私は、きっと。何も知らない。
時々、そんな風に私に向かって風が吹いてきて、悔しいような、いたたまれないような、そんな気分になるとき
がある。それがいったいどこからくるものなのか、私にはよく分からない。
朝、目を覚ますと、私は一人だった。同じ家の中に家族がいることは知っていたけれど、私は不意に、まるで春
一番が桜の花びらを全部吹き散らしてしまった後のように、気付いてしまった。
ああ、私は一人なんだ、って。
時々、そんな風に私に向かって風が吹いてきて、悔しいような、いたたまれないような、そんな気分になるとき
がある。それがいったいどこからくるものなのか、私にはよく分からない。
朝、目を覚ますと、私は一人だった。同じ家の中に家族がいることは知っていたけれど、私は不意に、まるで春
一番が桜の花びらを全部吹き散らしてしまった後のように、気付いてしまった。
ああ、私は一人なんだ、って。
少しずつ、一人になる(レイニーロジック・Ⅳ)
布団を捲り上げて体を起こすと、私は時計を手に取った。時刻は六時三十分。休日のこんな時間に目を覚ました
ことが未だかってあっただろうか。二度寝しようかなと思ったけれど、残念なことにもう目は覚めてしまっている
みたいだった。それもいいか、と思いながら、ベッドを出る。愛しい愛しい私のお布団にしばしの別れを言いなが
ら、膝を伸ばして立ち上がる。カーテンを引くと、まぶしい朝の光が一瞬で部屋の中を染め上げていった。少し暴
力的だな、なんてことを思う。まぶしすぎるものは、直接見るには少し辛いものだ。
例えば、自分の双子の姉のように。なんでもてきぱきこなして、成績も優秀で、周りからも頼りにされて、そん
な姉がいることは誇らしいのだけれど、じっと見つめるには少しまぶしすぎる。そんな、曖昧なパラドックス。
ふあ、とあくびを一つ。
くう、とお腹が鳴った。
ご飯を食べよう。ちゃんと早起きできた朝は、きっとご飯だって美味しいに違いない。
パジャマのままで階段を下りてリビングに入ると、姉の柊かがみがもうテーブルについてご飯を食べていた。
「お姉ちゃん、おはよう」
「おはよう。珍しく早いわね、つかさ。今日お休みなのに」
もうすぐ十八歳だしね。そんな風に、あんまり答えになっていないような答えを返しながら、私はお姉ちゃんの
向かい側に座った。お母さんも「珍しいわねぇ」と言いながら私の前に朝ご飯を運んでくれる。これだけ珍しがら
れるのならたまに早起きもしてみるものかもしれないなぁ、なんて思いながら、ご飯を食べる。ほかほかのご飯と、
お味噌汁。お漬け物に、焼き魚。美味しいご飯は幸せだ。
「お姉ちゃん、今日は家にいるの?」
何気なく、私はそう聞いてみた。本当に、話のとっかかりくらいの積もりだった。こなちゃんやゆきちゃんと遊
ぶという約束もしていなかったし、別にお姉ちゃんの用事が気になるとかではなくて、世間話の一つに過ぎない言
葉だった。
でも、私の言葉に、お姉ちゃんは「ああ、うん、そうね……」と言葉を濁して目を逸らしてしまった。それを見
て、私は自分がお姉ちゃんのあまり触れて欲しくないところに触ってしまったのだと知った。昔から、お姉ちゃん
は嘘のつけない人だった。いつだって真っ直ぐだった。お父さんが大切に床の間に飾っていたお皿を割ってしまっ
たときも、どうやって誤魔化せばいいのかと考えていた私を引っ張っていって、真っ直ぐにお父さんのところに向
かうと、本当に誤魔化しの一つも入れずにやったことを正直に話して謝っちゃうような、そんな真っ直ぐな人だった。
だから、嘘をついているときは、すぐに分かってしまう。それを話したくないんだってこともすぐに分かってし
まう。双子とは言っても、ずるい私とはまったく違うのだ。
ことが未だかってあっただろうか。二度寝しようかなと思ったけれど、残念なことにもう目は覚めてしまっている
みたいだった。それもいいか、と思いながら、ベッドを出る。愛しい愛しい私のお布団にしばしの別れを言いなが
ら、膝を伸ばして立ち上がる。カーテンを引くと、まぶしい朝の光が一瞬で部屋の中を染め上げていった。少し暴
力的だな、なんてことを思う。まぶしすぎるものは、直接見るには少し辛いものだ。
例えば、自分の双子の姉のように。なんでもてきぱきこなして、成績も優秀で、周りからも頼りにされて、そん
な姉がいることは誇らしいのだけれど、じっと見つめるには少しまぶしすぎる。そんな、曖昧なパラドックス。
ふあ、とあくびを一つ。
くう、とお腹が鳴った。
ご飯を食べよう。ちゃんと早起きできた朝は、きっとご飯だって美味しいに違いない。
パジャマのままで階段を下りてリビングに入ると、姉の柊かがみがもうテーブルについてご飯を食べていた。
「お姉ちゃん、おはよう」
「おはよう。珍しく早いわね、つかさ。今日お休みなのに」
もうすぐ十八歳だしね。そんな風に、あんまり答えになっていないような答えを返しながら、私はお姉ちゃんの
向かい側に座った。お母さんも「珍しいわねぇ」と言いながら私の前に朝ご飯を運んでくれる。これだけ珍しがら
れるのならたまに早起きもしてみるものかもしれないなぁ、なんて思いながら、ご飯を食べる。ほかほかのご飯と、
お味噌汁。お漬け物に、焼き魚。美味しいご飯は幸せだ。
「お姉ちゃん、今日は家にいるの?」
何気なく、私はそう聞いてみた。本当に、話のとっかかりくらいの積もりだった。こなちゃんやゆきちゃんと遊
ぶという約束もしていなかったし、別にお姉ちゃんの用事が気になるとかではなくて、世間話の一つに過ぎない言
葉だった。
でも、私の言葉に、お姉ちゃんは「ああ、うん、そうね……」と言葉を濁して目を逸らしてしまった。それを見
て、私は自分がお姉ちゃんのあまり触れて欲しくないところに触ってしまったのだと知った。昔から、お姉ちゃん
は嘘のつけない人だった。いつだって真っ直ぐだった。お父さんが大切に床の間に飾っていたお皿を割ってしまっ
たときも、どうやって誤魔化せばいいのかと考えていた私を引っ張っていって、真っ直ぐにお父さんのところに向
かうと、本当に誤魔化しの一つも入れずにやったことを正直に話して謝っちゃうような、そんな真っ直ぐな人だった。
だから、嘘をついているときは、すぐに分かってしまう。それを話したくないんだってこともすぐに分かってし
まう。双子とは言っても、ずるい私とはまったく違うのだ。
「どっか、出かけるんだ」
私がそう言うと、お姉ちゃんはほっとしたように表情を緩めて「ああ、そう、そうなの」と言った。出かけるの
は嘘じゃないんだ、と私は思った。出かける相手を私に言いたくないんだ、と思った。
そんなことを考えている自分に、私は苦笑した。詮索してどうしようと言うのだろう。
「つかさは、今日はどうするの?」
私は少し考える。さっきのまぶしさからすると、きっと今日は日射しが強くて、気温はぐんぐん上がっていくの
だろう。
「今日は、家にいるよ」
「……あんまりグダグダな生活しないのよ?」
「うーん、き、気をつける」
私が曖昧に笑うと、お姉ちゃんも笑った。それで、もう、いつもの空気だった。さっきまでの小さな棘はもうど
こかに引っ込んでしまっていた。
私がそう言うと、お姉ちゃんはほっとしたように表情を緩めて「ああ、そう、そうなの」と言った。出かけるの
は嘘じゃないんだ、と私は思った。出かける相手を私に言いたくないんだ、と思った。
そんなことを考えている自分に、私は苦笑した。詮索してどうしようと言うのだろう。
「つかさは、今日はどうするの?」
私は少し考える。さっきのまぶしさからすると、きっと今日は日射しが強くて、気温はぐんぐん上がっていくの
だろう。
「今日は、家にいるよ」
「……あんまりグダグダな生活しないのよ?」
「うーん、き、気をつける」
私が曖昧に笑うと、お姉ちゃんも笑った。それで、もう、いつもの空気だった。さっきまでの小さな棘はもうど
こかに引っ込んでしまっていた。
なぜ、この世には宿題というものが存在しているのだろう。いやそもそも、勉強とはいったいなんなのだろうか。
少なくとも私には、数式の並びに美を感じることはできないということは分かった。それを知るための勉強なのか
もしれない。わからないこと、できないことを一つ一つ知っていく。無限に広がっているように思える将来への道
を一本一本塞いでいく、それが勉強する、ということなのかもしれない。そんな意味のないことを考えてしまうの
は、目の前の問題とにらめっこしたまま三十分立ち止まってしまっているせいなのだろう。
ペンをノートの上に放り投げて、背もたれに体重を預けて、天井を仰ぐ。こういうときはお姉ちゃんに聞くのが
一番だ。しょうがないなぁ、なんて言いながら、それでもいつも、分からないところは教えてくれる。
後で聞こう。そんな風に考えた私に、ほんの刹那の間だけ浮かんだのは、今朝のお姉ちゃんの曖昧な表情で、朝
目を覚ましたときの理由の分からない感触だった。なぜそんなことを私は思い出すのだろう、と思った。どうして
こんなに気になっているのだろう、と私は思った。
よく、わからない。
わからないけど、私はもう一度ペンを握ると、本棚から参考書を引っ張り出して、今自分が悩んでいる問題の解
説が載っているところを探し始めた。
少なくとも私には、数式の並びに美を感じることはできないということは分かった。それを知るための勉強なのか
もしれない。わからないこと、できないことを一つ一つ知っていく。無限に広がっているように思える将来への道
を一本一本塞いでいく、それが勉強する、ということなのかもしれない。そんな意味のないことを考えてしまうの
は、目の前の問題とにらめっこしたまま三十分立ち止まってしまっているせいなのだろう。
ペンをノートの上に放り投げて、背もたれに体重を預けて、天井を仰ぐ。こういうときはお姉ちゃんに聞くのが
一番だ。しょうがないなぁ、なんて言いながら、それでもいつも、分からないところは教えてくれる。
後で聞こう。そんな風に考えた私に、ほんの刹那の間だけ浮かんだのは、今朝のお姉ちゃんの曖昧な表情で、朝
目を覚ましたときの理由の分からない感触だった。なぜそんなことを私は思い出すのだろう、と思った。どうして
こんなに気になっているのだろう、と私は思った。
よく、わからない。
わからないけど、私はもう一度ペンを握ると、本棚から参考書を引っ張り出して、今自分が悩んでいる問題の解
説が載っているところを探し始めた。
お姉ちゃんが帰ってきたのは、夜になってからだった。隣の部屋で物音が聞こえて、ああ、帰ってきたんだな、
と私は知った。一瞬どうしようか迷ったけれど、どうしても分からなかった問題を教えてもらおうと思って、私は
ノートと参考書を持ってお姉ちゃんの部屋に向かった。
と私は知った。一瞬どうしようか迷ったけれど、どうしても分からなかった問題を教えてもらおうと思って、私は
ノートと参考書を持ってお姉ちゃんの部屋に向かった。
こんこん、とドアをノック。返事はない。でもさっき物音がしてたから帰ってきてはいるはずだ。もう一度ノッ
ク。また返事はない。私は意を決して、そっとお姉ちゃんの部屋のドアを開けてみた。開いたドアの隙間は、真っ
黒だった。一瞬遅れて、電気がついていないんだ、と私は理解した。ひょっとして物音は錯覚で、まだ帰ってきて
いないのだろうか。けれど、私の手はそのままの勢いで、ドアを開いてしまっていた。
開いたドアの四角い空間から入ってくる、廊下の蛍光灯の明かりだけが部屋の中を複雑な陰影で飾っていた。そ
んな中で、私のお姉ちゃんはおそらく着替えもしないままで、ベッドにうつ伏せに寝転がっていった。まるで、全
てが静止してしまっているような光景だった。私の空けたドアから入ってくる光だけが進んでいる時間のようだっ
た。だから、私はお姉ちゃんに声をかけることができないままで、そのまま部屋の入り口に立ち尽くしてしまって
いた。
「……誰?」
そんな風に声をかけられて、ようやく私の体を縛っていた見えない糸が解けた。何故か焦った口調で、
「しゅ、宿題で分かんないところがあって、教えてもらおうと思って」
と私は言った。何に焦っているのか自分でもわからなかった。分からないけれど、手を意味もなく振りながら、
私は言った。お姉ちゃんはゆっくりと顔を上げた。部屋に入ってくる光が届かない場所で顔を上げたお姉ちゃんの
表情は、私には分からなかった。私はその場所で立ち止まっていた。近づけばいいのか、そのまま部屋を出て行け
ばいいのかわからなかった。
「……ごめん、明日に、して」
うん、と私は答えた。たぶん、答えたんだと思う。自分ではちゃんと声が出ていたのか自信が持てないけれど。
「お姉ちゃん」
「なに?」
「何か、あったの?」
そう聞かずにいられなかったのは、やっぱりお姉ちゃんは私のお姉ちゃんだからなのだろう。私の言葉に考え込
むような仕草を見せたお姉ちゃんは、ベッドに座り込む姿勢になると、片方の膝を立てて、その膝を抱くように抱
え込んだ。
「あったわ」
「そう、なんだ」
「でも、今日のことじゃないの。ずっと、あったの。それが続いているの」
「ずっと……?」
「雨みたいなものかもしれないわね」
ク。また返事はない。私は意を決して、そっとお姉ちゃんの部屋のドアを開けてみた。開いたドアの隙間は、真っ
黒だった。一瞬遅れて、電気がついていないんだ、と私は理解した。ひょっとして物音は錯覚で、まだ帰ってきて
いないのだろうか。けれど、私の手はそのままの勢いで、ドアを開いてしまっていた。
開いたドアの四角い空間から入ってくる、廊下の蛍光灯の明かりだけが部屋の中を複雑な陰影で飾っていた。そ
んな中で、私のお姉ちゃんはおそらく着替えもしないままで、ベッドにうつ伏せに寝転がっていった。まるで、全
てが静止してしまっているような光景だった。私の空けたドアから入ってくる光だけが進んでいる時間のようだっ
た。だから、私はお姉ちゃんに声をかけることができないままで、そのまま部屋の入り口に立ち尽くしてしまって
いた。
「……誰?」
そんな風に声をかけられて、ようやく私の体を縛っていた見えない糸が解けた。何故か焦った口調で、
「しゅ、宿題で分かんないところがあって、教えてもらおうと思って」
と私は言った。何に焦っているのか自分でもわからなかった。分からないけれど、手を意味もなく振りながら、
私は言った。お姉ちゃんはゆっくりと顔を上げた。部屋に入ってくる光が届かない場所で顔を上げたお姉ちゃんの
表情は、私には分からなかった。私はその場所で立ち止まっていた。近づけばいいのか、そのまま部屋を出て行け
ばいいのかわからなかった。
「……ごめん、明日に、して」
うん、と私は答えた。たぶん、答えたんだと思う。自分ではちゃんと声が出ていたのか自信が持てないけれど。
「お姉ちゃん」
「なに?」
「何か、あったの?」
そう聞かずにいられなかったのは、やっぱりお姉ちゃんは私のお姉ちゃんだからなのだろう。私の言葉に考え込
むような仕草を見せたお姉ちゃんは、ベッドに座り込む姿勢になると、片方の膝を立てて、その膝を抱くように抱
え込んだ。
「あったわ」
「そう、なんだ」
「でも、今日のことじゃないの。ずっと、あったの。それが続いているの」
「ずっと……?」
「雨みたいなものかもしれないわね」
うん、そうかもね。お姉ちゃんはがそう言うと、部屋の中の空気が少しだけ揺れたような気がした。私はその気
配で、お姉ちゃんが笑ったんだと思った。真っ暗な中で、笑ったんだと思った。
「夕立みたいに突然やってきて、全部めちゃめちゃに濡らしていっちゃうの。色は滲んで、組織はふやけて、ぐに
ゃぐにゃになって、もう戻らなくなっちゃうのね」
分からない。
お姉ちゃんが何を言っているのか、分からない。ずっと一緒にいた双子の姉妹なのに、いままで絶対にどこかで
繋がっているという自信があったのに、今はほんの数メートルの距離が、酷く遠い。
何を感じているのか分からない。
何を悩んでいるのか分からない。
何を想っているのか、分からない。
「わからないよ」私は小さく頭を振った。「お姉ちゃんが何を言ってるのか、分からない」
「そうね」お姉ちゃんは言った。「きっと、そうなっていくのね」
「雨は、いつか止むんでしょ?」
「でも、また降ってくるわ」
「服だって、乾くよ」
「滲んだ色は、ふやけた組織は、もう、戻らないの」
お姉ちゃんはもう顔を上げていなかった。
「つかさ」声だけは、近くて、優しかった。「あんたは、こっちに来ちゃだめよ」
「こっち?」
お姉ちゃんの言う『こっち』がどこなのか、私には分からなかった。分からないという私に気付いたのだろう、
お姉ちゃんは「それでいいのよ」と言った。その声が静かで、優しすぎて、何故か私は言葉に詰まった。その優し
さが、私とお姉ちゃんを決定的に隔てるものなのだということを、私は理解してしまった。私は私が今立っている
場所を見た。そして、お姉ちゃんが座り込んでいる場所を見た。光と影で隔てられた場所に私たちは立っていた。
一歩近寄ろうとした私を、お姉ちゃんの手が制した。こっちに来ちゃだめ。もう一度、お姉ちゃんはその言葉を呟
いた。
私は一人になったんだ、と知った。まるで春一番が桜の花びらを全部吹き散らしてしまった後のように、気付い
てしまった。全部吹き飛ばされた後、残ってしまったただ一人の私。双子の半身は別の場所に、一人だけの場所に
行ってしまった。
「私は」俯いて、言った。「どこに行けば、いいの?」
「それは」お姉ちゃんは言った。「自分で決めなさい」
配で、お姉ちゃんが笑ったんだと思った。真っ暗な中で、笑ったんだと思った。
「夕立みたいに突然やってきて、全部めちゃめちゃに濡らしていっちゃうの。色は滲んで、組織はふやけて、ぐに
ゃぐにゃになって、もう戻らなくなっちゃうのね」
分からない。
お姉ちゃんが何を言っているのか、分からない。ずっと一緒にいた双子の姉妹なのに、いままで絶対にどこかで
繋がっているという自信があったのに、今はほんの数メートルの距離が、酷く遠い。
何を感じているのか分からない。
何を悩んでいるのか分からない。
何を想っているのか、分からない。
「わからないよ」私は小さく頭を振った。「お姉ちゃんが何を言ってるのか、分からない」
「そうね」お姉ちゃんは言った。「きっと、そうなっていくのね」
「雨は、いつか止むんでしょ?」
「でも、また降ってくるわ」
「服だって、乾くよ」
「滲んだ色は、ふやけた組織は、もう、戻らないの」
お姉ちゃんはもう顔を上げていなかった。
「つかさ」声だけは、近くて、優しかった。「あんたは、こっちに来ちゃだめよ」
「こっち?」
お姉ちゃんの言う『こっち』がどこなのか、私には分からなかった。分からないという私に気付いたのだろう、
お姉ちゃんは「それでいいのよ」と言った。その声が静かで、優しすぎて、何故か私は言葉に詰まった。その優し
さが、私とお姉ちゃんを決定的に隔てるものなのだということを、私は理解してしまった。私は私が今立っている
場所を見た。そして、お姉ちゃんが座り込んでいる場所を見た。光と影で隔てられた場所に私たちは立っていた。
一歩近寄ろうとした私を、お姉ちゃんの手が制した。こっちに来ちゃだめ。もう一度、お姉ちゃんはその言葉を呟
いた。
私は一人になったんだ、と知った。まるで春一番が桜の花びらを全部吹き散らしてしまった後のように、気付い
てしまった。全部吹き飛ばされた後、残ってしまったただ一人の私。双子の半身は別の場所に、一人だけの場所に
行ってしまった。
「私は」俯いて、言った。「どこに行けば、いいの?」
「それは」お姉ちゃんは言った。「自分で決めなさい」
「自分で?」
「私は自分で選んだの」お姉ちゃんは顔を上げた。「だから、つかさも、自分で選びなさい」
顔を上げたお姉ちゃんの顔は、笑っているようだった。笑っているように、泣いているような、そんな顔だった。
「もうどこにもいけなくても、私はそれを選んだ、から」
だから。その後の言葉は聞こえなかった。何を選んだのか、聞いてしまいそうになる口を、私は手で押さえた。
「お姉ちゃん」私は言った。「おやすみなさい」
「おやすみ、つかさ」
ゆっくりと後ろに下がって、私はドアを閉めた。部屋に戻って、ベッドに潜り込んで、電気を消した。部屋が真
っ暗になった。目を閉じると、ほんの僅かな陰影も見えなくなった。これがお姉ちゃんのいる世界なんだろうか、
と私は思った。
こんな世界で、何を想うのだろう。
そんなことを考えて、少しだけ私は泣いていた。
「私は自分で選んだの」お姉ちゃんは顔を上げた。「だから、つかさも、自分で選びなさい」
顔を上げたお姉ちゃんの顔は、笑っているようだった。笑っているように、泣いているような、そんな顔だった。
「もうどこにもいけなくても、私はそれを選んだ、から」
だから。その後の言葉は聞こえなかった。何を選んだのか、聞いてしまいそうになる口を、私は手で押さえた。
「お姉ちゃん」私は言った。「おやすみなさい」
「おやすみ、つかさ」
ゆっくりと後ろに下がって、私はドアを閉めた。部屋に戻って、ベッドに潜り込んで、電気を消した。部屋が真
っ暗になった。目を閉じると、ほんの僅かな陰影も見えなくなった。これがお姉ちゃんのいる世界なんだろうか、
と私は思った。
こんな世界で、何を想うのだろう。
そんなことを考えて、少しだけ私は泣いていた。
駅のホームで、お姉ちゃんとこなちゃんが楽しそうにおしゃべりをしながら、滑り込んできた電車に乗り込んだ。
私もそれに続こうとして、でも、足が止まってしまった。二人が振り返って私を見る。その二人の顔が軽い驚きの
色に染まった。そのまま私たちを隔てるようにドアが閉じた。驚いた顔のままの二人を乗せたまま、電車はゆっく
りと走り出した。私は笑って、二人に向けて手を振った。電車は加速していき、すぐに二人は見えなくなった。私
はしばらく電車の走っていった方向を見送った後、次の電車をホームのベンチに座って待つことにした。
見上げた空は雲一つない快晴で、雨の気配なんてどこにも感じられなかった。
練習だよ、お姉ちゃん。
空を見上げたまま、私は小さく呟いた。
ひとりぼっちになる、練習なの。
私もそれに続こうとして、でも、足が止まってしまった。二人が振り返って私を見る。その二人の顔が軽い驚きの
色に染まった。そのまま私たちを隔てるようにドアが閉じた。驚いた顔のままの二人を乗せたまま、電車はゆっく
りと走り出した。私は笑って、二人に向けて手を振った。電車は加速していき、すぐに二人は見えなくなった。私
はしばらく電車の走っていった方向を見送った後、次の電車をホームのベンチに座って待つことにした。
見上げた空は雲一つない快晴で、雨の気配なんてどこにも感じられなかった。
練習だよ、お姉ちゃん。
空を見上げたまま、私は小さく呟いた。
ひとりぼっちになる、練習なの。
次の日から、私は朝寝坊をすることを止めた。宿題もできる限り自力でやるようになった。私なりに積極的に、
お姉ちゃんやこなちゃん、ゆきちゃん以外の人とも話をするようになった。そうやって、私は少しずつ、一人にな
ることに慣れていこうと思った。それはとても寂しいことだったけれど、慣れなければいけないことなんだろうと
思った。
今はまだ何も選べてはいないけれど、いつかは私も、あの日のお姉ちゃんのように何かを選ばなければいけない
日が来るのだと、私は知った。
お姉ちゃんやこなちゃん、ゆきちゃん以外の人とも話をするようになった。そうやって、私は少しずつ、一人にな
ることに慣れていこうと思った。それはとても寂しいことだったけれど、慣れなければいけないことなんだろうと
思った。
今はまだ何も選べてはいないけれど、いつかは私も、あの日のお姉ちゃんのように何かを選ばなければいけない
日が来るのだと、私は知った。
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- つかさはやさしいから、静かに身を引いてゆくんだね -- 名無しさん (2008-05-06 06:30:00)
- なんだか好きな話だ -- 名無しさん (2008-05-05 23:07:27)