士孫瑞は、後漢後期の人物。蓋勲の上表によって処士から鷹鷂都尉となり、その領下に入った。
 董卓を誅殺する謀議に参加し、王允に助言したが、王允がその功績を独占しようとしたので、彼に功を帰して列侯にはならなかった。
 このため、長安が陥落した際に難を免れた。献帝東帰に随行したが、追撃した李傕郭汜弘農郡東澗で戦い、敗北して殺された。


情報

士孫瑞
士孫
君策(または君栄)
本貫地 右扶風
家柄 (よよ)学問を為す。
幼年評 少くして家業を伝え、博達して通せぬ所無し。
官歴 鷹鷂都尉 執金吾 南陽太守(董卓が疑いこれを留める) 尚書僕射 大司農 国三老光禄大夫 衛尉尚書令
頗る才謀を有す。
死去 李傕郭汜乗輿を追い、東澗に戦う。王師は敗績し、光禄勲鄧泉、衞尉士孫瑞、廷尉宣播大長秋苗祀歩兵校尉魏桀侍中朱展射声校尉沮儁を殺す。
追贈 天子に都すと、士孫瑞の功を追論し、子の士孫萌を澹津亭侯に封ず。
士孫萌


事跡



年表




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最終更新:2016年04月19日 03:06