赤城

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赤城 - (2013/07/30 (火) 20:35:15) のソース

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*CV
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藤田咲

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*史実情報

 元々は八・八艦隊を構成する天城型巡洋戦艦の2番艦として建造されていた。
 しかし、完成前にワシントン海軍軍縮条約が締結され、同型艦天城と共に空母への改造が決定。
 空母への改造は昭和二年に完了し、三段の飛行甲板を持つ大型空母として生まれ変わった。
 三段甲板は英空母を参考にしており、一番上を着艦用、一番下を発艦用とすることで、航空機運用の効率化を狙ったものだった。中段には主砲と艦橋が設けられている。
 しかしながら、実際の使い勝手は大変悪く、一番上の甲板以外は殆ど使用されなかった。他にも、巡洋戦艦の船体を無理やり空母化したため、各種不具合が多かった。
 元戦艦の[[加賀]]とは対照的である。なお、天城は関東大震災で船台から脱落し大破。廃棄される。

 昭和九年には大改装を実施し、艦容が一変する。
 三段の飛行甲板は傾斜をつけた全通式に改まり、格納庫も拡張され艦載機搭載能力も向上。二本あった煙突は一つになり、右舷中央に設置された。この際、煙突との干渉を避けるために、艦橋が左舷に設置された。
 しかし、この艦橋配置は甲板上の気流を乱し、着艦が難しくなった他、多数の欠点が見受けられる。
 艦載機着艦の際には、煙突内に海水を噴出していたため、煙突から水が滝のように流れる光景が見られた。この様子はプラモデルの箱絵にもよく描かれている。
 一方で対空兵装は強化されず、依然として旧式の兵装が使われていた。また、巡洋戦艦時代の名残である艦尾副砲も、撤去されていない(この点は[[加賀]]も同様)。


 改装後は、[[加賀]]と共に第一航空戦隊を編成。日中戦争では支援行動にとどまり、真珠湾攻撃が初陣となった。
 真珠湾攻撃に際し、航続距離に余裕のない&bold(){赤城}と二航戦は、900本もの重油入りドラム缶を積み出撃している。
 真珠湾以降は、日本機動部隊の中核として各地を転戦。赫々たる戦果を挙げる。

 一方で、「無敵機動艦隊」と持て囃された機動部隊には、徐々に「慢心」の気配が漂っていた。
 1942年4月のセイロン沖海戦では、英国機の接近に気付かず、爆弾が艦首付近に落下したことで敵の存在に気付くという有様だった。
 この時、&bold(){赤城}の格納庫では九七艦攻の兵装転換が行われていた。もし被弾していたら一大事であったが、司令部はこの事を特に問題視しなかった。

 そして運命のミッドウェー海戦を迎える。
 午前1時半、&bold(){赤城}はミッドウェー島爆撃の部隊を発進させ、米空母攻撃隊の準備を始める。が、午前4時に第一次攻撃隊より「第二次攻撃の要あり」の伝達を受け、南雲司令は兵装転換を命令。空母攻撃隊を格納庫に戻し、魚雷から爆弾への兵装転換が始まる。
 この時点で機動部隊はミッドウェー島航空機部隊の攻撃を受けるが、赤城は全弾回避し事なきを得ている。
 午前4時40分、遅れて発進した重巡[[利根]]4号水偵より「米機動部隊発見」の報を受け、兵装転換一時中止が。午前5時20分の続報を受け、米機動部隊攻撃の為二度目の兵装転換が始まる。格納庫は大慌てとなり、取り外された爆弾を片付ける余裕もない状況になっていた。
 午前7時26分、防空隊の隙を突き、米艦載機の急降下爆撃が南雲機動部隊を襲う。
 赤城は爆弾3発を受け、1発は艦尾付近至近弾となるも艦中央部に2発が直撃。爆弾は飛行甲板を突き破り、格納庫で爆発。瞬く間に艦載機や爆弾、魚雷に誘爆し赤城は炎上した。さらに至近弾で舵を破壊されことで、赤城は航行不能を余儀なくされる。
 甲板士官が独断で隔壁を閉鎖しなかったため、乗員の退避は迅速だったが、火の手は激しく逃げる場所は限られていた。
 午前9時3分、止まっていた赤城は突如右回りに動き始める。正午には再び前部格納庫が爆発。艦長は赤城の復旧を試みるが手の施しようもなく、午後4時20分に総員退去と自沈処理を決定。午後7時には駆逐艦・嵐と野分に生存者700名が移乗した。
 しかし午後7時25分、山本長官から「処分マテ」の命令が入り、赤城は自沈処理のためにやってきた第4駆逐隊と共に漂流を続ける。
 午後11時50分、ミッドウェー作戦の中止が決まり、赤城の処分が命令された。可燃物を全て焼き尽くされた赤城は、焼け焦げた姿になっていた。

 6月6日午前2時、赤城の右舷に向けて魚雷が発射され、4本中2本から3本が命中。北緯30度30分、西経178度40分地点にて、歴戦の空母赤城は艦尾から海中に没した。午後2時10分のことであった。

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|>|>|艦歴|
|発注|>|八八艦隊計画第6号艦|
|命名|1920年07月17日|天城型巡洋戦艦二番艦“赤城”と命名|
|起工|1920年12月06日|於呉海軍工廠|
||1922年02月06日|ワシントン海軍軍縮条約締結。赤城を含む建造中の全主力艦の廃艦が決定|
||1922年02月11日|建造中止|
||1923年01月08日|姉妹艦“天城”の空母化改造工事に着手|
||1923年09月01日|関東大震災発生。姉妹艦“天城”が被災し大破・放棄|
||1923年11月19日|23計画特務艦として空母“赤城”を再発注。“赤城”の空母化工事着手|
|発注|>|23計画特務艦|
|進水|1925年04月22日|赤城型航空母艦“赤城”と命名|
|竣工|1927年03月25日|三段の飛行甲板を持つ多段式空母として竣工。横須賀鎮守府第1予備艦|
||1928年04月01日|第一航空戦隊を新編し旗艦となる。僚艦は鳳翔|
||1931年11月02日|第一次近代化改装に着手|
||1931年12月01日|旗艦任務を“加賀”へ継承|
||1932年02月02日|第一次上海事変勃発に伴い、艦載機を上海へ派遣|
||1932年12月01日|工事終了。第1予備艦へ類別|
||1935年10月24日|飛行甲板の一段化及び左舷への島型艦橋設置を中心とした第二次近代化改装に着手|
||1938年08月31日|工事完了|
||1938年11月15日|第一航空戦隊及び同戦隊旗艦へ復帰。僚艦“加賀”|
||1939年02月10日|海南島制圧作戦に参加|
||1940年10月11日|紀元2600年特別観艦式に参加|
||1941年04月10日|第一航空艦隊新編。同艦隊旗艦|
||1941年12月08日|ハワイ真珠湾攻撃を実施|
||1942年01月07日|ビスマルク諸島攻略作戦に参加|
||1942年01月23日|ラバウル島上陸支援作戦に参加|
||1942年02月15日|オーストラリア・ダーウィン攻撃作戦に参加|
||1942年04月05日|インド洋作戦(セイロン沖海戦)に参加|
||1942年06月05日|ミッドウェー海戦に参加。米艦載機による急降下爆撃を受け、兵装転換用の弾薬が誘爆。大破航行不能|
|沈没|1942年06月06日|味方駆逐艦によって雷撃処分される|
||1942年07月14日|第三艦隊へ編入(書類上のみ)|
|除籍|1942年09月25日||

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*台詞一覧
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|状況    |台詞|関連する史実や元ネタ、解説など|
|自己紹介|航空母艦、赤城です。空母機動部隊を編成するなら、私にお任せ下さいませ||
|秘書クリック会話①|流星? 九七艦攻とは違うのですか?|最新鋭艦攻の流星登場時、既に赤城は魚礁|
|秘書クリック会話②|烈風? いえ、知らない子ですね|最新鋭艦戦の烈風は未完成で終戦。当然赤城は魚礁|
|秘書クリック会話③|作戦会議でしょうか?||
|戦績表示時|提督、通信が入っています||
|編成選択時|一航戦、赤城、出ます!|一航戦は赤城が旗艦だった第一航空戦隊の略称|
|装備時①|近代化改修、ありがとうございます||
|装備時②|三段式甲板は・・・要りませんよね|赤城といえば三段式甲板が有名|
|装備時③|上々ね||
|>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)|
|ドック入り|次の作戦に備えますね||
|ドック入り(重傷)|飛行甲板の修復に、少し時間がかかりそう||
|建造時|機動部隊に、新しい艦が参加出来ます||
|艦隊帰投時|艦隊が帰投しました||
|出撃時|南雲機動部隊、出撃します!|帝国海軍第一航空艦隊の通称。司令官・南雲忠一中将にちなむ。なお、世界初の空母機動部隊である。|
|戦闘開始時|第一次攻撃隊、発艦して下さい!||
|航空戦開始時|艦載機の皆さん、用意はいい?||
|攻撃時|第二次攻撃隊、全機発艦!or装備換装を急いで|南雲部隊は攻撃隊発進の土壇場で、兵装転換をすることが多々あった。(cf.セイロン沖海戦、ミッドウェー海戦)|
|夜戦開始時|第二次攻撃隊、全機発艦!||
|MVP時|この勝利で慢心していては駄目。索敵や先制を大事にしないと・・・って、頭のなかで何かが?|史実の南雲部隊は、連戦連勝で慢心し、索敵を軽んじて敗北したため|
|被弾小破時|真上!?直上!?|史実の被弾は、ドーントレス急降下爆撃機が突然直上から現れた登弾したことによるものだった|
|被弾時|ああっ!・・・誘爆を防いで!|史実では出撃直前に直撃弾を受け、甲板の艦上機や搭載していた爆弾・魚雷に誘爆したことが致命傷になった|
|被弾カットイン|一航戦の誇り、こんなところで失うわけには・・・!||
|撃沈時(反転)|COLOR(white):ごめんなさい…雷撃処分…してください…。|COLOR(white):第四駆逐隊(嵐、萩風、野分、舞風)により雷撃処分され、艦尾から沈んでいった|

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