『人間の学としての倫理学』(1935)
この著作を、功利主義への牽制として位置づける。「最大多数の最大幸福」というホッブズ→ベンサム流の功利主義の原理は、個人が自身の利益を追求していくと、必ず抗争が起こる、という前提をもつ。それに対して和辻は、人間は最初から「人の間」に生まれつく「間柄的存在」なので、孤立した人間などフィクションにすぎないと語る。もともと中国では「人間」の語義は人の住む世の中、世間などであり、日本語でいう個人としての人間の意味はない。和辻はそれをうまく利用する。坂部(1986)が指摘するとおり、和辻がイメージ=理念視しているのは、柳田國男が民俗学の対象とした農耕村落と、そこの風俗習慣と見なせる。今日、かつてのような共同体がそのまま生きているわけではない点で、和辻の体系をそのまま援用することはできない。しかし、援用できる点もある。
重要なのは、和辻の体系が、神や輪廻などの「人の間」を超えた超越的力能を設定せずに倫理を考察することができる点だ。無論、和辻が神の位置に「世間」を置いたという反論はできる。しかし、「世間」は宗教の領域ではないため、倫理と宗教を別の問題系としてマッピングできる長所は残る。倫理と宗教を別のものとしてマッピングしたうえでの道徳的社会改革、という和辻のプロジェクトの着想源について、彼が博論で扱った原始仏教研究をあげることもできるだろうが、むしろマルクス主義の影響を推測させる。当時、人間の行為、社会的実践を重視していたのはマルクス主義だった。
和辻哲郎が本格的にマルクス主義の哲学や倫理学について論じたのは、「人間の学としての倫理学」や「風土」以降である。ただ、彼の蔵書の『資本論』や「フォイエルバッハ論」になされた書き込みは、彼がかなり早い段階からマルクスを読んでいたことを裏付ける。とはいえ、和辻がマルクス(主義)と分かたれるのは、前者が〈人の間の問いとしての倫理〉と〈人の間を超える問いとしての宗教〉を分けつつ、後者を廃棄せずに「エキゾーティックな(魅惑的な)」ものとして肯定的に評価し続ける点だ(cf.『古寺巡礼』他)。ここ、検討すること。
2011年05月15日(日)
重要なのは、和辻の体系が、神や輪廻などの「人の間」を超えた超越的力能を設定せずに倫理を考察することができる点だ。無論、和辻が神の位置に「世間」を置いたという反論はできる。しかし、「世間」は宗教の領域ではないため、倫理と宗教を別の問題系としてマッピングできる長所は残る。倫理と宗教を別のものとしてマッピングしたうえでの道徳的社会改革、という和辻のプロジェクトの着想源について、彼が博論で扱った原始仏教研究をあげることもできるだろうが、むしろマルクス主義の影響を推測させる。当時、人間の行為、社会的実践を重視していたのはマルクス主義だった。
和辻哲郎が本格的にマルクス主義の哲学や倫理学について論じたのは、「人間の学としての倫理学」や「風土」以降である。ただ、彼の蔵書の『資本論』や「フォイエルバッハ論」になされた書き込みは、彼がかなり早い段階からマルクスを読んでいたことを裏付ける。とはいえ、和辻がマルクス(主義)と分かたれるのは、前者が〈人の間の問いとしての倫理〉と〈人の間を超える問いとしての宗教〉を分けつつ、後者を廃棄せずに「エキゾーティックな(魅惑的な)」ものとして肯定的に評価し続ける点だ(cf.『古寺巡礼』他)。ここ、検討すること。
2011年05月15日(日)