江戸時代再評価、pax tokugawana説は、梅棹の生態史観を下敷きにして、『第一地域』の西欧と日本では、それぞれ別の政治システムが発達し、日本では江戸時代にピークを迎えた、という考え方。例えば川勝平太は以下のように、「パックス・トクガワーナ説」を展開する。
ヨーロッパは、大西洋を「われらが海」となし、環大西洋圏で物産を需給する「近代世界システム」を作り上げることによって輸入代替に成功し、自給を達成した。それと同時期に日本は鎖国体制を完成させた。
つまりヨーロッパの産業革命とほぼ同時期に、日本は「鎖国」を物的に裏付ける自給自足体制を完成し、それまで旧アジア文明圏から輸入していた物産をほぼすべて国内土壌に移植して物産の国内自給を達成したということになる。
ヨーロッパは ヨーロッパは広大な土地に資本を投下する「資本集約型」、日本は狭い土地に労働を投下する「労働集約型」と、それぞれ生産革命の形態は違うが、いずれもこの生産革命によって、貨幣素材の海外流出が止まった。
ヨーロッパと日本の違い(つまり「近代世界システム」と「鎖国」の違い)は、ヨーロッパが開放系であるのにたいして、日本が閉鎖系である点にある。物資の需給システムが、開放系は貿易に依拠し、閉鎖系は国内交易に依拠するという違いである。
近代世界システムとは、国際関係論の用語を借りて言えばウエストファリア・システムつまり、国家主権の覇権闘争システムのことだ。
このシステムのいちばん根っこにあるのは、国家主権の発動の手段として「戦争をすること」は国際法(という発想そのものがこの時代に生まれた)に照らして正当であるという発想である。
これに対して、パックス・トクガワーナ・システムでは、はそもそも「国際法の下で平等な諸国が競合的に並立する」というスキームそのものを受け付けない。
パックス・トクガワーナ・システムの国際関係理解は、中国と朝鮮から伝わった「華夷秩序」あるいは「文明/野蛮」のパラダイムである。
つまりヨーロッパの産業革命とほぼ同時期に、日本は「鎖国」を物的に裏付ける自給自足体制を完成し、それまで旧アジア文明圏から輸入していた物産をほぼすべて国内土壌に移植して物産の国内自給を達成したということになる。
ヨーロッパは ヨーロッパは広大な土地に資本を投下する「資本集約型」、日本は狭い土地に労働を投下する「労働集約型」と、それぞれ生産革命の形態は違うが、いずれもこの生産革命によって、貨幣素材の海外流出が止まった。
ヨーロッパと日本の違い(つまり「近代世界システム」と「鎖国」の違い)は、ヨーロッパが開放系であるのにたいして、日本が閉鎖系である点にある。物資の需給システムが、開放系は貿易に依拠し、閉鎖系は国内交易に依拠するという違いである。
近代世界システムとは、国際関係論の用語を借りて言えばウエストファリア・システムつまり、国家主権の覇権闘争システムのことだ。
このシステムのいちばん根っこにあるのは、国家主権の発動の手段として「戦争をすること」は国際法(という発想そのものがこの時代に生まれた)に照らして正当であるという発想である。
これに対して、パックス・トクガワーナ・システムでは、はそもそも「国際法の下で平等な諸国が競合的に並立する」というスキームそのものを受け付けない。
パックス・トクガワーナ・システムの国際関係理解は、中国と朝鮮から伝わった「華夷秩序」あるいは「文明/野蛮」のパラダイムである。
華夷秩序は、明、清中国、さらに李氏朝鮮などからなる東アジア世界を律した国際関係であり、冊封体制と朝貢貿易を二つの柱とする。中国に朝貢し、中国皇帝から国王として冊を封ぜられた者が交易を許されるシステムである。(川勝「鎖国を開く」8頁)
華夷秩序においては、朝貢する国は、自国の特産品を宗主国に納め、その見返りに莫大な回賜品を受け取る。
つまり、「華」であるものは、形式的な主従関係の代償に、物質的には物的贈与を行うことによって「夷」である隣接集団との安全保障を確保する、というのが華夷システムなのである。
これは相互に平等な国家主権が「戦争と平和」のゲームを国際法上で展開するウエストファリア・システムとはまったく国際関係理解を異にしている。
つまり、「華」であるものは、形式的な主従関係の代償に、物質的には物的贈与を行うことによって「夷」である隣接集団との安全保障を確保する、というのが華夷システムなのである。
これは相互に平等な国家主権が「戦争と平和」のゲームを国際法上で展開するウエストファリア・システムとはまったく国際関係理解を異にしている。
川勝の主張は、この華夷秩序は「ポスト・戦争・パラダイム」の有望なモデルとなるのではないか、という点にある。
「鎖国や「海禁」は自国の文明を相手に押しつける民族同化主義とは正反対の姿勢であり、民族の「住み分け」として読みかえることもできるだろう。[……]地球という限られた存在を考えるとき、「鎖国」という有限世界のなかで培われた異なる国(藩)同士が互いに住み分けていた知恵には学ぶべきものがあるだろう。民族は交流しつつも住み分けうるという展望を持つことができるのである。(川勝「鎖国を開く」232頁)
批判点としては、徳川時代の統治システムのもつ権力的、抑圧的な側面への言及が少ない点。