■シンガポールと愛国心
シンガポールは、かつての安倍内閣の「愛国心強化」路線に熱い視線を送っていた東アジアでも例外的な国である。それは「愛国心の高揚」がシンガポール政府にとって喫緊の政治課題だからである。シンガポール国民には「愛国」というときの「国」の対象が具体的ではない。
シンガポールは、旧英国植民地の華人国家である。イギリスは18世紀末からマレー半島に植民地形成を進め、20世紀初めにはイギリス領マレー植民地が完成した(和辻哲郎がドイツ留学の際に訪れたのは、この時期のシンガポールである)。1946年に結成されたマラヤ連合では華人などの移民も含めすべての住民に平等な市民権を与えたが、これに対してマラヤ人は反発し、1957年に独立したマラヤ連邦や、1963年にシンガポール・サラワク・北ボルネオを加えて成立したマレーシア連邦では実質的にマラヤ人優遇政策がとられた。その結果、華人が多いシンガポールはこれに反発して1965年にマレーシア連邦から分離独立することになる。
現在、シンガポールは東南アジアの経済の中心地であり、国民一人当たり所得は30,000ドルを超えて旧宗主国を上回っている。
この発展を支えたシンガポールの華僑たちは、もともと故郷の福建や広東の言葉を話していた。けれど中国語の方言はお互いに通じない。しかたがないので、ビジネストークは英語と北京官話でなされた。結果的に、家庭内でさえ祖父母と孫の間でのコミュニケーションが成立しないことになった。そうやって父祖伝来の文化と伝統が断絶しつつある。
「高層ビルや高級ブランドショップが並んでいても、文化とはいえない。シンガポールは文化振興のために外国から高給で演奏家を招いてオーケストラを作ったりしているが、欧米や日本のオーケストラほどの水準に達しておらず、独自の雰囲気にも欠ける」と評される。
国民的統合を情緒的に下支えしているのは実は「兎追いしかの山」や「夕焼け小焼けの赤とんぼ」が歌う幻想的な風土である。故郷の山河とその生活を守るためなら死んでもいいという種類の熱価の高い愛国心の高揚の前提には、それが一度失われたら、もうどこにも代替物がないというとりかえしのつかなさについての確信がある。シンガポールの場合、「一度失われたら取り返しがつかない」ような種類の風土や文化や伝統の「原点が存在する」という確信が国民的規模では共有されていない。
たしかにある種の文化は金で買えるだろう。でも、自分がいま暮らすこの風土との深い親しみは金で買うことができない。そして、国民国家の場合、国民のオーバーアチーブは、しばしばこの(あまり根拠のない)「親しみ」の感覚によって動機づけられる。
シンガポールは、かつての安倍内閣の「愛国心強化」路線に熱い視線を送っていた東アジアでも例外的な国である。それは「愛国心の高揚」がシンガポール政府にとって喫緊の政治課題だからである。シンガポール国民には「愛国」というときの「国」の対象が具体的ではない。
シンガポールは、旧英国植民地の華人国家である。イギリスは18世紀末からマレー半島に植民地形成を進め、20世紀初めにはイギリス領マレー植民地が完成した(和辻哲郎がドイツ留学の際に訪れたのは、この時期のシンガポールである)。1946年に結成されたマラヤ連合では華人などの移民も含めすべての住民に平等な市民権を与えたが、これに対してマラヤ人は反発し、1957年に独立したマラヤ連邦や、1963年にシンガポール・サラワク・北ボルネオを加えて成立したマレーシア連邦では実質的にマラヤ人優遇政策がとられた。その結果、華人が多いシンガポールはこれに反発して1965年にマレーシア連邦から分離独立することになる。
現在、シンガポールは東南アジアの経済の中心地であり、国民一人当たり所得は30,000ドルを超えて旧宗主国を上回っている。
この発展を支えたシンガポールの華僑たちは、もともと故郷の福建や広東の言葉を話していた。けれど中国語の方言はお互いに通じない。しかたがないので、ビジネストークは英語と北京官話でなされた。結果的に、家庭内でさえ祖父母と孫の間でのコミュニケーションが成立しないことになった。そうやって父祖伝来の文化と伝統が断絶しつつある。
「高層ビルや高級ブランドショップが並んでいても、文化とはいえない。シンガポールは文化振興のために外国から高給で演奏家を招いてオーケストラを作ったりしているが、欧米や日本のオーケストラほどの水準に達しておらず、独自の雰囲気にも欠ける」と評される。
国民的統合を情緒的に下支えしているのは実は「兎追いしかの山」や「夕焼け小焼けの赤とんぼ」が歌う幻想的な風土である。故郷の山河とその生活を守るためなら死んでもいいという種類の熱価の高い愛国心の高揚の前提には、それが一度失われたら、もうどこにも代替物がないというとりかえしのつかなさについての確信がある。シンガポールの場合、「一度失われたら取り返しがつかない」ような種類の風土や文化や伝統の「原点が存在する」という確信が国民的規模では共有されていない。
たしかにある種の文化は金で買えるだろう。でも、自分がいま暮らすこの風土との深い親しみは金で買うことができない。そして、国民国家の場合、国民のオーバーアチーブは、しばしばこの(あまり根拠のない)「親しみ」の感覚によって動機づけられる。
- 関連書籍
渡辺京二「逝きし世の面影」朝日文庫,2005年, 明治初期に日本を訪れた外国人たちの記述を集めたもの。ハリス、ウェストンが日本を褒め称えている記述をよむことができる。
■中国と愛国心
「愛国心」を発動させることが、排他性にもとづくこともある。中国の反日政策がそれだ。2002年に国家主席となった胡錦濤は、「歴史認識問題を一番重要とするのではなく、適切に位置づけるよう調整した」と明言し、江沢民の強硬姿勢を現実的な方向に転換した。チベット、ウイグル、モンゴル、満州では依然として不穏な動きがあり、驚異的な経済長の裏では、深刻な社会的格差が生じている(沿海部の驚異的な経済成長に比べて、内陸部特に農村地域の所得は低い。貴州省の平均所得は上海の8%にすぎない)。この所得格差で13億の国民に「国民としての一体感を持て」といっても無理な話で、所得格差に顕在化した国内の分裂の動きを押さえ込むために江沢民はナショナリズムというカードを切った。そして、江沢民時代の集中的な「愛国・反日教育」の成果で、現在の20,30代は日本に対してかなりイデオロギー的にコントロールされた敵対感情を教育的に受けることになった。
「愛国心」を発動させることが、排他性にもとづくこともある。中国の反日政策がそれだ。2002年に国家主席となった胡錦濤は、「歴史認識問題を一番重要とするのではなく、適切に位置づけるよう調整した」と明言し、江沢民の強硬姿勢を現実的な方向に転換した。チベット、ウイグル、モンゴル、満州では依然として不穏な動きがあり、驚異的な経済長の裏では、深刻な社会的格差が生じている(沿海部の驚異的な経済成長に比べて、内陸部特に農村地域の所得は低い。貴州省の平均所得は上海の8%にすぎない)。この所得格差で13億の国民に「国民としての一体感を持て」といっても無理な話で、所得格差に顕在化した国内の分裂の動きを押さえ込むために江沢民はナショナリズムというカードを切った。そして、江沢民時代の集中的な「愛国・反日教育」の成果で、現在の20,30代は日本に対してかなりイデオロギー的にコントロールされた敵対感情を教育的に受けることになった。
■3.11と愛国心
3.11のあと、急速に「がんばろう、ニッポン」が増えたが、そのスローガンは太宰治の『トカトントン』のように奇妙に空疎な気分にさせるものだった。
3.11のあと、急速に「がんばろう、ニッポン」が増えたが、そのスローガンは太宰治の『トカトントン』のように奇妙に空疎な気分にさせるものだった。
