実を言うと、水の中に入った経験が、ほとんどない。小さなころから体が弱かった私は、体育にまともに参加できた記憶が
あまりないのだ。普段の体育などでもそうなのだから、水泳の授業ならなおさらだ。体操服に着替えて、日陰に座り込んで、
楽しそうに泳いでるみんなを眺めている私。毎年毎年、学校指定の水着を買うには買うのだけれど、一度も着られることのな
いままにタンスの奥にしまわれていく。
そんな私でも、一度だけプールというものに行ったことがある。顔をつけて、水の中で目を開ける練習をして、それから浮
かぶ練習をした。不思議と、水中にいるのは楽しかった。重力が消えて、自分の重さがゼロになって、水の中で浮かんでいる、
そんな感触を、とても懐かしいと私は思った。
ふわふわと水の中に潜りながら、初めてプールに行ったのに、なぜか私は、それと似た感じを知っているような気がしたの
だ。
あまりないのだ。普段の体育などでもそうなのだから、水泳の授業ならなおさらだ。体操服に着替えて、日陰に座り込んで、
楽しそうに泳いでるみんなを眺めている私。毎年毎年、学校指定の水着を買うには買うのだけれど、一度も着られることのな
いままにタンスの奥にしまわれていく。
そんな私でも、一度だけプールというものに行ったことがある。顔をつけて、水の中で目を開ける練習をして、それから浮
かぶ練習をした。不思議と、水中にいるのは楽しかった。重力が消えて、自分の重さがゼロになって、水の中で浮かんでいる、
そんな感触を、とても懐かしいと私は思った。
ふわふわと水の中に潜りながら、初めてプールに行ったのに、なぜか私は、それと似た感じを知っているような気がしたの
だ。
私は求めていなかった(レイニーロジック・Ⅴ)
梅雨は、いつになったら終わるのだろうか。眠りから覚めて、カーテンを引いた私はまずそんなことを考えた。窓を叩く雨
粒の音が妙に大きく聞こえる。ぱたぱたぱた。そこに何か規則性のようなものを見つけようとして、すぐにそんなものあるわ
けがないことに気付く。
パジャマを脱ぐと、昨日の晩枕元に用意しておいた着替えを手に取る。時間はいつもよりも早い。今日は私が朝食を作る番
なのだ。今まで、こっちの家に来るまではそんなことはしたことが無かったけれど、今はこなたお姉ちゃんに教えてもらいな
がら、すこしずつ料理も覚えていっている。それは変化なのだろうか、と私は考える。きっと変化なのだろう。
着替えてリビングに降りると、エプロンを身につける。まだ誰も起きてきていないようだった。昨日の晩にセットしておい
たご飯が炊けていることを確認すると、鍋に水を張って、火にかける。ご飯、お味噌汁、冷蔵庫から鮭の切り身、漬け物、あ
とは納豆かな。本当に簡単なものしかできないけれど、お姉ちゃんもおじさんも美味しいって食べてくれるのが、私には嬉し
い。
私は、何かをしている。
私は、誰かと繋がっている。
そんなことを、嬉しいと思ってしまう。それはいけないことなのだろうか。
少しだけぼんやりする頭を振って、私は手のひらの上でカットしたお豆腐を鍋の中に落としていく。こんなことに自分を肯
定してくれるものを求めてしまうのは、いやらしいことなのではないか、そんなことを考えながら。
粒の音が妙に大きく聞こえる。ぱたぱたぱた。そこに何か規則性のようなものを見つけようとして、すぐにそんなものあるわ
けがないことに気付く。
パジャマを脱ぐと、昨日の晩枕元に用意しておいた着替えを手に取る。時間はいつもよりも早い。今日は私が朝食を作る番
なのだ。今まで、こっちの家に来るまではそんなことはしたことが無かったけれど、今はこなたお姉ちゃんに教えてもらいな
がら、すこしずつ料理も覚えていっている。それは変化なのだろうか、と私は考える。きっと変化なのだろう。
着替えてリビングに降りると、エプロンを身につける。まだ誰も起きてきていないようだった。昨日の晩にセットしておい
たご飯が炊けていることを確認すると、鍋に水を張って、火にかける。ご飯、お味噌汁、冷蔵庫から鮭の切り身、漬け物、あ
とは納豆かな。本当に簡単なものしかできないけれど、お姉ちゃんもおじさんも美味しいって食べてくれるのが、私には嬉し
い。
私は、何かをしている。
私は、誰かと繋がっている。
そんなことを、嬉しいと思ってしまう。それはいけないことなのだろうか。
少しだけぼんやりする頭を振って、私は手のひらの上でカットしたお豆腐を鍋の中に落としていく。こんなことに自分を肯
定してくれるものを求めてしまうのは、いやらしいことなのではないか、そんなことを考えながら。
おはよう、と声をかけると、普通におはようと返事が返ってくる。それは、私にはとても新鮮なことだった。中学のことは
教室では息を潜めていただけだったような気がする。いじめられていたわけではない。いじめられるほどには、私の存在は濃
くなかったのだろう。友達らしい友達もいなかった。その証拠に、高校になってからも付き合いのある中学時代の人は、私に
はいない。ときどき、あの頃の私はいったい何をしていたんだろうという気持ちになってしまう。
そんなことを考えながら自分の席に鞄を置こうとすると、他のクラスメイトと話していたみなみちゃんと視線があった。軽
く、私に向かって片手を上げる。私はそんなみなみちゃんに手を振り返した。
みなみちゃんはこっちに来そうな様子だったけれど、私は手を振って、机の上に置いた鞄を空けると、筆記用具や今日の授
業で使う教科書を引っ張り出し始めた。そんな私の様子をみたみなみちゃんは、クラスメイトとの話に戻ったみたいだった。
何故そうしたのか、自分でもよく分からなかった。少しずつ、みなみちゃんが私から離れていく、そんな現実を想像してみ
た。それはきっと、遠からず訪れる未来なんじゃないのかと私は思う。彼女は純粋で、優しくて、どこにも馴染めない私を放
っておけないだけなのだ。そんな関係はきっとすぐに破綻する。それを私は知っていた。いつだってそうだ。親切そうに私の
体が弱いことを気遣ってくれた人も、そのうちにいなくなる。それを悪いとか、嫌だとは思わない。ただ、そういうものだと
受け入れるだけだ。これまでそうやって生きてきて、これからもそうやって生きていくだけなのだろう。
私はいつも、無意識に誰かの庇護を当てにして動いているんじゃないだろうか。一度そんな風に考えてしまったら、もうそ
れを止めることは私には難しかった。これまでの私が、その考えを肯定してしまっているように思えた。少なくとも、高校に
入るまでの私は、みなみちゃんに出会うまでの私は、そうだったはずなのだ。
自分の席に座って、私は自分の右手を見た。自分の手の向こうに、いつかの夕日が見えた。手を繋いだときの暖かさが世界
を塗り替えるように思い出せた。
教室では息を潜めていただけだったような気がする。いじめられていたわけではない。いじめられるほどには、私の存在は濃
くなかったのだろう。友達らしい友達もいなかった。その証拠に、高校になってからも付き合いのある中学時代の人は、私に
はいない。ときどき、あの頃の私はいったい何をしていたんだろうという気持ちになってしまう。
そんなことを考えながら自分の席に鞄を置こうとすると、他のクラスメイトと話していたみなみちゃんと視線があった。軽
く、私に向かって片手を上げる。私はそんなみなみちゃんに手を振り返した。
みなみちゃんはこっちに来そうな様子だったけれど、私は手を振って、机の上に置いた鞄を空けると、筆記用具や今日の授
業で使う教科書を引っ張り出し始めた。そんな私の様子をみたみなみちゃんは、クラスメイトとの話に戻ったみたいだった。
何故そうしたのか、自分でもよく分からなかった。少しずつ、みなみちゃんが私から離れていく、そんな現実を想像してみ
た。それはきっと、遠からず訪れる未来なんじゃないのかと私は思う。彼女は純粋で、優しくて、どこにも馴染めない私を放
っておけないだけなのだ。そんな関係はきっとすぐに破綻する。それを私は知っていた。いつだってそうだ。親切そうに私の
体が弱いことを気遣ってくれた人も、そのうちにいなくなる。それを悪いとか、嫌だとは思わない。ただ、そういうものだと
受け入れるだけだ。これまでそうやって生きてきて、これからもそうやって生きていくだけなのだろう。
私はいつも、無意識に誰かの庇護を当てにして動いているんじゃないだろうか。一度そんな風に考えてしまったら、もうそ
れを止めることは私には難しかった。これまでの私が、その考えを肯定してしまっているように思えた。少なくとも、高校に
入るまでの私は、みなみちゃんに出会うまでの私は、そうだったはずなのだ。
自分の席に座って、私は自分の右手を見た。自分の手の向こうに、いつかの夕日が見えた。手を繋いだときの暖かさが世界
を塗り替えるように思い出せた。
『ゆたかの手は、あたたかいよ』
握って、開く。そこにはもういつかの夕日はない。手を繋いだときの暖かさもない。自分の体温があるだけだ。
いつだってそうで、これからだってずっとそうであるはずなのだ。
いつだってそうで、これからだってずっとそうであるはずなのだ。
運命の出会いという言葉を、私は信じていなかった。けれどそれは、信じたいけれど、そんなことがあるはずがないという
意味で、信じていなかったのかもしれない。そんな思いの裏返しとして、私はいつかそんな出会いが自分にやってくるんじゃ
ないかと夢を見ていたのかもしれない。
みなみちゃん。
出会った瞬間に分かっていたのかもしれない。
みなみちゃんは、私の『運命の人』だって。
意味で、信じていなかったのかもしれない。そんな思いの裏返しとして、私はいつかそんな出会いが自分にやってくるんじゃ
ないかと夢を見ていたのかもしれない。
みなみちゃん。
出会った瞬間に分かっていたのかもしれない。
みなみちゃんは、私の『運命の人』だって。
それが、みなみちゃんにとっての運命だと思えるほどには、自惚れてはいないけれど。
「運命の人、かぁ」
きい、とこなたお姉ちゃんの座っている椅子が軋みながら回転して、お姉ちゃんは私に体を向けた。喉のあたりにつっかえ
るようなものを感じて、私はけほんと小さく咳をした。
「そういうのってさ、お姉ちゃんはあると、思う?」
「あるんじゃないかな」
今日の天気の話でもするように、お姉ちゃんはさらりと私の言葉に答えた。
「その人を、好きになることも?」
「たぶん」
「ずっと、一緒にいたいと思っちゃうことも?」
「きっと」
「もっともっと、相手のことを知りたいと思っちゃうことも?」
「もしかしたら」
「もっともっと、相手に触れたいと思うことも?」
「可能性としては」
「要するに、えっと、その、」
「セックスしたくなるか、ってこと? それなら、まあ、あるんじゃない?」
その単語がお姉ちゃんの口から飛び出してきたことに、私は驚いた。お姉ちゃんがまったく表情を変えずに、いつも通りの
お姉ちゃんのままでそんな単語を口にしたことに、私は驚いた。驚いて、驚いて、そして、私は理解してしまった。
「ね、ゆーちゃん、あるんだよ。そういうこと、きっと、あるんだよ」
「お姉ちゃん」
喉に何かが引っかかったような声で、私はお姉ちゃんを呼んだ。でも、私は頭のどこかで、自分の制御下にある意識の外で、
きっと理解していた。私の声は、お姉ちゃんには届かない。私のどんな言葉も、お姉ちゃんには届かない。
私は、お姉ちゃんと同じ場所に立ってはいない。
「同じだよ」お姉ちゃんは言った。「ゆーちゃんはもう、同じ場所にいるんだよ」
きい、とこなたお姉ちゃんの座っている椅子が軋みながら回転して、お姉ちゃんは私に体を向けた。喉のあたりにつっかえ
るようなものを感じて、私はけほんと小さく咳をした。
「そういうのってさ、お姉ちゃんはあると、思う?」
「あるんじゃないかな」
今日の天気の話でもするように、お姉ちゃんはさらりと私の言葉に答えた。
「その人を、好きになることも?」
「たぶん」
「ずっと、一緒にいたいと思っちゃうことも?」
「きっと」
「もっともっと、相手のことを知りたいと思っちゃうことも?」
「もしかしたら」
「もっともっと、相手に触れたいと思うことも?」
「可能性としては」
「要するに、えっと、その、」
「セックスしたくなるか、ってこと? それなら、まあ、あるんじゃない?」
その単語がお姉ちゃんの口から飛び出してきたことに、私は驚いた。お姉ちゃんがまったく表情を変えずに、いつも通りの
お姉ちゃんのままでそんな単語を口にしたことに、私は驚いた。驚いて、驚いて、そして、私は理解してしまった。
「ね、ゆーちゃん、あるんだよ。そういうこと、きっと、あるんだよ」
「お姉ちゃん」
喉に何かが引っかかったような声で、私はお姉ちゃんを呼んだ。でも、私は頭のどこかで、自分の制御下にある意識の外で、
きっと理解していた。私の声は、お姉ちゃんには届かない。私のどんな言葉も、お姉ちゃんには届かない。
私は、お姉ちゃんと同じ場所に立ってはいない。
「同じだよ」お姉ちゃんは言った。「ゆーちゃんはもう、同じ場所にいるんだよ」
「違う」
「違わない」
お姉ちゃんは私から視線を外して、窓の外を見た。窓に張り付いていた雨蛙が、雨に押されるようにして張り付いていた窓
から飛び降りた。雨蛙のいなくなった窓を、雨が乱暴にノックしている。
「雨が落ちてくるのと、同じようなものだよネ」お姉ちゃんは小さく肩を竦めた。「空の上で、水蒸気が集まって、それが大
きくなって落ちてくる。重力に耐えられなくなって、落ちてくるんだよ」
私は小さく頭を振った。
「重力には、逆らえない」
違う、と私は言いたかった。それは違う、と言いたかった。言わなければいけないと思った。
「落ちていくのを止めることなんて、できないんだよ」
なのに、現実の私は、頭を横に振ることしかできなかった。声が出なかった。喉に何かが詰まったように、ひゅうひゅうと
今にも消えそうな吐息が漏れるだけだった。そんな私を、お姉ちゃんは見ていなかった。椅子に座ったまま、窓の外の景色を、
見ていた。お姉ちゃんの見ているものが、私には見えないんだと知った。
私は胸を押さえた。私とお姉ちゃんの会話は、もう終わっていた。どうしようもなく、終わってしまっていた。どこにも行
き場のない言葉と想いの残滓だけが、今この部屋の中を漂っていた。それを拾い集めたらどこかにいけるのだろうか、と私は
思った。何かに届くのだろうか、と私は思った。けれど、残滓は残滓で、もう捨てられてしまった言葉だった。もう戻ること
のない想いの断片でしかなかった。
ごくん、と私は乾いた口の中から、無理矢理唾液を飲み込んだ。
「みなみちゃんに、よろしくね」
背中を向けた私にかけられた言葉は、とても優しくて、残酷な声色だった。振り返って、その言葉を言ったお姉ちゃんの表
情を見たいという衝動が、ほんの刹那にも満たない時間の間、私の全身を走り抜けた。精一杯の自制心を動員して、私はそれ
をやり過ごした。この部屋の中に浮かんでいるものが、その言葉と一緒に私に絡みついてくるのが分かった。
落ちていく、と私は思った。
重力には逆らえない、という言葉を私は想った。
「……かがみさんに、よろしく」
そんな私の精一杯の抵抗も、部屋の中に浮かんでいるものの中の一つに溶けて、消えていくようだった。
こほん、と私はひとつ咳をした。
「違わない」
お姉ちゃんは私から視線を外して、窓の外を見た。窓に張り付いていた雨蛙が、雨に押されるようにして張り付いていた窓
から飛び降りた。雨蛙のいなくなった窓を、雨が乱暴にノックしている。
「雨が落ちてくるのと、同じようなものだよネ」お姉ちゃんは小さく肩を竦めた。「空の上で、水蒸気が集まって、それが大
きくなって落ちてくる。重力に耐えられなくなって、落ちてくるんだよ」
私は小さく頭を振った。
「重力には、逆らえない」
違う、と私は言いたかった。それは違う、と言いたかった。言わなければいけないと思った。
「落ちていくのを止めることなんて、できないんだよ」
なのに、現実の私は、頭を横に振ることしかできなかった。声が出なかった。喉に何かが詰まったように、ひゅうひゅうと
今にも消えそうな吐息が漏れるだけだった。そんな私を、お姉ちゃんは見ていなかった。椅子に座ったまま、窓の外の景色を、
見ていた。お姉ちゃんの見ているものが、私には見えないんだと知った。
私は胸を押さえた。私とお姉ちゃんの会話は、もう終わっていた。どうしようもなく、終わってしまっていた。どこにも行
き場のない言葉と想いの残滓だけが、今この部屋の中を漂っていた。それを拾い集めたらどこかにいけるのだろうか、と私は
思った。何かに届くのだろうか、と私は思った。けれど、残滓は残滓で、もう捨てられてしまった言葉だった。もう戻ること
のない想いの断片でしかなかった。
ごくん、と私は乾いた口の中から、無理矢理唾液を飲み込んだ。
「みなみちゃんに、よろしくね」
背中を向けた私にかけられた言葉は、とても優しくて、残酷な声色だった。振り返って、その言葉を言ったお姉ちゃんの表
情を見たいという衝動が、ほんの刹那にも満たない時間の間、私の全身を走り抜けた。精一杯の自制心を動員して、私はそれ
をやり過ごした。この部屋の中に浮かんでいるものが、その言葉と一緒に私に絡みついてくるのが分かった。
落ちていく、と私は思った。
重力には逆らえない、という言葉を私は想った。
「……かがみさんに、よろしく」
そんな私の精一杯の抵抗も、部屋の中に浮かんでいるものの中の一つに溶けて、消えていくようだった。
こほん、と私はひとつ咳をした。
触れてはいけない。
そんなこと、分かっている。
分かっている、のに。
そんなこと、分かっている。
分かっている、のに。
目を開く。結局まともに睡眠をとることはできなかったな、と私は思った。目を閉じると真っ黒な世界の中でいろんなもの
がぐるぐると回っていて、それが私の中に入り込んでこようとしているように感じて、その度に目を開けて、そんなことを繰
り返していたら眠れるわけなんてなかった。
こほん、と咳をする。なんだか重く感じる体を引きずるようにしてベッドから降りた。
着替えてリビングに降りると、私の分の食事だけがテーブルの上に置いてあった。その傍に小さなメモが一つ。お姉ちゃん
が先に家を出たこと。叔父さんは仕事の打ち合わせでそれよりも早く家を出ていること。私は用意されていた朝食を押し込む
ようにして食べると、食器を流しにおいて、家を出た。
雨は、降り続いている。
がぐるぐると回っていて、それが私の中に入り込んでこようとしているように感じて、その度に目を開けて、そんなことを繰
り返していたら眠れるわけなんてなかった。
こほん、と咳をする。なんだか重く感じる体を引きずるようにしてベッドから降りた。
着替えてリビングに降りると、私の分の食事だけがテーブルの上に置いてあった。その傍に小さなメモが一つ。お姉ちゃん
が先に家を出たこと。叔父さんは仕事の打ち合わせでそれよりも早く家を出ていること。私は用意されていた朝食を押し込む
ようにして食べると、食器を流しにおいて、家を出た。
雨は、降り続いている。
バスから降りたところで、私はみなみちゃんの後ろ姿を見つけた。たくさんの同じ制服を着た同じような後ろ姿の中で、そ
の人だけが特別だった。探す必要もなく私の目に飛び込んでくる。その意味を考えようとして、やめた。昨日のお姉ちゃんの
言葉の意味を考えようとして、やめた。
息苦しさを感じて、私は胸を押さえた。喘ぐように、酸素を求める。上手く息が吸えない。
声をかけたわけではないのに、何故かみなみちゃんがこちらを振り返った。私を見るその目が、驚きで見開かれている。あ
まり表情を変えないみなみちゃんにしては珍しいな、と私は思う。
傘が、私の手から落ちた。
「ゆたか!」
ぐ、と引き寄せられるのが分かった。真っ白なものが私の視界いっぱいに広がった。のろのろと顔を上げると、私を見下ろ
すみなみちゃんの顔があった。驚いたような、焦ったような、そんな顔。狼狽しているみなみちゃんの顔は、それでもやっぱ
りきれいだった。私はきれいだと思った。どんなみなみちゃんも、きっときれいなんだろうと思った。
「みなみちゃんは」
「ゆたか」
「きれいだ、ね」
「ゆたか」
触れてはいけない、そんな風に言い聞かせていた私の手は、みなみちゃんの服の裾を掴んでいた。雨が私とみなみちゃんを
濡らしていくのが分かった。運命の人。重力。全てのものに存在する重力。引っ張り合う力。止めることなんて、できない力。
額に触れた、ひんやりと気持ちの良いみなみちゃんの手。
「熱が、ある」
ふわり、と体が浮かんだ。まるで重力が無くなったみたいな気分。ふわふわとどこかに浮かんでいるような感じ。ああ、と
私は思う。プールに行ったときのことを思い出す。慣れているように感じたのはこのことか、と納得する。わざわざ水の中に
入らなくても、私はいつも地上でふわふわ浮かんでいる。みなみちゃんに抱き抱えられて、私はふわふわと浮かんでいた。
「しっかり。すぐ保健室に」
雨が私を濡らしていくように、ふわふわ浮かんでいた私は落ちていくんだ、と思った。私を引っ張っているのはみなみちゃ
んの重力だった。今の私にはそれだけだった。それしかなかった。
それだけが、求めてはいけないものなのだと知っていた。
それだけしか、私は求めていなかったのだと知った。
落ちていく、と私は思った。
みなみちゃんを巻き添えにして、落ちていく。
私はそのまま、みなみちゃんの胸に顔を埋めるようにして、目を閉じた。
ごめんなさい、と小さく呟いた。
頬を濡らしていたのは、雨だけだった。きっと、雨だけだったんだ。
の人だけが特別だった。探す必要もなく私の目に飛び込んでくる。その意味を考えようとして、やめた。昨日のお姉ちゃんの
言葉の意味を考えようとして、やめた。
息苦しさを感じて、私は胸を押さえた。喘ぐように、酸素を求める。上手く息が吸えない。
声をかけたわけではないのに、何故かみなみちゃんがこちらを振り返った。私を見るその目が、驚きで見開かれている。あ
まり表情を変えないみなみちゃんにしては珍しいな、と私は思う。
傘が、私の手から落ちた。
「ゆたか!」
ぐ、と引き寄せられるのが分かった。真っ白なものが私の視界いっぱいに広がった。のろのろと顔を上げると、私を見下ろ
すみなみちゃんの顔があった。驚いたような、焦ったような、そんな顔。狼狽しているみなみちゃんの顔は、それでもやっぱ
りきれいだった。私はきれいだと思った。どんなみなみちゃんも、きっときれいなんだろうと思った。
「みなみちゃんは」
「ゆたか」
「きれいだ、ね」
「ゆたか」
触れてはいけない、そんな風に言い聞かせていた私の手は、みなみちゃんの服の裾を掴んでいた。雨が私とみなみちゃんを
濡らしていくのが分かった。運命の人。重力。全てのものに存在する重力。引っ張り合う力。止めることなんて、できない力。
額に触れた、ひんやりと気持ちの良いみなみちゃんの手。
「熱が、ある」
ふわり、と体が浮かんだ。まるで重力が無くなったみたいな気分。ふわふわとどこかに浮かんでいるような感じ。ああ、と
私は思う。プールに行ったときのことを思い出す。慣れているように感じたのはこのことか、と納得する。わざわざ水の中に
入らなくても、私はいつも地上でふわふわ浮かんでいる。みなみちゃんに抱き抱えられて、私はふわふわと浮かんでいた。
「しっかり。すぐ保健室に」
雨が私を濡らしていくように、ふわふわ浮かんでいた私は落ちていくんだ、と思った。私を引っ張っているのはみなみちゃ
んの重力だった。今の私にはそれだけだった。それしかなかった。
それだけが、求めてはいけないものなのだと知っていた。
それだけしか、私は求めていなかったのだと知った。
落ちていく、と私は思った。
みなみちゃんを巻き添えにして、落ちていく。
私はそのまま、みなみちゃんの胸に顔を埋めるようにして、目を閉じた。
ごめんなさい、と小さく呟いた。
頬を濡らしていたのは、雨だけだった。きっと、雨だけだったんだ。
空を見上げた。ハリガネのような雨が私に向かって降ってくる。
私を撃ち抜くように降ってくる雨。もっと、もっと痛くなればいい、と私は思って、
それが、お姉ちゃんの見ていた景色なんだと、知った。
私を撃ち抜くように降ってくる雨。もっと、もっと痛くなればいい、と私は思って、
それが、お姉ちゃんの見ていた景色なんだと、知った。
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- ほかのみなゆたにない物哀しくもきれいな雰囲気を味わいたくて、繰り返し読んでます。この話、すごく好きです。 -- マシュラ (2008-09-18 22:20:06)
- ↑確かにプロ(という言葉が軽いものではないことはモノ書きのはしくれとして理解していますが)のレベルだと思います。
何より一人称で会話がギリギリまで削がれているのにストレスなく読める文章力は非常に羨ましいです。
ネットでのSSは読み手が我慢して読んでくれる文章量と表現がある程度決まっているのにも係わらず『読ませてしまう』実力…
ヒントだけでもいいから自分に下さい(泣) -- 名無しさん (2008-04-01 14:08:46) - 久しぶりに見直しましたがやっぱり驚異的に文章がうまい……
暗い同性愛の話は苦手なのに読まされてしまいます -- 名無しさん (2008-03-05 02:43:52)