を赤らめて硬直していた。周囲を見渡すと、柊妹を始め、この劇のスタッフはみ
んな硬直し、魅入られたように俺たちの方を見ている。
え、何、この状況。
沈黙が超痛い。なんかまずいところありましたかね?
「あったんじゃない?」
あったのか?
「キスとか?」
台本通りだろ。
「そうだよねぇ」
ひそひそと話していると、柊姉が、びしっ、とSEがつきそうな勢いでこっちを指さす。
「ま、ま、マジでキスしやがったこいつら!」
顔を見合わせる。俺はこなたの唇を見ていて、こなたは俺の唇を見ていた。そして、俺とこなたの唇が同時に歪む。唇の両
端を吊り上げた、笑い顔。
俺とこなたはみんなの方を向いて、同時に言った。
「演技だよ、演技!」
そういうことに、しておこう。
い、ジュリエットへの愛から彼を“いとこ”と呼んだ』
いつのまにかナレーション=柊かがみ女史になっていた。彼女の声が場面を告げる。
と、次は俺の台詞だった。
「すまない、我が“いとこ”よ。私が犯した罪は許されるものではない。君の敵だった自分を殺すことで、君のために尽くす
つもりだ」
台本にはこうある。
『ロミオ:ジュリエットに接吻をして、最後の別れを告げる』
接吻ってなんだ。それって日本語?
と思わず現実逃避してしまいそうになるが、まあ、要するに唇と唇の粘膜での第一次接触をしろということだ。今更だけど
よくこんな脚本上に通ったな。だいたい合同学園祭だから小学生とか中学生も見に来るんじゃないのか。そんな純真な子供達
の前で接吻、もとい、粘膜と粘膜の第一次接触なんてしてもいいのか。見せてもいいのか。というか、そんな人前で俺はキス
シーンを披露せねばならないのか。
俺は片膝をつく。そのすぐ目の前には、ジャージ姿のお姫様が横たわっている。何かを待ち構えている雰囲気が嫌というほ
ど伝わってくるのがまた憎たらしい。
片膝をついたまま、こなたの背中に手を当てて、体を少し起こす。実際に触れると、本当に小さくて、軽い。その感触と重
さに何故か俺は落ち着かなくなる自分を感じている。
なあ、いいのかよ。
おまえ、こんなんで本当にいいのかよ。
彼女いるかどうかとキスしたことあるかどうかは別。昼間の会話を思い出す。おまえはそう言ったよな。ああ、そうかもし
れないさ。そうかもしれない。人と人の関係なんてそれこそ人それぞれだから、そういうことだってあるかもしれない。俺た
ちは純真な、赤ちゃんはコウノトリが運んでくるとかいう戯れ言を信じられるほど子供じゃない。体だけの関係、っていうの
だって世の中にはあってしまうんだろう。
でも。
じゃあ、好きかどうかっていうのも、おまえにとっちゃ別なのかよ。
分からない。
「……みのる?」
片目を開けて、こなたが囁く。舞台の下には聞こえない声。このまま止まっているのも不自然なので、俺はこなたに顔を近
づけた。たぶん、客席から見たらキスしているかもしれない、という風に見える位置。
「あれ、しないの?」
本当になんの含みもなくそう問いかけてくるこなたに、俺は少し尖ったものが自分の中に生まれるのを感じた。
なんだこれ。
「……いいのかよ」
「私は」こなたは言う。「最初っから、そう言ってるじゃん?」
もう忘れちゃった? 囁くこなたの目に、どこにも揺らぎは見当たらなかった。俺はそれを、こなたのどこかに見つけたか
ったのかもしれなかった。
「そうか」
ほんの一瞬。
一瞬だけ、俺とこなたの唇は接触していた。何も感じる暇のない、一瞬。
こなたの顔がくっつくほど近くなり、そしてすぐに離れる。俺は逃げるようにこなたから体を離し、立ち上がった。
演技。
演技の、続きだ。
「……さよなら、ジュリエット」
街に帰ってくる途中で手に入れた毒薬。ロミオはそれを呷って死ぬ。渡された小道具の瓶を口元に持って行き、それを飲む
真似をして、そのまま倒れる。
ここまでだ。
はやく終われ。
目を閉じてそう思っているのに、いつまでたっても終わりが来ない。あれ、ここってシーン切れてなかったっけ。戸惑いな
がらどうしようか迷っていると、誰かの手が俺に触れた。うつ伏せに倒れていた俺の体を、誰かがゆっくりと、どこか優しい
手つきでひっくり返す。
「ロミオ……!」
演技が続いている。俺は少しだけ目を開けた。どうせ舞台の下からは、目を開けているかどうかまでは確認できない。色の
戻った視界には、こなたがいた。まだ演技を続けている。
毒薬の瓶が空であることを確かめたあと、俺を覗き込む。俺は目を閉じた。何故かそうしなければならないという気がした。
次の瞬間、俺の唇はこなたの唇で塞がれていた。さっきみたいな何も感じる暇のないキスじゃなかった。
演技だろ?
演技じゃないのかよ。
ジュリエットは、目が覚めて、目の前に広がる光景に絶望し、ロミオの持っていた毒薬を求める。瓶の中になければ、ロミ
オの口内に残っているかもしれない。
それを忠実に再現するかのように、唇が離れる直前、こなたの舌が俺の唇を撫でていった。肌が泡立つような感覚を、俺は
押し込める。
毒薬がもう残っていないことを知ったジュリエットは、ロミオが帯びていた短刀で自刃し、この物語は終わりを迎える。ど
さりと俺の胸に重さがかかる。これで幕が下りて終わりだ。
もういいから、早く終わってくれ。
そのまま、時間が過ぎる。静寂が耳に痛い。あとなんかあったっけ? ナレーションでも流れるんだったか? それにして
も静かなままではなかったはずだ。誰かが動いている気配もしない。
「……こなた」俺は薄目を開けて小さく囁く。「これで、終わりだよな?」
「ん」顔は見えないけれど、こなたも囁くように答える。「その、はずだけど」
どうしようかしばらく考えた挙げ句、俺は体を起こした。「んにゃ」とか意味不明の声を上げてこなたが俺の上から転がり
落ちる。
「高良さん?」
俺は舞台下にいる監督に呼びかけた。
「かがみ?」
こなたは同じように、ナレーション件演技指導主任に。
俺たちが二人を見ると、何故か二人とも頬を赤らめて硬直していた。周囲を見渡すと、柊妹を始め、この劇のスタッフはみ
んな硬直し、魅入られたように俺たちの方を見ている。
え、何、この状況。
沈黙が超痛い。なんかまずいところありましたかね?
「あったんじゃない?」
あったのか?
「キスとか?」
台本通りだろ。
「そうだよねぇ」
ひそひそと話していると、柊姉が、びしっ、とSEがつきそうな勢いでこっちを指さす。
「ま、ま、マジでキスしやがったこいつら!」
顔を見合わせる。俺はこなたの唇を見ていて、こなたは俺の唇を見ていた。そして、俺とこなたの唇が同時に歪む。唇の両
端を吊り上げた、笑い顔。
俺とこなたはみんなの方を向いて、同時に言った。
「演技だよ、演技!」
そういうことに、しておこう。
自転車をこぎ始めて、俺は愕然とした。何故かというと、自転車の後ろにこなたがいることをまったく自然で当たり前のよ
うに思っている自分がいたからだ。「よし、乗れ」とか言ったような気もする。これはひょっとして由々しき事態というもの
なのではないだろうか。俺のアイデンティティ・クライシスというやつだ。
「なんか違くない?」
俺もそう思う。
「変なの」
お互い様だろ。
「お互い様か」
違うか?
俺が言うと、少しの間。その間の後で、こなたは「違わない」と言った。そのまま自転車は暗くなりつつある道を走ってい
く。日が落ちるのも少しずつ早くなっているような気がする。薄闇の中を当たり障りのない会話をしながら走っていくと、す
ぐに俺の家が見えてくる。昨日と同じようにその前を通り過ぎようとしたとき、「みのる、停めて」とこなたが言った。
どうかしたのだろうか、と思いながら俺は自分の家の前で自転車を停める。完全に止まる直前に、こなたは自転車から飛び
降りる。
どうした?
「今日は、ここから歩いて帰るよ」
別に、たいした距離じゃないから送っていっても問題ないんだけど。けれど、こなたは首を横に振って、俺の言葉をはね除
ける。
「歩きたい気分のときもあるんだヨ、みのる」
そうか、と俺は答えた。お互いにじゃあねと言って、こなたは俺に背を向けて歩き出す。
なあ。
俺が呼びかけると、こなたは足を止めて振り返った。俺は無意識に自分の唇に触れていた。こなたが少し戸惑ったような顔
をしているのを見て、俺は自分の仕草に気付いた。しまった、と思ったけれど、もう手遅れだった。そのまま時間が過ぎてい
く。夏の終わりの涼しさを孕んだ風が、俺たちの間の空気を揺らした。
「……演技、なのか?」
沈黙の果てに出てきた言葉が、それだった。阿呆か、と俺は思った。何を言っているのか、と自分で思った。こんな意味の
ない言葉が自分から出てきたことに、その場で電信柱にでも頭を打ち付けて死にたい気分になった。
俯いたときに見えた俺の爪先は、ひどく頼りなく見えた。どこに向かって歩いているかも分からないほどに、頼りなく。
「そうだよ」
こなたの声で、俺は顔を上げる。そこにはいつものこなたの顔があった。いつもと同じ顔だった。俺を見て、いつもと同じ
ように、笑う。
「でも」
表情をそのままに、こなたは続ける。
「そうじゃないって言ったら、どうするの?」
俺は、何も答えられなかった。朝の時と同じだった。何かを言わなければいけないとどこかで俺は理解していた。けれど、
あやふやなままのものは、言葉になるほど俺の中で形を結んではくれなかった。
「それじゃ、また明日。文化祭が終わるまで頑張ろうね」
そう告げたこなたの背中は、すぐに遠くなって、夜の中にとけ込むように見えなくなった。
うに思っている自分がいたからだ。「よし、乗れ」とか言ったような気もする。これはひょっとして由々しき事態というもの
なのではないだろうか。俺のアイデンティティ・クライシスというやつだ。
「なんか違くない?」
俺もそう思う。
「変なの」
お互い様だろ。
「お互い様か」
違うか?
俺が言うと、少しの間。その間の後で、こなたは「違わない」と言った。そのまま自転車は暗くなりつつある道を走ってい
く。日が落ちるのも少しずつ早くなっているような気がする。薄闇の中を当たり障りのない会話をしながら走っていくと、す
ぐに俺の家が見えてくる。昨日と同じようにその前を通り過ぎようとしたとき、「みのる、停めて」とこなたが言った。
どうかしたのだろうか、と思いながら俺は自分の家の前で自転車を停める。完全に止まる直前に、こなたは自転車から飛び
降りる。
どうした?
「今日は、ここから歩いて帰るよ」
別に、たいした距離じゃないから送っていっても問題ないんだけど。けれど、こなたは首を横に振って、俺の言葉をはね除
ける。
「歩きたい気分のときもあるんだヨ、みのる」
そうか、と俺は答えた。お互いにじゃあねと言って、こなたは俺に背を向けて歩き出す。
なあ。
俺が呼びかけると、こなたは足を止めて振り返った。俺は無意識に自分の唇に触れていた。こなたが少し戸惑ったような顔
をしているのを見て、俺は自分の仕草に気付いた。しまった、と思ったけれど、もう手遅れだった。そのまま時間が過ぎてい
く。夏の終わりの涼しさを孕んだ風が、俺たちの間の空気を揺らした。
「……演技、なのか?」
沈黙の果てに出てきた言葉が、それだった。阿呆か、と俺は思った。何を言っているのか、と自分で思った。こんな意味の
ない言葉が自分から出てきたことに、その場で電信柱にでも頭を打ち付けて死にたい気分になった。
俯いたときに見えた俺の爪先は、ひどく頼りなく見えた。どこに向かって歩いているかも分からないほどに、頼りなく。
「そうだよ」
こなたの声で、俺は顔を上げる。そこにはいつものこなたの顔があった。いつもと同じ顔だった。俺を見て、いつもと同じ
ように、笑う。
「でも」
表情をそのままに、こなたは続ける。
「そうじゃないって言ったら、どうするの?」
俺は、何も答えられなかった。朝の時と同じだった。何かを言わなければいけないとどこかで俺は理解していた。けれど、
あやふやなままのものは、言葉になるほど俺の中で形を結んではくれなかった。
「それじゃ、また明日。文化祭が終わるまで頑張ろうね」
そう告げたこなたの背中は、すぐに遠くなって、夜の中にとけ込むように見えなくなった。